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決裂のはじまり

◇◇


 会津戦争が終結してから1カ月が経過した。

 本来ならば起こるはずの激戦が回避できたことは、尊い命を多く救ったことを意味していた。

 

 支度金を手にした会津の武士たちは、地元に残って新政府とともに復興に尽くすと決めた者がおよそ半数。

 残りの半数は会津を去った。

 しかしそのうちの多くは住む土地を失って路頭に迷ってしまった者たちだ。

 その為、俺、坂本龍馬は、彼らを『密林商会』の従業員として箱館に移り住まわせることにした。

 そして彼らの最初の仕事として、電信網を箱館から会津に敷く仕事に従事してもらったのである。


 電信網を敷くには『電信柱』を立てる必要がある。

 会津の士族が東北の地で電信柱を立てるのは、新政府の役人が立てるよりもはるかに妨害が少なくてすむはずだという読み通りに着実に進んでいった。

 そして山場となった津軽海峡を通す海底ケーブルも、イギリスからの技師を招いたことにより、意外にもあっさりと工事が終わったのである。

 

 こうして箱館と会津の間に電信が通り、『通信販売』が可能となった。

 会津の立て直しや民の生活に必要な物資の多くは、箱館の密林商会を通じて調達されることとなったのだ。


 つまり新政府が密林商会から用立てした大金は、密林商会から物を買うことによって、密林商会に戻っていったのである。

 こうして俺たちは大量の官札に加え、莫大な利益も手にしたのだった。

 

 しかし、良いことばかりではない。


 会津を去った者たちの間には『仙台』を目指す者も少なくなかった。

 彼らの目当ては、船で滞在していた、榎本武揚だ。

 彼らは「武士として最後まで戦う」と心に誓っていた。


 続々と仙台に集まっていく士族たち。

 彼らが新政府に抵抗する本拠地として残された地は、箱館の他なかったのである。

 

 

 

………

……


 明治元年(一八六八年)八月一日。京都。

 

 

「ああ、暑い! 暑くてかなわんのう!」



 会議室に入るなり、岩倉具視は手で顔をあおぎながら舌を出した。

 そこで待っていたのは、新政府の面々であった。

 この頃になると、会議室に顔をそろえていたのは、山内容堂や松平春嶽といった、旧幕府の重鎮たちではなく、大久保利通や木戸孝允といった若い者たちであった。

 

 みな真剣な面持ちで書類に目を通している。

 空気は張り詰め、まるで戦場にいるかのような緊張感に包まれていた。

 岩倉はその空気を嫌っていた。もっと和やかな雰囲気で政務にとりかかりたかったのだ。

 だから彼らを一瞥すると、「暑い、暑い」となおも大声を張り上げていたのだった。


 しかし彼の相手をする者など誰一人としておらず、人々は目を皿のようにして書類と向き合っていた。

 

 

「なんだ……。つまらんのう」



 岩倉が口を尖らす。

 ……と、そこに巨漢がやってきた。


 西郷隆盛だ。


 岩倉は大きな体を揺らしている彼を一目見るなり、「待ち人きたり」と言わんばかりに、にやりと口角を上げた。

 

 

「おお……。くそ暑いのに、むさ苦しい男がきおったわ! もう耐えられん! のう! 大久保!」



 それまで黙っていた大久保がちらりと目線を岩倉とその隣にいる西郷に向ける。

 西郷はまるで田舎の川でどじょうを取りをしているかのような、爽やかな笑顔を大久保に向けていた。

 だが、大久保は無表情のまま問いかけた。

 

 

「吉之助さぁかい。東北ん様子はどうで?」


「あとは仙台だけじゃ。だが、米沢が落ちた今、もはや風前ん灯じゃ」


「そうかい」



 それだけ会話を交わしたきり、再び書類に視線を戻す大久保に、岩倉が唾を飛ばした。

 

 

「おいおい! ちょっと待て! 大久保! あれだけ日本中を騒がせた東北の逆賊どもを、ここにいる西郷が鎮めたのじゃ! ねぎらいの言葉の一つもかけられんのかね!?」


「がははは! 岩倉さまぁ。お気づけ、痛み入っ! だがおいはねぎれが欲しゅうて、こけ来たわけじゃなか」



 西郷の大笑いに、再び大久保の視線が上を向いた。

 その視線を受け止めた西郷は、きゅっと表情を引き締めて言った。

 

 

「仙台ん榎本武揚んもとに、多うん武士たちが集まってきちょっ。一蔵さぁ。こんままだと、彼らは箱館を乗っ取って、反乱を起こすに違いなかぞ。榎本どんが仙台におっうちに、おいと一蔵さぁの二人で、彼を説き伏せようじゃらせんか!」



 大久保はしばらく西郷と視線を交わしていたが、小さく息を吐くと、再び視線を書類に戻した。

 

 

「……断る」



 その言葉に西郷の大きな目がさらに大きく見開かれた。

 

 

「そんたどげん意味や? 一蔵さぁ!」



 さながら獅子が吠えるような声に、部屋にいる全員の目が西郷に向けられた。

 しかし大久保だけは書類から目を離さなかった。

 


「そんままん意味や。榎本たちをしばらく好きにさせっ」


「まさか榎本どんらが箱館を乗っ取っんを、見過ごすつもりじゃなかじゃろうな!? そうなったや箱館は戦場になってしまうど!」



 食いつかんばかりに身を乗り出す西郷を、岩倉が顔をこわばらせて抑えた。

 


「まあまあ、落ち着け、西郷。大久保にも深い考えがあってのことなんだろう?」



 大久保は書類に一通り目を通し終えると、静かに頭を上げて西郷を見つめた。

 そして淡々とした口調で言った。

 

 

「今は日本を一つにすることに集中する。そのために反乱の芽は、すべて『排除』せねばならない。榎本武揚とその一味が箱館を乗っ取ったなら、それをもって『反乱』とする。われわれはそれから彼らを排除するだけだ」



 それまでの薩摩弁から急に東京の言葉になった大久保。

 一方の西郷は顔を真っ赤にして唇を震わせた。

 

 

「幕府が倒れ、今日本は一つになった! これからは敵も味方もなか! ただ『日本人』てして、手を携えてこん国を強うしていかんなならん! 榎本どんが仙台におっうちに、時勢を説き、味方に引き入るっことこそいっばんの道や!」


「それは甘い! 敵が味方になるのを待っていたら、いつまでたっても事は前に進まない。敵は敵。味方は味方と割り切って、排除すべきものは排除しなくてはならない」


「そのせいで多うん罪なき民が戦に巻き込まれてんよかと、一蔵さぁな考えちょっちゅうとな!?」


「……堅忍不抜だ。多少の犠牲を払ってでも、今なさねばならぬのは、反乱の芽を一か所に集め、それらを根こそぎ刈り取ることだ」



 互いに一歩も引こうとしない。

 岩倉はなすすべなく、ただ顔を青くして冷や汗を流し続けるより他なかった。

 そこに近付いてきたのは、木戸孝允だった。

 

 

「二人とも、熱うなりすぎじゃ」



 西郷が木戸の方へ顔を向ける一方で、大久保は西郷に視線を向けたままだ。

 その様子を見て、木戸はため息をついた。

 

 

「榎本さんが確実に反乱を起こすと、まだ決まった訳じゃないじゃろう。しばらく様子を見たらええ」


「おちおちしちょっうちに箱館が乗っ取られてしまうど」


「まあ、西郷さん、落ち着きたまえ」


「こいが落ち着いてらるっか!」



 鬼のような形相の西郷とは対照的に、木戸は春の海のように穏やかだ。

 彼は少しだけ考え込むと、はっとした顔になって提案した。

 

 

「そう言えば、箱館にゃあ坂本龍馬がおると聞いた。ここは彼に任せてみようじゃないか」


「坂本どんに……?」


「ああ、口達者な彼のことじゃ。無駄な反乱を起こさないよう、榎本さんを説き伏せるに違いない」


「むむぅ……」



 西郷が腕を組んで考え込みはじめた。

 木戸は西郷の奥で、じっとしている大久保に視線を向けた。

 

 

「坂本さんが榎本さんをここに連れてきて、榎本さんに『新政府には逆らわない』と一筆書かせることができれば、戦は避けられる。期限は1年! それでよいな? 大久保さん」


「……半年だ。期限は半年」



 大久保の言葉に、西郷は何か言いたげそうだが、岩倉が割って入った。

 

 

「これで一件落着じゃ! あはは! あんなに暑かったのに、すっかり肝が冷えてしまったではないか! もしや、それも大久保と西郷の気づかいだったのかのう? あははは!!」



 彼の乾いた笑いが部屋にこだます中、西郷が小さく頭を下げた。

 

 

「では、坂本どんに今んこっを伝えてくっ」



 だが、静かに部屋を後にしようとした彼の背中に向かって、大久保が冷たい口調でつぶやいたのだった。

 


「ことはそう簡単にふぶかのう……」


「どげん意味や?」



 西郷はぴたりと足を止めて、大久保の方を振り返る。

 大久保は別の書類に視線を落としながら、淡々と続けた。

 

 

「坂本と榎本が手を組まんとは、だいも言い切れんじゃろう」


「まさか……。一蔵さぁは坂本どんを疑うちょっちゆとな……?」



 西郷の肩がわなわなと震えだす。

 しかし大久保はそれ以上は何も言わなかった。

 西郷の顔がみるみるうちに真っ赤になる。

 岩倉と木戸は慌てて西郷の背中をさすると、両脇を抱えるようにして彼と共に部屋を出ていった。

 

 三人がいなくなり、いつの間にか大久保の周りには誰もいなくなる。

 すると彼の瞳はまるで氷のように冷たくなっていった。

 

 

「……坂本龍馬……。化けん皮をはがしてやる……」



 そう小声で吐き出した彼の顔は、漆黒の闇に染まっていたのだった――




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