フルト平原の大虐殺
未だ戦士の最後の慟哭が残る戦場で、黒い鳥たちが屍を食らう。
誰も名前を知らない者 誰かに名前を託した者
命の匂いだけがただ漂う
ファウテミシア旅行記 -フルト平原の大虐殺-
リエル・フレインは見渡す限り死体の続く荒野でただ一人立ち続けていた。手には血のこびり付いたクレイモア、身に纏うのは漆黒の鎧。白銀の髪だけが戦場の中で唯一きらめきを放っているが、それも今やくすんだ煌めきを放つのみとなっている。
「皆・・・死んだのか。」
共にさっきまで戦っていた戦友たちは物言わぬ屍となってしまった。もう誰もリエルの名を呼ぶものはこの世にいない。
「・・・もう会えないのか?」
ささやいた言葉がむなしく地面に落ちる。
「誰か名前を呼んでくれよ。」
仲間たちの声がまだ耳に残っている。しかし、それが聞こえることはもう二度とない。
「誰のせいだ?」
茫然とした頭を置き去りにして、口だけが勝手に動き出す。
「お前のせいだ。」
リエルはうつむいていた顔を上げ、今にも立ち去ろうとしているそれを見上げる。
4本の細長い足で歩行するそれは、いわゆる化け物だった。
真っ黒に染められたその巨体は人など蟻のごとくに感じられる凹凸のある丸い体躯であり、伝説に聞くドラゴンにも匹敵するのではないかとさえ思える。
体の先頭に申し訳程度についている頭には羊のような歪な角を持ち、体の腹側には数えきれぬほどの触手が生えている。
名はビアンディアルテ。古き言葉でビアンの恋人という意味だ。古の神々の一人、苦痛の神ビアンの作り上げた化け物だ。
存在すらもはるか昔に忘れられた太古の存在が偶々大量の血を吸うことで目が覚める冬眠状態で、偶々リエル達の戦場の下に眠っていただけ。それだけでリエル以外にいた兵士たちは敵も味方もなく全て死んだ。述べ5000人にも上る戦士たちが。
ある者は食われ、それ以外はビアンディアルテの腹が満たされてからはオモチャのごとく弄ばれた。
ビアンディアルテには高等な知能はなく感情もないが、神の悪戯で唯一残虐性というやつだけは持ち合わせていた。
今も視界の端に映る、自分に接近してくる黒い小蠅を見つけそれを発揮する所だ。
ビアンディアルテはあるのかどうかも分からない歓喜らしき感情で全身を震わせ、腹の中心にある口から大声をあげた。
戦士たちの大半の戦意を奪い去った死の慟哭だ。
しかし、リエルは怯まなかった。一度は怯み、足がすくみ、何も出来なくされた声も今は聞こえない。燃え滾る感情に後押しをされるまま、目の前の黒い巨体に向かって突き進む。
食らいつこうと接近してきた幾重もの触手を切り払い、踏みつぶそうとしてくる巨大な足を避けるついでに突き刺し、斬る。
それでもビアンディアルテは倒れることなどない。リエルの斬撃など蚊に刺されたよりも効いてなどいない。
このままではリエルは死ぬだろう。
触手に貫かれてか、腹の口に食われてか、足に踏みつぶされてか。いずれにしてもリエルが仇を討つことなく死ぬのは時間の問題だ。それもリエルは知っている。それでも戦い続けることを止めるわけにはいかない。死んでいった仲間たちを残して自分一人だけ逃げ出し、生き延びることなど考えられなかった。
そして、その時は来た。
疲労で乱れたリエルの斬撃の隙を縫い、触手がリエルの体を貫こうとする。
体勢も崩れ、よけられる状態にないリエル。
しかし、それでもリエルが死ぬことは無かった。
リエルの仲間がリエルを突き飛ばし、庇い触手を代わりに受けたからだ。
「大丈夫か!死なないでくれ!」
普通ならそう叫ぶところだろう。しかし、リエルは違った。
「もう・・・いい加減にしてくれ。」
リエルを庇った仲間は腹に大穴を開け、その穴からは大量の血を流し、常人なら死んでいる状態にある。
しかし、倒れない。
なぜなら彼は・・・すでに死体だったからだ。
すでに死んでいる。リエルがビアンディアルテと戦いを始める前から。
リエルは呪われていた。
苦痛の神ビアンの姉にして、死を司る神。リヴゼラに。
リエルは死霊術死、ネクロマンサーだった。
それも、本人の意思など関係なく。生まれながらのネクロマンサーであり、その力は現存するどのネクロマンサーよりも遥かに上だった。
だからリエルは戦場を避けてきた。大切な人のこんな姿を見たくはなかったから。死に弄ばれる姿など見たくはなかったから。
でも初めて守りたい人が出来た、その人を守りたかった。戦場で死から守り抜きたかった。しかし、その願いは空しく散った。
今も仲間の死体は、リエルの意思に関係なくリエルを守っている。リエルはそんなことは望んでいない。
リエルは死者を操る者ではなく、死者を魅惑する者なのだ。リヴゼラの悪戯で。
よくよく回りを見ると、続々と死体が起きあがり始めている。
ビアンディアルテに踏みつぶされ、貫かれている者もいるが最早命は関係ないのだ。体が千切れてもまた繋がり合わせて戦う。
貫かれた触手に纏わりつき、踏みつぶされた足によじ登り、飲み込まれた口から体に入り、内側から肉を削る。
ビアンディアルテは目が覚めてから初めて苦痛の意味での叫び声をあげた。しかし、それでも死ぬことはない。
ビアンディアルテの真の恐ろしさはその再生能力にあった。
致命傷を受けない限り、何度でも再生する。
躯の戦士たちが削った肉も端から再生していく。
再生が終わり、再び雄たけびを上げたビアンディアルテがリエルの方を見る。
しかし、リエルの姿がない。
代わりにそこにいたのは全長がビアンディアルテ程ある巨大な骨の剣を携えた巨大な死体の戦士だった。
グランデルサ
5000もの死体が寄り集まり出来たこちらも同じく化け物だ。
ビアンディアルテは生まれて初めて危険を感じていた。全身が歓喜ではない何かで震える。足が思うように動かせない。
さっきまでの小蠅はどこにいったのだ?あれなら簡単に捻りつぶせるのに。
そのようなことでも考えているのだろうか。
ビアンディアルテは悔しさの滲むような鋭い叫び声を上げた。
躯の巨大な戦士がその剣を振り上げ、一気に振り下ろす。
真っ二つにされたビアンディアルテは、途切れる意識の中で確かに見た。
役目を終え崩れ落ちていく躯の後ろ側に、自分よりも遥かに絶望した顔のリエルを。
「殺してやる。」
人の限界を超えるのではないかというほどの殺意が沸き起こる。
「お前ら全員殺してやる。何が古の神々だ。」
「待っていろ。」
漆黒の鎧を纏った幽鬼はどこへ去ったのか。
それを知る者は誰もいない。