第4説 人の寿命と魂のカラクリについての勝手な考察
人が人を造る。
いわゆる人造人間とか言うやつだ。
あれは現在の技術力をフル活用すれば、俺が思うに、簡単に作れる。
無論、費用とかが気の遠くなりそうな額になったりするのだが。
最新の義肢は、思考制御によって操作することができると聞く。
感覚も見事に脳に伝えられているものが存在するそうだ。
なら、あとは簡単だろう。
その義肢を作る技術をもってすれば、人造人間が作れる。
感覚を同期させた、第二の自分自身を作ることが可能となるだろう。
更には、それは第二の自分の魂の器とできるかもしれない。
なにしろ、脳が生きていれば、いや、それだけでなく、脳幹辺りにある原子番号36番クリプトン原子の集合の拡散さえなければ、人は永遠に生き続けることも可能なのだと思うのさ。
......とか、無知が言うのも笑える冗談話だ。
この実験には必ず生きた人間によるテストが必要だし、それは道徳的にどうかとおもわれる。
なら次に考えるのは別のことだ。
自分の記憶をコピーして、コンピューターの中に入れる。
するとどう言うことでしょうか。
大抵の人は自我が崩壊してしまうと考えるでしょうが、そもそも記憶だけでは自我はありませんし、専用のアバターにでも入れない限り機能しないと思われる。
非常に面倒くさい。ので、俺は新たに考える。
寿命がつきる前に別の乗り物に移ればいい。
そんな電車の終点になる前に乗り継ぎしようみたいなこと言われても!
とか、そんなこと言うだろうね。
仕組みは大体同じなんだよ。
魂の集合体があって、そこから分裂したこれからこの世に出てくる魂があって、それが駅から電車に乗って、寿命が来たら電車を降りて集合体に帰還する。
これはただ単に、新しい駅と電車を勝手に作って乗り移れば問題は解決するということだ。
これには生まれ変わりとかいうやつも当てはまる。
誰かが言っていた、運命とは路線のようなものというのは、まんまその意味でその通りなのだろう。
そして湧く疑問がこれだ。
「じゃあ、どうやってそれ作るの?」
答えは、簡単。
新しい魂の枠組みを作って、ついでに理も多少いじくってから同期させて、一旦世界を崩壊させてから作り直す。
極めて困難な方法である。
でもまぁ、これは超能力の類いだから、できるかもしれない。
次回は超能力と魔法の仕組みと違いの俺的な考察です。