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チェスト!

◇◇


 『江戸会談』を終えたその日の夜――

 深夜に渡ってまで諸手続きがあるとのことで、松平容保と大村益次郎の二人はそのまま江戸城にて一晩過ごすことになった。

 一方の俺、坂本龍馬は一足先に城を後にして、赤坂の勝海舟の屋敷へ戻らせてもらうことにしたのである。

 それも勝海舟との久方ぶりの再会を楽しもうと考えていたからであった。

 

 ……が、しかし――

 

 

「おうおう! なんでえ!? でっかいのを連れてきやがって!」



 俺が玄関に入るなり、目を丸くした勝海舟が大きな声を上げたのも無理はない。

 なぜなら……。

 


「おじゃますっ! 今宵はおいも仲間に加えたもんせ! たのみあげもす!」



 と、屈託のない笑顔で頭を下げる西郷吉之助が俺の横に立っていたのだから――

 

 

………

……


「あはははっ! いいぞ、いいぞ! 坂本! てめえ、本当は記憶が戻ってるんじゃあるめえな!? 昔のてめえにそっくりだぜ! いやあ、愉快、痛快! このうえねえな!」



 先の『江戸会談』の様子が、少しだけ酒のはいった西郷吉之助の口から語られると、勝海舟は膝を叩きながら大笑いした。

 なお西郷吉之助は酒が苦手というので有名らしいが、この日は上機嫌で、俺と勝海舟の二人に合わせて、たしなんでいたのだ。

 

「坂本どんは、ビジネスでこん日本を変えるっちゅう、とてつもなく大きゅうお方じゃ!」

 

「ちょっと、西郷さん! それは話を盛りすぎだぜ。俺はそんなに大見得を切ってないから! 俺はただ箱館を守るためにだな……」


「まあ、細けえことはいいじゃねえか! さあ、坂本も飲め!」


 俺の話を遮って、勝海舟が酒を注いでくる。

 俺は眉をひそめながら、注がれた酒に口をやった。

 それを見てニタリと笑った勝海舟は、ぐいっと膝を進めて話題を前に進めたのだった。

 

「ところでよぉ。これで会津の件は片付きそうなわけだが、仙台や米沢はこれで収まりがつくかね?」


 やはりそうきたか……。

 勝海舟のことだ。酒の席とはいえ、西郷さんや俺のおせっかいを焼きたがるに違いない、そう思っていたが、果たしてその通りのようだ。


 一線を退いたとはいえ、彼もまた、日本の未来を憂いてくれている英傑の一人であることには変わりないのだ。

 俺たちを見つめる彼の目は、まるで少年のように輝いていた。

 

 俺は感慨深く彼の顔を見つめていると、横にいる西郷吉之助が力強い声で言った。

 

「収まりは必ずつけてみせっ! これ以上、民を苦しませてはなりもはんでな!」


「おう、おう! 新政府軍のお偉いさんがそう言ってくれりゃあ、こっちも安心してみてられるぜ。だとよ、坂本。これで箱館はますます危うくなるかもしれんな」



 勝海舟がさらりと言った言葉に、俺の酒を飲む手がピタリと止まった。

 ちなみに西郷吉之助には、ここにくるまでの道のりで俺が箱館の街を守るために奔走していることは話してあり、事情はよく知っている。その彼もまた俺の様子が変わったことに、不思議そうな目を向けている。

 

 俺の顔色が悪くなったのを確認した勝海舟は、嫌味ともとれる粘り気のある口調で問いかけてきたのだった。

 

「どうしたい? 当然、こうなることを予測して、手は打ってあるんだろ? 坂本よ」


「……どういうことですか……?」


「はあ? 何言ってやがんだ!? 榎本と新選組の一部は、戦闘らしい戦闘をしないままに北上するってことじゃねえか」


「まさか……」


「もし東北での戦闘が長引けば、奴らを戦場に引っ張りだして、戦力を割くってことも考えられたはずだ。しかし、てめえはそうしなかった。さらに西郷のケツをバシッと叩いちまったんだぜ」



 勝海舟の畳み掛けるような言葉に、酔いが完全に覚めてしまった俺。

 いよいよ蒸し暑い季節をむかえたばかりの部屋の中で、じんわりと汗がにじみ出てくるが、体は箱館に迫る脅威が増したことを思い、恐怖に凍えていた。


「待ってくれ! ど、ど、どうしたらいいんですか!?」


 唾を飛ばしながらそう問いかけた俺を見て、目の前の二人が目を見合わせる。

 すると二人して大笑いしながら俺の肩をバシバシと叩き始めた。

 

「がはは! 坂本どんな相変わらず、冗談がお好きなしや!」

「あははっ! どうせ腹ん中じゃ、一計を案じてるくせに! しかも、また金儲けでもしようって腹づもりだろ! 笑わせやがって!」


 俺は二人の手を無言で取る。

 そして、真剣な眼差しで彼らを交互に見比べた。


――本当に何も考えが思いつかんのです!


 無言の俺の威圧に、彼らもようやくその真意が理解できたのだろう。

 徐々に二人の顔から笑みが消えていくと、西郷吉之助が引きつった笑いを浮かべて言ったのだった。

 

 

「まさかほんのこて何も考えちょらんちゅうとな?」



 俺は彼の問いかけに大きくうなずく。

 そして重い口を開いたのだった。

 


「ないのは『考え』だけじゃないぞ。『兵』も『武器』もない。それどころか、俺や仲間たちは牢屋にいるから『自由』すらほとんどないのが実情だ」



 と……。

 

 再び流れる鉛のように重くて黒い沈黙……。

 再度その沈黙を破ったのは西郷吉之助だった。

 

 

「そいでどげんして箱館を守ろうちゅうとな?」

 

 

 その問いかけに、俺は腹をくくった。

 そして胸を張って、堂々と答えたのだ。

 

 

「知らん! だからこの通り! 一緒に考えるぜよ!!」


――バッ!!


 言い終えた直後に、床にひたいをこすりつける。

 そうしてみたび、長い沈黙へと入っていったのだった――

 

 

 ……と、その時だった。

 

――ゴツンッ!


 という鈍い音が部屋に響いた。

 ちらりと音のした方へ視線を向けると……。

 

 なんと俺の横に並んだ西郷吉之助が勝海舟に向けて、頭を下げているではないか。

 


「おいからもお願いでごわす! 勝先生! 坂本どんを助けたもんせ!」


「へっ……?」



 驚きのあまり顔を上げると、西郷吉之助も顔を上げて俺の方を見る。

 そしてぐっと眼光を強めて続けたのだった。

 

 

「坂本どんには何度も助けられた。そん恩を返さんな、薩摩ん挟持に反す。おいにしきっことならないでんしもんそ!」



――ああ……。やはり坂本龍馬はこの時代に生きていたんだな……。

 

 ごく当たり前のことが、俺の暗くなった心に火を灯す。

 初めて勝海舟を訪ねた時も、そして箱館の牢屋に岩崎弥太郎たち海援隊の面々がやってきた時も、胸の中を襲った感動が、今回も大きなうねりとなって渦巻いていた。


 自然と目頭が熱くなり、何か言葉を発しようものなら涙が溢れ出てきそうになってしまうのをどうにかこらえなが、俺は西郷吉之助の精悍な横顔をじっと見つめ続けていた。

 ふと、勝海舟が大きなため息をついた。そして手にしていた盃を床に置くと、ぼそりとつぶやくように言った。


「……ったく、これだから義理と人情だけで動く馬鹿どもは手に負えねえってもんだぜ」

 

――バシッ!


 俺と西郷吉之助の二人の肩に手をかけた勝海舟。

 先ほどまでの苦虫をつぶしたような顔を一変させて、ギラリと目を輝かせた。

 そうして、ニヤッと口角を上げて言ったのだった。

 

 

「俺って男はよぉ。困ってる友を見捨てらんねえんだよ。いいぜ、やってやろうじゃねえか! 箱館防衛作戦を!!」



 西郷吉之助が半ば強引に、俺と勝海舟の手を取る。

 三人の手が重なったところで、彼は顔を真っ赤にさせて、高らかと宣言したのだった。

 

 

「箱館防衛作戦! やってやりもんそ! チェストォォォォ!!」





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