怪しい入国者‐火魔法師 Ⅱ
※リーシュ以外の国々の地理・歴史・政治的な内容が多いです。謎解きがお好きでない方は飛ばしてもOKです。
概要:『黄色の男』がやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!
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全幅の信頼を寄せるには至らずとも、室長はあの政務官よりずっと真っ当に話ができた。
魔法師を見下さない態度は、計算上のものかもしれないが。
準軍属斥候部隊に関しては、政務官の弁や国属史料庫で得たすべてが大嘘だった。
エフ、と略されるフリーリー・ハンターは現状、国の雇われでもなく、その日暮らしの食い詰めた下層民の受け皿だそうだ。
そもそもの成立、いや発生も。
合従遠征軍の中止により、各国の兵士採用が減少。
職に溢れた破落戸や国に属さない流れ人、国民として記録されない出自の怪しい者が増加。
それらに捨て置かれた名もない子は、貧民として富裕層に「気まぐれに施され」て生き延び、最下層として野垂れ死ぬ。
そういった連中が食い扶持を求め。
害獣や野盗や、各国辺境や未開墾地に稀に出没するモンスターを狩り、金に換える。
巡回兵士の代用か下働きのようなもの、だったそうだ。
知らなかった。
──金貨の誓い以前からある、各村の自警団が前身だったんだが。
発生理由は、思ったよりまともだった。
いつから歪んで、落ちぶれて、準軍属と偽られた得体の知れないものになったのやら。
──国が抱えられる兵の数には、限りがある。モンスターが確認されて以降、野盗寸前だった連中が大義名分と生存理由を求めて流入したのだろう。
生粋の自警団出身者には、迷惑な話だろうな、と思った。
国民、つまり自警団出身者であれば、後に正規兵採用された者も、いるらしい。
政務官のあれは、虚偽と誇張と結果論、ということだろうか。
いやいや、順番が違うだろう。都合に合わせて継ぎ接ぎしたものは、真実ではない。
□ □ □
戦史資料室に滞在したのは、一日だけだった。
国属史料庫の七日間よりも、有意義だったように思う。
いや、下調べを行っていたからこそ、様々を理解できたのだろう。
無駄ではなかった、と思いたい。
だが、軍の情報すべてを盲信することはできない──私はもう、村を発ったばかりの少年ではないので。
国も王も貴族も疑うべきであり、共立魔法院も己に都合の悪い真実を消している。軍の記録すべてが正しい理由はない。
すべての立場が語る「それぞれの真実」は異なり、故に鵜呑みにしてはいけない。
ならば。
それから二日後、私はあの政務官から喚び出され、新たな身分証を渡された。
正統性で飾られた説明を言い含められ、武装商会との面通しを行い、資金を渡され、冬を迎える前に出立となる。
今年の冬の祭日には、どこかで参加できるだろうか。
私が十八年かけて貯め、商会でほぼ失った額。それと桁が違う貨幣が詰まった財布に、ぞっとした。
交易公路を東へと進む道中は、不快だった。
モンスターに遭遇したわけではない。
体中が痛くなる荷馬の台車。
砕けた石畳の周囲に、だらだらと小石を押し込む薄汚れた怠惰な労役人。
工事や泥濘での足止めや迂回は頻発し、野晒しでの用足しには恐怖と屈辱がついて回る。
監視塔が見えてくると、衛兵が荷を確かめ、その都度、通行料という税金を求めてくる。
文化交流と商取引の象徴とされる道の実態は、幅と舗装箇所以外、田舎の農道と大差ないものでしかなかった。
素手で馬糞を拾ったり、知性のない顔で石を砕き続けたりする貧民たちの姿に、吐き気を催した。
夜営広場で、荷を掠めようとする野盗紛いもいた。
次の街まで同行してくれ、と依願してくる商人一家もいた。
武装商会は、諸国間を渡り動く非国民──流れ人が加わることを断らないようだった。人数に上限はあるようだったが。
甘いのかと呆れていたら、夜中に消える流れ人もいた。夜営地に血痕があったので、察した。
彼らは甘いが容赦なく、強い。
各国の兵よりも、対人戦闘に慣れている、気もした。
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目を開けると、私の掌ほどの触角が宙を舞っていた。
また短く、気を失っていたらしい。
頭が痛い。
この道中で、何度も繰り返す夢でも見たのだろうか。
ふんふん、と鼻息を荒げるラバの背で、戦史資料室の室長に見せられた絵図を、ぼんやりと思い起こす。
名も知らぬ同行者と、東の砦町から加わった見知らぬ随伴者。そして武装商会の男たちが屠っているモンスターは、想像よりも小さかった。
私の片腕ほどの、蟲だ。
羽や外殻、複眼が加工素材になるというのは、どこで目にした文言だったか。
両断され、地に落ち、ギチギチと蠢く醜さに、また胃液が上がる。
絵の方がマシだ。
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今回、我々が通過した無の草原──ディスティア側の忌避地、を越えた、ここは。
蟲の森と呼ばれる、大森林だ。
遥か北、ベルガスの南方まで繋がっていると、戦史資料室で知れた。
無の草原では、日に一度は、蟲型モンスターに襲われた。
この世の地獄か、と嘆いていたら蟲の森という更なる地獄があったわけだ。一日一遭遇、なんてまだマシだった。
はーいこちら現在進行形でーっす、と軽口が浮かぶ程度には、その、同行者たちの武力を信頼できるようには、なったが。
ああ、なんかバッキンガッキン聞こえてきますねー。
もうちょっとラバ酔いに優しい音にしてもらえないですかー。
あ、ちょ、やめ、足踏み、ちょ。
国賓ではないにせよ、契約上では上客だろうがチキショウめ……。
ああ、長柄武器と幅広剣の携帯は、威圧でなく、草原と森とで遮蔽物の──。
んぐ、げぇっ。
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蛮族の建国宣言を戯れ言と一蹴せず、認知を宣ったのは、二国。
同盟国家群の北東に位置する、ベルガス。
その南南西に位置し、同盟国家群の極東と呼ばれるディスティア。
ベルガスの方が本当は東端だろうに、おかしな通称だ。
国名の意味から、便宜上、そうなっているんだろうか。
モンスターが出没するそれぞれの忌避地と蟲の森、それらの先に見える高山帯を挟んで、蛮族国と隣り合うであろう。
同盟国家群の、東の端の国々。
かつて弱小貧困、と呼ばれた二国は、いつの間にか金貨の誓い内で中堅的存在、となっているそうだ。
モンスターの襲撃に怯えていた、忌避地に程近い寒村は、それぞれ合従軍や斥候分隊の駐屯地になり、遠征失敗後には北と東の砦町となり。
今は一攫千金を夢見るエフたちで、賑やかになっている、らしい。
もはやモンスターに怯えているかどうかも、怪しい。
って、砦町だけで、国は栄えない。
どうやったんだ。
えーと、ベルガスにはなにがあったっけ、名馬の国で羊毛がどうとか。
ディスティアは南が海に面していて……綿花と塩?
小麦はどっちも他国に売るほどはなかった、ような。
それぞれ目にしたはずだが、他に気を取られ覚えていない。
記憶しているのはどちらも、モンスター素材が少量あって──逗留するエフどもによって得られるのだろう──ああ、武装商会と縁がないどこかの国は、この二国との直接交易によって入手、できる格好か。
蟲型や鳥型モンスターは、同盟東部以西では確認例が少ない、だったな。
最初に北部森林で発見されて魔法師に討伐されたのは、馬鹿でかい山猫かなにか……だったような。
で。
二国はそれぞれの忌避地と蟲の森の浅い地点を資源地と扱い、下手な開拓よりは現状維持の方針、と。
蛮族の国を同盟傘下に加えよう、とまで言い出したらアレだろうが、認知して静観、未交易ならまだ……。
そこまで考えていたら、気分が悪くなった。
荷馬車の縁に掴まり、顔だけ出して交易公路へと吐く。
近くを歩いていた武装商会の男に、睨まれた。
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……今、諸国が大規模派兵を目論んだところで。
過去のようにベルガスの、北の砦町を逗留拠点地として、南下行軍の協力を求めることは難しいだろう、と。
まあ、蛮族の国とは武装商会を介して、友好関係に近いと推測できるからな。
かつてのように国力の差で強行するわけにもいかない、ように思う。
私のような門外漢でも。
そしてディスティアから東、冠雪がほぼ確認されない赤の山々を越える道の存在も、現状、不明。
そこへ至るには、魔山じゃないええと、白の山脈の麓よりも、険しく深いとされる蟲の森を抜けねばならず……って、本当にディスティアから東の情報の記載は、戦史資料室にもほぼなかったな。
私も、現地に来なければ、進まされなければ分からなかった。
イリェディオに似た幻覚や認識阻害が常態化し、私が持ち込んだ磁石の針を狂わせている、あり得ない場。
魔法効果の打ち消し対抗呪文を、一日中唱え続ければ進軍できるだろうが──そんなことは、最上等級の魔法師にもできない。
あの草を刈って燃やしながら進めば、どうなるのか。どうにもならなかったからこその、現状か。
あーもう、中途半端に分からないことばかりだ。
そして情報量が多い!
地理に歴史に環境に、身分・人心・機関ごとの「真実」「真相」が違いすぎて、もうなにがなにやら過ぎる!
私はただの魔法師だ! 文官でも商人でも軍師でもない!
ただ生き残りたいだけなのに、なんだこの前提必要情報の数は!
……叡知の象徴と呼ばれた交易公路が、あれほどの悪路ということも、実際に目の当たりにするまで知らなかっ
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ぅぼえ。
……はっ、また意識が飛んでいた。
吐き気で覚醒するのは、もう嫌だ。
さっきから過去ばかり、時系列が定かでない白昼夢を見ているようだ。
安堵か余裕か、絶望か緊張か諦観か、自分でも、もう分からない。
吐くのが常態化して、喉が痛い。
ラバが身を震わせた。
やめて落ちる。
もう縄で括られたくない。
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私を伴った武装商会は、ディスティアで馬を換えた。
ラバに。
そして完全武装した謎の中年男が加わり、私の背に、馬鹿でかい盾を括り付けてきたのだ。
待て、あんたは誰だ。
そう問えば、「専門家」と返された。いや、なんのだ。
あとその革鎧はなんだ。背まで覆う、見たことない造りだ。
ラバたちはその背に、載るだけの荷と水を積まれ、馬銜を着けられた。武装商会の男と謎中年は手綱を取る者と、分解できる手押し車で携帯食料や飼料を運ぶ者に分かれ、歩く。
大河を臨みながら伸びる交易公路を北へ、ベルガスへ向かうのではなく。
無の草原──忌避地を、東へ。
あのちょっと方角が違いませんか道がありませんが交易公路でベルガスへ東寄りに北上してから南下するんじゃないですか。こっちは道すらない未踏破の忌避地のはずでは。
との必死な問いに返ってきたのは。
──今時分は、雪で越えられない。
面倒くさそうな、短い髭の隊長の言葉だった。
済みませんもう愚痴りません馬がいいです荷台がいいです一旦町に引き返しましょうぎゃああああああ。
ででででかいバッタがギチギチ言いながら嘘でしょいやああああああああ!
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いやー、越えてみたかったですねー白の山脈。
てっきりベルガスに長期逗留すると思ってたのにーのにー。
そっちならきっと、こんなにモンスターに襲われず、平和にゆっくり、ここまで酔わずに進めたんじゃないですかー。
んなわけねーか。
あっちだってモンスター出るんですよねー過去には百人隊が壊滅でしたっけーあーっはっはっはー。
斥候隊が森を抜けるのにどれだけかかったんでしょうねー何回目で蛮族に遭遇できたんでしょうねー、って初蛮族に出会えたのは数十年後の武装商会だっつーの。
軍のあの地図や距離は、何百人の血で描かれ
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……っぺっ。
あー、口の中が、気持ち悪い。
喉がささくれたような、錯覚がずっと続いている。
ディスティアから東へ発った日以降、毎晩飲まされる苦い湯は、虫下しと言われた。あの味を口中に感じながらの眠りは、辛い。
日中、口にできる水は革臭く、少ない。
あるだけマシだが。
ラバが真っ直ぐ歩いてくれたら、そろそろ酔わずに寝れる気がするのに。
なんでこう、不規則に揺れるの、無理。死ぬ。坂と木の根なんかなくなっちまえ。
モンスターどっかいけお前ら来るとラバがビビってぶるぶるするから。
おえ。
……っふ、やっと静かになった。
あー、辛かった。
ばりばり、と死んだモンスターを剥いだり袋に詰めたりしている同行者たちの様子から、目を背ける。
もう吐くものがないし、口も喉も濯ぎたいが、水は容易に貰えない。
尽きる前に踏破できるのか。
森に入る前、池塘とかいう池か泉っぽいものが見えたのに、立ち寄りもしなかったし。水面の氷は薄そうだったから、手や顔くらい洗えたのに。
そう恨んでいたが、少し離れたところに幾つも鳥らしき白骨が散らばっていたので、有毒水源だったのかもしれない。
ろくでもない。
ひげも剃れずにいる。
最悪が続いている。
背負わされて外すことを許されない盾が、相変わらず重い。
仕方がないので、手首に括られた木札を鼻に寄せた。
ラバに換えた際に、武装商会から渡されたそれは、うっすらと赤い。
癖がある清涼な臭気は、嗅ぐだけで少し落ち着ける。
多分これ、酔い止めか気休めだ。
ラバの首から提げられていたり、武装商会全員が携えていたりするから、護符代わりかもしれないが。
あそこでモンスターからなにかを剥ぎ取ってるでかい男は、誰だったっけ。背負う荷が、縦に長い──ああ、元エフだ。
なんという名だったかは、知らない。
どうせ誰も、私が求める答えを返してはくれないのだ。今更、尋ねる必要もない。
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無の草原を抜けるのに、確か三日かかった。
多分。きっと。
朝日を三回見たから、恐らく。
蟲の森に入ってから、今日で何日目だろう。ランタンが照らす薄暗さと暗黒の繰り返しで、昼夜の感覚があやふやになりそうだ。
ラバから二度、下ろされて横になった記憶はある。繁る木の下で、休憩を取ったような。
盾が邪魔で、寝転ぶと腰が痛くなったので、毛布の上で横臥するしかなかった。
見たことのない冬枯れの木々だけなら、陽光が入るはずなのに。
寒気に負けず葉を繁らせる別の大樹や統一感のない樹影が重なり、道らしきものは上下左右にうねりくねり、もう方角も定かでない。
露出した根を避けながらゆるりと登るせいで、不規則にラバは大きく揺れる。
地獄と悪夢はいつ終わるんだ。
なあラバ、お前は私より真実を知ってるだろ教えてくれ。
お前はなにを目印に、迷わず何処へ向かっているんだ。この森で、なにか匂うのか。何故、鼻を鳴らしているんだ。
おい、もう身を震わすなやめてお願い。
み、水。誰か。
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──蛮族の長は、少年らしい。
出立当日、あの政務官は小声で告げてきた。
吐く息が微かに白く、酒臭かった。いいご身分だ。
──ウェド殿の魔法を見せれば、畏怖し丁重に扱うのでは?
こいつはあの、建国宣言をどう見たのか。
明白にされていないが、原文を見ることができる立場だろうに。あの金額を平気で動かせるのであれば。
門外漢である私でさえ、滲み出る背景を察せたのに。
一言も語られていないから魔法が存在しない国だ、と楽観視できるのであれば、ただの愚者だ。
百人隊を凌駕するかもしれない武装商会各隊の戦闘力、それに並ぶか越える腕でなければ、彼の地に定住することすら不可能だろう。
その力量の内に、魔法がないと、何故断言できる?
あの文面を単独で起こし、整えられる少年なら、大陸一の才人だ。
発案者が別にいるなら、恐るべき側近を抱えていることになる。
そして「少年」との情報は、いつ得たものだ。十年前なら、現在は青年だ。
単に小柄な壮年の可能性はないのか。
偽の情報を流された、とは思わないのか。出所は誰だ。
ろくに森越えすらできていない同盟国家群が、何故それを知る。
とは、言わなかった。
この政務官どのは、己に都合がいいものしか聞こえぬ耳の主だ、と見切っていたので。
先方は、魔法への理解があるのでしょうか。
代わりにそう言うと。
──魔法師による無償教育目的と告げ、武装商会に同伴を許可されている。それに相応しく動け。
来年には婚約者が病に倒れ帰国する、という流れだ。
そう返されて、うっかり変な声が出た。
私には、婚約者がいることになったらしい。初耳だ。
実在するのだろうか。
って、いるわけねーだろこの野郎、適当な嘘で武装商会と蛮族を騙せると思うなよ。
こいつの下につくより、あの室長の方が百倍マシだ。
が、室長の上にこいつがいる可能性もある。あーああ。
あーああ……。
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誰かに背を揺すられて、目が覚めた。
「国境だ。降りて身分証と、口頭審査を」
眠っていたのか失神していたのか、分からない。
固まった指と痺れる腕を動かし、どうにかラバから降りようとして、崩れ落ちた。
そこから先の、記憶はない。
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また夢を、見た。
苦い湯を、何度か含まされた。
モンスターのいない、高い空。
木札とは別の、ひどい臭い。
交易公路を進むうちに、冷気と乾燥で傷んだ鼻が、微かに春先の温度を覚え癒される。
揺れて、回る視界。
赤っぽい、木柵が壁のように。
無味の水は、蜜のようだった。
喉に引っ掛かって、噎せた。
ごつごつとした赤い岩。
心地よく薫る、燻煙。
緑、緑、緑。
せせらぎの音と、葉擦れと、口に当てられるなにか。
水のような粥は、昔こっそり舐めた豆糖のように甘かった。
村長にばれて殴られ、粉砕作業をしていた皆が。
違う。
私はもう村にはいない。
私は──
「これはひどいですねえ」
少し鼻にかかった、高めの男声。
ふわ、と全身が温かくなる。
喉の腫れが、和らぐ。
腹から重さが消える。
──ああ、やっと春が来たのか今年は随分と早かったな。
心地好さに、安堵した。
そして柔らかな闇に包まれた。