第三十一話 真実
最初の記憶は鮮血と殺意に満ちた戦場だった。
赤い空、
辺りに漂う血の臭い、
大地に転がる死体の山、
「くっ…この化物め!」
向かってくる馬鹿へ斧を振るう。
伝わってくる生々しい手応え、
宙を舞う血と肉片、
転がる死体が一つ増えた。
「…ははは」
何故か、笑みが零れた。
何故だろう、とても愉快な気分だ。
斧を振るって死体を刻む。
血と肉が更に飛び散り、俺の顔に付着した。
それは、見たことないくらい『綺麗』だった。
「クソッタレめ…! あの野郎、厄介な隠し玉用意しやがって!」
苦しげに吐血しながら、赤帽子は空間から這い出た。
油断した。
まさか、バーゲストがあれほどの魔力を隠し持っているとは…
この俺が、半数以上の魔力を喰われ、命辛々逃げ出すしかなかった。
「…チッ、計画変更だ」
忌々しげに赤帽子は言う。
今の赤帽子ではバーゲストを殺すことは出来ない。
違う手段を用いて、戦争を起こさなければならない。
「まずは魔力の補充だ…近くに町は…」
呟き、赤帽子は辺りを見回した。
バーゲストに殺される前に急いで移動したが、
どうやら、ボギーを残してきた場所から少しズレてしまったようで…
「…この魔力は」
知っている魔力を感知した。
無視して逃げてもいいが…丁度いい。
「いい加減目障りになってきたところだ」
「よう、こんな場所で野宿かお二人さん。元姫様にしては中々アウトドアだな」
「赤帽子!」
「何の巡り合わせか…やれやれ」
呆れたようにため息をつく赤帽子の前には、リアとホリーの姿が…
リアは呆然と突然現れた赤帽子を見上げており、ホリーは指先を向けている。
「赤帽子、リアには手を出させません!」
…魔法を放つ気か。
「覚悟は決まったのか?」
「くっ…!」
赤帽子はホリーにしか分からない呪詛を吐いた。
効果は覿面。
ホリーは青い顔をして、震えだした。
それでも指を下ろさないのは、リアを守る為なのか。
「まあ、どのみちそんな魔法効かねえがな」
いくら魔力が半減しているとは言え、そんな魔法で負けるつもりはない。
そんなやり取りをしていると、不安げな顔のリアと目が合った。
「赤帽子…赤帽子が戦争に参加したのって本当なの? それが理由で人間を憎んでいるの?」
「…ハン、いつまでも無知なお姫様じゃないってか?」
感心したように、赤帽子は鼻を鳴らした。
「…確かに俺は戦争に参加したよ。人間共の戦争の道具にされた」
屈辱を噛み締めるように、赤帽子は言った。
ホリーの予想は真実だった。
赤帽子は戦争の道具に使われ、そのことでヒトを憎んでいるのだ。
「あの戦争でタイターニアが勝利したのは、全て俺のおかげだ。感謝してくれてもいいぜ? この俺によ」
おどけたように、赤帽子は言った。
「…そうだね、私達は感謝するべきだったんだ。平和を齎してくれた赤帽子に…妖精だから幽閉するなんて、間違ってたんだ」
「チッ…」
自分の言葉を肯定したリアに、赤帽子は舌打ちをした。
何だその言葉は、
ここは父親を殺したことを、自分を裏切ったことを、非難する場面だろ?
殺意と憎悪をぶつける場面だろ?
「…気にくわねえ」
「え?」
「気にくわねえんだよ! お前を見ているとイライラするんだよ! いつもいつもこの俺を人間扱いしやがる! 俺は妖精だ! 俺は怪物だ! 同類だと思ってんじゃねえぞ!」
飄々とした笑みを崩し、
普段の余裕をなくし、
本気の殺意と共に、本音を叫ぶ。
「本心では見下してんだろ? ほら、偽んなよ。憎んでんだろ? 殺したいんだろ? 今の俺なら、お前の手で殺せるかもしれねえぞ?」
「………」
「俺を憎め、俺を殺せ。俺は、お前の父親をぶっ殺した化物だぜ?」
唆すように、嘘を剥ぎ取るように、赤帽子は言った。
父親を殺された恨みを、憎しみを、思い出させるように…
しかし、
「赤帽子は人間だよ」
リアは笑みを浮かべて言った。
「タイターニアの人々は…お父様は、赤帽子に酷いことをした…赤帽子がそれを憎み、復讐したのも仕方のないことだから」
リアは、自分を化物だと称する者に言う。
怪物だと人々に罵られる妖精に言う。
赤帽子はただ苦しんでいただけなのだ。
ただ悲しんでいただけなのだ。
ただそれだけの、人間だったのだ。
決して怪物なんかではない。
「だから…」
「よりによって…」
「え…?」
リアの言葉を、赤帽子は遮る。
俯いた顔は、赤い帽子に隠されて見えない。
だが、何か嫌な予感がした。
何か、触れてはならない部分に触れてしまったかのような…
「よりによって、またその言葉で俺を騙すのか! 『ルクレース』!」
「ルク、レース…?…それって…」
「リア!」
赤帽子は激情のまま、斧を振り下ろした。
異変にいち早く気付いていたホリーにリアは手を引かれ、間一髪で避ける。
本気だった。
赤帽子は本気でリアを殺そうとしていた。
「俺達は妖精だ! ヒトじゃねえ! ヒトなんぞとは相容れねえ存在だ!」
「そこまで人間を…」
「くはははははははは! 当たり前だろうが!」
ホリーの言葉に、赤帽子は笑った。
激しい憎悪を込めて、笑う。
「教えてやるよ。俺達妖精はな…『元人間』だ!」
そして、決定的な言葉を吐き捨てた。
「元…人間?」
「かつて、タイターニア王エイブラムは新たな兵器を求めていた。それ一つで戦局が一変するような強力な『兵器』をなァ!」
語らえる戦乱時代の記録。
歴史の裏に刻まれた人々の記憶。
「エイブラムは魔石の持つ力に目を付けた。触れるだけでヒトを廃人にする危険物質。これを兵器にすることは出来ないかと考えた」
「…まさか」
「そうして生まれたのが生物兵器『妖精』だ」
魔法を使う、強力な生物兵器。
それはタイターニアの希望だった。
「『チェンジリング計画』…当時そう呼ばれた計画だ。戦災孤児に魔石を埋め込み、魔力に適合させる『人体実験』さ。成功率は高くなかったぜ? 俺と言う『完成品』が出来るまで、何百と言う命が失われた」
「そんなの、有り得ません! 魔石を埋め込んだりしたら、ただ死ぬだけで…」
「ああ、死んだぜ。俺はヒトとして『一度死んだ』」
あっさりと赤帽子は肯定した。
笑みさえ浮かべて言う赤帽子に、ホリーは恐怖する。
「魔石を身体に埋め込むとな、こうパーンって感じで『それまでの自分』が風船みたいに『割れる』んだよ」
「割れる…?」
「記憶も人格も、性格も心も夢も希望も人間らしさも! 全てなくなっちまうんだよ!」
それは、廃人になることと何も変わらなかった。
何もなくなり、ただ命令に従い、魔法を使うだけの兵器となる。
「だ、だけど、赤帽子は…」
リアは呟いた。
それならおかしい。
赤帽子は明らかに心を持って会話している。
自分を持っている。
「そうだ。俺は取り戻した! あの戦場で、鮮血と殺意の地獄の中で『自分』を取り戻した!」
それは人格の復元ではなく、再現。
今までの人格でない、新たな人格を構築したと言うこと。
「『前の俺』がヒトであったことは認めてやるよ。だが、『今の俺』は…殺戮の中に見出した『この俺』はヒトじゃねえ、妖精と言う名の化物だ!」
戦場で見つけた新たな自分。
魔法を使い、殺戮を好む自分。
これは、決してあの醜い人間なんかではない!
「…人間はどこまで行こうと人間だよ」
だが、それでもリアは赤帽子に告げた。
妖精の真実に屈することなく、
むしろ妖精が元は人間だった事実に、確信を得るように…
妖精は人間だと、告げる。
「…ああ、そうか。お前は死ぬまで意見を曲げないようだな」
静かに、確認するように、赤帽子は言った。
斧を持ち、リアを見つめる。
その眼に、明確な殺意を込めて…
「なら、死ね」
「ッ!」
一瞬だった。
リアもホリーも反応出来ない程、早く赤帽子は接近し、斧を振り下ろした。
呆気ない。
思えば、最初からこうしていればよかった。
何故、自分はリアを見逃していたのか、
どれだけ戯言を言おうと、所詮はヒト。
浄化の力を持とうと、所詮は小娘。
本気を出せば、斧の一振りで終わると言うのに…
「…赤帽子?」
リアが首を傾げた。
斧が切り飛ばす筈だった首が、繋がっている。
斧は、リアに接触する寸前で止まっている。
赤帽子がギリギリでリアを殺すことを躊躇し、斧を止めた。
…そんな綺麗な理由ではなかった。
「…どういうことだ」
斧が、手がこれ以上動かない。
赤帽子の身体が、リアを殺すことを拒否しているようだった。
「リアから離れて下さい!」
「チッ」
放たれた魔法を躱し、赤帽子は二人から距離を取る。
身体に別段異常はない。
リアやホリーが何かをした様子もない。
となると…
「…今回までは見逃してやる。だが、いつか必ず…」
赤帽子はそう言い残し、リア達の前から消え失せた。
「妖精の正体は、戦災孤児?」
赤帽子達の会話を盗み聞きしていた者がいた。
妖精の少女、ボギーだ。
赤帽子の声が聞こえたので、近くへとやってきたのだ。
聞こえてきた会話は分からない単語が多く、ボギーには半分も理解できなかった。
だが…
「戦災孤児…孤児? ボギーは、戦災孤児だった?」
それこそが、ボギーの失った記憶。
と言うことは、ボギーの生まれた場所は…
求めていた故郷は…
「全部、戦争でなくなっちゃった?」
それは、あまりに残酷な真実だった。
求めていた物は、ボギーが心の支えにしていた物は、初めからどこにもなかった。
だからこそ、赤帽子は黙っていたのかもしれない。
ボギーが絶望しない為に…
「………」
ボギーはふらふらと歩き出した。
赤帽子の下へではない。
探していた故郷へでもない。
どこへでもない。
ボギーに帰る場所はなかった。




