Σ01010-003
「――シグ。
シグ。起きなさい。」
スリープからの覚醒を促す声が聞こえ、私の意識が動き出す。
時間が短かったせいか夢を見る事はなかった。
視界に入る景色から、すぐに状況を思い出して声の方へと向き直る。
「……おはようございます。カッパさん。」
「はい。おはよう。
修理は終了したから、感覚を通常に戻して違和感が無いか確認してくれるかな?」
私は上半身を起こし、未だ下着姿の下半身を見る。
右足の小さな傷は跡形もなく消えていた。
傷が治ったことよりも下着姿のままの自分に早く診察を終わらせたい気持ちが働き、すぐに右足の感覚を正常に戻して確認を始める。
「違和感はありません。
完璧です。治療を有難うございました。カッパさん。」
「そう。それは良かった。
切除した皮膚片を見たところ、これは数日経っているようだね。」
「うっ。」
「シグは病院を嫌う傾向があることは理解しているけれど、些細な怪我であれ、あまり放置はしないように。
報告・確認だけならΔタイプに見せるだけでも状態の確認はできるのだから。」
「はーい……
そろそろジーンズ履いていいですか?」
「あぁ、いいよ。」
きちんと折りたたまれたジーンズに手を伸ばして広げる。
ジーンズの中に足を通し厚手の布地と私の皮膚が擦れる感触を感じ、それが羞恥から解放される喜びのようにも思えた。
ただ、それすらも観察しているような視線を感じ、小さく息を吐く。
「あまり……見ないでくれます。カッパさん。」
「ふむ。君がスカート以外を履いている姿が珍しくてね。」
「今日はそういう日なんです。」
少し不貞腐れながら返答すると、カッパさんはクスリと笑う。
「やはりΣタイプは我々とは違うね。」
「いーえ。Κさんが服に無頓着すぎるだけだと思います!
クロさんや、パイさん。クシーだって着る物にはこだわってるんですから、もっと気分を大事にしたらどうですか?」
「はっはっは。必要になったらそうしよう。」
「んもう。その返答は変える気ないって事でしょう!」
笑うカッパさんに悪態をついてみたことで、なんとなく感じていた羞恥が霧散していく。
治療もお説教も終わったのでカッパさんにお礼を言って診察室を出て、受付のΔタイプさんに、これから帰ることを伝えて駐車場へと向かう。
ふと空を見上げると、青の色が濃くなっているような気がした。
駐車場から見える地平線に、ようやく雲の姿があり、その雲の白色がより一層コントラストを強めている。
「いい天気……」
気になっていた怪我がなくなったことで気分もスッキリとした私は、風になびく髪を耳にかけながら、なんとなく嬉しい気持ちになるのだった。
--*--*--
「ただいまー。」
「おかえりなさい。シグ。
水は汲めましたか?」
ガレージに車を入れて降りるとΔ321684sさんが出迎えてくれた。
「はい。無事に手に入りました。
シロさんに少し揶揄われてしまいましたけれどもね。」
苦笑いをしながらポリタンクをΔ321684sさんへ渡す。
「こちらの水は冷蔵保存しますか?」
「ん~? 湧き水ってどうなんでしょうね? 一応冷蔵庫で保存してもらえますか?」
「わかりました。」
Δ321684sさんは一階にあるキッチンへと向かっていった。
私は2階の自室へと戻り、自分の部屋に帰ってきた安心感に満たされながらベッドに横になる。
私が出かけている間にΔ321684sさんが整えてくれたであろうベッドシーツに新しいシワを生み出しながら今日あったことをゆっくりと思い返してみる。
振り返っていると、そういえば湧き水を汲みに行ったのに未だ、その味を確認していないことを思い出す。そしてついでに今日着ることができていなかったワンピースを着たい気持ちも思い出した。
私はベッドから勢いよく降り、ドアを開いて階下のΔ321684sさんに聞こえるように声を発する。
「すみませーん。汲んできたお水なんですけど、一杯だけコップに入れておいてもらえますか?」
Δ321684sさんの返答は聞こえないけれど、これまでの経験から間違いなく伝わっているので、そのまま私は部屋に戻りクローゼットを開く。
やはり今日もワンピースの日。
このまま着ずに終わらせるのはもったいない。
ワンピースへと着替えた私はジーンズとブラウスを持って1階へと降りると、Δ321684sさんが声をかけてきた。
「またお出かけですか? シグ。」
「いいえ。今日はもう出かけません。」
「そうですか。」
今日着たジーンズとブラウスをΔ321684sさんへ渡すと作業へと戻ってゆく。
私は台所へと向かうと小さなガラスのコップに私が汲んできたであろう水が満たされていた。
冷えていないから水滴もなく、じっくりと見る事の出来るその無色透明な色を見つめていると今日の冒険が思い起こされる気がした。台所で思い出してしまうのがもったいない気がしたので、そのままコップを手に取り急ぎ足で2階へと戻って大窓を開けベランダへと出る。
出たついでに干しているドクダミに触れてみると朝よりずっと乾燥しているように思えた。
「明日は、もう炒ってみてもいいかもしれないね。」
お茶づくりのクライマックスが近づいている事を嬉しく感じながらベランダの手すりに肘をおき、太陽の位置が変わった空を眺める。
きっと明日もいい天気になるだろう。
燦々と輝く太陽の光をガラスのコップ越しに見てみる。
太陽の光を通す水は、不思議とキッチンで見た時よりも綺麗に見えた。
コップを口に当てて一口だけ、ゆっくりと水を飲む。
温いけれど、水道から出てくる水よりも優しい味のような気がした。
明日。お茶へと変化したら、この湧き水の味がどう変わるだろうか。
両肘を手すりに乗せ、もう一口、口に含み。
今日の冒険を思い返しながら、ゆっくりと味わう。
夏の風が頬とスカートを優しく撫でてゆく。
私は風と喉を過ぎる水に、今日という日が、また、いい日だったと満足し、静かに微笑むのだった。