エリザベス――王妃にして英雄 3
「エリザベス!」
離宮へ向かい走る私の向こうに、妹の影が見えた。必死になって走っている。
最後に見た彼女は、十二歳。まだ小さく、華奢で――比べると、記憶にある姿より、手も足も伸びて、成長していた。
けれども遠目に見た彼女は、どこかやつれているようにも見える。目は落ちくぼみ、疲れ切った様子が顔に浮かんでいた。
父王と、私たちが引き起こしたこの内乱が、十四歳の子に、大きな心労をかけたのだろう。どうしようもない申し訳なさと、必ず幸福な未来をささげるという思いが胸に一層つのる。
――彼女を視界にとらえた私は、もうそれだけでいっぱいになってしまった。
「フィオナ!」
足を止める。
とにかく、無事だった、良かった、これでもう大丈夫だ――。頭の中にはそれしかなくて、彼女を抱きしめたいと、そう思いすらした。
自分の背後のことなど、まるで見えていなかったのだ。
「ばか!」
フィオナは、息を切らしながら走り、必死になって手を伸ばしていた。そのまま、私の肩をつかんで横倒しにする。
「――――っ!!」
私は冷たい地面に転がり、訳も分からないまま、声にもならない悲鳴を耳にとらえた。
驚きフィオナを見ると――彼女は、苦悶の表情を浮かべながら背を丸めていて。そのお腹には、剣が突き刺さっていた。
王の兵士が、青ざめた顔をして、剣を握っている。
「フィオナ!!」
立ち上がり、叫ぶ。
フィオナは地面に崩れ落ちた。剣が抜かれ、血が彼女のドレスを染めていく。
「貴様!!」
私は呆然と立ち尽くす兵士へ刃を突き立てた。
兵士はぶるぶると青ざめたまま、私に剣を払われて肩を突かれた。そのまま、「違う、私では……」などと口にしながら逃げていく。
私もその後は追わず、剣を血に濡らしたまま振り返った。
そこにはやはり、苦しむ妹が冷たい床畳みに倒れていて。
私に駆けよる、焦った彼女の表情がよみがえる。
今更ながら私は妹に――護るべき存在に庇われ、傷つけてしまったのだと、気づいた。
呆然と、彼女に向かい歩を進める。
剣を抜かれ、完全に開かれた傷から、どんどんと血が流れていた。
愛する妹。苦しいのだろう、眉間に皺をよせながらも、虚ろな目をしている。
――嘘だ、嘘……フィオナ……。
私は全身から力が抜けた。
剣は滑り落ち、膝が折れる。
触れようと思っても、怖くてできない。
なぜ、どうしてこんなことに――――。
「エ……リザ、ベス……」
フィオナの声は弱弱しく、今にも風に流されてしまいそうだった。
ただ膝をつき呆然とする私に、ゆっくりと手が伸ばされる。
私はとっさに、彼女の手をつかんだ。けれども、それを振り払うようにして、妹の冷たい手が私の手首を握る。
彼女の指先には、その細さからは想像もできないほどの力が込められていた。
「あなたなんて、だいきらいよ――――」
ぽつりと呟かれたのは、聞きなれた言葉。昔、私と顔を合わせるたびに、彼女はそう言った。
はじめてのときこそ傷ついたけれど、半年が経つ頃にはもう慣れていた。そう言いつつも、彼女は私を完全に遠ざけたりはしなかったからだ。
嫌われていても、無関心に壁を作られる方がずっと辛い。フィオナは生身の感情をぶつけてくれる。あの頃の私にとっては、それだけでよかった。
でも、この「だいきらい」は――……胸がえぐられるように痛い。
フィオナが、ふっと微笑む。
「ざまあみろ」
もはや音にはならなかったが、彼女の唇は確かにそう言った。
どこからか飛んできた雪が、彼女の頬を涙のように伝う。
そのまま、フィオナは――眠るように、瞳を閉じた。
私の手首をつかむ手から、するすると、力が抜けていく。
落ちそうになるそれを、私は必死に捕まえた。
――だめ、だめだ。眠ってしまってはだめ。
「フィオナ! フィオナ!! 目を開けてフィオナ!!!」」
手を握り締める。
もう片方の手で、必死になって傷口を押さえた。なにをぼーっとしていたのだろう。早くこうしなければならなかったのに!
どうしよう、他に何をすればいい。
息がうまく吸えない。
どうすればいいの。
「フィオナ、フィオナ、フィオナ!」
私は狂ったようにフィオナの名を呼び続けた。
出てくる声は上ずり、最早何を言っているのか自分でも聞き取れない。
「エリザベス様!!」
後方から私の名を呼ぶ声がする。
頭だけで振り返ると、兵の捕縛を任せていた騎士たちだった。
「助けて!!」
私は、無意識のうちに涙交じりに叫んでいた。
「この子を、助けて!!! お願い、誰でもいいから――!!!」