1章ー14話 鬨の声が聞こえた
「くっそ...ちょっと励ましてくれたと思って油断したらこれかよ」
場所は場面変わって大浴場の湯船の中。再び一日で溜まった疲れを流れ落とす生粋の日本人の俺からしてみれば至福のひと時...のはずなのだが今日は諸事情から洗い流す項目に身体の汚れと疲れ以外に新たに痛みという項目が加わったことによって少しいつもの風呂の時間と事情が変わっているのだ。
諸事情というものをお話しすると簡単な話だ。朝食が終わって教育係の少女に危うく泣かされかけたその後、今度はその少女に別の意味で泣かされることになったのである。
何かと言うと、ユキノは時間を浪費してしまったため宣言通り勉強の速度を予定より早くする。と言っていたのだが開かれていた本は前回のループの時と同じだったので余裕だろうと高をくくっていたら
「やはり、速度を上げても時間のことを考えるとどう見ても中途半端になりますね、予定を変更して先に別のものを教えることにしましょうか」
と突如前回のループでまだやっていない本を取り出してきてしまったのだ。まさかのイレギュラ―発生である。
これにはさすがの俺も少し焦った。前回の周回で普通の速度でも異世界知識を詰め込むのは頭がパンクしそうだったのにスピードアップとなると着いて行くことすら怪しい気がしたからだ。
まあ、その予感は見事的中し再び頭の中をニューワードが大急ぎで徘徊した挙句前回のループの知識と盛大に接触事故を起こして頭の中がオーバーヒートしたのである。
そして、なぜ俺が今風呂場で額をさすっているかと言うと、この方式は前回からあったのだが頃合いを見てユキノが今までの復習のために質問を投げかけてくるのである。
これは前回から変わっていないシステムだが、それに答えられないと先ほど他に意識が向いていた時のようにデコピンが飛んでくるわけなのだが前回は一日一発受けるか受けないかで支障はなかったが今日は前述の事情から計十二発も食らってしまってこの有様である。
再びでこを摩ると少し鈍い痛みが返って来る。特殊な種族だとは聞いているが馬鹿力過ぎる。一発一発が涙目になるレベルで重いが、落ち着き払った様子からまだまだ手加減してくれていることが分かる。本気を見ることだけは避けたいなと心の底から願うばかりだ。
ユキノの勉強が終わった後は特筆することはなく前回のループとほとんど変わらない一日だったように思う。
しかし、問題は山積みだ。ゆっくり湯船に浸かっている場合じゃない。朝の一件でアルカナ達に助けを求めることができないと最悪の形で露見した事によって再び頭を悩ませなければならない。
このまま何も手を打たなければ俺は再びなすすべなく巻き戻されて絶望を味わうことになる。今のところループのトリガーが死ではないと分かっただけ前進とは言えるのだろうが巻き戻される理由には検討すらついていない。
巻き戻しのタイムリミットまであと一日。だというのに頭にはパッとする打開策の一つも浮かんでこない、水滴の浮かぶ天井を眺めて湯気の中で少しのぼせた頭で考える。
正直今は明日の夜寝ずに起きているぐらいのことしか浮かばない。しかし、それは良い手かもしれないとも考えている。今までの巻き戻しの共通点を考えて気づいた。
それは、巻き戻しが行われる瞬間は毎回”俺の意識がない状態にあること”
一度目の王都では殺人者の手によって命と意識を奪われ、二度目はこのアルカナ邸で睡眠状態、つまりは非覚醒状態であるうちに夕日の元に逆行されて、三度目は今朝抗いがたい睡魔に意識を刈り取られた状態で。
少し、今朝疑問に思っていたことがあった。それは、なぜわざわざ俺を眠らせる必要があったのかということ。そこで俺が考えた推論はこうだ。
俺は何らかの条件を満たした、もしくは満たせずに終わった状態で意識を失う、非覚醒状態に陥ることで巻き戻っているのではないか。
なので明日の夜は眠らずにいるというのが思いついた計画なのだが、それに際しての一つの懸念は今朝俺の意識を問答無用で奪い去ったあの容赦のない眠気。
明日の夜あれが再び襲い掛かってくれば俺の策略、計略など全て無為に帰す。しかし、それに関しては希望的観測と思われるかも知らないがあまり心配はしていないのだ。
今朝の現象はあくまで人に巻き戻しの行為を話すという禁止事項に触れたためのやむない対処だと考えている。
「勝負だ。必ず超えてやる」
わずかな水音と共に湯船から湯気の立ち昇る天井目掛けて右手を掲げ、絶望に向かって宣戦を布告する。
その勢いで頭の上のタオルがずり落ちて顔を覆い、余り様にならない宣戦布告で自分でも唇を尖らせてしまったのだが。
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目を覚ますと、最早見慣れた天井と化した真白い天井とカーテン越しにも眩しさが伝わる日光が目に飛び込んでくる。
時計の針を見ると、いつもグレイが少し困ったように俺の体を揺さぶる約ニ十分前だ。一つ大きな伸びをすると自分の手を開き掌を見つめ、もう一度静かに掌を握りしめる。
良かった、ちゃんと朝を迎えられた。しかし、やはり体に残る倦怠感と疲労感、そしてとてつもなく朝に弱い自分がこんな早朝に起きたことから考えると眠りが浅かったのだろう。
昨日もそうだった。再び夕日の下に立ち尽くしている夢を見て夜中に飛び起きてしまった。あの恐怖が、頭から離れずに睡眠を蝕む。
また眠っている間にまるで波にさらわれた砂浜の足跡のように、いとも簡単にみんなの頭の中から自分が消えていたらどうしよう。
瞳を閉じれば瞼に焼き付く夕焼けが邪魔をして昨晩もだいぶ寝つきが悪かった。
「...そうならねぇためにも気引き締めねえとな」
寝台から立ち上がり、部屋に備え付けられている洗面台で顔を洗う。タオルで顔を拭いた後正面の鏡に映った自分の顔を見る。
やはりまだ慣れない黄色の瞳の下に薄いものだが隈ができてしまっている。思わずゴシゴシと目を擦るが青黒い睡眠不足の証は一向に消えてくれない。
諦めて寝間着を脱ぎ机の上に置かれている朝の稽古用にユキノに見繕ってもらった服に着替えて軽く伸びをしていると部屋をノックする音が聞こえる。
俺が「どうぞ」と言う前にドアが開き灰色髪の柔和な顔立ちの少年が少し驚いた顔で姿を見せる。
「あれ?ツヅミ今日は早いんだね、おはよう」
「おはよう。いや、今日は偶然目覚めが良くてな」
「明日以降もそうあることを願ってるよ。ちょうど準備も整ってるみたいだし行こうか」
「ほいほい」
早速という風にドアノブに手を伸ばしたグレイに軽い返事を返すと汗を拭くためのタオルと壁に立て掛けてあった木剣を肩に置きつつ部屋を出て庭に向かう。
ーーー勝負の一日が始まろうとしていた。
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「また今日も負け越しだよ...」
再び場面変わって朝の修練で汗を流した後の食堂。まだ、アルカナとフランが来ていない食卓でグレイがそんなことをぼやいている。
「うーん、一日目は互角だったのに二日連続で負け越しか...年季の差があるにしても悔しいなあ」
「一回引き分けてるから悔しいんじゃない?でも、グレイがここまで言うなんてツヅミ凄いのね」
割と本気で落ち込んでいるグレイと素なのだろうが明らかに自分の方が何段も上の剣を振るうのに微笑ましそうな顔でこちらを見て俺を誉めたてるエスメラルダにいつも通り無表情に立ち尽くすユキノというアルカナがここに居たら破顔しそうなカオスな空間に苦笑いしているがどうにも空気になじめない。
当然のことだが今日は俺にとっては命運を分ける日でも、この三人にとってはいつもと何ら変わらない穏やかな日常だ。
それは分かっているのだがどうにもこのやり取りを見ていると肩の力が抜けて拍子抜けしてしまう。だからこそこの思い出を消したくない、みんなの思い出の中に居たいという力強い思いが芽生えもするのだが。
「なんだかなぁ...」
苦笑いを浮かべつつ食卓に肘をつきながら溜息を一つ吐く。ちょうど厨房から、パンが焼けるいい匂いがして鼻腔と空腹を刺激する。
至って日常的な朝を代表する香りや和気藹々とした食卓の光景に、ひどくシリアスな雰囲気になっていた自分がなんだか変に思えてくる。
やっぱりシリアスな空気は自分には合わないのだろうか。
「なーんて考えてたりするのかな?」
「...!?」
急にやたらとハスキーな呟きが耳元から聞こえて凄まじい勢いで背後を振り向く。体重を預けていた椅子がその勢いで横転する。この椅子を転がしてしまうのは二回目だ。すまん。
「お前は人の背後に忍び寄らないと登場できねーのか!」
背後を振り向くと口に手を当てて爆笑を我慢するこの屋敷の主たるアルカナ・グレースその人が立っていた。
「いや、中が騒がしくて扉を開けてもユキノ以外気づいてくれないもんだからつい、ね?」
依然愉快そうな顔をしていけしゃあしゃあと返してくるアルカナに今日何度目なのか嘆息する。本当に五十過ぎなのかこいつは。
「それにしても傑作だったよ。思いつめたようなそうじゃないような微妙な顔してたから勘で思考予想してみたけどもしかして当たったりした?」
「単にびっくりしただけだわ!何で二日続けておっさんに耳元に囁かれなきゃならねえんだよ!」
「本当に君には驚かされることばかりだよ。許可したとはいえ私をお前とかおっさん呼ばわりできるのはこの国で両手の指で足りるだろうね」
正直図星を突かれた驚きと、二日連続の奇襲による驚きで今も心臓がバクバク言っている訳なのだがやっぱりこの男はすべてを見透かしているみたいでどこか嫌だ。
まあ、普段は貴族っぽさも大人っぽさも感じないから余計に際立つのだろうが。
「朝から騒がしいね。ツヅミが来てから良い意味でも悪い意味でも賑やかだよ」
そうやってカオスな空間に最後のメンバーが訪れて、騒がしさから使用人頭に怒鳴られて、至って平和に決戦の日の朝は過ぎていくのだった。
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「またか、またなのか...」
またまた場面変わって昼食前の図書館。俺はと言うとユキノのスパルタ指導から解放されて今日も若干痛むことになった額を避けながら右頬を机に投げ出すような形で机に突っ伏し昼食前の小休止を取っているのが現状だ。
今日は前回のループで学んだことの繰り返しだったのでどうにかなったのだが最後に昨日の復習と称されたお勉強で計三発デコピンを食らってしまった。
昨日と合わせて計十五発だ。そろそろ赤みが差すのを超えて青くなっている始末である。図書館を去る時のユキノの活き活きとした顔が忘れられない、チクショウ。
「ここに居たのかい、ツヅミ」
顔の向きとは逆方向に位置する螺旋階段を下りる音と共に理性的なものを感じさせながらどこか幼さを感じる声が図書館に響く。
体を起き上がらせながら階段の方に振り返ってみると声の主は予想と違わない桃色髪の上にいかにも魔法使いといったような帽子にローブを羽織った少女。
「フランか」
「どうやらその様子だとまたユキノに絞られたようだね。あの子は面倒見はとてもいいけど手加減とか手抜きって言葉を知らないからね」
「それは身をもって知ったよ」
確かに大分、いや、かなり厳しい部分はあるが教え方は懇切丁寧で少しでも俺が理解していないような素振りを見せようものなら一切見逃さずにさりげなく教えてくれる。
おかげで今のこの国の情勢や基礎的な知識などは着実に頭に入ってきている。合計たったの五日だというにも関わらずだ。
「それはご愁傷様と言っておいた方がいいのかな?そうそう、勉強と言えばなんだけど今日午後からボクは少しばかりアルカナと屋敷の外に用ができたからボクは教える時間を取れそうにない。もし、あれならグレイに代役を頼んでおくよ」
「...急にか?なんかあったのか?」
「いや、領内で質の悪い墓荒らしが相次いでるらしくてね。人手がいるというからボクも駆り出されることになった訳だよ。正直そんなに時間はかからないと思うから少なくとも明日の心配はしなくていいよ」
素知らぬふりをしてフランに尋ねる。ここで、アルカナとフランの外出。やはり今回も大筋は変わっていないようだ、それがイレギュラーを感じさせないための安心の要素でもあり、このままでは前回の二の舞コースまっしぐらだという大きな不安要素でもある。
「さて、多分これでイレギュラーが起きる確率は大きく減った。後は、自力で超えるだけだ」
「...?、何か言ったかい?そろそろ昼食の時間だろう。急がないとダメじゃないのかい?」
「あ、ああ。そうだな」
そうやって、前回の三日目と変わらない昼を過ごして、フランとアルカナを見送って。陽が沈んで月が出て。
遂に舞台は決戦の深夜。
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時間は、二時を回った頃だろうか。昼食が終わった後、武器庫から一振り拝借してきた剣を片手にベッドに腰掛けて夜が明けるのを待っている。
今のところ、特に変わった様子はない。それどころか、仄かな月明かりに包まれる屋敷の中は虫の鳴き声一つない。今のところは、だ。
内心に巣食う恐怖と少し目を閉じると浮かぶあの夕日がじわじわと精神を攻め立ててくる。おかげで睡魔に襲われることはないが。
暑くもないのに額や脇に汗が滲むのを感じる。動きやすいように身に着けている朝の鍛錬用の衣服に汗が滲んで気持ち悪い。
汗を拭くためにテーブルに置いてあったはずのタオルを求めて立ち上がりテーブルに向かって数歩足を進めてタオルを手に取った、その時。
寝息一つ聞こえなかった屋敷に警鐘が鳴り響く。反射的にベッドの上に置いてあった剣に素早く手を伸ばす。
依然、警鐘が鳴り響く屋敷の中けたたましい警鐘に紛れてドアが開けられる音がする。そして、それに続くように爆発音が。
静寂を突き破って頭上から警鐘が鳴り響く。
ーーー警鐘が鳴り響く。