雪女がもし寒がりで引きこもりだったら
ある雪山で2人の親子が毎年の習慣である猟をしていました。
親子が住んでいる村は雪国と呼ばれている地方にあり、雪がそれは大層降り続けることで有名です。
こんな雪国では生きていくのに、タンパク質はとても大切なものでした。
雪が多く降ってくると、村の男どもは食料を確保するため、猟銃を手に取り、山へと入っていきます。
この日、弥吉と茂郎親子は、毎年のように家にある猟銃を取ると、家のすぐ裏の山に2人して入っていきました。
辺りは一面雪に覆われた白銀の世界です。素人が入ったのならば、方向感覚がおかしくなり迷ってしまうでしょう。
しかし、2人にそんな心配はちっともありませんでした。
この山は2人にとっては庭も同然なのです。
生まれたときから、家のすぐ裏の山は格好の遊び場でした。道に迷うなんて考えたこともありません。
2人は慣れたように木々の間を縫うように歩いて、山の奥に行きます。
雪は未だに振り続けています。
積もった雪に慣れた2人の足取りも遅くなります。大股で歩いて行かなければならないためか、2人の顔には疲労の色が出ていました。
雪はさらに激しさを増したように思われます。
すると、若い方の弥吉が前を歩く父親である茂郎に話しかけました。
「父ちゃん、流石に雪が強すぎるよ。引き返そう」
弥吉はあまりにもひどい雪に、今のうちの戻ろうと提案したのです。
しかし、茂郎の足は止まりません。
「これぐらい大丈夫だ。行くぞ」
茂郎は弥吉と違い、この状況でも引き返すつもりはありませんでした。
弥吉よりも茂郎の方が、この雪山のことには詳しいのです。
茂郎にとってこの程度の雪は、まだ気にするほどでもないと思っていました。
弥吉は、父親の言うことを信じるかのように茂郎の後をついていきます。
雪は先ほどよりもさらに、強くなっていて、吹雪に変わっていました。
視界は非常に悪く、ほんの数メートル先も見渡せません。
ここに来て初めて、茂郎の顔に焦りが生まれます。
流石にこのまま山にいるのは危険です。茂郎は後ろの弥吉に声をかけました。
「弥吉。戻るか。この状況で山を進むのは危険だ」
茂郎の言葉に、しかし、弥吉は困った声を上げます。
「でも、父ちゃん。どっちに戻れば……」
周りは完全に雪によって真っ白になってしまっていました。
これでは戻ろうにもどこへ向かえばいいか分かりません。
2人は遭難してしまったのです。
山で遭難したとき、むやみに動くことはさらに身を危険にさらしてしまいます。
それを常に茂郎から聞かされていた弥吉は焦りはしたものの、冷静になることに努めました。
茂郎も落ち着いています。
すると、弥吉の目に、小屋が映りました。
この山にあんな小屋があったのか、弥吉には疑問が浮かびました。
しかし、このまま吹雪の中にいるわけにはいきません。
弥吉は小屋の存在を茂郎に言うと、2人で小屋に向かいました。
小屋の前に到着すると、改めて2人は小屋を眺めます。
2人とも小屋の存在を知らなかったようで首をかしげました。
弥吉がドアを開けると、驚いたように体の動きがとまります。
なんと、小屋の中は非常に暖かかったのです。
奥の暖炉には火がともされています。
と、暖炉の前に何かがいるのが2人には見えました、
その何かは、2人を見ることもなくおもむろに声を出したのです。
「誰?ってゆうか、寒いからドア閉めてくれない?」
女性の声でした。
声の主はスクッと立ち上がると、2人に方を見ます。
白い髪に白い着物、そして裸足というまるで雪山にそぐわない恰好の女でした。
驚く2人に興味もないようにまた、女は暖炉に前に座り込みます。
「あーもう寒い。ほんと最悪。薪もあと少しだし、ほんといいことないわ」
女は機嫌が悪いのか、暖炉の前でぶつぶつと不満を言っていました。
女の様子に呆気にとられたかのように、弥吉と茂郎はドアの前で動けないでいます。
ドアはまだ開いたままで、部屋には外の冷気が吹き込んでいました。
女はそれに気づくと怒ったよう叫びます。
「閉めてってば!!!」
部屋は一気に外よりも鋭い冷気に覆われます。
弥吉は急いでドアを閉めました。
女はまだ暖炉の前でぶつぶつと何かを言っています。
先ほど女が怒ったせいか、部屋の温度は、弥吉たちが入ってきたときよりも随分と下がってしまっていました。
吐く息も白いのです。
女の方はなぜか、暖炉の前なのにもかかわらず、吐く息は弥吉たちより真っ白でした。
「君は一体誰なんだ?」
弥吉が女に声をかけました。
しかし、女は聞こえていないのか、ぶつぶつと何かを言っているだけです。
その態度に茂郎は肩を震わせて、女の体に詰め寄ります。
「お前、人の話は聞くもんだぞ!」
女はいきなり茂郎の手によって乱暴に引っ張られます。
明らかに女の雰囲気が変わりました。
「私に触るな……」
「あ?」
小さな声で女は茂郎に抗議します。
茂郎には聞こえなかったようで、聞き返しました。
女はイラッとした感情を見せます。
「私に触るな!!」
女はそう言うと、白い息を茂郎に吹きかけました。
瞬く間に、茂郎は女のはいた白い息に覆われます。息が晴れると、茂郎は凍ってしまったかのように床に倒れました。
ゴトンっと重い音を立てて、床に茂郎は転がります。
弥吉が茂郎に駆け寄りました。
茂郎を起こすと、その冷たさに驚きます。茂郎は完全に凍ってしまっていたのです。
茂郎は絶命していました。
弥吉は女の方を見ます。
女は、もう茂郎のことなど興味を失ったかのように、暖炉の前で座っています。
弥吉はどうすること出来ず、ただ黙って女を刺激しないようにしました。
しばらく経つと、暖炉の火が弱くなってきたのか、徐々に部屋の温度が下がり始めました。
弥吉は暖炉を見ていたこともあってか、気づいたら呟いていました。
「薪が無くなりそう」
弥吉の声が部屋に響きわたります。
弥吉はすぐに、しまったと思い自分の口を抑えました。
「ほんとそれよ。最悪」
女は意外にも弥吉の声に反応しました。
おもむろに立ち上がると弥吉を見据えます。
弥吉は何をされるのかと思い、身構えました。
女は不敵な笑みを浮かべます。
「あんた、ちょっと薪とってきてくれない?」
女は弥吉にそうお願いをしました。
外は猛吹雪です。こんな中薪を探すなんて、死んでしまいかねません。
弥吉はびくびくしながら聞き返します。
「君は行かないのか……?」
ここの住人である女の方が、弥吉よりもこの辺りには詳しいはずです。
弥吉がいくよりも早く集まるのではないかと思ったのです。
「私が外に出るなんて絶対に嫌。ありえないわ」
女は当然のようにそう宣言しました。
「それともなに?あんたもこの男のようになりたいの?」
女はわざと大きく息をはきます。
弥吉にところに、冷たい冷気が届きました。
弥吉は凍ってしまっている茂郎を見ると、首を横に振ります。
「じゃあ、お願い」
女は満足したように一度笑うと、座り込みます。
弥吉は仕方なく、外へと薪を探しに行きました。
弥吉は何とか数本の薪になりそうな木を持って、小屋に帰ってきました。
帰ってきた弥吉を見ると、女は
「ほんとに持ってきたよ」
と言いました。
女は弥吉が帰って来るとは思いもしていなかったようです。
「ラッキー」っと弥吉に聞こえない小さな声で呟きます。
弥吉はすぐに、持ってきた木を女に渡しました。
女は弥吉から木を受け取ると無造作にそれを火に投げ入れようとします。
「ちょっと待って!」
弥吉は女をとっさに止めました。
女は木を投げ入れる動作のまま止まっていました。
「なに?」
女は不機嫌そうに弥吉に向き直ります。
「そのままいれるつもり?」
「悪いの?私は早く温まりたいのよ」
「だったら尚更、そのまま入れちゃだめだよ」
「なんで?木を入れれば火はつくでしょ」
女は疑問に思う様子もなく簡単に言ってのけます。
今までどう生活していたのか弥吉は少しだけ不安になりました。
弥吉は女は言い聞かせるように言葉を出します。
「晴れている日はそれでもいいけど、こんな雪の日は、木に湿気が溜まっているんだ。このまま火に入れたら逆に消えてしまう」
「それは困る」
「だから今のうちに、こういう小さい枝を細かくして火に前に置いておく。すると、火の温度で湿気は無くなるから順番に火に入れていく。こうやって徐々に火を強くしていくんだ」
弥吉は女に分かりやすいように実践しました。
暖炉はだんだんと温度を上げていきます。この知識は小さいころに弥吉が茂郎に教えてもらったものでした。
女は感心したように弥吉の行動を見ていました。
「ほんとだ。知らなかった」
女は暖炉の温度が上がったことで、機嫌がよくなったのか、言葉尻が柔らかくなります。
弥吉の実践が功を奏したようで、弥吉と女の距離が少し縮まりました。
「君、何でここに一人でいるんだい?」
弥吉は女に聞きました。
女は淡々と言います。
「外に出ると寒いじゃない」
弥吉は女の言ったことに理解できません。
首をかしげます。
「だったら、春になったらここを出ていくと?」
「私に春なんて来ないわ」
「それは、どういう……」
弥吉は驚きました。
春が来ないとはいったいどういうことでしょう。
冬が明ければ、春がやってくるのは当たり前です。
弥吉はポカンとしてしまいました。
「あんた、察し悪いわね」
女は呆れたように溜息とつきました。
「私が一歩でも外に出れば雪になるのよ。季節なんて関係ないの。春だろうが夏だろうが雪が降る。もう最悪よ」
女は自分のことが嫌いなのか、そう言って冷たい笑みを浮かべました。
「大体、こんなところにいる人間が普通じゃないってことぐらい分かるようなもんだけどね」
女は弥吉にそれだけ言うと、また暖炉とにらめっこを始めてしまいます。
部屋には沈黙がおりました。
弥吉はずいぶんと疲れていたのでしょう。
いつの間にか眠ってしまっていました。
目を覚ますと、外は明るくなっています。
弥吉は外の様子を伺いました。吹雪は止み、穏やかな晴れ間がのぞいていました。
山を下りるなら今しかありません。
弥吉は凍ってしまった茂郎を担ぐと、女の方を向きます。
女は暖炉の前で気持ちよさそうに眠っていました。
弥吉はついその寝顔に見惚れてしまったのです。不機嫌な顔しか見せなかった女の表情は、こうしてみるととても美しい。弥吉の中にそんな思いが生まれていました。
無事に家に帰ると、早々に弥吉は茂郎の埋葬を済ませ、お墓を建てました。
これからは、茂郎抜きで生きていかなければなりません。
弥吉は気合を入れました。
あれから数日が経ちました。
雪が降り続けている山には弥吉の姿がありました。
弥吉はあの小屋に向かっていたのです。
小屋から出るときに見た女の顔が、弥吉は気になって仕方がなかったのです。
小屋は簡単に見つかりました。
弥吉が中に入ると、女は暖炉の前で座っていました。
「誰?」
女は振り返ります。
「俺だよ」
弥吉の顔を見ると、女は気にした素振りを見せることなく、顔を戻しました。
弥吉は相手にされていないかと肩を落とします。
「早く閉めて。寒いから」
女はそう言うだけです。
出ていけと言われないのに弥吉は表情を明るくさせ、中に入ったのです。
それから弥吉は何回も小屋に顔を出しては、女と会話をしていきました。
だんだんと打ち解けあっていくうちに、気づけばお互い相手に対して特別な感情が芽生えていたのです。
いずれ2人は恋仲になっていました。
弥吉は女のことを『ユキ』と呼び、それは大切にしました。
外に出たくないユキを弥吉はどうにかして外に出させました。すると、空はたちまち雲に覆われ、ユキの言った通り、季節など関係ないように雪が降り始めたのです。
弥吉はそれでもユキを外に連れ出しました。
ユキも最初は嫌そうにしていましたが、弥吉の楽しそうな笑顔を見るたびに、その表情は明るくなっていったのです
するとどうでしょう。
だんだんと雪は弱まってきて、ついには降らなくなったのです。
どうやら雪の降る現象は、ユキの心と関係しているようです。
数年後、弥吉とユキの間には子供がいました。
子供はユキに似た可愛い女の子でした。
ユキは弥吉の家に一緒に住むことにしました。
その時、弥吉はユキに特殊の体質のことは黙っておくようにと約束されていました。
弥吉もその約束を守り、3人は幸せな家庭を築いていったのです。
が、しかし……
弥吉は最初こそ油断しないように、ユキのことは村の人間には詳しく話しませんでした。
ですが、気が緩んでしまったのでしょう。村の集まりでお酒を飲んだことにより、つい、弥吉はユキのことを話してしまったのです。
酔って帰ってきた弥吉の口から、その事実を聞いたユキは弥吉が寝静まったのを見届けると、娘を連れて家の裏山に行ってしまったのです。
弥吉が目を覚ますと、外は大雪ななっていました。
季節は夏です。この異常気象に弥吉はユキを探しました。しかし、ユキとさらには娘の姿はどこにもありません。
弥吉は昨日のことを思い出しました。
酔ってユキとの約束を破ってしまったことを思い出します。
弥吉は大慌てで裏山に駆け込みます。
小屋が見えドアを開けると……
「あーもう最悪。寒いし、弥吉は約束破るし。最悪よ」
そこには出会ったばかりのように、暖炉の前に座る、寒がりで引きこもりのユキの姿がありました。
完全に元に戻ってしまったのです。
さらには、隣には同じような格好の娘の姿もあります。
引きこもり雪女は2人になっていたのです。
弥吉はとにかく謝りました。これでもかと謝りますが、ユキの機嫌が治まることはありませんでした。
村はそれから数年間、季節など関係ないように雪が降り続けたのです。
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その村にはある言い伝えが残っておりました。
女との約束は、絶対に守らないといけない
っという言い伝えがね。