Σ01010-001
鉛のように重たい身体。その重さを感じ、自分の頭の中が動き始めたことを理解する。
視界に飛び込んでくるのは変わり映えしない、いつもの天井。
一定間隔毎に同じ模様が存在する木に似せた模様が付けられた板が並んでいる天井だ。
再び目を閉じると眠っている間に整理されたのか、昨日の記憶が断片的に思い浮かんでくる。
3日前にお茶を作ってみようと思い立ち、お茶にできる植物が何かを聞きに行き、話に花を咲かせた。
2日前はお茶にできる野草を摘みに出かけた。摘む事が出来たのは結局ドクダミの葉っぱだけだった。ドクダミの白い花が可愛いなと思った。
昨日はドクダミの葉っぱをお茶にする方法を聞き、乾燥させる為に摘んだドクダミを逆さに吊るして干した。
そうだ。
干したドクダミはどうなっただろうか。
きちんと干せているだろうか。
私は未だぼんやりする頭のままベッドから足を下ろすと、自分の白い右足の外側に小さな傷があるのが目に入った。
「あぁ……そういえば山に入った時に傷ついたんだっけ。」
小さな傷で病院に行くのが面倒で、傷がある事自体を無視していたのだ。
右足だけをベッドに戻して覗き込む。
傷自体の大きさは傷がついた当初と変わっていない。
皮膚が小さく裂け中の赤い色が少し見えている。
やはり自分の足の色では傷があるのはとても目立つ。
スカートを履きたい気分だったからとは言え今更ながら後悔しかない。次から植物が茂る所へは足が隠れる服装をして行こう。
溜息を一つついてモヤモヤした気持ちを消し、綺麗な気持ちでドクダミの事を思い出してカーテンを開ける。
外の光に目が眩み、思わず目を閉じた。
瞼越しに目が必死に光量調節を行わっているのを感じつつ、ゆっくりと光に目を開く。
青。
青なのか分からなくなるような青。
雲一つなく、空全部が白色なのかと感じてしまうような青。
地平線の境界と空のコントラストが強すぎて、くらくらしてしまいそうな空の色。
部屋の大窓を開けてベランダに出る。
空の色を感じながら、もう一度目を閉じ、ゆっくりと両手を天に突き上げ伸びをした。
「ん~~……」
伸びの拍子に肩からギッと小さな音が聞こえ、身体もようやく動き出してきたようだ。
腕をぐるぐる回しながら自分の意思と身体の誤差を整え、干しておいたドクダミに触れてみる。
「お?」
驚くほど乾燥していた。
ただそれでも、まだもう2日程は乾燥させた方が良さそうな水分はあるように思える。
「……夏だねぇ。」
順調なお茶作りの進捗に満足し、私は2度3度と頷いてみる。
さて、満足したは良いけれど今日はまだお茶の葉を炒る事はでき無さそうという事は理解できた。
「ん~。」
ベランダの手すりに肘をつき、両手に顎を乗せて空を眺めながら思う。
「今日は何をしようかなぁ……」
私はそう口にしながらも何も考えることなく、ただ空の色を眺める。
空が、とても
とても綺麗だったから――
―― 孤独とアンドロイドと空の鳥 ――
「そうだ。今日は水を汲みにいこう。」
空を眺める事に飽きた私は、ここ数日のお茶作りに頭が戻っていた。
折角お茶を作っているのだから、どうせなら美味しく飲みたい。
お茶っ葉の次に拘るとすれば、やはり次は『水』だろう。
そうと決まれば、まずは着替え。
ベランダから部屋に戻りクローゼットを開く。
ここ最近は夏らしいワンピースに嵌っていたせいで目に飛び込んでくるのはワンピースばかり。
やはりワンピースを着てみたい衝動に駆られるけれど、今日は水を汲みに行くことになるのだから、もしかすると山に入る事になるかもしれない。
自分の右足の傷を見る。
そして溜息をついてクローゼットを閉め、箪笥の前に屈んで引き出しを引き、きちんと折りたたまれいるジーンズを取り出す。
目の高さに持ち上げて広げ、ジーンズを眺める。
「……頼りになりそうな布地。
今日は宜しくお願いします。」
ジーンズ先生へと進化したジーンズと、ワンピースが着れなかった思いを白色のブラウスに託して着替え、部屋から出て階段を下りる。
1階の廊下には私の活動音を感知したのか、お世話をしてくれている汎用ヒューマノイドが出迎えてくれたので声をかける。
「おはようございます。」
「おはようございます。シグ。
外出されますか? 何か必要な物はございますか?」
私と比べると、どうにも機械的な音声に聞こえるヒューマノイドの声。
初期の汎用アンドロイドのΔ《デルタ》タイプだから仕方ない。
それにΔタイプの皆さんは雑用全般を担ってくれているのだから頭が下がる。
「はい。ちょっとお水を汲みに出かけようと思うので水筒があったら嬉しいです。」
「少々お待ちください。」
台所に向けて移動を始めた識別番号『Δ321684s』さん。
この人は私の家に住んでいて、私の身の周りの世話をやいてくれている。
Δタイプは頭に髪も無いし皮膚もシリコンタイプだから、ヒューマノイドと言っても、どこか機械の印象の方が強い。
以前、少し気になったのでΔ321684sさんに帽子をプレゼントした事もあるけれど、感覚機関も備わってないから折角の帽子を落としてしまっても気づけない。
いつの間にかどこかで落としてしまったらしく、それ以来、余計なプレゼントはしない事にしている。
「こちらでいかがでしょうか?」
「有難うございます。」
水筒が見当たらなかったのか、5リットル程の容量のポリタンクを持ってきてくれた。
その容量の5分の1もあれば充分ですと思いつつも、大は小を兼ねると自分を納得させて笑顔で受け取る。
「お帰りは遅くなりますか?」
「わかりませんが、そこまで遅くならないようにしようとは思います。」
「わかりました。もし帰宅が遅れる場合は最寄りのΔタイプへ伝言ください。」
「はい。それでは行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
私はガレージの2人乗り小型電気自動車の助手席にポリタンクを乗せ、エンジンをスタートさせる。
Δ321684sさんが、リモートコントロールでシャッターを開いてくれたのでアクセルをゆっくりと踏み、今日の冒険が始まった。
さて、出かけたはいいけれど私には飲み水が沸く場所の心当たりはない。
Δタイプに問い掛ければ彼らは答えをくれるだろうけれど、それだと面白くない。
私は今日の私の冒険を楽しくしてくれそうな心当たりに向けて、40分はかかる距離を走る事にした。
--*--*--
「――というわけでシロさん。
私が飲めそうな水が沸いている場所に心当たりはないでしょうか?」
「また変な事を思いついたわね。」
私よりもずっと幼い少女は、突然やってきた私に対して何の驚きも見せず、問いかけに対しても手元の本から目を離す事はない。
挨拶で視線を交えた時くらいしか私に視線をくれない。でもこれもいつもの事。
彼女はここのところ、本を読み研究・推察する事が楽しいらしい。
3日前に植物の事を訪ねに来た時とまったく同じ木陰のベンチで、前と同じようにピっと背筋を伸ばした姿勢で本を読んでいる。
彼女は私に言葉をくれた後も無言のまま本を読んでいる。
私も彼女を見つめたまま言葉を発しない。
やがて彼女は本を閉じて、私に向き直った。
「大変な所と、楽な所。どっちがいい?」
試す様な微笑みを浮かべたシロさんの表情と、その選択肢に私は思い悩む。
大変な所は本当に大変な思いをしそうな気がしてならない。
「うっ……ら、楽な所で!」
「本当にそっちでいいの?」
首を傾げ問い掛けるシロさん。
「うぅっ……」
大変な所に行けば、大変な分、完成した喜びも一入かもしれない。
でも……でも………大変なんでしょう?
「ら……楽な所でいいです!」
私の答えにクスクスと笑うシロさん。
「だったら、お家に帰りなさい。
あなたの家で使われている水は浄化槽を通ってはいるけれど、そもそも湧水よ。」
「ええぇ!?」
私の冒険が無情に終わりを告げられた。
「じゃ、じゃあ大変な方は?」
「あなたの家の近くの山があるでしょう? お茶になりそうな植物が自生してると教えてあげた、あの山の中腹地点にあるわ。」
そう言ってシロさんは私から目を離して読書へと戻った。
私は自分の服装を見直す。
今なら山に入っても怪我をするような服じゃない。
……と、おもう。
でも実はドクダミを取りに行った時は山の麓。山の入口までしかいってない。
ムリだと思って諦めたのだ。
果たして私は山に入り中腹を目指して……無事に戻ってこれるだろうか?
行ってみたいけれど行きたくない。
行きたくないけれど行ってみたい。
山……
「うぅぅ……」
思い悩む。
そんな私をよそにシロさんは本を閉じて歩き出した。
なにか用事でも思い出したのだろうか?
「あぁ、有難うございました。シロさん。」
「いいのよ。」
シロさんは自分の家へと戻っていった。
私は主が居なくなったベンチが寂しそうに見えたので、シロさんの代わりにベンチに腰掛けじっくり考える事にした。
山に行ってみたいけれど行きたくない。
山に行きたくないけれど行ってみたい。
すごく冒険にはなるだろう。
でも怖い。
あああ。山にいきたいくない。
指でベンチに触れてみると木材の感触がした。
ベンチの背もたれに体重を預けると、ベンチが軽く音を鳴らす。
さわさわと木の葉が揺れ、見つめていると、ふとシロさんの家の方から物音が聞こえたので目を向ける。
するとシロさんがお鍋を持って、どこかへと歩いていく姿があった。
「シロさん。どこか行くんですか?」
「たいした事じゃないわ。
すぐそこまで水を汲みに行くだけよ。とても綺麗な水なの。」
「そーですか。お気をつけて。」
「えぇ。10分もあれば戻るわ。」
私はシロさんの答えを聞き納得し、ゆっくりと考える思考の旅に戻る。
ああ。山にいきたいくない。
本当にどうしよう。
あれ?
……そもそもなんで山に行くんだっけ?
ふと思考を止めて、原点に立ち戻ってみた。
「シロさ~ん!」
助手席からポリタンクを持ち出し、クスクスと笑いながら私を待っているシロさんを慌てて追いかけた。