四月四日
四月四日
もしこれが夢だったらどうなるのだろう。もし、これが全部夢だったら。ぼくの人生が長い長い夢だったら? リルの夢に出てきている登場人物の一人だったら? リルが夢からさめたらぼくは消えてしまうのだろうか。それは……ちょっと悲しい。悲しいし、空しい。仮にぼくがリルの夢の登場人物だとしたら、夢はどうしてぼくに余計なものまでくれたのだろう。どうしてぼくはジェスとであったのだろう。リルの夢にジェスの存在は必要なのかな。そもそもぼくがファンタジーである必要があるのか。
子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう祈ると、老婆に子供ができた。でも、産まれた子供は身長が小指ほどしかなく、何年たっても大きくなることはなかった。子供はジャックと名づけられた……。
これは誰もが知っているこどものお話だけれど、主人公はジャックだ。ジャックの話の為におばあさんとおじいさんがいて、おばあさんには母親と父親がいる筈だ。おじいさんの場合も同じ。ジャックが生まれるまでに何人の登場人物がいたのだろう。そしてその登場人物はジャックが生まれるためだけに生きてきた、そうなるように生きていたということになる。そうなるように、生きていた。
ぼくはどうだろう。と、恐ろしい考えが頭に浮かんでこの二日間悶々としていた。どうしていきなりそんなばかげたことを考え出したのかといえば、親愛なるエンデのせいだ。彼があとがきにそんなようなことを書いていたから。
考えてみれば、自分の人生はとんでもなく忙しかった。おかしなことがたくさん起こり、そのうえ、今わたしは空の裏にいる――そうとも、わたしはもともとドリームレスの住人だった、もちろんそうだとも、一片の疑いもなく。夢のような人生だった。まるで誰かが書いたお話みたいに。自分の、もしくは誰かの夢に入り込んでしまっているのではないか。
これは明晰夢だろうか。夢を夢と自覚しているのだろうか。わたしの世界では「ここではない、どこか別の世界」を大まかにファンタジー、或いは虚構――フィクションと呼ぶ。そしてそれは存在しない。
存在しない。ならば、彼らが現実と呼ぶものをどう説明する? 夢や幻想の反対。はい、おしまい。しかし夢や幻想は存在しない。よって現実も存在しない。ふむ、これは非常に興味深い。
そういう世界は存在する。
この後もまだ続いているけど、それを書くのは面倒だし話から脱線する。エンデはドリームレスの住人――。驚いた。ならば彼はさらい風にさらわれてやってきたのだろうか。そして彼の人生は夢だったのだろうか。するとぼくは彼の夢から……その、派生したその他大勢の登場人物ということになる。ぼくは「ふむ、これは非常に興味深い」と言おう。
エラーで投稿できなかった昨日(十月十日)更新分。
リニューアルしてからエラーばっかりです。
夢ってやっぱどうしても惹かれます。この日の日記は、短編「夢を見る夢を……」のオマージュというか、リメイクというか、まあとにかくそれらににたものになりますね。