三面鏡
夢にでてきたのは、自分だったと思う。それか、妹、だ。
区別できないわけじゃない。一卵性双生児。それが私と妹の、小さな宿命でもある。最初に産声をあげたはどちらか、の違いだ。姉妹なんて、双子なんて。そんなものだ。ことに、双生児なんてものは。似てると言われる。母親にだって言われる。当たり前のことだ。双子だもの。そういう宿命なのよ私たちって。妹は私の夢のなかでそう呟いた。呟いたのは私だったのかもしれないし、鏡に映った私だったのかもしれない。私の夢ではなく妹の夢のなかに私ははいっていたのかもしれない。
なにがあっても、以心伝心。
どちらかが殺されたら、きっとどちらかも死ぬ。どちらかが叫んだら、どちらかが涙を流す。私が産声をあげたから、妹も産声をあげた。
私がいなかったら妹はきっと、いつまで経っても母親のお腹の中。
いっそ、どちらも出てこなければよかったのにね。私は言う。妹は微笑む。そして諭す。
「生まれたからなに? 出てこなければどうなった? 姉さんはあたしを知らなかったよ」
「妹も私を知らなかった」
「鏡なんていらないね」
「世界なんていらないね」
「どうして?」
「私は、自分が二人いれば、いい」
なにかに絶望していたのかもしれない。
私はそこに残る一ミリの光を妹にみた。気味の悪いほどにそっくりなその姿に、みた。
くっきりと。
「私、もういくね」
「姉さん、どこにいくの」
「おばあちゃんの、三面鏡をみるの」
「一緒にいく」
「おいで」
私たちは、立った。三面鏡を広げて、前に立つ。こうして、光が増えていけばいい。
同じ顔をもった、妹の姿。光をたたえたその姿が、増殖する。私か妹か。
半分の林檎。ドッペルゲンガー。かたわれ。鏡の、むこうとこちら。
誰が誰。私は私。妹は私で、私は妹。
鏡のなかのひとたちが、笑った。みんな笑って、私をみた。私も笑う。誰が笑った?
もう鏡は閉ざされない。光あれ。希望あれ。閉じれば終わる。だから開けて。開いたままの鏡でいて。
「百合」
「なあに、百合」
「もう同一人物でいいと思うの」
「私たち?」
「そう」
「もう、一人になっちゃえばいいと思うの」
「そうね」
「百合は百合」
「百合は百合」
百合は笑う。百合の微笑むその鏡はまだ、閉ざされない。私と百合は手を繋ぐ。あたしと百合も手を繋ぐ。二人一緒に「さよなら」言って、一人になったら鏡を閉じよう。
おばあちゃんには、内緒。
fin
三面鏡が祖母の家にあります。一人でみてるとくらくらする。