episode:008 庭園
ミライは機関部からさらに奥へと進んでいく。
そしてついに・・・
風の流れの中に、微かではあるが懐かしい香りがあった。
それは幼い頃の記憶。
公園で嗅いだことのある緑の匂い。
私はムーンノイドだった。
生まれた時から月の地下の居住区に住み、青い空、青い海は映像でしか知らない。
それらに憧れ、一度は地球に行ってみたいと思っていた。
しかし、その夢が敵う前に、否その夢を抱くはるか以前から、地球の環境は悪化の一途をたどり、既に地球人ですら青い空を見れない星へと変わり果てていた。
だから、私は青い空を知らない。
なので、私は青い海を知らない。
全てが手遅れだった。
全てが末期だった。
私には新天地へ赴くという選択肢以外に、何も残されていなかった。
暗闇に中を下へ下へと進む。
下から僅かに届く光のおかげで、何とか周囲の状況を確認することができた。
下るにつれて匂いはだんだんと強くなってきている。
どれだけ降りただろうか。
下へと下っていた道は直ぐに途切れてしまった。
しかし、巨大な管が横へとのびており、その先には明りを見つけることができた。
風も底から吹いてくる。
迷う必要はなかった。
私は、光の射す方向へとゆっくりと歩いてった。
管は唐突になくなった。
いや、なくなったのではない。管が下方へと向かっているのだ。
そしてーー
「・・・なに、ここは・・・」
「ここは、カルでアデスの中央部に当たります。
12区画の接合部に設置された共有スペースとして設計された部分です」
ミライの目の前には巨大な空間が広がっていた。
それは「巨大」と表現すべきか「広大」と表現すべきなのか。
上を見上げたが天井を確認することができなかった。
蒼穹の空。
そこにたなびく雲。
下を見下ろせば、かすんだ靄の下に、緑の・・大地。
正面を見れば、どこに果てがあるのか果てしなく続く大森林。
その中央部には、光る柱が見て取れた。
時折、鳥か獣の鳴き声が聞こえる。
「有機物循環施設の要、居住可能な惑星を発見した際に様々な状況下での実験を行えるように様々な自然環境を造りだしています」
私は言葉もないままに立ち尽くす。
今までの無機質な環境が一変してしまった。
「ここは、カルネアデス内に造られた疑似環境スペース通称「庭園」です」
夢にまで見た青い空を目の前にして、私ただただ立ち尽くす。
■レイリー散乱、ミー散乱
イギリスの物理学者レイリー卿が発見した現象。光の波長よりも小さいサイズの粒子による光の散乱。典型的な現象は気体中の散乱であり、空が青く見えるのはこのためである。
散乱は光の進行方向に最も強く、直角方向でその2分の1になる。日中の太陽は真上にあるので、上向きに空を見ている人間の目には最も光の散乱が強い状態となり、「青い空が見える」ということになる。ちなみに、光の波長と、空中に浮いている水滴やエアゾールなど粒の大きさがほとんど等しいときは、白くかすんだ状態となる。これがミー散乱と言われている。
雲が白く見えたり、大気汚染があると空が白っぽく見えるのはこのためだ。
カルネアデスの「庭園」において、太陽となる光源は天部に存在しない。このため空の青さは、地球の空よりも弱い。