1章ー2話 迷いの末に
並んで歩くこと30分、あれだけ爽やかだった笑顔はどこに行ったのか口から出てくるのはため息だけだった。
「この街、広すぎだろぉぉぉお!」
最初の広場に戻り、人目も憚らず叫んでしまう。エスメラルダも若干同じ思いを抱えていたようで微妙な表情で通りを見渡している。
その通りには見渡す限りでも引きこもりの心を折るには十分な人が歩いている。
見渡す限りにワニの獣人やら、甲冑を着た衛兵らしき人物やらと実にファンタジー感あふれる光景でテンションが上がらないでもないのだが、さすがにその中を人を探し周りを見渡しながら歩くというのは疲れるもので、最初は満ち溢れていた気力がだんだんと削られていき、情けないことに15分ほどで人ごみに酔い始め30分経った今では軽くグロッキー状態である。
「人が多いのは当たり前じゃない、王都の中心街なんだから。一人で路地裏に入ったり人混みに驚いてみたり、やっぱり王都は初めて?いったいどこの国から来たの?」
気になっていたという風に小首をかしげながらエスメラルダは聞いてくる。
「うーん、どこの国から来たかかぁ、それ聞かれると辛いものがあるな...」
何しろこちらはこの街の事はおろか、この世界においてもビギナー中のビギナーなのだ。何を答えてもボロが出る質問である。
しかし、はぐらかしても怪しまれるだけなので、運に任せて元の世界の位置情報を伝えてみることにする。
「東の端の端だよ。多分知らないと思うよ?」
と答えるとエスメラルダは少し肩を震わせる。
「エルメラルダ?」
先程まで咲くような笑顔をしていたエスメラルダの表情が曇ったのを見て思わず顔をのぞき込む。
すると、なぜか少し瞳を隠すように顔を背けるとごまかすように聞いてくる。
「でも、えーっとツヅミ?を見て最初に思ったのはお肌もきれいだし、手を見ても一切荒れてないし、服なんかもかなり上等なものでしょ?かなりいい家の出みたいなのになんで一人でここにいるのかがふしぎなのよね...護衛や侍女の一人くらいいてもおかしくないのに。」
その様子を不思議に思いながらも、これは聞いたら嫌われるやつというさすがに空気を読み取りげんきゅうせず、いきなり名前で呼んでもらった幸福感をかみしめつつ、話の内容を考えると、どうやら引きこもっていたおかげで日焼けとは無縁な肌や、洗い物の一つもしてこなかった手がこの世界に関してはかなり上流階級の人間に見えるらしく返答に困る。
そもそも、上流階級どころか帰る家すらない状態だなどと言えないし、服に関してもこの世界に来た時の副産物のようなものなので言及もできないため、正直かなり返答に困るが、愛想笑いで普通の家庭、もしくはそれ以下だよ。と答えると隠さなくてもいいのにと頬を膨らませられただけだった。可愛い。
たったの数十分行動を共にしただけだが、それだけで何となくこのエスメラルダという少女の人となりが見えてくる。最初は透き通った凛としたイメージだったが、今は感情が多彩で明るく透き通ったイメージだ。近くにいるだけでこっちまで自然と笑みがこぼれてしまうようなカラフルな少女だった。
ふと気になることを口に出す
「ところで、エスメラルダはどこの国から来たの?それとも王都に住んでるの?」
さっきの話から推測してみてもエスメラルダは明らかに上流階級の人間だ。淡雪のように白い肌は透き通るように白く、どこを見ても肌荒れ一つない。
装いも、空色のワンピースに白銀の鎧もどう見ても安物には見えない。何より腰に差された剣は特に異彩を放っておりどう考えても一般市民の装いではなかった。
エスメラルダは少し迷う素振りを見せながらも答えてくれた。
「今は、秋の国のプリシャナの街に住んでるの、その...そこの領主家にお世話になってるから。今日王都に来てるのはちょっと、招集があって。急がなくちゃなんだけど、ユキノが迷子になっちゃったから。」
今の会話だけで、エスメラルダがかなり高位の人間であること。そして、侍女さん探しが実はかなり緊急を擁する事態であるということが分かった。
こんな会話をしながらも、人探しは再開されているのだが一向に見つかる気配がない。
「ところで、今はって言ってたよな?出身は違ったりするのか?」
会話の中で沸いた最後の疑問を投げかけると、急にエスメラルダの表情が陰り人混みの中で足を止めてしまう。その急激な変化に驚き二人で足を止めてしまう。
「ど、どうしたんだ?エスメラル...」
ダ、と言いかけたところで、エスメラルダの言葉にさえぎられる。何かを覚悟したような顔で言葉を紡ぐ。
「...わたしはその、冬の国出身だから。」
次に俺の口から出る言葉を恐れたような、何かをあきらめてしまったような顔をしたエスメラルダが少し震えながら俺を見てくる。ただし、俺には、その意味が全く分からない。
「へえ、だからそんなにも肌が白いんだな、雪国美人って感じだな。」
と答える。するとエスメラルダは、ありえないものを見たような顔をして聞き返してくる。
「え、その、私冬の国出身なんだよ?それに、この髪の色だって...ツヅミって春の国出身の人でしょう?」
ああ、東の国のことか。それがどうかしたのだろうか?正直現時点では何もわからないし、なんの問題もない。
なのでそれに対する俺の返答は簡単だった。
「うん、聞いたよ?それに大丈夫だぜ。ちゃんときれいな君に似合った銀髪だぜ?」
歯を光らせながら会心のグーポーズを決めてエスメラルダの目を見るも、やはり浮かんでいるのは疑念と驚愕だけだった。
俺が、やべえほめ方ミスったかな等とあたふたしていると、唐突にエスメラルダは吹き出した。今度は俺が首を傾げる番だったが、エスメラルダはひとしきり笑うと、俺にこう言った。
「やっぱり、ツヅミってすごい変な人ね。どんな風に育ったらそうなるのかしら。」
その笑い顔の美しさに、疑問も何もかもが全て吹き飛んでしまう。俺が見とれていると、エスメラルダは何かが吹っ切れたように、さあ、ユキノを探しましょう。と意気揚々と歩き出した。
そこで、先ほどの会話で少しだけ思ったことを口にする。
「なあ、その侍女さんとは、なんではぐれたんだ?」
と聞いてみると、エスメラルダは思案する様子もなく
「えっと、私が王都の物が珍しくって古い道具屋さんに入ったんだけど、表に出たらユキノが迷子になってて。ユキノったらいつもはそんなことないのに、迷子になるなんてユキノも王都に来て浮かれてたのかも。見つけたら注意してあげないと。」
と言ってきた。どう見てもそれはお前が迷子になっただけだ。と言いたかったが時間の無駄になるような気がしたのでやめておいた。本当にもう当初の凛としたイメージは粉々である。
そこは置いておいたとしても、会話の中で気になるワードがあることを思い出す。
「王都に招集されたって言ってただろ?それって誰にどこに呼ばれたんだ?」
「えーっと、今お世話になってる領主のアルカナの弟さんのアリバーズお屋敷に顔見せに行かなくちゃいけないんだけど、それがどうかした?」
それを聞いて、俺は本日二度目の大きなため息をついてしまう。
「なあ、エスメラルダ。そのお屋敷に侍女さん向かってるんじゃないのか?そうじゃなかったとしても時間になったら、絶対に来ると思うんだが...」
俺がそういうと、エスメラルダは目をキラキラさせながらすごい!ツヅミ!などと言っていたが俺はこの子の先行きが果てしなく心配になってくる。絶対に王都で一人にするまいと下心を含めて思った瞬間だった。
幸いアリバーズさんというのは、王都でも有名人だったらしく何人かの人に道を聞くとすぐに大きな屋敷が見えてきた。
やった、やったとはしゃいでいるエスメラルダを尻目に俺はここでサヨナラをされる不安に苛まれていたが、杞憂に終わりエスメラルダは笑顔で入って、入ってと促してくる。
長い庭を抜け、扉の前までたどり着く。するとエスメラルダは不思議そうに首をかしげる。
「おかしいなー?アルカナとユキノの話ならメイドさんがいっぱいいるから、迎えてくれるって、話だったんだけど...」
エスメラルダは少し眉を寄せて考えるも、扉を開ける。豪奢なつくりの広間が眼前に広がる。小市民としてはかなり萎縮するも、エスメラルダに倣い屋敷を進んでいく。するともう一度エスメラルダは首をかしげる。
「やっぱり、おかしい。屋敷の中に人の気配を感じない。」
心なしか、エスメラルダの目つきが鋭くなり俺に言う。
「私ちょっと、屋敷の中を確認してくるからツヅミはここで待ってて。」
言われるがまま、エスメラルダを見送り立ち尽くす。今ここで屋敷の人間が来たら、俺不法侵入者以外の何物でもないなと気づき、少し挙動が不審になる。
そんな時だった、ドアが不自然に半開きになった部屋を視界の端に見つけたのは。
理路整然と整った屋敷の中で、異質なイメージを与える扉だった。疑念を覚えドアに近づくと部屋は暗く見えにくかったが、所狭しと本棚が詰め込まれていることだけは見て取れる。
少し興味が湧き部屋に足を踏み入れる。踏み入れてしまう。部屋に入った瞬間感じたのは違和感。
「なんだ、この変な感じ...」
体が震え、動かない。本能が一刻も早くここから離れろと言っている。しかし、足は動いてくれない。そんな時だった。頬に何か冷たい雫が天井から落ちてくる。
とっさに、顔を上げる。すると目に飛び込んできたのは
高い天井に吊るされたシャンデリアと並び、鉄の鎖で吊り下げられた初老の老人と多数の使用人であろう人たち。脳がその光景を処理し悲鳴を上げようとした瞬間、声がする。
とても愉しそうな無邪気で、それでいて嗜虐的な声。
「ああ、ああっ!見ちゃったんだね...じゃ仕方のないことなんだね!」
とっさに後ろを振り向こうとするも、それよりも早く首に鎖が巻き付けられ元の世界では見たことのないほどの力で締め上げられる。
急速に意識が遠ざかっていく中で足音と声が聞こえる。
「ツヅミーー?どこ行ったのかしら。ツヅミもアリバーズさんたちも...」
半開きのドアに気づいたのだろう、足音が近づいてくる。
薄れゆく意識の中で、最後の力を振り絞って叫ぼうとする。ドアが開き始める。最後に見たエスメラルダの顔は変わらず美しく、こんな状況でも笑みがこぼれた。
「に...ゲ.ロ」
自分では叫んだつもりだが、おそらく声はかすれて小さい呟きのようなものだったかもしれない。届いていればいいなと、愛しくなった少女の無事だけを願って、高宮皷は意識の底に沈んでいった。
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意識が戻る、意識が覚醒する。唐突に目に飛び込んできた、日差しのまぶしさに目を細めると聞えてきたのは
「しっかし、バカだなぁ兄ちゃんも黙って見過ごしてりゃこんな痛い目見ずに済んで、安心しておうちに帰ってぐっすり眠れたのによ。」
「へ?」
前を見ると、いつか見た人相の悪い人間たちに囲まれている光景が待っていた。