第1話 囚われの騎士
祝いの鐘の音と、神に捧げる舞を踊るための太鼓が聞こえてくる。
どうやら、祭りが始まったらしい。
牢屋の中で耳を澄ましていたジークは小さくため息を吐いて、冷たい床に寝転んだ。
ここは天牢獄、グランヒルデ王国の端に作られた塔型の牢屋である。
一階から七階まで存在するこの牢獄は中にいる生命体を衰弱させる金属で作られており、上に行けば行くほどに金属の影響を強く受けるようになっている。最上階にもなると、世界最強の生物といわれているドラゴンですら、牢屋からの脱出は不可能になるほどだ。
床に寝転んで鉄格子の隙間から星を見上げるジークに声が掛けられる。
「聞こえたかい?」
ジークが声の方向に首を向けると、気だるそうに寝転んだ女性がいるのが見えた。
彼は空に視線を戻しつつ呟く。
「祭りばやしのことかい?レイン」
「ああ、あの音を聞くとあたしは酒が飲みたくなってくる」
「あんたはいつもだろ」
「違いない」
彼女は美しい金の髪と豊満な胸を揺らして笑うと、勢いよくせき込んだ。
薄暗い牢屋の中で彼女の苦しそうな声が反響する。
ジークは彼女の咳が収まるのを確認してから、声をかけた。
「ここだと上手く喉が動かないから、あまり笑わない方がいい。唾で窒息死した例もあるからな」
レインはゆっくりと深呼吸をして、呼吸を整えると、息も絶え絶えに返事をする。
「それはいいことを聞いたよ・・・・まったく、私みたいなか弱い女性をこんなところに放り込むなんて、いかれてるよ。この国の連中は」
それを聞いたジークは、口元を少しだけ緩めて呟いた。
「亜流種とはいえ、ドラゴンを殺した女の言う言葉じゃないな」
「あっはっは・・・ごほごほ!・・・あんなもん子供だよ。親父が殺したのに比べたらね」
「あんたの親父、ベオウルフだったっけか?子供の頃はすげえあこがれたよ。まあ、今もだが」
「それはうれしいね。その娘がこんなもんで幻滅したかい?」
「馬鹿言うなよ、それが子供だろうと、龍殺しができるのがこの世界に何人いると思ってんだか」
「ふん、あんたもその程度、余裕でできるだろ?グランヒルデ王国最強の騎士、『龍刻のジークライン』さん」
「やめてくれ、今はその名を剥奪された。ただの囚人だ」
ジークは自嘲気味に呟く。
彼の脳裏に思い出されるのはひと月前の出来事だ。
だが、彼は過去に飛びかけた自分の意識を無理やり戻すと、今更考えても仕方のないことだと首を振る。
「さて、そろそろ寝るか。これ以上話すこともないだろ」
そう言ってジークがそのまま目を閉じると、突然レインが呟いた。
「真に愚かなる者は自らの愚かさに気づかない」
それを聞いたジークは目は開けずに返事をする。
「懐かしいな。『英雄の詩』の一節か」
『英雄の詩』、グランヒルデ王国に存在する英雄譚だ。
英雄リンドヴルムが魔王を討伐するまでを描いたものだが、それは先代の国王が嘘の物語として、出版を停止させてしまった。
故に、今は数も少なく、一部ではとんでもない値段で取引されているなど、眉唾物のうわさが多い。
「読んだことがあるのかい?」
「ああ、友達が運よく持ってたんでね。見せてもらったんだ。冒険に無理やりついてきた王子にリンドヴルムが言った言葉だろ?」
「ああ、魔王を討伐するという名誉を欲しがった王子にね・・・結局リンドヴルムは大罪人として国を追われることになってしまったけど・・・今のあんたの状況がそれだと思わないかい?」
「俺は自分が正しいと思うほど傲慢ではないよ。結果が出るまでは何もわからない」
ジークは再び瞼を開けて星の海を見上げる。
雲一つない空に流るるは星々の運河、赤く輝く星の脇を通り抜けるように無限の流星が駆けていく。
ここにはその輝きを遮る光は存在しない。どこまでも、どこまでも続いているように見える夜空は終わりを見通すことがかなわない。
はるか遠くから聞こえてくる祭りの音と、虫たちのコーラスに耳を傾けて、ジークはまどろみにその身を任せた。
♢
グランヒルデ王国第三区画、王国軍の兵舎が立ち並ぶここは治安の良さで有名だ。
各所に建設された石造りの兵舎群。それらの間を縫う様な形で建設された赤レンガの家屋や、鋳鉄の黒い街灯、白に塗装された木造の喫茶店が街に落ち着いた印象を与える。
町の中央には巨大な教会が建てられており、その黒屋根の上には聖女を模した石像が祈りを捧げている。計算に計算を重ねて建築された石畳の道路。
燃えるような赤毛の少年が犬を連れて走っていき、少年と同じ髪色をした少女が楽しそうに笑いながら彼を追いかける。
姉弟であろうが、はたしてどちらが上なのか。そんなことを考えながら、リースは彼らの背中を見送った。
白亜色を基調としたグランヒルデ王国軍の軍服。14歳らしからぬ完成された美貌を持ち、その所作一つ一つの美しさは彼女の家柄がいいことを思わせる。
腰までまっすぐに伸ばした白銀の髪と同じ色の瞳、特に彼女のやさしさと強さが同居したその瞳には誰にも真似できないカリスマ性がにじみ出ていた。
彼女は現在、ある目的のためにお忍びでこの第三区画を訪れている。
3日前に行われたパレード、グランヒルデに並ぶ大国であるアルバーナと軍事同盟が結ばれたことを祝って行われたそれは、彼女にとってあまりうれしいものではなかった。
グランヒルデの国王が友好の証ということで、アルバーナの王子に一人娘であるリースを嫁として送ると宣言したためだ。
グランヒルデ国王、アカザ・グランヒルデには7人の子供がおり、7番目に生まれ、なおかつ女性であったリースは継承権などほとんどあってないようなものであったが、彼女にはこの国の王になるという野心とそれに見合うだけの才能があった。
故にここで他国へと送られるわけにはいかない。
「ここまで来た・・・誰にも邪魔はさせない」
他の誰かに向けたわけでは無い。
彼女は自分自身へ言い聞かせるようにそう呟いた。
グランヒルデ王国の北端、第三区画を抜けたその先にそびえたつ漆黒の塔、囲った内に存在する全生命体を衰弱させる特殊な金属を混ぜ込んで作られたこの塔がリースの目的地だ。
罪人を閉じ込める、それが表向きの目的だが、実際のところこの塔に幽閉されているのはほとんどが罪人ではない。あまりにも強すぎた故に国に恐れられて、罪を着せられてしまった者、殺すわけにはいかないが国にとって都合の悪い者、などさまざまな事情を持つ者を捉えておくための特殊な牢獄、それがこの『天牢獄』だ。
牢獄内に脱出を試みるほどの気力を持てる者がいないためにここの管理棟は牢獄内、というよりは外からの脱獄支援者を警戒して作られている。
そのため、本来であればいくら王族といえどもボディチェックと持ち物の検査を避けて通ることはできない。
しかし、リースが足を踏み入れた瞬間、一瞬だけ看守たちは警戒の色を示したが、リースが軍帽を脱ぎ、その美貌を晒すと、彼らは即座に彼女へと敬礼を行った。
彼女は彼らの様子を見まわし、満足げにうなずく。
「いいですね。警戒体制への移行も、人物判断からの切り替えも」
すると、男性士官の一人が一歩前に進みでて、誇らしげに胸を張った。
「我ら、いつでも姫様の望む通りに動き、あなたの予想以上の結果を出して見せます」
リースへの敬意と忠誠に満ちた視線がリースの視線とぶつかる。
「では、私は天よりも高く、海の底よりも深い期待をあなたたちにはしましょう。私の望みは生半可な覚悟では無しえませんから」
彼女が天使のような微笑と共に言えば、全員が軍靴を石畳の床に打ち鳴らし、彼女へと最高位の敬意を示す所作、片膝をつき、頭を垂れて右腕を自らの心臓にあてる、を行った。
これは王を称える所作であり、王族に対して向けるものではない。
だが、それを向けられた彼女はそれを当たり前のものとしてふるまう。
そして、彼らもまたそれに何の疑問も抱きはしない。
「「「必ずや」」」
「面を上げてください。それと今日は7階へと向かいます。あれを」
「いつもの場所に」
「ありがとうございます。では業務に戻って下さい」
「了解」
看守たちはスムーズに元の仕事へと戻っていく。
彼らは彼女を支持する人間たちである。
7人の、リースを除いて6人の後継者がこの国にはいるが、ここ最近大きな戦争は起こっていないうえ、近隣の国であったアルバーナとも同盟を結んでしまったために、後継者は長兄であるナルサである、という流れができてしまっている。更に、唯一の対抗馬であった次男のダリューンも彼の補佐についてしまっているので他の兄弟は対抗しようという意思すら見せない。
そんな中で末っ子の、しかも娘であるリースがどうしたら王になれるのか。
数ある策の中でリースが選択したものは、ナルサ以外の候補者がいない状態で、王になる意思を国の重役達に示し、国内に味方を作っておくことであった。
正直、一番手っ取り早いのは候補者を全員殺すことであったが、流石に同じ血の流れる兄弟、まあ、恨みはあっても恩義など一つもない連中ではあるが、殺したくはない。
その状況下で彼女にできたことは、ナルサが王への継承権を失った段階で、彼女にも資格が回ってくるようにするための地盤固めであった。
流石の父も国の重役の意見を無視することはできないと思ってのものであったが、これは予想以上に多くの味方を作ることができた。特にいくつかの貴族との繋がりができたのは大きい。
そして、何よりも彼女に大きなアドバンテージを生んだのはここ、『天牢獄』への自由な出入りが可能になった点であった。
天牢獄の7階は外壁を混じりっけなしの特殊な金属で覆われているため、ここには虫の一匹すらも入ることはできない。いや、厳密にいうと入ることはできても生存ができないのだ。
金属の影響を強烈に受けるここは一般の兵士を一人放り込めば、三分もせずに衰弱しきって、死んでしまう。呼吸ができなくなるのはまだましで、心臓が動きを止めてしまった者もいるほどだ。
現在リースが軍服の上に着ている特殊な服は金属の影響を弾く特殊な素材で作られており、これを着ていなければ5階より上に進めない。
7階のドアを開けて、リースが中に足を踏み入れるとリースの耳に聞こえる音が小さくなる。
純度の高いこの金属により、空気中の振動すら衰退させられてしまっているためだ。
この部屋に入れられた人物は、かつて英雄と呼ばれるほどの人物ばかりであるが、リースの視界に入る牢獄には死んだように眠る人間がいるばかりだ。
シンとした、生ける亡者の列を抜けたその奥、冷たい鉄の壁に背中を押し行けて眠る人影の蝋の前に立ってリースは穏やかに問いかけた。
「こんにちわ、起きてますか?ジーク様」
声を掛けられると即座にその人影はリースの方に顔を上げた。
やつれた頬に、年齢以上に年老いて見える落ち窪んだ眼窩が見る者に痛ましさを与える。
白髪交じりの黒髪は乱雑に伸ばされており、服の下に覗く身体は肋骨が浮き出てしまっている。そんな彼の全身で唯一、元の鋭さを感じさせる眼光だけが異常なほどに相対する者に恐怖を感じさせた。
そんな彼はリースの姿を視界に入れると口の端を釣り上げて、黄色い歯をのぞかせる。
「今起きたところ・・・と言いたいところだが、残念、あなたの軍靴が鳴らす音で3分前には起きてしまった」
「流石、と言っておきましょうか」
音を聞き分ける、通常であればリースにとってそこまで称賛すべきものではない。
だが、五感の全てを抑え込まれ、音も伝わりにくいこの部屋から彼女の足音を聞き分けたというのであれば話は別だ。
例え、龍ですら人間並みの力に抑え込まれてしまうこの牢獄において、ここまで人間離れした力を見せる少年は。
「さあ、話し合うとしよう。この国の正当なる王よ」
2年前、齢12歳にして総勢一万人の大部隊を率いて戦ったグランヒルデの英雄、人にして人を超えた存在。
『元』グランヒルデ軍最高権威『黒天』を最年少で獲得した、ジークライン・ノヴァその人である。
♢
約一月前、グランヒルデ王国第一区画。
殆どの作りは第三区画に似通っている・・・というよりも厳密に言ってしまえば、第三区画自体が第一区画を模しているため当たり前なのだが。そして、唯一の相違点が王族の住まう巨大な宮殿がある点である。
華やかな、ともすれば下品とも取られてしまうほどに眩く輝く黄金の宮殿、『アドウェル』。
国民達の血税を大量に使う形で作られたこれは、豪華である事と、無駄遣いをしているという事を取り違えてしまったような建造をしており、無駄が非常に多い。
何の用途で使うのかもわからない部屋は多く、一人で使うには広すぎる浴場が4つ、その内2つは使われてない上に、そもそも建造以来、誰も入っていない場所もある。
いつの時代からこうなのかは知られていないが、二代前の王曰く、
王族の偉大さを示すには形から入る必要がある
ということらしい。
国民からしてみればたまったものでは無いだろうが、この実情を知るのは国の中でもトップに近い人物のみであり、そこまでいくと、下手に国を動かして他国に隙を見せたくないという思いから、誰もが黙認するという、悪循環が生まれてしまっており、意外と国民からの支持は多い。
メイドタイプの魔導人形がモップを持って長い廊下を駆けていく。かつてはカーペットを敷いていたらしいが、泥汚れなどができてしまうたびに取り替えねばならない事を嘆いた王妃により、カーペットを取り払われたそこは美しいタイルが煌めいており、寧ろ、カーペットがあった頃よりも宮殿内の美しさを感じさせてくれる。
「ジーク隊長!」
「どうした?」
宮殿内、リース姫とのお茶会という名目の『密会』を済ませて、兵舎へと戻るか、せっかく来た第一区画を見て回るか、悩むジークの元に女性士官が走り寄ってきた。
赤い髪の毛を肩辺りで遊ばせた彼女、ヴィーラの瞳は灼熱のように紅く、寧ろ髪よりも赤い程で、それは彼女が純粋な『紅赫種』である事を示している。
炎以外の魔法適性を持たない代わりに、炎というただ一点を極めたこの種は多種と交わる毎にその力が弱まっていくために、『紅赫種』間以外での結婚を忌避する傾向にある事は有名だ。
その為か、スタイルも良く、可愛らしい顔立ちをしているにも関わらず、24になっても恋人の一人も出来たことが無いというのはジークの隊の中では良くネタにされる。
「もしかして、今暇です?」
「ああ」
「だったら、私と一緒に第一区画の都市をまわりましょうよ!オススメの店があるんです!」
「いいよ。じゃあ、まずは銀行に寄ろうか。少し金を出してくる」
「了解です」
ジークの年齢は14歳、ヴィーラの年齢は24歳であるがヴィーラが小柄なのとジークの体格が良いことも相まって、同年代の少年と少女のようにも見える。
年齢的にはヴィーラの方が上だが、軍の階級ではジークが上な為、ヴィーラがジークに敬語を使っているのもそれを助長させており、はしゃぐ彼女の様子は寧ろ、ジークの方が年上なのではないかと錯覚させる。
「ところで聞きたいんだけど、オススメの店って?」
「喫茶店です」
「へえ、ヴィーラも(意外と)そういうとこ興味あるんだね」
「いやーん、ものすごく失礼なこと言われた気がします〜」
第一区画、正式名称をグランヒルデ王国首都都市ギネブルというこの街は、『華美』という言葉がよく当てはまる。
第三区画と同じ都市構想をしてはいるが、建ち並ぶ建造物は白亜や大理石といった、耐久性よりは寧ろ、鑑賞性を求めたもので作られており、そもそもここでの戦闘は視野に入れられていない。
市民の家は殆ど存在せず、装飾過多な貴族の豪邸や、喫茶店、高級品を取り扱う商会などばかりが目立つここは都市、というよりはテーマパークと言った方がしっくりくるほどだ。
白亜の石畳が敷き詰められたメインストリートをヴィーラとジークが並んで歩く。
彼らは軍服を着て歩いているが、町の人々が気にする様子はない。
グランヒルデ王国では軍人が勤務中に警備という名目で街中をうろつくのは決して珍しい光景ではない為だ。
「これを職務怠慢とすべきなのか、はたまた仕事熱心と、取るべきなのか」
「まあ、市民に恐れられる軍隊よりは良いんじゃないですかね」
どうでもよさそうなヴィーラにジークは苦い顔を向けるが、彼女にそれ以上言及するつもりは無かった。
(まあ、興味が無いか)
ジークを含めた彼が率いる部隊『ストラトス』のメンバー、5人の中で国に対しての忠誠心があるものなど一人もいない、彼らはあくまでも自分の目的があって戦っている。
「隊長!あそこですよ!」
「へえ、これが」
ヴィーラの指差す先にあったのは小さな喫茶店であった。
白樺の木材を白く塗った外壁にオークウッドの看板を取り付けたシンプルなデザイン、黒い塗装を施された屋根だけが、唯一ミスマッチをしており、奇妙なモノクロ感が出てしまっている。
「いや、安心したよ。どんな際物が出てくるかと思っていたからね」
「隊長は私のことを何だと思っているんですか」
「お前は前回やらかしたことを覚えてないのか・・・」
彼女は以前にも、ジークや他の部隊員を何回か誘っている。
その時は、黒魔術専門店や、特殊錬金素材の店など、普通は行かないような店ばかりを回ったため、彼女についていくときは本当に暇な時だけだという暗黙の了解が部隊内ではできたのだ。
「ささ、入りましょう」
ヴィーラに手を引かれてジークが店内に入ると、彼の鼻腔をコーヒーの香りが満たす。
それは彼が普段飲んでいるものとは異なる、というかこの国にあるどれもと違う。
「これは?」
「気づきましたか。流石の嗅覚ですね。この店、4日前にオープンしたんですけど、外国の豆とかを輸入しているらしいんですよ」
「へえ、それは・・・」
この国は長らく他の国との外交を絶っており、一か月後に結ばれる予定の『アルバーナ』との軍事同盟が約20年ぶりの外交となることは有名だ。
それにもかかわらず、他国の品を取り扱っているということはかなり特殊な店である。
ジークが店の中を見回してみれば、外壁と同じ素材で作られたテーブルと椅子が4組並んでおり、ジークとヴィーラ以外の姿は無い。
ジークが窓際に置かれた龍の置物を手に取ってみようとした瞬間、店内から二人に声が掛けられた。
「いらっしゃいませ」
ジークが振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
ジークと同じ黒い髪の毛に180はあろうかという体躯、そして、その体に似合わぬ優し気な瞳は『藍青種』の証である青色だ。
「私はこの店『ドラゴンネスト』の店主、グリムです。どうぞ、よしなに・・・メニューでございます」
「どうも」
「席はご自由にどうぞ。おきまりになりましたら、そちらのベルを」
グリムが店の奥に消えていくのを見送ってから、二人は一番近くの窓際の席に座る。
「よいしょ」
「おい、勝手にやっていいのか?」
思わずジークが声をかけてしまったのは、ヴィーラが勝手に席を動かしてしまったためだ。
「二人で来たのに別々で座るのも変でしょう?」
「それもそうだが」
ジークは深いことを考えないようにして、メニューに視線を落とす。
小さな喫茶店であるため、メニュー数は少ない。
「なあ、お前っていつも何頼んでる?」
「私はパンケーキと、イルンクルスのコーヒーですよ」
「へえ、じゃあ、俺もそれにしようかな」
「いいと思いますよ。じゃ、私はこのフルーツケーキっていうのを頼みます」
ヴィーラがテーブル端のベルを叩くと、小気味の良い音が店内に響き、奥からグリムが出てくきた。
「ご注文はお決まりに?」
「パンケーキとフルーツケーキ、イルンクルスのコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
グリムが注文を取っている間、ジークは窓際にある龍の置物に視線をやる。
何を材料にしているかジークにもわからないが、日光を浴びても殆ど光を反射しないということは金属ではない。だが、木材でもないのは確かだ。
「すいません」
「・・どうかしましたか?」
「この置物は?」
「最近、買ったんですよ。デザインが気に入りましてね」
「なるほど、確かにいいデザインだ。どこで買ったのか教えてもらっても?」
「すいませんね、覚えていません」
「それは・・・・いえ、手間取らせましたね」
「いえ」
彼が再び、店の奥に戻っていくのを見送ると、ヴィーラが意外そうな表情で言ってきた。
「意外です。隊長、こういうのに興味あったんですね」
「ん?・・・あ、ああ」
彼女の視線の先には先ほど話題に上った龍の置物がある。
別に興味があるわけでは無いが、そのことを彼女に話すつもりはないため、そういうことにしておく。
ジークの曖昧な返事にヴィーラは不思議そうな顔をするが、すぐに興味を失ったようで別の話題を切り出す。
その後、注文したものが来るまで二人は他愛のない話を続けた。
「普段飲まないコーヒーを飲むのは面白かったよ。また誘ってくれ」
「わかりましたー。今度はルーちゃんと、リオ君も誘いましょうね」
「いいね、で、ガレウスには感想文だけ届けてやるか」
「ガレ君、いつもそういう役割よね」
「悪いとは思うが、あいつほどいじりやすいやつもいないからな」
店から出ると、街の中央にある時計塔の長針は12の数字に差し掛かっており、太陽は二人の頭上に来ていた。
街中では人々が往来を闊歩しており、商店や、レストランなどの店頭には並んでいる人たちも確認できる。だが、その中には明らかな異物が混じっていた。
赤黒い髪の毛に不自然に黒い塗料で塗った唇、異常なほどに見開かれた三白眼は血走っており、黒いマントから除く手は病人のように真っ白だ。
そんな異様な格好をしているにも関わらず、町の人から見向きもされないということは、非常に高度な魔法、もしくは技術を持っているということ、そして、それを使っているということは恐らく衆人観衆にはあまり認識されたくないはず、そう判断したジークは自分についてくるようにサインする。
しかし、彼は一瞬訳の分からないといった顔をした後に、ジークへと近づいてきた。
「あんた、ジークラインか?」
男性が尋ねてくる。
一瞬、動揺しかけるがジークはそれを磨き上げたポーカーフェイスで塗りつぶした。
「あってるよ・・・ヴィーラ、待機だ」
「隊長・・・」
「ここで戦闘はよくない」
隣のヴィーラの魔法発動傾向を察知したジークが彼女を止める。
「ヒヒ、あまり殺気立つなよ。何も殺し合いをしようってわけじゃねえんだ。俺っちの目的はジークを連れていくことだけよ」
「俺を?」
「ああ、王室からの勅命だ」
言って彼が取り出したのは王家の紋で封をされた一枚の手紙、特殊な魔法でしか付けられないこの紋は王家の者にしか付けることができないため、男性の言葉を証明するには充分であった。
「分かった。ヴィーラ、先に戻っておけ」
「・・・わかりました」
渋々、といった様子でヴィーラは立ち去っていく。
「さて、じゃあ行こうか」
「物わかりのいい部下さんだねえ、羨ましいねえ・・・うちの部隊は馬鹿ばっかだからよお」
王宮内、王の間。
黄金や白銀、美しい宝石などで彩られた煌びやかな空間は、国民から徴収された税で成された、この国の汚点とも呼ぶべき部屋だ。
過去の王族が作り上げたこの部屋を未だに残し続けているのは王族としてのプライド故か。
「同じ日に二度も王宮に来ることになるとは思わなかったよ」
「ヒヒ、俺だってこんな糞を煮詰めたようなとこに来たくはないが・・・王宮勤めは金がいいからねえ」
「ジャック、口を慎め」
「すいませんねえ」
現在、ジークと、彼を連れてきた男性、ジャックの目の前にはグランヒルデ8代目国王アカザ・グランヒルデが豪華な椅子に腰を掛けていた。
とても76歳とは思えぬがっしりとした体つきに、人を射殺さんばかりの鋭い眼光。
年のせいか白髪の混じり始めたブロンドをオールバックで固め、動きやすさよりも威厳を意識した服装は、目的通り、相対する者に威圧感を与える。
「さて、ジークラインよ。まずは面を上げよ」
「は」
膝をつくジークが顔を上げる。
「貴様に問おう。次の王にふさわしいものは誰だと思う?」
「・・・質問の意図が」
「答えよ。偽りは許さぬ」
「・・・王であらせられるあなた様の長女、リース・グランヒルデ様であります」
「ほう・・・その言葉に偽りは無いか?」
「当然でございます」
「そうか、残念だ。皆の者、奴を捕らえよ」
次の瞬間、ジークの周囲を取り囲むように12の人影が現れ、隣にいたジャックがジークの首筋に刃渡りの長いナイフを充てる。
ジークはそれらの全てを確認してから、小さくため息を吐くとアカザに問いかけた。
「一体どういうおつもりですか?」
「私の意向に従えぬ騎士はいらぬのだ」
「次期国王は公平なる選定にて行われると聞きましたが?」
「ああ、公平なる選定にてナルサに決まらねばならんのだ。そして、これまでの流れからすればナルサで決まりだろう。だが、お前という、ジークラインという『英雄』がリースを応援してしまえば、万が一があるかもしれん。それだけは許されぬのだ」
「成る程・・・それで捕らえると。そして、その為の部隊がこれですか・・だとしたら、あんた計算を間違ってるぜ」
「何をだ」
「俺をこの程度の連中で抑えられると思っているところだよ」
ジークが呟いた瞬間、ジャックが腕に力を込める。
だが、そこにジークの姿は残っていなかった。
そして、辺りを見回すジャックに頭上から声がかけられる。
「遅えよ」
ジャックが即座に天井を見上げれば、そこには天井に吊るされたシャンデリアに座るジークの姿が映った。
そして、下にいる全員を見下ろしながら、ジークはニヤリと口の端を釣り上げる。
「さて、後輩ども・・・少しだけ遊んでやるよ」
「ジ〜ク〜」
苛立ったように叫ぶジャックがナイフを投げ飛ばすのと同時に、王の間にて戦闘が開始された。