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聖女の最期  作者: 梅子
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エリザベス――王妃にして英雄 4

「私は必死になって助けを乞うたわ。けれども、あの子は亡くなってしまった」

「……なんだか悲しいお話しね、母様」


 ――あれから、幾年月が流れただろう。

 末娘がそう涙声で言うのを、私は頷いて応えた。


「王女でありながら、神の愛娘――聖女として生まれてしまったばっかりに、あの子は大きな荷を負わされていた」


 両親にはその野望の為に利用され、姉からは自尊心を保つために憐れまれ。

 閉じ込められ、世の流れに翻弄され――今でもあの子を思い出すと、私の胸の奥には深い罪悪感がよみがえる。


「でも、なぜおば様は母様をお庇いになったの? 母様のことを大嫌いだとおっしゃっていたのでしょう?」

「さあ、わからない……。ただ、その後捕らえた王と王妃によると、あの子は自分の未来を決して誰にも言わなかったそうよ。夢の内容はいつも平穏なものであったと。自分の死、なんて印象深い出来事、夢で見なかったはずがない。それなのに、助けて欲しいとは、一度も言わなかったみたいね」

「……きっとおば様は、母様を守りたかったのね」


 私は、ふっと唇だけで笑った。


「そう思う?」

「だって夢のことを誰かに話してしまうと、母様たちはもっと大変な目に遭っていたかもしれないでしょう? それこそ、おば様を生かすために母様を早々に亡き者にしていたかも……。おば様は、何も言わないことでそれを防いでいたんじゃないかしら……」

「どうかしらね。答えはもう、わからないわ」


 私は首を振って、小さな娘の栗色の頭を撫でた。五人産んだ子どもの内、不思議なもので、末のこの娘だけがこの髪の色だった。

 ゆるく癖付いたその頭は、妹によく似ている。






 ――王位をかけたあの戦争は、私たちの勝利で終わった。


 無事に我が国の自治権を取り戻した夫は王となり、国政を治めている。時々、災害や飢饉に見舞われることはあるけれど、何とか乗り越えて今日までやってこれた。

 そろそろ私の故国のように、民衆が政治に関わるべき体制を作らねばならないと、日夜議論を尽くしている。


 戦争の末、私の父でもあった王と王妃は、捕らえて裁判にかけた。何とか処刑は免れたものの、幽閉生活を命じられた二人は、すでに病で没している。


 私自身も革命の成功後、英雄、功労者として祭り上げられた。おかげで夫とは、二年ほど別居生活を送らざるを得なかった。


 今、あの国は私の従兄弟に当たる者が王となり、民衆から選挙で選ばれたものを副王として、議会を開いている。貴族議会とは別に、身分を持たない平民からなる第二議会を作り、広くから声を拾い上げる政治体制を取っているそうだ。

 それはそれで軋轢はあるそうだが、世界でも類を見ない体制に、多くの国が注目している。巷では、「民主主義」なる思想が流行し、一部絶対王政国は神経を尖らせているという。


 おかげで私は、「民主主義の英雄」などと御大層な名で呼ばれることがあるそうだ。実際は、たった一人の女の子すらろくに救えなかった無力な女でしかないというのに。



 ――末娘がピアノの練習の為に退室すると、私は部屋に一人きりとなった。

 大きな窓からは、夕餉れの色を含んだ日差しがやわらかく差し込まれる。


 目を細めてそれを眺め、私は深く息をついた。

 あの子――フィオナのことを誰かにこうして話したのは、夫を除けば末娘がはじめてだ。

昼の読書を終えた娘は、何を聞いたのか、足早に私の元にやって来て、こう言った。


「聖女様が、私のおば様だったって本当?」


 そうして、請われるがままに話した。

 父の企み、離宮に閉じ込められた孤独な妹、浅はかで無力な私自身――。

 妹によく似た娘を相手に、ごまかすことはできなかった。ただ一つ、その結末を除いて。


 最後に私が叫んで助けを求め続けたことを話すと、娘はそっと涙ぐんでいた。

 そうして言った、あの言葉。


 ――きっとおば様は、母様を守りたかったのね。


 驚いてしまって、「わからないわ」などと答えてしまったが――。


 私は、書棚の奥にある、鍵付きの棚にそっと触れた。

 もう何年も開けていないここには、妹からの手紙が入っている。


 そう、フィオナは生きている。公的には戦乱のさなかに巻き込まれて亡くなったことになっているが、ちゃんと、生きているのだ。


 あの戦争で大きな傷を負ってしまった彼女は、何日間も生死の境をさまよった。

 それでも、何とかつないだ命を取り戻した彼女は、自身の未来を夢で見る、神の愛娘としての力を失っていた。もはや目覚めた妹は王女でもなく、聖女でもなかった。


 顔を合わせられたのはただ一度きり。目覚めたばかりの妹は衰弱しきっていて、話すことすらできず、私を弱弱しく見ていた。

 それからは、私自身が忙しかったこと、妹が面会を拒否したこともあって、気が付けばひと月、ふた月と時ばかりが流れ――冬から春へと季節が変わるころ、彼女は、突然姿を消した。彼女を診ていた、若い医者見習いと共に。


 ほうぼう手を尽くして探したのだが、見つからなかった。

 もっと大々的に探すことができればよかったのだが、フィオナのことは既に亡くなったものとして処理していた。でなければ、色々と都合が悪かったのだ。

 彼女が回復した後に別の名を与え、ただの貴族子女とした方がいい。

 そう思って処理したことが、裏目に出てしまった。既に死んでいる者を、多くの者に探らせる訳にはいかない。


 フィオナは行方不明のまま、月日は過ぎゆき――私が、三人目の子どもを妊娠した頃。

 一通の手紙が、届けられた。


 便せんにしてたったの一枚。送り主の名前すらなく、私の手元に届いたのは奇跡のようなものだった。

 ただ、字を見れば察する。文体を読めば、わかる。


 大好きな妹。不憫で、私が幸せにしたかった、小さな妹。

 これは、彼女から届けられたものだと。


 そこにしたためられたのは、淡々としたもので。あの時フィオナ自身が何を思っていたのか、私のことについてなどは何一つ触れられていない。

 それでも、私にとっては涙が出るほどうれしかった。


 結局、彼女は、あの医者見習いとは一緒になったらしい。元々駆け落ちまがいのことをするつもりは毛頭なく、成り行きと、その場の勢いで逃げ出し、旅に出たのだと。

 二人のことはこのまま放っておいてほしいこと、最早一生関わることはないだろうということが、最後に書かれていた。


 実際、あれからまた既に十年以上の時が流れたけれど、手紙はこの一枚きり。二度と、新たな報せが届くことはないだろう。


 それでもいい、と思えるようになるまで、三年近くかかった。妹ももうとっくに大人の女性になったのだから、もう大丈夫だ。いつまでも面影を求めても仕方がないと。


 実際、最初の頃はあれだけ眺めていた手紙も、もう何年も読んでいない。引き出しの鍵がさび付いていないか、少し心配になるほどだ。

 今も、こうして棚に触れるだけで、実際に手に取ることはないだろう。



 ――締めた扉の向こうから、つたない娘のピアノの音がこぼれてくる。

 それを聞きながら、私はそっと唇をほころばせた。


 愛しき子たち――。

 夫と彼らを愛し、愛され、私はこの上なく幸せだ。


 私たち姉妹も、こんな形ではあるけれど、奥底ではずっとつながっている。

 それが、私のたどり着いた答え。




 ――愛しき妹。ただ健やかで、幸せであることを信じている。

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