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『もし』の話はこれでおしまい  作者: 凪沙ミハル
7/16

7.203号室

「うわ、ボロ……」


 二階建てのアパートは、つい口に出してしまうほど古びていた。敷地に入ると真横を走る線路を電車が通り、大きな音が響く。


「二〇三号室だから、二階だよな」


 鉄板むき出しの階段を上がると、一歩ごとにギシギシと不安に軋み、雨よけのトタンはボルトの錆が流れて茶色の線ができている。二階の廊下も雑多だった。室外機や水道の配管がむき出しで、手すりにそってプランターが並ぶ。伸びたツタには立派なゴーヤが実っていた。


 ただ成瀬の部屋の前は片付いていて、ほっとした。ゴミ部屋ではなさそうだ。


 深呼吸をしてチャイムを鳴らす。いないとは思うが、さすがに緊張する。反応はない。扉には鍵がかかっていて、太一は扉の郵便受けの蓋を開いて中に呼びかけた。


「先生、いますかー? 風早です。いないのなら、カギを持っているので勝手に開けますよー?」


 少し待ち、反応がないのを確かめて鍵穴にカギをさしこむ。回すと、わずかな抵抗と共にカギが開く。


「お邪魔します」


 中は暗かった。ドアとすぐ横にある台所の小窓から差しこむ光が、小さなダイニングキッチンを照らす。奥にはもう一つ部屋があり、アコーディオンカーテンで仕切られている。


 太一は部屋に上がり、突き当たりのカーテンを開いて振り返った。六畳ほどの洋室には何もなかった。ベッドすらなく、唯一残った吊り下げ式の電灯から紐がだらりと垂れている。


 クローゼットを開く。元々は押入れだったのか上下に分かれており、太一は体を入れて奥まで探した。さらにキッチンの棚も、バストイレの中も探すが何もない。


 どうして何もないんだ。嫌な想像が頭をよぎる。


 古いアパートに、空の部屋。もしかして偽の合いギを用意するための部屋じゃないのか。偽のカギで愛の証明を偽装なんて、どこかで聞いた話だ。


 成瀬はそんな奴じゃない。けれど、現実に部屋はもぬけの空だ。まさか、二人そろって成瀬に騙されていたんだろうか。あの優しい笑顔は全て嘘だったなんて信じたくない。


 少しの間、呆然としていたが気を確かに持とうと努める。とにかく佳依にこのことを伝えないと。

 スマホを出すと、一緒にポケットからカギが出て床に落ちる。部屋のカギと、小さなカギ。


 これはどこのカギなんだろう。オートロックはない。部屋に金庫でも置いてあったのだろうか。だが、それにしても作りが適当だ。百円均一で売っているような簡素な作りだ。


「あ」


 そんなカギを使う場所が一つだけある。


 太一は外に出て、建物の横に向かう。そこには集合ポストがあった。金属を曲げただけの見るからに安物で、鍵も備え付けられておらず、住人が用意した、部屋ごとに色も形も違うダイヤル上や南京錠が並ぶ。そして二〇三号室のポストにも南京錠がつけられていた。


 カギを差しこんで回すと、カチっと小さな音を立て南京錠が上に動く。ポストを開けると、何十枚もチラシが地面に流れ落ちた。ポストの上の壁には『チラシ投函禁止!』とマジックで書かれているのにお構いなしだ。宅配ピザ、分譲マンション、コピー機で作った近くの定食屋のチラシ、美容室の割引券まである。


 その中に何も書かれていない白封筒を見つけた。封はされていない。中身取り出し、三つ折りになった紙を開く。だがそこには『新しい人生を引き寄せる十の方法』と書かれていた。心理セミナーのチラシだ。


「くそっ、ふざけんなっ」


 床にたたきつける。大量のチラシをより分け、中から電気料金の通知はがきを見つけた。中を開くと、二ヶ月分の料金が記載されている。少なくとも、成瀬はここに住んでいた。


「おいアンタ、さっきからなにやっとるんだ?」


 振り返ると、老人が立っていた。真っ白な髪に、古びた灰色のツナギを着ている。背が大きく曲がっているせいで、上目遣いになり変に迫力がある。


「あーあ、こんなに散らかしよって、まったく」

「す、すみません、すぐ片付けます」


 地面に散らばっていたチラシを集めゴミ箱へ捨てる。


「アンタ、何者?」


 ぎょろりと目を向けられ、太一は愛想笑いで誤魔化す。


「えっと、おじいさんは?」

「ワシはここの管理人だよ」


 アパートをアゴで指す。ツナギの胸元は大きく開けられ、よれた肌着の白シャツが見えている。清潔感はあまりなく、そんな風には見えない。


「なんだ? ワシが嘘ついてると思っとるのか?」

「い、いえ。そうじゃなくて。あ、あの、二〇三号室に住んでいた人はどうしたんですか?」


「あそこはもう引き払ったよ。教師をやってたらしいんだが、生徒に手を出したらしくてな。ガサ入れされたすぐ後に、引っ越し業者が来て荷物を持って行っちまった」

「引っ越し? どこに行ったのか、わかりませんか?」

「んー、さあわかんねえな。こっちにも連絡なくてよ、日が沈んでから作業始めよったから夜逃げかと思ったくらいだ」


 ここまで来たのに何の手がかりもないのか。太一が肩を落としていると、老人は「ああ、そうだ」と手を叩く。


「業者と一緒に男が来とったな」

「男? それ、誰かわかりますか?」

「ありゃあ、あの男の父親だろうな。目元が似とったよ」

「父親? どうして……?」

「そんなの決まっとるだろ。捕まっとる本人は自由に動けんからな。やから代理で来たんじゃろ。契約解除の委任状も持っとったし」

「あ、あの。それを見せてもらうことって……」


 委任された相手の名前がわかれば手がかりになる。


「できるわけないだろ。最近は個人情報がうるさいからな」

「でも、名前だけでも教えて貰うわけには」

「しつこいな。無理なものは無理だ。教えて欲しいなら弁護士でも雇え」


 せっかく手がかりが見つかったと思ったのに、とりつく島もない。


「契約は今月いっぱいだ。来週には清掃の業者を入れる。忘れ物があるなら、とっとと回収するこったな」


 そう言うとおじいさんはアパートの隣の家にもどっていった。

 太一はもう一度部屋に入り、部屋の真ん中であぐらをあく。


「……正直に言うしかないよな」


 スマホを取り出し、佳依にメッセージを送る。


『ごめん。何もなかった』

『何も?』

『ああ。先生の親が来て、荷物を持っていったらしい。もぬけの空』


 既読のマークがついて、長い間があった。佳依の気持ちを考えると心が痛んだ。期待していたのに、何一つ残っていない。あわよくば、太一も何か一つもらっていくつもりだったのに。


『部屋を撮ってきて』

『何もないんだぞ。家具もないのに』

『それでもいい。先生が住んでいた部屋を見てみたいんだ』

『ビデオ通話じゃ無くていいのか?』

『止めとく。一人じゃないと見れないから』

『わかった』


 太一はスマホを手に部屋中を撮影した。部屋やキッチンだけでなく、トイレやバスタブまで。生活感があふれる場所を撮るのはためらいがあったが、佳依だけにわかる何かがあるかもしれない。わずかな取り逃しもないように容量が一杯になるまで撮った。


 漏れが無いのを確認して、佳依への義務を終えた。太一は座り、スマホを床に置く。そしてもう一度部屋を見渡す。


 するとフローリングにできたへこみを見つけた。家具の重みで出来たものだ。さらに痕跡をたぐると、ベッドや棚の位置がぼんやりと浮かぶ。


 ベッドがあった位置に移動して寝転ぶ。沈殿した空気に、わずかに成瀬の匂いが残っていた。その懐かしい匂いに、成瀬との思い出が浮かんでくる。笑顔や声がよみがえる。


 もう会えないんだ。


「先生……」


 胸が詰まって声が震えた。苦しくて膝を抱える。目元が熱くなり涙がにじみ出る。


「くそっ」


 流れそうになった涙を拭う。用事は済ませたんだ。早く出よう。ここにいたら泣いてしまう。


「……ん?」


 ふと吊り下げ式の電灯に目がいく。その傘の端の折り返し部分に、親指の先ほどの小さな影があった。


 立ち上がり手を伸ばすが届かない。ジャンプして左右に揺らすと、影はころりと転がって落ちた。両手で受け止めると、手のひらで小さく跳ねる。


「指輪? なんで?」


 銀一色のシンプルな形をしていて、男物なのか、大きめに作られている。太一でもつけられそうだ。

 けれど成瀬は指輪をするタイプじゃない。装飾品をつけている所を見たことすらない。しかもなんで電灯に? 

 指で持って角度を変えると、内側に細い文字で刻印がされていた。


『S to K』


 すぐに気づいた。


『俊介から佳依へ』


 そしてその反対側には四文字の英字の下部だけが刻印されている。ペアリングだ。


 強くリングを握りしめる。ポケットに入れようとしたがこのままでは傷つけてしまう。何か無いかと探すと、後ろポケットからいつ入れたかわからないハンカチが出てきた。しわだらけのそれを広げ、指輪を丁寧に包む。


 部屋を出た太一は、自転車に飛び乗り全力で走り出した。

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