9.嘘つき
裁判所と聞くと石造りの建物をイメージする。けれど実物は塀で囲われ、門に『地方裁判所』の文字を彫ったプレートが設置されているだけで、遠くからの外観は周囲のオフィスビルと大差はなかった。
中に入ろうとすると警備員に二度見される。平日の昼間だからかどうしても目立つ。学校もあったが熱が出たと嘘をついた。入り口にはボードが置かれ開かれる裁判の一覧が掲示されていた。そこに成瀬の事件を見つけた。調べた通り、申しこみも必要ないようだ。
建物内は静寂に包まれていた。装飾は一切なく、不自然なほど静かだ。空気の流れが感じられずに重苦しく、その空気感は図書館に近い。
法廷に入ると、ニュースやドラマで見た光景がそのままあった。大きさは教室とほぼ同じ。手前に傍聴席が並び、腰ほどの高さの柵で二分されている。奥には壁に沿って三方に席があり、裁判官の席は一段高い。それらの真ん中に証言台がある。
傍聴席には太一の他に四人しかいなかった。若い女性、のけぞって左右の席に腕を置く態度の悪い男性、そして夫婦らしき二人が最前席の左端に座っていた。年齢はバラバラで、共通点はないように見える。この人たちも関係者なのだろうか。
そんなことを考えていると、奥の扉が開いた。スーツ姿の男性、その後にいた人を見て、太一の心臓が大きく音をたてた。成瀬だ。背を丸め、視線を落として歩く。疲れているのか少し痩せたように見えた。
こんな時なのに、久しぶりに顔が見れたことが嬉しかった。
すると、成瀬が視線を傍聴席に目を向ける。太一は身をかがめ、とっさに隠れた。席の影から様子をうかがうと、どうやら見つからなかったようだ。低姿勢のまま、隠れるように態度の悪い男の後ろに座る。
鞄からルーズリーフとシャーペンを取り出す。録音や録画は禁止されているのでメモを取るためだ。
突然、部屋の全員が一斉に立ち上がった。
見ると奥から法衣を来た裁判官が出てきていた。慌てて太一も立ち上がり、周りに合わせて一礼する。そうする決まりらしいが、まるで学校のホームルームだ。
「これより審理を始めます。被告人は前へ」
宣言に室内の空気がひりつく。まず成瀬が正面の台に立った。裁判官から問われ、成瀬は氏名、生年月日を答える。その中で住所と本籍も聞かれたが、成瀬の声は小さく、背を向けていることもあって聞き取れない。
そして職業について尋ねられると、言葉に詰まった。
「先月まで教師をしていました。今は無職です」
動揺してシャーペンを落としそうになる。生徒に手を出して教師でいられるはずがない。それでも本人の口から告げられるのはショックだった。
裁判官が成瀬に言う。
「あなたには黙秘権があります。言いたくないことは言わなくても構いません。法廷内での発言は全て証拠となりますので、注意してください」
太一のわずかな知識でも知るやりとりがなされ、目の前で成瀬が裁かれようとしている。なのに現実感はどんどん薄れ、ドラマを見ているような感覚に陥っていた。左手にいた検察官の男性は立ち上がり、手にした紙を見ながら話し出す。
「検察官が証拠により、証明する事実は次の通りである。被告人は兵庫県姫路市で生まれ、高校を卒業後――――現在の教員として勤務。犯行時は被害者のクラスの担任を務めていた』
検察官は早口で声も小さく、相手に聞かせる気がないしゃべり方だった。
『被告人は五月から不登校となった被害者宅を何度も訪問し、学校への登校を促した。初めは部屋に入ることもできなかったが、七月には入室を許され、二人きりとなる時間が増えた』
メモできる早さではなかった。せめて理解しようと耳を傾けるが、早口すぎて頭がクラクラしてくる。
「やがて一方的な好意を持った。被害者に『愛している』『こんな気持ちになったのは君だけだ』などと言葉巧みに愛情があるように装い、六月には接吻を行い、反抗しないことを確認してから手淫を強要し、七月二十一日未明、肛門性行に及んだものである。被害者の父親が不審に思い、被害者の室内に設置した録音装置により、発覚したものです」
佳依の部屋にマイクがしかけられていた。さらりと口にした言葉に寒気が走る。
「先ほど、検察が述べた内容に間違いはありますか?」
「全て、間違いありません」
裁判官の問いに答えて成瀬が席にもどる。続けて成瀬の弁護人が発言したが、成瀬と同じで全て認めるという。
「すでに被害者とも和解が成立し、十万の示談金が払われております」
紙を裁判長へ渡し、裁判官がざっと目を通す。
「被害者は『寛大な処置を望む』と意見を述べています」
慣れた様子で弁護していくが、成瀬と桐山が恋愛関係にあることに一切触れない。二人は本気で愛し合っていた。それを主張すれば、成瀬は無罪になるかもしれないのに。だが。反省しているから罪を軽減しろという主張に終始する。
裁判官が成瀬に問いかける。
「被害者は初め、あなたと恋愛関係にあったと証言していました。それは事実ですか?」
「それは……違います。私にはそんな感情はありませんでした。あの子は教師と生徒の関係を恋愛だと勘違いしていただけです」
一言一言、自分に言い聞かせているように言葉を句切る。話している間に辛くなったのか、裁判官から目をそらす。嘘をついているのが丸わかりだ。
「わかりました」
そのやりとりがとても気持ち悪かった。どうしてそんなことを言うのか理解できないし、真実が目の前にあるのに問い詰めない。裁判は真実を求める場所のはずなのに、気持ちの悪いやりとりに耐えられなかった。
太一は立ち上がり、まっすぐ柵へと向かった。