息をひそめて、微笑んで
七倉みどりはその日の午後、ケイドロに勤しんでいた。
ケイドロは警察(捕まえる側)と泥棒(逃げる側)の班に分かれ、時間制限を設けて興じる遊びだった。
こんな遊びを好むのはほとんどが男子だったが、ごくまれに女子も仲間になったりする。
条件は、放課後の小学校をフルに使って、全力で遊べる者に限られた。
みどりがいつもそんな遊びに興じているかと問われれば、答えは否である。
彼女はそれなりに女子グループとの付き合いをこなしているし、仲間外れにされているでもなし、女子めいたショッピングやあやとり、なわとびといった遊びに加わる機会の方が断然に多かった。
警察班にいれられたみどりは、ケイドロ仲間になるに至った経緯をちょっと思い出して、軽いため息をついた。
小学生も、色々あるのだ。
息をひそめて、微笑んで
「秋良のバカ。タレ目。バカ」
語彙が少ない上に、普段から悪口を言う性格でないため、同じ言葉が二回も出てくる。
が、二回もバカと言いたくなるほどには、みどりは相手を恨んでいた。
「料理が上手じゃないなんて、自分が一番分かってるよ……」
思わずこぼれた独り言が、雑多な物で囲まれた教室に飽和した。
見張り役を頼まれているみどりは、まだ誰も囚人のいない牢屋(社会科準備室)でぽつねんと座りこんでいた。
考え事をしたくないからハードな遊びに加わったのに、結局は考え事せざるを得ない状況になってしまい、なんだかな、と落ち込んでもいた。
「七倉ー」
二度目のため息をつく前に、扉の向こうからお呼びがかかった。
すわ、犯人か、と意気込んで立ち上がったみどりの前に、ガラっと開いた扉から姿を見せたのは、たった今悪口を言った相手、秋良高馬だった。
「秋良?」
「………まぬけな警察なんぞに捕まるとはな」
同じクラスの梧桐に連行されてきた秋良は、驚きで目を丸くするみどりからふいっと顔を反らした。
「七倉、お前なら分かってると思うけど、こいつは要注意だぞ。いつ逃げ出すかわかんねー。油断すんなよ、看守」
「オッケー!」
威勢よく返事をすると、梧桐は集中している様子を見せ、注意深く周りを見渡しながら廊下の向こうへ駆け去っていった。
牢屋には再び静寂が訪れ、残された二人は気まずげに距離を取って座りこむ。
ついさきほど繰り広げたケンカの記憶が生々しく、それが二人を素直にさせることを阻んでいた。
「……今日、翔くん達とクラブに行くって言ってなかった?」
「……言うたか、そないなこと」
秋良がしらを切っていることにみどりはすぐ気がついた。
毎週火曜・木曜と土日が時沢サッカークラブの練習日で、今日は火曜日だった。
「いつからケイドロ優先になったの」
「強引に数合わせに入れられただけや、アホ」
「ア、……言っとくけど、私まだ怒ってるからね」
「はいはい、さいでっか」
「当分、許さないからね」
ケンカがつけた傷がお互いまだ癒えぬのか、二人の空模様はどんどん怪しくなっていく。
「大体さ、人が一生懸命作ったモノに対して、『固い、パサつく、味しない』って、本人に向かって言う、普通!?こっちは、真心こめて、夜遅くまで頑張って作ったんだから!」
「不味いモンに不味い言うて何が悪いんや。大体、作ること自体が偉いみたいな考え方のがおかしいやろ。世の中実力主義や、あんなもん人に食わせようと思う方が間違っとんねん!」
「い、今、不味いって言った!不味いって言ったな!?」
「おお、言うたったわ、ざまあみぃ!」
かかか、と笑った秋良に、みどりは振り向きざま近くにあった軟式テニスボールを投げた。
「あ、あぶなっ!この暴力女!」
「出てけ、バカ!タレ目!アホ!どっか行け!」
軽くキレたらしいみどりは己の役割を完全に忘れ去り、そこらにあるものを見境なしに投げつけ始めた。
さすがに身の危険を感じた秋良は、みどりの元まで物を避けつつ近寄って、動きを封じようと試みる。
「やめぇ!学校の備品やぞ!」
「う、うるさ……い」
「!?お、おい、七倉、お前…」
近くでみどりの様子を窺った秋良は、大いに狼狽することになった。
秋良がみどりの瞳に見つけたのは、今にも零れそうに幕を張っている涙の光だった。
(泣くほどヒドイこと言うたんか、俺!?)
さすがに自分が言ったことを後悔し始めた秋良は、何と言ってその涙を止めるか必死に考えようとした。
だが、まだたった11年を生きただけの小学生男子が、泣いている女の子を慰めるなどいかにも無理難題なことである。
まして、人に対して不器用な優しさしか示せない秋良の様な人間には、特に難しく思われた。
「泣くなや…」
「泣いてない!」
そっぽを向いたみどりが、涙を流したことは明白だ。
彼女は必ず泣いている時に泣いていないと意地を張るのを秋良は知っていた。
「泣いてるやろ」
「泣いてないってば!」
みどりが秋良を拒絶しようと、突如腕を突き出してきたので、秋良は咄嗟に避けた。
すると、その腕が安定の悪い机の脚に当たってしまい、あろうことか、その振動で上に乗っていた地球儀がみどりめがけて落っこちてきた。
「あぶなっ…みどり!!」
「きゃああ!!」
―――ゴトッ!
咄嗟に秋良がみどりをかばった。
二人は数秒の間息を止めて身を固くし、目をつぶっていたが、やがて何事もなかったことに気づくとゆっくりと目を開けた。
「!!?」
「!!?」
その、目を開けた時にお互いが初めて目にしたのは、お互いの顔であった。
二人は一瞬で真っ赤になり、石の様に固まった。
俗に言う、押し倒したという状況だった。
(何をしとんじゃ、コイツは。いや、俺も何をしとるんや。はようどかんかい!)
見下ろした先に、目を潤ませて真っ赤になっている少女が居て、秋良は固まっている体をなんとか動かそうとする。
だが、みどりが「ごめん」と言ってきたので、またも動きを止めなくてはならなくなった。
「なんで、お前が謝んねん」
「……私、自分が料理下手だって、知ってたから。でも、それでも秋良に食べてほしかったんだもん」
「七倉…」
「けど、まずいもんはまずいもんね。秋良がウソつくなんて、そっちの方がヘン。だから、ごめん」
そんな風に言われてしまえば、秋良には何も言えることが無くなってしまうのだった。
胸に溢れ返るのは、口をとがらせてこちらを見てくる少女への、穢れのない友愛であり、親愛だ。
秋良は自分を偽ることがあまり好きではなかったのだが、この可愛らしいお隣の少女のためなら、多少のリップサービスは多めに見ようと心に誓った。
(謝るタイミング、逃したやんけ……)
だが、ふと思い出して、いつ渡そうかと思っていたポケットの中のものを、秋良はこのタイミングだと踏んで少女の目の前にかざした。
「…これ、やるわ」
「ふぇ?」
「さっき買うてきた」
油断していたみどりが変な声を出したので、秋良は思わず笑ってしまう。
みどりの目の前に差し出されたのは、その辺に売っている、けどみどりの大好きな市販の飴玉だった。
「お返し」
「……って、ホワイトデーまだだけど」
「ええやろ、そんなんいつだって」
良くないよ、とみどりが反論したとき、がやがやと廊下の向こうが騒がしくなった。
「ヤバっ……」
「犯人来ちゃった!」
二人は急激に自分たちがどんな状況に置かれているのかを意識しはじめた。
そうして咄嗟に取った行動は―――…
「あれ~、秋良は?」
「七倉もいねーぞ、看守のくせに。ばっくれたんかな」
「いや、逃げた秋良追ってんのかも!!探そうぜ!!」
「あ、戸倉逃げた!!」
「ばか、早く追えって、せっかく捕まえたのに~~~!」
バタバタバタ……
忙しい数人の足音が消えた時、牢屋の中に隠れていた犯人と看守が、同時に息を吐き出した。
二人は、何故かとっさに近くにあったソファの影に隠れてしまっていたのだ。
「なんで隠れてるんや」
「そっちこそ」
お互いの行動にケチをつけながらも、二人の顔にはもう曇り空の気配はない。
さきほどの慌てた様子のクラスメイトを思い出して笑いながら、まるでケンカなど知らぬような犯人と看守は、息を潜めて頬笑み合うのだった。
2月14日。
みどりがあげたクッキーを二三口食べて秋良が突っ返した、その二時間後の出来事。
『息をひそめて、微笑んで』
小学生は仲直りが早くていいですね。
みどりと秋良は、あまりケンカが長続きしません。
頻発はしますが。
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