番号国家 ― 幸福度世界一の国―
オーウェルの社会風刺を意識した近未来寓話です。
いわゆる“幸福支配社会”ものですが、日本的な信仰・同調・管理文化の延長線にある異様なリアリティを描きました。
ほんの数分で読めて、読み終えたあとになぜか笑いづらくなるショートショートです。
日本は、幸福度世界一を達成した。
もちろん、政府の発表によるものだったが、誰も疑う人はいなかった。
「疑う」という概念自体が、もう五年前に違法化されていたからだ。
国教《清心会》が政権を握ってからというもの、社会は驚くほど秩序立ち、無駄がなくなった。国民には生まれた瞬間に番号が与えられる。名前は不平等のもとだと認定された。
かつては「名前」で差別が生まれた。苗字の響き、血筋、地域。だから今はすべて番号。
国民は「JPN-000000」から順に並べられ、同じ桁数の幸福を享受する。
テレビでは毎朝、「教祖さまのお言葉」が流れる。
柔らかな声が薄く響く。
「あなたは唯一の番号であり、神の一部なのです。番号を捨てる者は、神の回線から切断されます」
番号を拒否するなどというのは、もはや自殺と同義だった。
――ある男、JPN-447392。
市政局清掃課の係員。温厚で、同僚の誰とも争わない。反抗心とは無縁の、模範的な番号者。
その彼が、事件の発端だった。
ある日、清掃中の公共資料館の倉庫で小さな紙切れを見つけたのだ。
わら半紙のように黄ばんだ紙には、震えるような筆跡でこう書かれていた。
「ぼくのなまえは……」
続きは読めなかった。途中で紙が破れていた。
男は立ち止まってしまった。胸の奥をかき回されるような、見知らぬざわめきが湧いた。
夜、帰宅しても、その紙の断片が頭を離れない。
寝る前に鏡の前で、自分の番号を唱えてみた。
「JPN-447392。……しあわせ。……かんしゃ。」
――どこかが違う。
声が、自分のものでないような気がした。
翌日、男は通勤途中、駅前の巨大ビジョンに見入った。
そこには今日の「幸福表彰者」が映し出されていた。幸福活動の模範者として10名が選ばれ、その場で清心会の特製バッジを授与されている。
拍手の中、1人の若者がインタビューで言った。
「私は一度も考えたことがありません。教祖さまがすでに考えてくださるからです」
観衆のどよめきと歓喜。
男は、笑いかけようとして笑えなかった。
自席に戻った彼を、上司が呼んだ。
「447392くん、表情チェックに異常が出ているよ。昨夜、幸福確認は済ませたかね?」
「え、ああ……もちろん、はい。」
「よろしい。最近、幸福指数の波形が不安定な者が出ていてね。修正中なんだ。」
壁一面に数字が流れていた。監視カメラが市民の顔を検知して、幸福判定AIがリアルタイムで“笑顔の純度”を計っている。
人間の幸福は、今や計測可能な数値だった。
だがその夜、男はこっそり例の紙切れを取り出し、その半ば消えた文字をじっと見つめた。
そして鏡に小声で言ってみた。
「おれの……なまえは……」
ピピッ。
部屋の天井から警告音が鳴った。
「禁止語が検出されました。宗教基本規定第八十九条、自己固有名詞の発話は反逆行為に該当します」
ドアが自動的に開き、二人の幸福保全官が入ってきた。
白い笑顔を浮かべながら、言う。
「更新のお時間です。おめでとうございます、447392。」
男の最後に見たものは、天井のパネルに流れる「更新作業成功!」の緑色の文字だった。
翌朝、ニュースが流れた。
《昨晩、幸福指数が0.02%上昇しました。清心会の導きに感謝を!》
その裏では、空いた市民番号に繰り上げ当選した新しい赤ん坊がいた。
彼の番号は――JPN-447392。
そしてその日、教祖は笑顔で発表した。
「皆さまの信仰によって、この国はますます幸せになっています。今後は“名前”という概念を完全に削除いたします。皆さま、ありがとうございます」
スタジオの拍手は、まるで雨音のように長く続いた。
通りのポスターには、こう書かれている。
愛とは番号を信じること。
幸せとは、考えないこと。
日本の幸福度は、今日も上昇している。
読んでくださってありがとうございました。
「幸福」という言葉ほど、人を不幸にする言葉はないのかもしれません。
書きながら、自分もまた“番号”の一部ではないかと少しゾッとしました。
読後の不快感を少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
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