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お休みのようです…

 毎週金曜日のカフェ。今日はなんだか少し静かに思うのはあの人がいないからだろうか。

 深緑の扉をくぐれば、そこにはお馴染みの晴彦兄さんがいて、もう一人はこの店のオーナーの羽宮(はみや) 菜穂(なほ)さんがくるくる働いていた。

 大抵このカフェは二人体勢で回している、と晴彦兄さんから聞いたことがある。

 だから、今日はあの人は休みなのだろう。


「いらっしゃい、凪ちゃん」


「こんにちは、菜穂さん」


「ふふっ、礼儀正しい子。なんだか会うのが久しぶりに感じるわ」


 菜穂さんは上品さがあってまさに大和撫子といった印象を受ける。ストレートな黒髪はまとめていて、お化粧もナチュラルで綺麗な女性だ。

 微笑みが神々しくて、この人と話すときは目を細めてしまう。


「よう言うわー、菜穂さん最近、金曜日入らへんやん」


「私にも用事というものがあってね。他意はないのよ」


「ホンマかいな」


「ふふっ」


 のらりくらりと晴彦兄さんの言葉をかわしている様子が微笑ましい。二人並ぶといつも賑やかに話しているので、それを見つめるのは純粋に楽しい。

 夢中で見つめていたからか、日頃は座らないカウンター席に腰を下ろしてしまったことに気付いたのは晴彦兄さんがこちらに視線を移した時だ。


「おぉ、珍しいな、凪。そこ座んの久々やな?」


「あぁ、うん…菜穂さんの魅力に引き寄せられた」


「まぁ、嬉しい。そうね、久しぶりに会えたんですもの。今日は勉強は脇に置いてお喋りしましょう」


「いや、菜穂さん働いて…」


「それまでトッキーよろしくね」


 トッキーとは晴彦兄さんのことだ。

 この店のアルバイトに応募して、面接の時に夢の国のねずみさんTシャツを着ていたことで徳山と合わせてトッキーになったと聞いたことがある。

『オレの成分“ト”しかあらへんやん』と微苦笑していた。

 その時と同じ顔で晴彦兄さんは菜穂さんに抗議した。


「いやいや、オーナー、それ職権乱用って言うねんで」


「先週あたりちょっと怠けてたって聞いたけど」


「そんなことあらへん。オレ、課題と闘ってたし」


「口は災いのもと。今日だけ反省しなさい」


 笑顔で容赦ない言葉を告げて、菜穂さんはスタッフルームに入っていった。


「ホンマ、有言実行やなーあの人。これもう詰んだわ、オレ」


「晴彦兄さん? 菜穂さん何しに…」


「それはそうと凪。エスプレッソ飲むか?」


「ムリ。紅茶で」


「即答か。しゃあないな」


「なんで毎回同じなのにわざわざ違うもの勧めてくるの?」


「オレがコーヒー系統好きやから」


「あ、そう…」


 ただたんにふざけていただけらしい。

 一応納得してみせると「へへっ」と笑ってカウンターに入っていく晴彦兄さんを目で追う。


「お待たせ、凪ちゃん」


「あ、菜穂さん。───なんで私服に?」


 スタッフルームから戻ってきた菜穂さんはクラシカルなスカートに淡い桃色のブラウス姿で現れた。

 深緑のエプロンも外していて、まとめていた髪もさらさらと胸のところで揺れている。今にも外出していってしまいそうな服装になっていることに少なからず驚く。


「凪ちゃんとのお茶会ですもの。その間は人気ウェイトレスのトッキーに任せるの」


 ───あぁ、それで…。


 にこにこと屈託ない笑顔で晴彦兄さんにとって厳しいことをさらりと告げた菜穂さんはまるで悪気がない。

 今日は早めに入店したけれども、これからディナータイムのお客さんがちらほら来る頃だろう。

 ディナータイムと言っても、メニューがささやかに増えるだけで基本的にランチのように軽食型だからそこまで重労働ではないのがせめてもの救いだろうか。

 まぁ、責任感のある人だし、きっちりこなすはずだ。

 憐憫の眼差しを思わず晴彦兄さんに向ける。丁度、紅茶を淹れてくれているようでのんびりと動いている後ろ姿に心の中で声援を贈る。


「凪ちゃん、最近可愛くなったわね」


「え?」


 隣の席に腰掛けた菜穂さんは出し抜けにそう言った。聞き間違いだと思ったが、真摯な瞳でこちらを見つめるその表情は聖母のような穏やかさだ。


「わ、私が、ですか?」


「そう。もしかして恋でもした?」


 ───うわぁぁぁ!!


「こ、恋、だなんて…そんな…!」


 思い浮かんだのは茶色の髪に切れ長の瞳が美しい彼。そして、先日の茶目っ気のある笑顔が脳裏によぎる。頬が急速に熱くなる感覚がして慌てた。

 その様子がもはや自白しているようなものだったが、覆い隠そうと無駄な足掻きをする。


「そんなの、してません…!」


「あらそう」


 菜穂さん、棒読み…!

 にこやかな笑顔は『で?誰なの?』と今にも言わんばかりだ。

 顔が整っているから無言の威圧感が凄まじい。


「あれー、菜穂さん知らんかったんかいな」


 そこで最悪のタイミングで晴彦兄さんが登場するものだから神様ってホントに意地悪だと思った。

 どう考えても詰んだ。

 そして、薄々感じてたけどやっぱり晴彦兄さん知ってたんだね。


「あら、トッキーが知ってるってことは…このカフェの常連さんかしら?」


「え!?」


「あら、当たり?」


 きらり、と菜穂さんの瞳が光った。

 正確には違うけど、カフェ関連で言えばあってる。というか、晴彦兄さんが知ってるからっていきなり『カフェ』と出てくるあたり菜穂さんは私の交友関係をなんだと思っているのだろう。


「ちが───!」


「残念、ハズレ~」 


 菜穂さんと私の間に晴彦兄さんが割って入る。さりげなく紅茶をおいてくれるが、その表情がイイ笑顔。


 ───ちょっと! 楽しんでるよね!?


 羞恥と怒りで頭がごちゃごちゃになって、思わず目の前にあるその頭を殴りそうになった。


「あら、いい線だと思ったのだけれど…。それじゃあ無難に学校かしら?」


「それもちゃいますわ~」


「……、やっぱりトッキーと話すと事実が見えにくくなるわね」


「いややわー、そない冷たい眼差しで見られるの久々すぎて反応に困るわーハハッ」


「……」


「いや、あからさまに『邪魔』って顔せんとって!?」


 菜穂さんが割りと本気で冷たい表情をするものだから晴彦兄さんも焦ったようだ。

 一通り謝り倒した後でも表情を変えない菜穂さんに段々と顔色が青くなっていくのが目に見えてわかった。

 そこにお客さんの来店を知らせるベルがささやかに鳴る。

 しぶしぶといった様子で菜穂さんの前から立ち去る晴彦兄さんは、それでもお客さんの前ではいつもの営業スマイルをフル活用していた。


 ───ずるい、晴彦兄さんだけ天の助けが来るなんて!


 ちょっと気まずい空気を残したままにしないでほしかった。

 けれど、菜穂さんに視線を移すと穏やかな笑顔に変わっていた。


「ふふっ、ガールズトークに茶々を入れるから。自分でも収拾がつかなくなっちゃって…バカね」


 堪えきれない、といったように明るく吹き出す菜穂さんはさっきの冷たい表情のかけらはどこにも見えない。


 ───女優だ。女優がここにいる。


「まぁ、でも…トッキーが認めてるようだから別に問題はないようだし、構わないけれど。でも仲間外れってちょっと寂しいわ。ねぇ、私にも教えてくれないかしら?」


「え、な、何を?」


「凪ちゃんの好きな人」


 いくらなんでも直球すぎやしないでしょうか。


「いません!」


「そう、残念…」


 妖しく微笑む菜穂さんは絶対そんなこと思ってない。きっと次に会うときにはいろいろバレてるんだろうなぁ、と頭の隅で思う。

 なんせ、カフェのオーナーである。いろんな人脈があるから私のこの想いもどっかで筒抜けになっていることだろう。

 ───そう、晴彦兄さんとか、晴彦兄さんとか…。

 あっさりと口を割る晴彦兄さんしか想像できなくて、変なこと言われるより自分で言った方がマシかもしれないなー、と思い始めた時だ。


「菜穂さん、あのね…───」


「おつかれさまです!」


 けたたましく扉のベルが音を鳴らして入ってきた人によって会話は遮られた。

 かなり切迫している声なのが気にかかって視線を扉に投じて息を飲んだ。


(あ…)


「あら、クッドゥー。どうしたの」


 振り返った菜穂さんも、驚きを隠せないようだった。それもそのはずで、彼の格好からして今日は非凡の日の筈だ。


「わっ、えっ? 菜穂さん!? なんでここに───ってか、その格好…」


「クッドゥー、ナイスタイミング! お前、ちょっと働いてけ」


「は? え、ちょっ、徳山さん───!?」


 新しいお客さんの注文を聞くや否や、顔を輝かせた晴彦兄さんが戸惑いも露な彼をスタッフルームに押し込む。それは鮮やかに素早く行われたので誰も止められず、カフェ内が異常な静けさに包まれた。

 ただ一人、彼女以外は───。


「残念…トッキーにも運があったのね」


 菜穂さん、それパワハラって言うんですよ、とはさすがに言えなかった。


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