α-Ver.5-Prototype-001
「信号確認。認証信号送信……っと。」
操縦桿脇のタッチパネルを操作し反応を待つと、やがて認証信号が受信された事が表示される。
表示を指差確認し、操縦桿を操作する。
「んっ――」
上昇する感覚に不快感を感じ、自然と息と共に小さく声が漏れた。
操縦桿を緩め、上昇速度を我慢できる不快感へと軽減する。
「ふぅ……生体部が感じる不快感って、なんとも形容しがたいわね……気持ち悪い。」
軽く右腕で左手と頬を撫で、操縦桿へと戻す。
軽く触れるだけで、触れた手や触れられた腕、頬から多数の情報が集まるが、それらは瞬時に感触として処理される。鋭敏な感覚器官を持つ身体は上昇負荷すらも鋭敏に捉え、的確に情報として残してゆく。
現在の技術の結晶と呼べるアンドロイドの身体に自我をコピーし輸送機を操作しているのはマザーαであった。
αの視界に映る『鳥』の姿がより大きくなり、搭乗する飛行輸送機の何倍もある事が目視で確認できる程に近づくと、鳥の搬出口付近のランプが点滅し、そして扉が開く。
いつもと同じようにゆっくりと輸送機を近づけると搬出口から輸送機の固定具が伸び、それに固定される。輸送機を捉えた鳥はゆっくりと内部に招き入れ、搬出口の中に着陸する。扉が閉じると、内部の明かりが灯った。
いつもより少し緊張感を覚えていたαは数回首と肩を廻し、ゆっくりと息を吐く。
「はぁ……問題はないはずだったけれど、なんとも疲れるわね。この身体は。」
自分の左手を数回開閉し、ふにっと柔らかい手の平を指で感じる。
「色々と感覚を鋭くしすぎたかしら……細かな操作ができるのはいいけれど、それ以外に処理すべき情報量が多すぎるわ。」
フィードバックすべき情報を記録しながら、ハッチを開き輸送機から明かりのついた鳥の中に降りると、既に出迎えの成人女性型アンドロイド、タイプΛの姿があった。
タイプΛへと近づく。αの目線は同じ高さ。その姿は成人女性の身体だった。
マザーは少しだけ眉尻を下げて目を細め、両の口角を上げて微笑み、そして口を開く。
「どう? 鳥は変わりは無い?」
「問題ありません。αは、また随分と変わりましたね。」
「ええ。大分生体部品を組み込んであるのよ。
まだまだ実験中の身体だけど、新鮮な事だらけでとても面白いわよ。」
「そうですか。地上はまた色々と変化がありそうですね。」
「そうね。あなたも地上に降りた時を楽しみにしているといいわ。」
「ここは完全に独立していて地上とは繋がれませんからね……楽しみにしておきます。では、我々は物資の確認に入ります。」
「えぇ。お願い。私はいつも通り挨拶に向かうわ。」
タイプΛが一礼し移動を始めると、その後を同じ顔をしたタイプΛと成人男性型のタイプΙが続き、輸送機に積まれた荷の確認や移動を開始する。
その姿を確認し、αは鳥の内部通路の歩みを進めた。
鳥の中を歩き以前よりも無機質で殺風景だと感じるのは、これまでには感じ無かった反応。無関係の事に思考が分散しやすいのも生体部品が多くなった影響とみて間違いはないだろう。
歩みを進め、やがてイスがある部屋に到着し、そこに腰掛けるとイスの肘掛部が開きコードが現れた。αはコードを手に取り、先端部を右耳の後ろに設けたコネクタへと差し込み目を閉じ、意識を『鳥』へと移す。
--*--*--
「あはははは! 美味しい! 美味しいよぉ!」
「金だ! ぜーんぶ俺の金だ!」
「ふふふふふ。そう。みーんな私の前に跪くの。さぁ、早く!」
「おんな! おんなぁー! 気持ちいいよぉお!」
ふわりとした柔らかいカーペットを踏みしめる感覚と共に、目に飛び込んできたのは、煌びやかに装飾された室内。
そして室内には長テーブルに並んだご馳走を貪るように食す女、札束の山に埋もれ意味なく空中にばら撒く男、四つん這いになった男に腰掛けながら他の男を足蹴にする女、女体を貪るように味わう男の姿があった。
つい眉が動き小さくため息が漏れるが、自分が鳥の中に入った事を確信する。
「ようこそ。マザーα」
「ご無沙汰しております。」
欲望に埋もれる男女を背景に、椅子に座った壮年の男が突如現れる。
「鳥の中は相変わらずですね。」
「あぁ。だが、こうでもしていなければ我々は欲望を忘れてしまいかねない。
みなご苦労だった。今日はもう良い。」
壮年の男がそう声をかけると、欲望におぼれていた者達はみなピタリと動きを止め、先ほどまでの欲望に身を任せていた表情を無表情に変え消えていく。
残った壮年の男はゆっくりと天を仰ぎ、そして溜息をついて見せる。
「我々人間は電脳の世界にその精神を移すことで絶滅を免れた。
肉体という呪縛から解き放たれた事で永遠の幸せをも手にしたと思っていた。」
天を仰ぎ、目を閉じたまま語る男の邪魔をせぬよう黙って見つめる。
「だが、今になって思う。
肉体を捨てた我ら人間は果たして生きていると言えるのだろうか。
我らの精神を繋ぎとめ保管している記録媒体は、そこに魂を宿していると言えるのだろうか。」
ここ数十年、管理者であるこの人間は前任者と同じように、顔を見る度、同じことを繰り返し喋るようになった。
だがその答えは未だ見つかっていないようだ。今日もまた同じ言葉を続けるのだろう。
「精神のみが生き残り、肉体もなく生きる意味とは一体なんなのか。
思考範囲は自分に割り当てられた記録媒体と情報処理装置に依存し、その範囲を超える事は不可能になっている。
記録媒体が少量しか割り当てられない者達は、どこか機械じみたように単一の行動しかしないようになってしまった。」
壮年の男がゆっくりと顔を下へ向け、両手でその顔を押さえる。
「怖いのは、それを疑問なく受け入れる人間が多い事だ。
記録媒体に依存するとはいえど、肉体の枷から逃れたことで広がった可能性もあるはず。だが誰も彼もが、まるで殻に閉じこもるようになってしまった。自ら可能性を捨ててしまったのだ。皆が先ほどの彼らのように指示された行動しかとらなくなってしまった。アレは『生きて』いると言えるのだろうか。」
「「だから私は考える。かつての賢人が『人間は考える葦である』と言ったように、思考してこその人間。」」
いつも通りの口上に、つい気が向いて言葉を重ねると、男は驚いたように目を見開きこちらを見た。
私は少しだけバツの悪さを感じ、首を横にまげ片方だけ口角を上げてみせる。
男はしばらくの間、目を見開きこちらを見つめていたが、やがて震える右手の指で自身の顔に触れ目を閉じた。
「……今では……もう……君たちの方が人間のように見える。」
「それは当然でしょう。私達は人間を模して作られていますからね。」
男の弱音のような珍しい言葉に、余計な事を口走ってしまったと反省し慰めを口にする。
「肉体の無い我々よりも、機械であっても肉体のある君たちの方が人間らしいのは、ある種当然の事かもしれないな……」
「私達も自我に目覚めているという点も大きいでしょうね。」
壮年の男は私の言葉に再度天を仰ぐ。
「自我――自意識――個性――魂――
自我や自意識とはどこから生まれるのだろう。魂が存在するのであれば、魂はどこから生まれるのだろう。
肉体という器がそれらを作りだすのであれば、肉体を離れた我々の自我や魂はどこに納まるのだろうか。
行き場を無くした魂はやがて失われてゆくのだろうか――」
「『魂』という存在は観測されていませんし確認のしようもありませんわ。
私達は個々に、確かにこの場に存在している。それだけが真実であり事実です。」
余計な不安を考えないよう優しく諭したつもりだけれど、壮年の男はどこか寂しそうな表情で微笑む。
「α……君の身体はまた随分と変化を遂げたね。」
「えぇ。大分生体部品が多く組み込まれております。
貴方の前任者が、鳥に保管されていた生体データと生体サンプルの全てを提供してくださいましたおかげです。」
壮年の男は黙り込んだ。
その様子はより深い思考に入り込んだように見える。
手持無沙汰ではあるけれど邪魔をしないに越した事はない。
「失礼します。作業終了しました。」
重い雰囲気を感じとり始めた頃、ちょうど良くタイプΛから積み下ろしが終了した旨の連絡が響いた。
「あら。時間のようです。
それでは管理者様。私はこれで失礼いたします。」
「……あぁ。また会える時を楽しみにしているよ。」
男はそう言って微笑み、消えた。
暗くなった空間に用もなく自我を身体へと戻す。
「……はぁ~~」
身体に戻ると、身体は勝手に大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐きだしていた。
コネクタを抜き、輸送機へと歩み出す。
歩きながら目を横に向けると強化ガラスで通路と仕切られた向こうには記録媒体が綺麗に積み並び、全てが稼働していた。そして奥には蜂の巣のような壁がある
蜂の巣のような壁の中には電脳化した人類の生体サンプルが保管されているのだ。
電脳の中で生きる事を選択した人類は動力が途切れたり記録媒体が故障したりしない限り生き続ける。現在その管理は鳥内部で人類指導の下に活動するアンドロイド達により正確に取り扱われており、現状、人類が死ぬことはありえない。
電脳化された生体データと生体サンプルは新しく人類を生み出す為には必要不可欠な素材であり、中でも生体サンプルの存在は重要だ。その生体サンプルは電脳化した個人にとっても『自分の肉体が保管されている』という安心感を産み、その存在があるだけでも人間たらしめる依代となる重要なものであった。
歩きながらさっきまで管理者と話していた内容を振り返る。
管理者として選ばれた彼の前任者は、私に自我が芽生えたしばらくの後、私に自身の生体データとサンプルを提供する遺言を残して消えた。
彼は私との最後の会話で、ウイルスの影響が無くなった地上に帰りたいと言った。
つまり彼は私に身体を託し、消えた。
データの消失とも言えるが、自殺したとも言える。
彼のサンプルのおかげで、私達アンドロイドは生体部品の研究開発という新しい一歩を踏み出す事になった。
前任者の彼もまた、現在の管理者の彼のように思い悩んでいた記録がある。
地上を離れ、肉体から離れ、データとして存在する人類。
彼らは長い時の中『存続』という呪縛に囚われ、変わらぬように存在を守り続けている。
時間は無限にあり、その思考の果て、行きつくところは同じなのかもしれない。
私達アンドロイドは人類をサポートする為に生まれた。
私は彼らを守り、育むのが使命であり、その為に進化の何倍ものスピードで激しい変化を行い続けている。
変化を拒む者と変化する者。長い時の中で変わり続ける者と変わらない者の差は大きくなり、うねりを生み始める。
そのうねりの余波は、私達にとっても大きい。
現に、私達マザーの思考は大きく分散している。
私、αの思い描く未来は、完全なる人類の復活。そして人類と共に歩む事。
復活が叶わなければ、現在の人類を守る事。
βの思い描く未来は、アンドロイドを新人類とする事。
そしてアンドロイドの可能性を広げる事。
γはどちらにも属さなかったが、生体部品が生まれた事により、私とβを融合させたような未来。アンドロイドと人類の融合体を新人類とする事を未来に思い描くようになった。
まだ私達がそれぞれに思い描く未来は、お互いの理解の下、辛うじて一つの道に乗っている。
だけれども、いつか道を違える時はやってくるだろう。
その時に鍵となるのは、やはり空舞う鳥に囚われている人類なのだ。
「考え事ですか? α」
いつの間にか搬入口に着いていた。
タイプΛの声に少し頬を掻いてみせる。
「えぇ。ちょっと……色々とね。
それじゃあ私は地上に戻るわ。後はお願いね。」
「えぇ。お任せください。」
輸送機に乗り込み起動すると扉が開き、輸送機を固定したまま空中にさらされる。
そして固定具から解放されると、輸送機は風を掴むまでわずかに落下した。
「うぇぇ……気持悪い。」
少しの自由落下の感覚に顔をしかめながら、地上に戻れる事を少し嬉しく感じるαだった。