6.二人だけになりたいの?
五十嵐と共に『Sole allegro』にもどると、到着した時には夕方の営業開始時間を十分ほど過ぎていた。店前で待つ数組のお客さんを店に入れ、五十嵐は手早く着替えて営業を開始した。
「すみません、俺のせいで」
頭を下げる太一に五十嵐は「気にしないで」と軽く手を振る。
「道楽でやってる店だからね。お客さんもわかってるから」
そういうと注文を取りに行く。太一は奥の部屋へと向かった。
佳依は靴を脱ぎ、ソファに横になって足を伸ばしていた。服装もTシャツにジャージとリラックスしきっている。太一を見ても本を読んだまま片手だけを動かして「お帰り」と軽く挨拶する。
「お前、最初の時と態度変わりすぎ」
背中を真っ直ぐ伸ばしていたのが嘘のようだ。
「僕だって緊張してたんだよ。太一に会うの久しぶりだったから」
「ったく。とにかく、これ」
太一はカギを取り出して机の上に置こうとする。けれど同時に受け取ろうと佳依が手を伸ばした。手が交錯して触れてしまい、太一は慌てて手を引いた。カギが机に落ちて大きな音を立てる。
「どうしたの?」
太一はもう一方の手で触れた指先を隠す。肌の感触が指先に残り、罪悪感を沸き立たせる。
「だって……嫌だろ。俺に触れられるの」
佳依はカギを拾い、ポケットに入れる。
「太一って優しいよね」
「や、優しくなんてねえよ! 俺はお前に……!」
「はーい。失礼するよ」
五十嵐がするりと部屋に入り、ショートケーキセットを太一の前に出す。甘党なのを察しているのか、コーヒーの横に置かれた角砂糖は三つだ。軽くケーキの説明をして去って行く五十嵐を見ながら、太一はため息をつく。話の腰を折られてしまった。話題を変えよう。
「あのさ、この個室いつも使ってるけど大丈夫なのか?」
「どうして?」
「だって、ここって店の特等席だろ? それを潰してるわけじゃん」
休日の夕方ということもあり、フロアは半分ほど席が埋まり、手前の個室にもお客さんが入っている。
「それじゃ移動する?」
佳依は人差し指で天井をさす。
「ここの二階は勝さんの家になってるんだ。僕の部屋もあるけど……太一は僕と二人きりになりたいの?」
「なっ……。そ、そういう聞き方卑怯だぞ!」
顔を真っ赤にして怒る太一を佳依は笑う。
「ごめんごめん。太一ってすぐ顔が赤くなるから、からかい甲斐がある」
「殴るぞっ」
すごんで見せても、かえって佳依を笑わせるだけだった。
「大丈夫だよ。今日みたいに混むのは珍しいんだ。いつもなら四分の一も埋まってたらいいくらい。それに五十嵐さん、嫌いなお客には冷たいし」
「それでよく潰れないな」
「この店ってずっと赤字なんだ。たぶん、一度も黒字になったことないんじゃないかな」
「そういえば五十嵐さんも言ってたな。道楽だって」
趣味で店をするなんて贅沢だが、あの家を見た後だと慎ましいと思えるから不思議だ。他に収入があるのだろうか。例えば……株? そこまで考えて自分の想像力の無さに呆れた。
「勝さん、家からお金もらってるから。今日、家に行ってたでしょ。あれってお金を取りに行ってたんだよ」
「そう、なのか」
なんとも答えられず、曖昧な返事をする。
「僕の親が議員って話は聞いた?」
「あ、ああ。じいさんのじいさんの頃からそうだって」
「じゃあ僕が厄介者だって話は?」
太一が黙ると、佳依は「やっぱり肝心な部分は話してないか」と呆れる。
「僕、太一と会う前からあんまり学校には行ってなかったんだ」
「え? けど毎日学校来てたじゃん」
太一と佳依が同じクラスになってから、佳依は一度も学校を休まなかった。
「それは……太一がいたからだよ。太一と一緒なら学校も楽しかった」
昔を懐かしむように寂しく微笑む。
「でも三ヶ月前から僕は全く学校に行かなくなった。親父はすごい怒ったよ。議員の息子が不登校なんて外聞が悪いから。でもすぐに諦めて、僕に興味を無くした」
その発想が太一には理解できない。
「なのに成瀬さんが来て、僕が話すようになったら急に態度を変えて、引きこもりの支援を言い始めてさ。ベタベタ貼ってるポスター見た? 教育改革、なんて笑っちゃうよね」
溜まっていたものはき出すように言葉が止まらない。馬鹿にしたような口調なのにどこか悲しそうな顔をしていた。
「そんなの……おかしいだろ。家族なのに……」
「あそこはそれができる家なんだよ。成瀬さんが逮捕されて、マスコミがやってきたら、今度はここに連れてこられた。僕が余計なことをしないように監視までつけてね」
「……五十嵐さんはいい人に見えたけどな」
金の催促の話はともかく、実家にいるよりはマシに思えた。
「勝さんも大したことないよ。祖父の跡を継いで政治家になるのは勝さんのはずだったのに逃げ出した。それだけならいいけど、いつまでたっても自立せずに金をせびってる。まあ、よく言ってクズだよね」
参ったねと言いたげに両手を上に向ける。
「五十嵐さんが僕を預かったの、僕の生活費を口実に金を取れるからだろうし」
自分の家族や親戚の話なのに、佳依は他人事のように語る。それを知ると、快適に見えた佳依の部屋も、あの部屋から出るなという家族の冷たさが現れているように思えた。
佳依は親だけじゃない。五十嵐のことも信用していない。だから、太一にカギを取ってくるように頼んだ。
周りに一人も味方がいない。そんなの辛すぎる。
「あのさ、他に頼み事はないか? やってやるよ」
せめて自分だけでも味方になりたかった。
「急にどうしたの? 気持ち悪いな」
「気持ち悪いとか言うな。してやるって言ってるんだから乗っかれよ」
「もしかして、罪滅ぼしのつもり? それなら――」
「ちげえよ! それとこれとは別の話だ。俺は……ただ佳依のことを助けたいんだ」
様々な気持ちが太一の中にある。過去に対する罪悪感も、佳依と成瀬のどちらが正しいのか知りたい気持ちも。けれど今は純粋に佳依を助けたい。自分が味方にならなければ、佳依は一人になってしまう。傍観することはできなかった。
「そう言うなら……」
佳依はしばらく考えた後、先ほど渡したカギを取り出す。
「これ、俊介さんのアパートの合いカギなんだ。最後に会った時にもらった。……僕の代わりに行ってくれる?」
交際経験がない太一でも、合鍵を渡す意味は知っている。受け取ると、さっきよりもカギが重く感じた。
「俺でいいのか?」
「うん」
「行って何をすればいいんだ?」
「……わからない。けど、俊介さんはきっと何かを残してる。それを見つけて欲しい」
曖昧な頼みは、佳依の立場の弱さを示していた。
「わかった。行ってくる」
受け取ったカギを強く握りしめ、太一は力強く答えた。