第7話:名前と力、そして私
異形の擬似体──《ナンナ》の端末は、咲良の名を何度も呟いていた。
「……サクラ……サクラ……」
その声はどこか機械的で、感情のない空洞のようだった。
しかし、咲良の心の中には熱が宿り始めていた。
「私は、咲良……でも、それだけじゃない……」
手のひらが熱い。
夢の中で聞いた“アリア”という名。それは、忘れていた自分の一部。
遠い昔、誰かにそう呼ばれていた気がする。
──その名を、好きだと思った。
まるで春の風のような音だったから。
『来るぞ、咲良! あいつはもう、“お前になろう”としてる』
クラの叫びと同時に、擬似体が動いた。
異形の足音は重く、空気ごと押しつぶすような威圧を纏っている。
「ベル、援護して!」
「任せときっ!」
ベルが鋭い牙をむき、擬似体に飛びかかる。
だが異形は腕を広げ、黒い瘴気の盾を展開した。
ベルが弾き飛ばされる。
「ちっ、こいつ……防御が固い!」
『咲良、“名前”を意識しろ。お前が選ぶ名前が、お前の“力の在り方”を決める』
「名前が……力……?」
咲良は深く息を吸った。
震える心を、優しくなだめるように──自分の中にある“もうひとりの声”に向き合った。
「私は……“咲良”」
右手に白い光が灯る。
「そして……“アリア”」
左手に黒い闇が集まる。
「私の中に、“善と悪”はどちらもある。どちらも、私」
光と闇が交わる瞬間、空が震えた。
擬似体が咆哮する。
『さくら、いけ! “名前”を取り戻せ!』
咲良の髪が風に舞い、瞳が銀色に染まる。
「【記名解放:アリア・サクラ】!」
大地に魔法陣が広がる。
「白翼よ、癒しを。黒翼よ、真実を暴け!」
「【双輪結界・螺旋転翔(アルティメ=ルクス)】!」
咲良が両手を突き出すと、二つの光──白と黒の輪が交差し、擬似体を包み込んだ。
悲鳴のような、そして祈りのような音が空に溶けていく。
やがて、異形は消えた。
その場に残ったのは、小さな金属片。
歪んだ“記録媒体”だった。
「これが……擬似体の核……?」
『記憶のかけらだ。誰かの“名”を喰ってできた残滓』
咲良はそれを拾い、胸に当てた。
不思議と、冷たさはなかった。
「……きっと、これも誰かの“記憶”だったんだね」
そのとき、空に白い羽が一枚、舞い降りてきた。
咲良はそれを見上げて、そっと微笑んだ。
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次回予告:
第8話『記録の森、声の主』
擬似体の核から流れ出す“誰かの記憶”。
咲良たちは、記録が保管されるという古代遺跡「記録の森」へ向かう。
そこには、自らを“声の主”と名乗る謎の存在が待ち受けていた──。