エリザベス――王妃にして英雄 1
私には、かつて妹がいた。五歳も年下の、かわいい少女だ。
王女でありながら神の愛娘として生まれた妹は、幼い頃から実の父母に幽閉される生活を余儀なくされていた。
十歳くらいまでの私は、よくその離宮に忍び込んでは妹とあれこれあそんだものだ。当時は、離宮の警備もそれほど厳重ではなく、父も私たちのことへは無関心を貫いていた。
その頃の妹の夢はまだ他愛もないものばかりで、三ヶ月後に出版される童話がとてもおもしろいだとか、明日のおやつは大好きなデザートがつくだとか、そんなことばかり。
父の興味をくすぐるものではなかったのだろう。
転機が訪れたのは、妹がちょうど六歳になる頃。
雨が一層に降りしきる季節のことだった。
妹は、その日に見た夢を泣きながら訴えた。
「ねえさまが、お嫁に行ってしまうの。それで、フィオナに最後のご挨拶をしにいらしたのよ」
私が隣国の王子に嫁ぐこと。木に登って会いに行ったこと。けれども妹はとても冷たく対応したこと――脈絡はなかったが、そんな話しだった。
「私ったら、本当にひどいことを言ってしまうの。でもね、姉様が来るってわかっていたから、その日はお昼の内から近衛の人たちに命令して、姉様が見つからないよう、ちゃんとお庭から遠ざけていたのよ。きっと、本当は姉様とお話しがしたかったの」
最後に妹は、ぎゅっと私に抱き着き、こう言った。
「だから、私を嫌いにならないでね」
その姿に、心打たれない者がいようか。私は精一杯優しく、妹を抱きしめた。何を言われても、妹のことだけは決して嫌いにならないと、約束した。
ただ、私にとっても父である時の王は、幼い妹が話す夢に、愚かな野望を持ってしまった。
否――正確には、妹を離宮に閉じ込めたときにはもう企みはあった。それをようやく現実のもにできるのだと、そう感じたのだろう。
その頃から父は私と妹の接触を制限し、姉妹が顔を合わせることはほとんどなくなった。
妹の夢には、未来が映る。未来の妹自身が経験したり、見たりしたものの中で、特に印象深いことが夢に出てくるのだ。
悪用しようと思えば、幾らでも道はある。だからこそ、神の愛娘は本来、教皇猊下のおひざ元で、中立的な立場に置かれるのだ。妹がたまたま王女であったのが、すべての不幸の根源だったのかもしれない。
二月後、どうにか妹に会うと、彼女はまた翡翠の瞳に透明な涙を溜めて、ぽろぽろと零した。
「姉様、ごめんなさい」
「でも、私がいい子でたくさん夢を見たら、姉様にひどいことはしないってお約束したから、大丈夫よ」
どういう意味なのか、幾ら問いかけても決して教えてくれなかった。今なら、わかる。
妹は、ただ父に自分が見た夢を話した。それだけだ。それだけのことが、大きな意味を持ってしまった。
私は、十七歳になるとすぐに隣国の王子の元へ嫁がされた。昔、妹の夢から聞いていたので、わかっていたことだった。うまくやっていこうとも思っていた。
けれども、それから三カ月が経った頃――私は殺されかけた。父が、暗殺者を放ったのだ。
夫と共になんとかその場を逃げたのだが、待っていたのは父が私の死を建前に、国へ戦争を仕掛けたという報せ。
父は戦争の勝利を確信していた。妹の夢を聞いていたからだ。
あの時の“ごめんなさい”は、父に夢の話しをしてしまったが故に、私が大変な目に合うのだと、気づいたから。
“いい子でたくさん夢を見たら”は、未来を変えようと妹なりに考えた末の答えだったのだろう。父の嘘を、信じ込んでしまったのだ。
幼く、それ故に愚かだった妹。
私は、ますます彼女が不憫に思えた。同時に、自分自身の意気地の無さに嫌気がさした。
父母に囚われていると知りながら、私は、そこから妹を連れ出すことを諦めていたのだ。
結婚を言い訳に国を離れた。それは、妹見捨てる行為に他ならない。
けれどももう見て見ぬふりは出来ない。
戦争に負け、父に命まで利用され、私の手元に残ったのは夫と数名の騎士との絆のみだ。
ただ、おめおめと逃げ隠れはしない。国を奪還し、妹を必ず助け出す。私は、そう心に誓った。
私たちは幾度かの衝突を繰り返しながらも、旧王家に忠誠を誓う貴族や、同盟国に密書を送ってひそかに連絡を取り合った。
私の決意は固かった。
父たちの失脚と、戦勝国として父が握っている我が国の自治権を取り戻す。そして、妹を解放する――。
その為に、念密な計画が必要だった。
けれども、その過程で問題となったのが、当の妹の存在だった。
妹がいる限り、夢を通してこちらの動向が向こうへ漏れない保証がない。
実際のところ妹の力はそこまで万能ではなく、未来の自分自身が経験したうち、とても強い印象を持った思い出のみしか夢で見ることはできないのだが、それを知っている者は私以外にはいない。
発覚を恐れて及び腰になった者は、何人もいる。特に同盟国の者たちに顕著だった。
それでも計画を実行に移せたのは、「このままでは我が国も二の舞だ」という危機意識と、私たちの必死の説得があったからだ。
人と武器をひそかに集め、私たちはじんわりと王都へ侵入した。途中、王の圧政に不満を抱く民や貴族を抱き込んで、城を包囲する頃には、何千と言う数に膨れ上がっていた。
しかし、所詮は烏合の衆だ。立場も目的もばらばらな連中をまとめるためには、絶対的な英雄が必要だった。
だから私は、自ら旗印として前線に立ったのだ。
この国の元王女で、父である王に殺されかけ、女でもある私は、反乱の象徴にもっともふさわしい。そう判断した。
何より、集団が狂気に染まってしまうのは危うい。もはや父と王妃がどうなろうと構わないが、妹にその刃が向くのは困る。
城を外から囲い込み、私は辛抱強く待つことを皆に説いた。革命を不必要な血で染めれば染めるほど、その正当性が貶められる。法の下、罰を与えることが正道だ、と。
頷く者が大半だったが、明らかに不満げな者も少なくない。砲が火を噴くまで、もって一日――これ以上は引き延ばせないだろう。
それまでに、父たちが降伏勧告を受け入れればそれでよし。
そうでなければ……――。
私が真っ先に城内へ切り込んでいく。
そして、誰よりも先に妹の元へ。
妹を必ず救い出す。
私の胸にあるのは、それだけだった。