エリザベス――王妃にして英雄 2
開戦の幕開けは、想定よりも早い宵時だった。
きっかけはこちらが投げた石一つだが、ふくれあがった不安を爆発させるのには十分だ。最早兵士でもない民衆を止める術はない。
私は剣を抜き、砲の合図をした。
城壁に向かい、幾度も発砲する。銃の打ち合いも激しかった。
相手が立てこもっているとなれば、攻める側は圧倒的に不利だ。しかし、数の利ではこちらが勝る。
大砲の音を絶やすわけにはいかない。それは、士気に関わることだ。
「砲台を狙え! 敵に撃たせるな!!」
宵闇の中、無茶な指示であることは承知している。
それでもやがて、爆音を飛ばす内に、少しずつ敵の発砲が緩やかになった。
暁は近い。
最早私たちの勝利は揺るぎないだろう。油断は禁物だが。
「物資は気にするな! 畳み込め!」
「エリザベス――」
絶えず檄を飛ばし続ける私の肩を、ぽんと夫が叩いた。
夫の、暗闇に溶け込む灰色の瞳が鋭く細められる。
「第九部隊が不審な馬車を発見したとのことだ。おそらく、立場ある者の逃亡のためだろうと」
「そう、想定通りね」
今やこの国は王侯貴族にとって危険なところだ。逃げ出す者もいよう。
それを見越して、一部部隊を城下外れの森に回していた。
夫の報告に、私はため息を吐いた。
「馬車の主は? 貴族?」
「捉えた御車はアトリー子爵の従者と名乗ったそうだが……知っているか?」
「アトリー子爵……聞いたことがないわね」
そう答えると、夫は更に眉間のしわを深くした。
「実は、少しきな臭い報告も受けている。その馬車だが、森の中で傭兵が幾人か囲んでいたそうだ。私服ではあったが、動き自体は洗練されていて、まるで兵士の様だったと」
「……もしかしたら、父――王と王妃が用意したのかも」
「その可能性は考えられる」
もしそうなら、呆れてしまう。
王が玉座を放り投げて逃亡を謀るなど、前代未聞だ。けれども、あの人たちならばそれもやりかねない……。
少し頭を押さえると、夫の大きな手が、再び私の肩に触れた。
「分かっているとは思うが、気を付けろ。王に逃げられればことだ。信用できる者の中で、王の顔をよく知るのはお前しかいない」
「そうね……。――王が逃亡するとすれば、開城の混乱に乗じて、かな。誰一人逃がさないよう、目を光らせておいて」
そう言うと、今度は夫がため息を吐いた。
「……やはり、お前自ら切り込んでいくつもりか? もう戦況は決した。英雄は必要ない」
「いいえ、まだよ。あの子を――フィオナを助けるまで、私の戦は終わらない。覚悟は当の昔にすましている」
「聖女様、か。お前はいつもそれだな」
当然だ。
最早、父たちの敗北は揺るぎない。目的の半分は果たされた。後もう半分――妹を救い出すことが、今の私のすべてだった。
夫も、私の思いは理解してくれている。二人で、よくよく話し合って決めたことだ。
じっと、その灰色の瞳を見上げると、彼は観念した様に大きく一度目を閉じた。
「わかった――。俺からはもはや何も言うまい」
「うん、ありがとう。――絶対に、救い出すわ」
私は、剣を握る手にぐっと力を込めた。
あの子は、まだたったの十四歳。もっと色んなものを見て、感じて、生きてほしい。恋をして、幸せになる権利もあるはずだ。
そのために、私自身のものならなんだって、投げ打つ覚悟は出来ている。
「俺がここから動く訳にはいかない。もはやお前を守ることはかなわん。……死ぬなよ」
「……ええ」
私はゆっくりとうなずいた。
夫を愛している。ともに苦難を乗り越えた、唯一無二の存在だ。夫が王位を取り戻した暁には、王妃として、子を産み育て、寄り添って生きていきたい。
けれど、妹を救い出すために私の命が必要ならきっと――躊躇わない。
忘れられた王女時代、妹だけが私を姉と呼び、慕ってくれた。私の未来を知って、泣いてくれた。
妹がいなければ、きっと私は孤独の中で絶望していだろう。
私は妹に依存していた。嫌われてしまって当然だ。でも、どんなに嫌いだとののしられようと、私には妹が可愛く、不憫で仕方がなかった。
もしかしたら、そう思うことで私は自分という存在を守っていたのかもしれない。妹がかわいそうであることが、私と彼女の接点と言えた。
そうでなければ、私はもっと卑屈になっていたかもしれないし、妹は私のことを構いもしなかっただろう。
私たち姉妹は、歪んでいた。今になってそう思う。
私は苦笑して、まっすぐ前を見据えた。
――歪んでいようがなんだろうが、私はあの子を愛さずにはいられないのだ。
白旗を掲げ、ゆっくりと城門が開く。兵士たちは戦意を失い、投降した。
「無抵抗の者は縛って捕虜に! 第一から第四隊は私と共に中へ! 王を捕まえます!!」
私は抜き身の剣を片手に駆けた。
兵の半分は王宮へ、半分は捕虜の確保へ。私を含めた数名で、妹が住む離宮を押さえに走る。
途中、何名か襲ってくる者たちがいたが、何とか切り抜ける。捕縛を任せて、私ははやる気持ちを抑えきれずに一人走った。
離宮は、もう目と鼻の先だった。