1章ー12話 二度目の出発点
遅くなってごめんなさい
なんだ...これ...目の前に広がる俺を嘲り笑うように赤く、朱く照らす夕日の下で俺は止まりそうな思考と途切れそうな意識を何とか繋いで見せる。
なんで、どうしてと頭の中を無理解が迸る。なんど瞬きを繰り返しても、少し目をこすってみても、目の前の光景は依然変わることはない。
「どうして...」
掠れた声で理不尽を口にする。理解するしかない...再び巻き戻しが起きたのだ。まるでボタン一つで巻き戻されてしまうビデオテープみたいに、いとも簡単に。
ただし、ビデオのような無機物と一つ異なるのは、この巻き戻しには感情を伴う、この三日の達成感も、充実感も、友人との思い出も、すべてを無為に帰して今、ここに戻ってきたのだ。
いっそ機械で在れればこんな虚無感も、喪失感も、そして深い恐怖も考えずに済んだのに。
脳裏には王都での記憶がよみがえる。そう、あの時俺は鎖使い...「吊人」のイドの鎖で締め上げられ恐らくはあのアリバーズ邸の一室で命を落とした。
そして、巻き戻った地点はエスメラルダと出会う数分前。フレデリカという迷子の少女を背に庇いチンピラたちに囲まれた路地裏に。
あの時も現実を受け止められない心と、そして意識が途切れる前に最後まで脳裏に描いていた銀色の少女の安否を確認した安堵で涙腺が決壊してしまったのは苦い思い出だ。
すぐその後に自分を救ってくれた温かい二つの手は今でも自分の支えだが。
ただ、あの時と決定的に違う点がある。それは巻き戻された原因に推測が付いたかどうかという点だ。王都では巻き戻しの直前に見たアリバーズ邸の惨劇と異常者の声、そして圧倒的な苦しさと喪失感で生命の消失と推測できた。
しかし、今この段階に至っては全く巻き戻しが行われた原因が分からない、それどころか至って何の異常も無くただ眠りについた記憶しかない。
考えられるのは、眠っている間に何らかの原因で命を落としたという推測が一点。だがそれには少し違和感を覚える。
なぜなら、そもそも俺を眠っている間に殺害する動機がある人間が存在しないからだ。まだこの世界に来て意識を失っていた三日間も含めれば一週間と少し。その間に関わった人間は両手の指で足りるし、もちろん殺されるほど恨みを買った覚えもない。
本当に強いて挙げるとすれば、俺の洞察力を随分と気に入っていた暗殺者、エゴだがあの時の彼の発言を顧みるに彼は人をいたぶるという全く理解不能かつおぞましい趣味を持っていると言っていた。
つまり、俺に全く気付かれず暗殺めいたことは絶対にしないという妙な根拠もある。
次に考えられるのが、他の屋敷の面子を狙った人物についでに殺害されたという推察。しかし、例えば、再びエスメラルダを狙った刺客だったとしたら俺が何の反応もなく殺されたというのがあり得ない。
なぜかと言うと、万が一、万が一だがエスメラルダを殺害しようと侵入したならエスメラルダはそうやられはしない。
それに、寝込みを襲われたとしても、王都の一件からユキノがエスメラルダの身に何かあった時に反応する魔水晶のペンダントを持たせているらしいので、すぐさまユキノが駆けつけて応戦するため必ず無音で襲撃が終わることはない。
初めに侵入したのが俺の部屋だったというなら話は別だが、俺の部屋は五階だしガラスの割れる音の一つや二つするだろう。
そして、現時点で考えられる可能性の中で俺が最も濃厚だと思っているのは”この巻き戻しは死がトリガーになっているのでは無く全く別の要因で巻き戻っているのではないか”という考え。
正直少し突飛な発想だと思うが、そう考える方が自然な気がする。
王都での最初の巻き戻しは偶然『死』という要因が関わって巻き戻しが起きたのであって巻き戻しが起こる条件にはもっと細かい何らかの制限だったり、原因があるのではないか。
もちろん根拠は全くない。もし、正解だったとしても確かめる手段はなく巻き戻しの条件とやらにも全く見当がつかないが、一考の価値はある推論だと思う。
そもそも、なぜ自分にそんな能力が備わっているのかすらも見当がつかないから本当の意味でお手上げなのだが。
「まさか、俺がただの寝坊助だったってことはないよな」
一瞬、気持ちよさそうに寝息を立てて、自分が室内に満ちる殺意にも、屋敷に響き渡る音にも気づかずやすやすと命を奪われる自分の姿を幻視し、ぞっとする。
やっと、軽口を口にできるほど落ち着いた。だが、それと同時に自分でも驚くほど精神的なダメージが大きいことを感じる。
もちろん今まで、やってきたことや抱いた感情が形にならなかったことはある。だが、自分がやってきたことが痕跡すら残さず消え去るというのは、ここまで心に風穴をあけられたような気持ちを生むのか、ここまで、抱いた決意も何もかも砕くものなのか...ここまで心に深く、暗い影を落とすものなのか。
今にも叫び出したいような、衝動に駆られる。人が今の状態を聞けばたかだか三日がどうしたという人もいるのだろうか。
でも、俺にとっては大きな意味を成す三日だったのだ。この世界でやって行くと、堕落の底から抜け出し、何かを成そうと小さいなりに決意し、踏み出した三日間だったのだ。
それを...
「...っつ!」
強く唇を噛み、小さな痛みで何とか衝動を押さえつける。今すぐ叫んで、あの時抱いた決意も何もかも捨て去って得体のしれないものから逃げてしまいたい。
でも...
「大丈夫!?ツヅミ?私の声聞こえてる?」
その、透明な声と、肩を揺さぶる細い腕の力で、現実世界に意識が戻る。俺の足跡が消えた世界に戻ってゆく。
「まさか、怪我治りきってなかったのか!?早くフランを!」
続いて焦ったような友人の声が聞こえて、今にも屋敷に駆け出していきそうな友人の手を掴み制止する。
その、本気で自分を案じてくれる二人の姿と態度を見て気づく。
そうだ、まだ何もかも失くしたわけじゃあない。例え、何回巻き戻ってもグレイもエスメラルダも変わるわけじゃあない。それだけは忘れてない。
この屋敷で過ごした三日間は、俺だけは覚えてる。俺がしたことは消えてもみんなから受けたものは消えてない、なくなった訳じゃあない。
そうだ、みんなの心根も変わった訳じゃない、だから大丈夫だ。
「また難しいこと考えすぎたな...」
「ツヅミ?」
心配そうな友人と恩人の目を見据えて、いつもと同じように笑顔で心配はいらないことを伝える。
「ありがとう、二人とも。ちょっと考え事してただけだ、陽が沈む前に屋敷に帰ろうぜ」
夕日と共に歩き出す覚悟を何とか形にして、高宮鼓の二度目のアルカナ邸での三日間が始まった。
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「ホントに大丈夫かい?この世の終わりみたいな顔してたけど」
場所は夕食のために食堂に向かうための廊下。先程の硬直時間は何とかかんとかで誤魔化したものの数日前に大けがをしたのも相まって、まだ心配されているようだ。
なのでグレイが心配してくれるのは分かるのだが、それならもう少し言葉を選んで欲しいものだ。
「でもホントに大丈夫なの?ホントのホントにひどい顔してたわよ?」
「...多分無自覚なんだろうけど、結構傷つくね...」
恐らく本気で心配してくれているからだと信じているが、無自覚な言葉のナイフが男の子のガラスのハートに突き刺さり肩を落とすもエスメラルダは全く気にしていない様子でいつものように傍目にはクールに映る笑みを浮かべている。
その笑みに「大丈夫だよ...」と力なく答えると、少し怒ったような顔で
「でも、大事があったら困るでしょ?ちょうど夕食でみんな集まってフランもいるはずだし診てもらいましょ。フランが時間通りに来てればだけど...」
と、前半には信頼を、後半には若干の諦めを含んだフランへの言葉にこれまた苦笑いしながらも、頭に素直な疑問が浮かぶ。
「フランの魔法が凄いのは凄い分かったけど、なんでわざわざフラン?治したのエスメラルダなんだからここでちゃちゃっと診てくれよ、そっちの方が、手っ取り早いだろ?」
その俺の言葉に、グレイとエスメラルダは驚いたように顔を見合わせ声をそろえて言ってくる。
「ツヅミの傷治したのフランだよ」
「ツヅミの傷治したのフランよ?」
「初耳だなああ!」
巻き戻って初っ端から以前は知らなかった情報が飛び出し動揺が隠せない。ということはあれか、俺は大怪我を直してくれた恩人に礼も言わずに、のうのうと勉強だけ教わってあっさり巻き戻されたわけか。
「アリバーズさんの家で治療してくれたのエスメラルダだったから、てっきりエスメラルダが完治させてくれたのかと思ってたよ!?」
「朝にも言ったと思うんだけど、私魔力のコントロールがあんまり上手じゃなくて。回復魔法や治癒魔法は魔力のコントロールが重要だから、簡単な治療しかできなくて。その点フランは魔力のコントロールは屋敷で一番上手だから」
「そうだったのか、あとでお礼言わないとな」
「その方がいいと思うよ。そのためにもフランが時間通り夕食に来るといいんだけど」
そのグレイの冗談めいた言葉に。
「...フランは来るよ、時間通りに」
「...?、何か言った?ツヅミ?」
「いや、何でもないよ。意外と早くお礼が言えそうだなと思っただけだよ」
グレイの冗談めいた言葉に、俺は未来を小声で呟き食堂へと続く廊下をしっかりとした足取りで歩いていった。
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「珍しく、遅かったね。グレイも、エスメラルダ様も」
食堂の扉を開けると、アルカナがテーブルの上座で楽しそうに言ってくる。すでに、テーブルの上には湯気の立ち昇る豪勢な夕食が所狭しと並べられており、既にユキノとフランも席に着いていた。
「ごめんなさい。ツヅミに庭園を案内していたら思ったより遅くなっちゃって。それよりも、フランちょっといい?」
その自分を呼ぶ声に、昼と同じく本を読みながら俺達の到着を待っていた様子のフランは本を閉じ、少しだけ不思議そうにエスメラルダに向き直る。
「なんだい?ボクはお腹がすいてるから簡潔に済ませてくれると助かるんだが」
どうにも発言がお子様を抜け出せないフラン(年上)に俺たち三人は本日何度目か分からない苦笑いを浮かべ本題に入る。
「ツヅミが少し体調悪そうだから診てあげてくれない?大怪我したばっかりだし。本人は意地っ張りみたいだから大丈夫って言って聞かないから」
こっちも、世話焼きを通り越してお母さん目線のような発言に溜息をつきたくなるも、心配してくれるのは嬉しいし、おそらく今回は生来の気質もあるだろうが怪我の原因が自分と思っているところからくる責任感というのもあるのだろう。
それをこれ以上無下にするのもよろしくないので、何もないのは分かっているのだが大人しく提案に従うことにする。
そういうことならと、椅子を立ちフランが俺の前まで来ると同時に俺の体に手をかざす。その手にはアリバーズ邸でエスメラルダが手に宿していたのと同じ優しく包み込むような白いもの、恐らくは魔力が宿っており、その手が体に触れた瞬間得も言われぬ安堵感が体にしみわたる。
しかし、その安らぐような力は長くは続かずフランはわずか十秒ほどで俺の体から手を退けると一つ息を吸い、エスメラルダの方を向く。
「うん、心配しすぎだねエスメラルダ。異常があるどころか三日も寝てたおかげなのか至って体調は万全だよ。魔力が癒すところが無さ過ぎて戸惑ってるぐらいだからね」
「ええ!?」
「だから言っただろ...」
当然のごとく体に異常はなく、むしろ万全の状態だと聞かされエスメラルダが仰天し、俺が溜息と共に顔を手で覆い呆れのポーズをするとアルカナが愉快そうに笑い、グレイが微笑を浮かべユキノが淡々とした表情で夕食を見据えている。
その情景を見て再び自分の出発点を確認する。そうだ、何回巻き戻っても何も変わらない。この光景を見って自然にゆるむ表情も、心から湧き出る嬉しさと安堵感も。
ーーー変えさせはしない。
そう、覚悟に一つ付け加えて各々自分の席について和やかな夕食が始まった。
「そうだ、また忘れるところだった。フラン、俺の怪我治してくれたのお前だったらしいじゃねーか。お礼言いそびれるところだった、ありがとう」
夕食にみんなが手を付け始めてから少し経った頃、薄情すぎるが再び頭から遠ざかっていた目の前の命の恩人に眠っていた時間も合わせると三日半たってようやくお礼を済ませる。
すると、当のフランは全くそんなことを気にする様子もなくむしろ
「ああ、そうだったね。そういえば君の治療はボクがしたんだった、事前の応急処置が良かったから全く苦労せずに終わったから言われなければ忘れてたよ」
といった風に、本人が忘れている始末である。さすがのこれには俺も人生で初めて開いた口が塞がらないという体験をさせてもらったし、食堂にいるフランを除く面々が頭を抱えた。
その直後全員呆けた顔の俺を見て吹き出し、俺としては非常に不本意な状況で夕食の会は終わって行った。
「ぷはああーーー!」
夕食が終わり、今俺は風呂に浸かっている状況だ。いや、訂正しよう、二度目の風呂に入っている状況だ。
巻き戻し前と同じくグレイと共に風呂に入ったのだが、お察しの通り例にも違わず騎士へのお誘いの後グレイがのぼせ、そこにタイミングよく来たアルカナと共にグレイを脱衣所まで担ぎ込んだ後、湯冷めを理由に、再び湯船に浸かっているという訳である。
広い湯船に足を伸ばし考える。庭園ではエスメラルダとグレイの顔を見て何とか我に帰れたが、それも言ってみれば空元気のようなものだ、今は何とか気持ちが落ち着いているが依然として巻き戻された原因も、手掛かりすら全くなく、お手上げ状態には変わりないのだ。
「どうすっかな...」
湯気を見つめ、答えのない思考をいくら巡らせても出てくる案は一つだけ。それは至って簡単な方法、とりあえず三日目の夜眠らず、巻き戻しの原因を探ること。
しかし、まだ死の可能性が残っているため、ただボーっとしている訳にもいかない。何とか手を打ちたいものだが手札が少ないどころかゼロに等しい。
「今のところ、武器庫から剣一振り拝借して自衛ぐらいしか思いつかねえ。いっそ、アルカナたちに事情を話して...ん?」
ふと口に出した弱音にも近い言葉。しかし、口に出して噛み締めてようやく一つの可能性を見出す。
「それだ!」
要するに、俺が考え出した考えは単純なことだった。原因も何もわからなくてどうにもならなさそうだから人に頼ろうだった。魔法があるこの世界だ、さすがに時を遡る魔法はなくとも事情を話せばアルカナやフランなら何等かの答えを見つけてくれるかもしれない。
当然、時を遡り巻き戻ったなどと、そう簡単に信じてもらえるとは思っていない。しかし、未来に起きる事象などを話せば半信半疑でも話は聞いてくれるだろう。
そうなって少しでも関心を示してもらえヒントの一つでも掲示してもらえれば御の字だ。もちろん原因や発動条件が分かれば万々歳なのだが。
「明日の朝にでも聞きに行くか...」
そうやって、少しの光明を見つけた嬉しさと共に湯の水面に波を起こして立ち上がり、気が付いたグレイと共に風呂場を後にしたのだった。
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「は...よう...つ...み?」
「ふにゃ?」
誰かに身体を揺すられる感触と揺れで思わず口から間抜けを極めたような声とも言えないような音が出る。
はっきりと定まらない視界と背中の下に感じる柔らかい感触でようやく自分の置かれている状況を理解する。
「おはよう、ツヅミ。さあ、着替えて朝の鍛錬の時間といこうか」
やっと晴れた視界の端で、すっかり朝稽古の支度を済ませたグレイが少しはにかんだように俺の体を揺すっていた。
爽やかに雲一つない青空が広がる朝、グレイに促され着替えてから十数分後、俺は初日にグレイと出会った場所で緑に囲まれながら剣を振っている。
体感で数週間、実時間で数日間前まで引きこもり惰眠を貪っていた男が、こんな朝早くから体を動かしているというのだからまさに異世界マジックである。
引きこもる前は叩き起こされる相手が違っただけで同じようなことを毎朝やっていたのだが。
程よく温かい、静かな朝の空気の中、剣が空気を割く音と剣を振り下ろす瞬間口から洩れる鋭い気合の声だけが庭に響く。
程よく汗をかく程度まで、素振りを終え一呼吸着いていると同じく息を整えたグレイがにやっと笑って無言で木剣を強く握り俺の前に構える。
それに倣って、俺も剣を中断に構えて一つ深呼吸をすると強く地面を蹴って剣を振るう。次の瞬間には剣戟がぶつかる快音が空気を揺らす。
そして、その二人の剣士の剣は、再び朝食の時間を忘れさせるほど快音を響き渡らせた。
グレイが差し出したタオルで汗を拭きながら広い庭を歩き屋敷に戻る道の途中、グレイが参ったといった風に言ってくる。
「うーん、今日はちょっと押されてたな。昨日は互角だったのに...」
そうやって、少し考え込むような仕草をとるグレイに少し罪悪感を覚える。
今日グレイが押され気味だったのはある意味当然なのだ。いや、俺が強いからとかいう自慢みたいな話じゃなくてな。
この二日目の朝稽古は”俺だけ二回目”なので、ぼんやりとだがグレイが繰り出してくる剣劇の記憶を俺だけが持っているのだ。
それは言ってみれば、じゃんけんで相手が何を出すか事前にわかっているようなものだ。しかし、さすがと言うべきなのか俺がグレイの剣を読んで意表を突く攻撃を繰り出しても、グレイは少し驚いた顔をしながらも淡々と最善手を打ってくるのだ、見事と言う他ない。
「昨日の夜少し調子悪そうだったから心配したけど、今日は絶好調じゃないか。おかげでしてやられたけどね」
「あーあれは...」
またしても少し耳が痛い発言が飛び出し言葉を濁す。というのも、昨日の夜風呂から上がった後前回と同じように東棟の紹介があったのだが、前回の記憶があるため、修練場などを紹介されてもどう反応すればいいのか全く分からなくなってしまい「オオースゴイネ」やら「オドロイタ」だのと白々しい棒読みのリアクションをした所またしても心配させてしまったというわけである。
王都にいた時から思っていたのだが、俺は演技が下手すぎる。その大根役者っぷりと言えば友人に体調を気遣われてしまうレベルである。実に胸が痛い。
胸の中で二重の意味でグレイに謝りながら、雑談を交わしつつ朝食をとるため食堂に向かう。
(朝食が終わったら、アルカナかフランに相談してみるか...)
昨日風呂に入りながら思いついた案を実行するタイミングを考えていると、あっという間に食堂へとつながる扉の前についた。
グレイが扉を開けると、中にはエスメラルダがすでに座っており、ユキノが恭しく背筋を伸ばし他のメンバーの到着を待っていた。
おはよう、と俺が軽く挨拶すると、おはよう、おはようございます。と答えが返ってきたと同時にまだ閉めていないドアの向こうから、耳元に囁くように、おはよう。と声が返って来る。
驚いて、後ろを振り向くと屋敷の主アルカナが笑いをこらえるように立っていた。
...こいつ、絶対わざと気配消して近づいてきやがった。
なんだか、こいつにまじめな相談をするしかない自分にイラっとしていると、またしても乱れ始めた場をいつもの如くユキノが手を叩いて収める。
「朝食にしましょうか」
その侍女の鶴の一声で皆一様に席に着く。本当に誰が主人か分からないな!
「またフラン様は寝坊ですかね...」
食卓に朝食が並べられ始めると、フランがいつも座っている席が空席なのを見てユキノはもう慣れたっといったような口ぶりで呟く。
フランの分の朝食を並べなくていいとユキノが指示しようとする。
だが、
「フランは来るよ」
自分の呟いた言葉に気が付いて、ハッとして周りを見る。すると向かい合って座っているエスメラルダが不思議そうに尋ねて来る。
「どうしてそう思うの?ツヅミは屋敷に来てに日が浅いから知らないかもだけどフランが朝食に遅れずに来るなんてほとんどないのよ?あ!もし、フランを仲間外れにしたら可哀そうだとか考えてるなら多分大丈夫よ?」
いや、なんというか人を疑うということを基本知らないからだろうが、凄くずれたベクトルに会話が進んで逆にホッとする。
「いや、日ごろの行いのせいだとはわかってい居るんだが、まだ定時は過ぎていないはずだし、仲間外れを嘆きもしないよ?」
唐突に扉が開く音と共にそんな声が室内に響く。当然その理知的な声の持ち主は食事のもう一人の参加者、フランだ。
「どういう風の吹き回しだい?君が寝坊しないなんて」
「仲間外れを嘆かないとは言ったけど何を言われても動じないわけじゃあないんだよ?まあ、屋敷に客人というか新たなメンバーが来た時ぐらい、しっかりしたお姉さんで在りたいという見栄かな?」
アルカナの本気で驚いたというような質問に、フランはいつもより一層無表情になって答える。しかし、後半の内容に至っては残念ながらすでに昨日見ているし、数日勉強を見てもらったという諸事情からその辺の見栄張りは既に無意味なのだが。
「でも、ちょうどツヅミがフランは来ると思うって言ってたのよ?すごいわね、ツヅミ」
「はは...ありがと」
本気ですごいと念を送って来るエスメラルダに少し苦々しい笑みを浮かべている間にフランが席に着き、食事が始まる。そして、俺は黒髪の侍女が俺を訝しむような眼で見ていたのに気づかなかった。気づけなかった。
「そうだ、今日からツヅミ君はユキノとフランに勉強を教えてもらうこと」
食事が終わり、解散の流れになったところでアルカナが言ってくる。これも、前回と同じ流れのため間髪入れずに首肯するとアルカナは満足げに頷くと
「じゃあ、朝はユキノに頼むよ?厳しくして良いからね」
「かしこまりました」
「いや、かしこまらなくていいから」
またしても、余計なことを言うアルカナと一瞬でそれを承諾するユキノに突っ込む。すると、ユキノがそれを華麗にスルーし足早に
「行きましょう、お客様。まずは図書館に行きましょう。あそこなら大抵の資料が揃ってますから」
そう言って、部屋を出ていこうとするが俺にはまだ大切な用事が残っている。
「すまねえ、先に行っててくれないか?ちょっとアルカナとフランに話があるんだ」
そうやって上座に座るアルカナと相変わらず本を読んでいるフランの方を指さして言うと二人も不思議そうな顔をし、ユキノも一瞬疑問の濃い顔をする。
「...わかりました。出来るだけ早くしてくださいね」
しかし、俺の顔から何かを察してくれたのか気まぐれかは分からないが、疑問の表情を消し図書館のほうに歩いて行った。
「えっと、僕たちも邪魔だったりする?」
そうして、グレイとエスメラルダも自分を指さし聞いてくる。それに、おずおずと首肯すると二人は何の文句も言わず足早に立ち去ってくれる。その後姿に心遣いへの感謝の念を送る。
別に聞いてくれてもいいのだが、あの二人にこれ以上心配事を増やすのは気が進まなかった。
「...で?何用かな?」
俺の表情で感じ取ったのかアルカナが幾分か真剣な顔を作り、組んだ両肘をテーブルに置いてついて聞いてくる。
「いや、少し質問なんだけど」
俺は、一つ息を吸い吐くと疑問をぶつける。
「...時を遡ったりできる魔法に心当たりはあるか?」
その疑問を表に出した瞬間、アルカナとフランの二人の眉がピクリと動く。そして少しの沈黙の後、フランが静かな声で答える。
「どういう意図の質問かは分からないけど、これだけは明言できる。そんな魔法はない」
「そもそも魔法は万能じゃあない。強大な魔法を使うにはそれなりのリスクを伴うし、よりにもよって世界に影響を及ぼす時間を操る魔法なんて聞いたこともない」
「そうか...」
アルカナやフランですら心当たりすらない。その現実に少し落胆する。
「落ち込んでるところ悪いんだけど、質問の意図を聞いてもいいのかな?」
ただ単純に不思議そうに、そんな唐突な質問の意図を追及してくるアルカナ。俺はその眼を見据えてもう一度息を吸い、あの絶望を言葉に出す。
いや、正確には出そうとした、なのだろうか?
「俺は、一度この屋敷で三日間過ごして昨日に巻き戻って...」
その瞬間、俺の意識が急に遠のいていくような感覚がして急速に瞼が閉じていき光を失くす。必死に抗おうとするが、悪魔はそれを微塵も許してくれない。
とうとう、視界から光が完全に消える。そして俺の耳には、俺に駆け寄って来るフランとアルカナの足音と呼びかける声だけが届いていた。
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「...で?何用かな?」
次に瞼が開き、視界が光をとらえた瞬間、目の前にはテーブルに肘をつくアルカナの姿が映っていた。
俺の耳元で、悪魔が「そう上手く行かせはしない」と囁いているような気がした。