第一話 王女
苦しい。
まるで水の中にいるかのように息が出来ない…
「リア様! しっかりしてください!」
私の名前を呼ぶ声がする…
使用人で、一番仲が良いベルの声だ。
…だけど、声は遠い。
さっきまで感じていた手の感覚もなくなってきた。
私、死んじゃうのかな…?
「これはこれは…美少女が苦しむ姿はそそるなぁ」
…?
聞き覚えのない声がした。
今までぼんやりとしていたのに、妙にはっきりとその声が聞き取れた。
「アイタ! じょ、冗談ッスよ、冗談…場の空気を和ませようと思ってね」
「無駄口の前にさっさと始めろ! リアが手遅れになったら、貴様も殺すぞ」
「はいはい…分かった、分かりましたよ。治せばいいんでしょ、治せば…」
軽薄な口調の男が自分に近づくのが、リアには分かった。
「さて、治しちゃいましょうか。お姫様」
「………」
立派な城の一室、
その城の中でも特に豪勢な部屋、
そこで、少女は目を覚ました。
星のピアスを両耳につけ、青いドレスを着た少女。
不健康な青白い肌をしているが、これは彼女にとって普段通りだ。
気にせず、高級なベッドから身を起こす。
「おはようございます、リア様」
「…ベル、おはよう」
扉を開けて中へと入ってきた使用人にリアは挨拶をした。
使用人であり、友人でもあるベルは少し心配した様子でリアに近づく。
「うなされていたようですが、大丈夫ですか?」
「…うん。昔の夢を見ちゃってさ」
「ああ、三年前の…」
リアの言葉に、ベルは頷いた。
三年前、彼女にとっても、リアにとっても大きな事件があった。
『魔法』
ヒトの常識を超えた、呪いとも呼ばれる力。
どんなヒトだろうと逃れることの出来ないそれを、リアはかけられた。
リアは高熱を出し、言葉すら発することが出来ない状態が続き、それはどんな医者にも治すことが出来なかった。
そのままリアは死ぬのだと、リア自身も思った。
しかし…
「あんなことが二度とありませんように『妖精』には十分気をつけて下さいよ」
三年前から口癖になった言葉をベルは言った。
『妖精』
それがリアに魔法をかけた存在の正体だった。
ヒトとは異なる容姿を持ち、ヒトにはない『魔法』と言う力を使う者達。
気性が荒く、リアの時のようにヒトを襲うことも多い。
この国『タイターニア』では軍隊による『妖精狩り』が行われている程だ。
妖精は気まぐれで危険な存在。
リアも子供の内からそう教えられてきた。
「…分かってるよ」
「分かっていません。分かっているなら、どうしてあの男と親しくしているのですか」
ベルは困ったような顔をして、リアを見つめた。
また始まった…とリアはうんざりする。
この顔はベルが説教をする合図だった。
「あなたは王女なのですから、もう少し…」
「やっほー、検診のお時間ッスよ。姫様」
その時、リアの部屋の扉が再び開いた。
ベルの時よりも荒々しく、行儀悪く…
軽薄に笑いながら、その男は入ってきた。
真っ赤な帽子を被り、石で出来た首輪をした男だ。
老人のような白い髪をしており、年齢は二十代後半くらいなのに、身長はリアと同じくらいしかない程、小柄な男。
帽子の中から覗く真っ赤に光る目が、その男の不審さに拍車をかけている。
「お注射はないから安心してねー…って、ありゃアンタは…」
その男の軽薄な様子を見て、ベルは眉を吊り上げた。
「『赤帽子』…ノックもなしに入ってくるとは何事ですか。マナーがなってません」
「マナー? 俺とリアの仲じゃん! そんなん必要ないよね?」
「妖精の分際で、リア様を呼び捨てにするな!」
「そう妖精。メルヘンで可愛い妖精ッスから、俺。と言う訳でヒトのマナーなんて知りませーん」
「こいつ…!」
ベルは苛立ちを隠さず、目の前の男を睨みつける。
対照的に男は飄々していた。
「赤帽子、喧嘩はダメだよ。ベルも、もう用はないから部屋から出て行って」
「しかし…危険です!」
「いいから、赤帽子は私の命の恩人なんだよ?」
リアはベルを説得するように言った。
三年前、呪いに犯されていたリアを救ったのは赤帽子なのだ。
ヒトにはどうにも出来ない妖精の魔法だったが、同じ妖精である赤帽子はそれを容易く治してくれた。
現在も心配性なリアの父に命じられて、リアの検診を定期的に行っているのだ。
妖精が危険な存在であるということはリアも知っている。
しかし、妖精の中にも良い者はいると信じていた。
リアに説得され、ベルは渋々部屋から出て行った。
「命の恩人ね…俺としては、リアも十分に命を救ってくれたけどな」
「またそれ? 私は何もしてないってば」
「いやいや、危険生物として捕らわれていた俺がこうしていられるには、お前とお前の父親…つまりは国王様のおかげさ」
自分の首についた首輪を触りながら、赤帽子は呟いた。
妖精である赤帽子は、本来こうして外を自由に歩くことすら許されない。
それが許されているのは、ある取引を国王が持ちかけたからだった。
国王の娘、リアの呪いを解くことが出来れば特別に自由を与える。
その取引を、赤帽子は受け入れた。
「そんなの、そもそも閉じ込めることがおかしいんだよ。どんな生物にだって自由に生きる権利がある筈なのに」
「くはは…リアは優しいな。だが、この世に平等なモノなんて一つもねえんだよ。この国だって二十年も前に戦争が終わって平等に見えるが、物乞いや貧民はなくならないだろ? お姫様」
お姫様…強調するように言われた言葉に、リアは返す言葉を失った。
確かに、平等じゃない。
物乞いや貧民は今も苦しんでいるというのに、王女であるリアは贅沢に暮らしている。
「少し意地悪しすぎたか? 悪い悪い。まあ、それほど悩むな。お前達は魔法も使えない人なんだ。出来ないことだって山ほどあるさ」
慰めるように言うと、赤帽子は剽軽に笑った。
「さあって、検診をさっさと終わらせて楽しくおしゃべりと行こうぜ? こんなとこに閉じ込められて退屈してたんだろ?」
「…うん!」
リアは笑顔で頷いた。
病弱な為、安全の為、滅多に外に出してもらえないリアにとって赤帽子の話が唯一の楽しみだった。
今日は何の話をしてくれるのだろう。
胸を高鳴らせながら、リアは検診を受けた。