第1ー3
王宮内、グランヒルデ王家六男であるレヴィ・グランヒルデに与えられた部屋は非常に広い。
広さの割に私物の少ない部屋は閑散としており、どこか寂しさを感じさせる。
リースはジークの元を訪ねたその日のうちにレヴィの元を訪れていた。
「随分とお広い部屋ですね。羨ましい限りです」
部屋を見回したリースが目の前に座る少年に何の感情も乗せない声で言う。
「随分な嫌味・・・と言いたいところだが、それほど興味なさそうに言われるとそんな気は微塵も感じられないな」
「それはどうも」
「褒めてはいない」
部屋の主であるレヴィは、父親と同じブロンドの髪の毛に17歳にしては些か細い身体。整った顔に浮かぶ表情は苛立っており、彼女の来訪を歓迎していない事を全身で表現していた。
「さて、私の要件・・・もう察していますよね」
「はん、まだ王になるなんて夢見てんのか?どうせ、ナルサに勝てるわけねえのに」
「それでも・・・それでも私は王様になりたいのです。この国の在り方は間違ってるから」
それは彼女の本心だ。
彼女とて決して生まれた時から野心があった訳ではない。この国を変えたいと思ったからこそ、王を目指すと決めたのだ。
「・・・その言葉、父さんの前で言ったのか?」
「いいえ、まだ言えない。言っても何も動かせないですから」
リースの視線とレヴィの視線が交差する。
「その眼差し、本当にお前、苛つくよ」
「それは結構。そんな言葉よりも、早く決断を」
「ふん、別に俺が持っていても仕方がないからな、ほら、これでいいんだろ」
レヴィがリースに一つのバッジを投げ渡す。
自らの尾を食らう龍に二本の交差した劔を象ったそのバッジは候補者にのみ配られる物だ。
これが無ければ王選の舞台に立つ事は出来ない。
つまり、この時点でレヴィは王になる事を捨てたという事になる。
「意外ですね」
「何がだよ」
「貴方は私の事を嫌っていると思っていたので」
「嫌いだよ。ただ、俺はそれ以上にナルサの奴が嫌いなだけだ・・・それに、お前が王になる為にもがく様を見るのも面白そうだ」
「成る程、なら、貴方の期待に応えるためにも精一杯もがいてあげましょう」
「楽しみにしているよ」
「では」
リースが立ち去った後、2人でも寒々しさを感じさせていた部屋は、より冷たさを増したように感じる。
部屋に置かれた数少ない彼の私物の一つ、それ一つで家が建つと言われるほどに高級なソファから立ち上がると、レヴィは本棚から一冊の本を取り出した。
「歴史は・・・正しい形に戻る・・・か。そろそろ潮時だな」
レヴィが本のカバーを外す。
綺麗なカバーの下にあったのは古ぼけた革張りの本であった。
そのタイトルは『英雄の詩』、かつてこの国の王が出版を停止させ、この国から姿を消したはずのものである。
山稜に消えゆく太陽が空を紅に染め上げる。
街中では夕陽に引き伸ばされた影を踏みあって遊ぶ子供達の姿や、そんな彼らを迎えにくる親達の姿で溢れかえっていた。
これから数刻もすれば仕事帰りの大人達の姿も多くなり、第一区画は最も人の通りが盛んな時間帯になる。
「ジーク様の言った通りに進んでいる・・・彼は一体何処まで読んでいるんでしょうか」
窓から街並みを眺めつつリースは呟いた。
ジークの言葉通りに進んでいると怖いくらいに物事が綺麗に進んでしまうため、何とも言えない不安に襲われる。
リースは、レヴィの部屋から帰ってきた後、五男であるライザーの部屋を訪れてみたが、出掛けていた為に戻ってきていた。
王になれる確率の低い六男から四男までにとって王選出場は価値がないから、簡単に捨てさせられる。
ジークに伝えられていた言葉であったが、まさかここまでとは思ってもいなかった、というのがリースの素直な感想だ。
とはいえ、あまり楽観的に考えすぎる訳にもいかない。
「時間も無い・・・」
机の上に置かれたカレンダーを捲れば、目に映るのは4ヶ月先に付けられた印、彼女がアルバーナに送られる日に付けられたものだ。
アルバーナ側の都合を考えれば、残り時間は3ヶ月。悠長にはしていられない。
それにジークに関しても今ひとつ信じきれない所があるのも確かだ。
リースに対しての忠誠、ジークが彼女に捧げるそれは余りにもいきすぎている。無条件で信じるのは些か難しい。
彼が捕まる前は意識していなかったが、捕まった後ですら、彼はずっと彼女の事だけを考えているのでは無いかと思うほどだ。
しかし、それでも現状の彼女では何も出来ないのも事実、結局のところ、最初にジークから伝えられたとおりに動き、彼の考えているルートに入ってしまった以上、彼と心中するしかない。
胸中に渦巻く不安ごと腹のなかに落とし込むように、紅茶を飲み込んで、お風呂場に向かう。
今は考えても仕方がない、それがリースの出した結論であった。
♢ ♢ ♢
リースがジークの元を訪ねた日の夜、格子の合間から見える月を眺めながら、ジークは冷たい床に背中をつけていた。
閉じ込められて既に1ヶ月強、流石のジークも自分の身体が思うように動かなくなっていくのを実感する。実際のところ、既に身体を起こしているのも辛い程だ。
話には聞いていたが、実際に体験してみると全く違う。捕まった当初は、まあ、これも良い体験か、などとお気楽に考えていたジークであったが、このまま無期限に囚われ続ける事になるのは望むところではない。
「レイン・・・起きてる?」
「・・・今起きたよ」
ジークが問いかければレインがぐったりした様子で返事をした。
ジークよりも1ヶ月早くここに放り込まれたレインは既に限界が近かいようだ。
「ここから出たいと思うかい?」
「そりゃ出たいさ・・・なんで、そんな事を?」
不思議そうな様子で問いかけてくるレイン、当たり前だ。ここから出る手段は死ぬか、脱獄するかの2つのみ。そして、脱獄は弱り切った2人では無理である。
「全てが俺の思う通りに進めば・・・2ヶ月後に一度だけチャンスが来る。檻の中を見回す限り、2ヶ月後まで生きていられそうなのは俺とあんただけそうだからな・・・一応の提案だ。戦力は多ければ多い方がいい」
「・・・乗ったよ、どちらにしろそうするしかなさそうだしねえ。じゃあ、少しでも回復するために寝させて貰うよ」
ジークが首を向ければ、レインは既に眠っており、起きる気配は無い。
常に衰弱し続けるこの牢屋では眠る事が非常に難しい、理由は分からないが、うまく眠れないのだ。眠る事が出来るようになった頃には殆ど屍のようになってしまっている者ばかりだ。
その為、ここで長く生きる秘訣はいかに上手く眠れるかにかかっている。
ジークやレイン程の実力者になると自分の意思で意識と身体を切り離す事が出来るため、この牢獄でもまだ喋る元気を残せていたのだ。
「俺も寝るか」
呟いてからジークは目を閉じる。
リースが来訪した時、彼女にジークの衰えを感じさせてはいけない。あくまでも不敵に、余裕を持って接する。リースがジークの事すら信じられなくなってしまえば、本当に詰みなのだから。