プロローグ
例えばの話をしよう。
人間誰しも一つは特技と呼べる物がある。特技は即ち長所であり才能だ。例えば勉強ができなくてもスポーツに関しては万能を通り越してプロ野球選手やJリーガーになる者が世の中にはいる。逆にスポーツ所か子供との追いかけっこでも負けてしまいそうなほどのヒョロモヤシでもその頭脳は非常に皺も沢山あってよろしくて一流の研究者となる者もいる。或いはその二つが無くとも美麗な顔やスタイルを持つ者ならばタレントとしてその名前を轟かせる事ができるかも知れない。
だがそれらは『勉強』だとか『スポーツ』だとか『見た目』だとか、結局そういった『他人にもわかり易い物』でしか無い。
ゲーム(将棋や囲碁等『プロ』が存在するものを除く)が無茶苦茶上手な奴もいるだろう。だが彼等はそれを直接的に将来の仕事に生かせるかと言われたらそうでもない。長所を伸ばせ、伸ばせとはよく言うが結局彼等はゲームが上手と言う長所を伸ばせる時間を半ば強制的に平凡な将来への努力にまわすことになってしまうのである。それはもし仮にそのゲームプレイの腕を努力して磨いたとして、そのゲームで仮に世界一の座を手に入れたとしても手に入るのはちっぽけな名誉ともしかしたら0かも知れない賞金のみである。そんなちっぽけ物で人は一生を暮らしてはいけないからなのだ。
だがもし。
ただゲームが無茶苦茶にできると言う才能が本当の意味で生かせるとしたなら。
これはそういう物語。