怪しい入国者‐火魔法師 Ⅰ
※リーシュ以外の国々の地理・歴史・政治的な内容が多いです。謎解きがお好きでない方は飛ばしてもOKです。
概要:『黄色の男』がやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!
魔法の才がある、と「巡回診査官」に告げられ、王都へと連行された二十年前の道中。
私の人生のピークは、思えばあの時だった。
渡された短杖を握り、光らせたのは、集められた子の中では自分一人。
教えられた文言の抑揚を、聞き覚えた通りに唱え──無から火種が生まれる「驚異」に絶叫した翌日。
あの、幼い私は確かに無敵だった。無知が故の、万能感しかなく。
ただの農家の次男が、魔法を極めて貴族階級になれるかもしれない。そう与えられた夢物語を、愚かにも信じ切っていた。
それが今では、くじ引きで負けて、自称「新興国」への潜入調査。表向きは「共立魔法院」からの友好派遣と、無償教育係。
はてさて、その建前にどれだけ沿え──っぷ。
□ □ □
げえ、と鞍もどきの上から胃液を吐けば、私を乗せたラバがその臭いに首を振る。同行者たちから、この役立たず、と文字通りお荷物扱いの視線が返る。
≪陽の国≫までの荷馬車に載せられた交易公路の旅も大概だったが、ラバに乗り換えさせられてから、私は真の地獄を味わっている。
何故、常時こんな盾を背負わされているのだ。
重い。
鐙がなく乗り方が分からないラバから、酔いに耐え兼ねて降りたこともあった。
ものの見事に置いていかれ、人喰いの化け物に襲われかけ、踵を返した彼らに救われ──惨状に苦言を呈され、挫いた足首を固定され、ラバに担ぎ上げられて盾ごと縄で括られた。
あの絶望、いや屈辱はもう味わいたくない。
ディスティアの東は、一見、麦の青葉に思える草に覆われた広野だった。
「無の草原」或いは「忌避地」との呼称が、信じらない絶景。
今は晩冬、もうすぐ「冬の祭日」を迎える十三の月であるのに、まるで夏草のように強く繁る、あり得ない緑。
恵みの地に見えるだろう──されど近付けば、忌避地と呼ばれる理由も分かるだろう。
凡人ならば酩酊感を覚える違和感が、常にそこには漂っているのだ。
それを私は言語化できた。
この地すべてから、≪幻惑≫の呪文に似たなにかが発されている、と。
私を連れた一行はそこを、進んだ。腰丈から背丈を越える高さを刈ることなく、掻き分けて。
道らしき道はない。
標もない。
乱れる方位磁針でなく、夜明けに一度だけ、太陽を見上げ。
日中、俯き進む理由は、知らない。
度々、襲い来るモンスターを返り討ちにし、剥ぎ取りながら歩き続ける様を眺めていると、無の草原が終わった。
次は山々の麓を覆う、濃い樹林帯。
どうやら「蟲の森」に到着したのだろう。
一行は──短な仮眠を繰り返し、ひたすらに動き続け、一転して藪を漕ぎ、幾度となくモンスターへと刃を振るっていた。
化け物はどちらだ。
私は選ばれた知識階級だ──建前上は。
金貨を払ってまで、なんでこんな恐怖と苦痛と嘔吐感に苛まれなきゃならんのだ。
なんで私以外、徒歩なんだ。ああ、他のラバは荷を負っている。
いつ着くんだ。早くこの蟲の森が終わらないと。人間は、私はきっと、ラバ酔いで死ねる。
そう心の中で毒づいていたら、同行していた≪自在狩猟士≫の男が、なにかを叫んだ。周囲で鞘走る音が、聞こえる。
ああ、またモンスターが来るのか。くそ、私の体調が万全なら、すべて燃やして……やる……のに。
□ ■ □ ■ □ ■
──同志ウェド、東の蛮族どもについて、どれほどを知りますか。
ディスティアの東の果て、人外が跋扈する無の草原の先。
あるいは同盟北東部の≪丘の国≫の南方、「無の荒野」の向こうに位置する辺境。
その何処かに、十年ほど前に国を興した、と伝え聞きます。
あれは七の月の終わり頃。
私がそういった返しをすれば、政務官を名乗る若い男は、口の形だけで笑んだ。
爆ぜる暖炉の炎と、机上の簡素な燭台からの明かりで、そう見えた。
──それ以外のことは?
確か、巨大な獣や鳥や虫に似た、モンスター、を狩って生きる、未知の集団とか。
言葉を選びながら返す、かつての私は、落ち込んでいた。
隣国に出たこともない下級魔法師に、同盟国家群の外へ向かえ、との命は、重すぎた。
──街中では流れの楽士が、連中や辺境を題材にした冒険譚などを、面白おかしく吹聴していますが。
浅学非才の身ですので、余暇を遊興に費やすことができず。
苦い自虐を含んだ返答をすれば、物知らずと謗られることはなかった。
──それはそれは。
ちょうどいい、と声なく動いた政務官の唇に気付いたが、反応は控えた。
揺らぐ影のせいでそう見えただけだ、と思えるほど私は善人ではなかった。
初秋の夜に、背を冷や汗が流れた。
□ □ □
──停戦協議から生まれた「金貨の誓い」は、大陸平野部に共栄と発展をもたらしました。
賢く繁栄した吾が同盟国家群は、共同で総領土拡大を目指すことを選択します。
政務官の弁に、私は無言で頷いた。
──北部大森林を開墾し、入植に成功。西方海峡や南方海への進出にも問題はなく。
……ほう?
──次いで東方です。二国共、独力での開墾は厳しいとのことで、先ずは北東のベルガスに合従軍が派遣されました。
その調査中に、無の……所謂忌避地で、モンスターが数多く、発見されたのです。
引っ掛かりを覚えたが、無言と無表情を貫いた。
──放置は危険、と合従軍は奮起。多大なる犠牲を払いつつも、モンスターを果ての……今では蟲の森と呼ばれる樹林帯まで押し戻し、ベルガスの民の命を救いました。
これは東のディスティアも同様です。
素晴らしい。
と、心にもない言葉を返すと、政務官は胸を張る。
お前を誉めたわけじゃない。
──その後、モンスターの動向調査をすべく、準軍属斥候部隊を創設。
今ではエフ、と呼ばれていますが、彼らからの情報を統合している最中に。
森向こうに住まう蛮族から、素材を買い取った。そう宣言し現物を披露したのが、武装商会です。
綿密な情報収集と調査により、蛮族の存在は確認されました。
しかし蛮族は狭量で、吾が同盟国家群との交流を拒みました。
つらつらと語る政務官は、夜の屋内でもそうと判る、熱がある目をしていた。
戦争ですか。
と、問うた私に、一瞬だけ嬉しそうな顔になる。
──そこに至るには、障害が多すぎます。忌避地を安全に開拓し、敵の規模と環境を把握し、勝てる戦いをしなければなりません。
つまり私は、蛮族どもと唯一繋がる武装商会と共に、敵地に入り込み。
可能な限り詳細な情報を得て、帰還しなければならない、らしい。
ですがそもそも、武装商会とは何者なのでしょうか。
商人階級であるなら、所属国に詳細情報を提供し、王命に従い動くのが常であり、義務ではないのでしょうか。
修辞学の文彩授業を思い出しながら問えば、政務官は渋面になった。
獣脂蝋燭の臭気を、嫌う顔にも見えた。
──ベルガスの王に所縁がある氏族と聞く。吾が国で例えるなら、貴族の御用商人か下級貴族といったところだろう。
そりゃすごい。
──同時に他国では、平民商人と同額の税を納め、農村巡回を主とする……木っ端商会だ。
後ろ楯がある平民なので、接触や対応が面倒、ということか。
半端かつ規格外だな。
ならば金貨の誓いの定期会合上で、ベルガスの王族を介して、蛮族の情報を。
そう問えば。
──蛮族側の詳細情報は秘匿する、との条件付交易、だそうだ。そして金貨の誓い内でも、それが通った。
吾が知らぬ高度な政治的取引が為されたのであろう。
どんどん不機嫌になる政務官に八つ当たりされたくないので、口を噤んだ。
質疑は小賢しさ、と感じる相手には、聞き役に徹するべきだった。失敗したな。
──直ちに身辺整理を行い、待機せよ。
そう言い残して簡易燭台を持ち、去った政務官の背に、私は暗がりの中で舌を出した。
魔法師の私に対して、肝心な事柄を省いた説明に、違和感を抱いたからだった。
□ □ □
共立魔法院の席が物質的になくなった私は、凡人なりに情報を求めた。
無知を理由に、死にたくはなかったので。
開示してやる、とばかりに国属史料庫への立ち入りを許可されたのは、申請書にあの政務官の名を添えたからだろう。
大陸地図、同盟東部の情報を求めると、軍の管轄だ、と却下された。
写本道具や燭台の持ち込みを禁じられた上での許可は、日中の閲覧と限られた冊数。
だが、どうにか概要は学べた。あの政務官の説明通りだった。
違和感は、不信感に育った。
次に私は、武装商会ではない、同盟東部との交易を行う商会に向かった。「情報料」を持参して。
街中に出るのは久し振りだったが──人並みに息抜きくらいはしているので、平民区の道も分かる。
楽士のいる酒場に行ったことがないとか、辺境冒険譚を一度も聞いたことがない、なんて私は言っていない。
得られたのは、落書きのような東部概略図と、取引商品の一覧を見ることだけ。
反射的に交易公路の形を覚え、指を沿わせて長さを測る。だが売上の額面を熟読する前に取り上げられた。
いや、私が求めるのはこういう代物じゃない。
距離や日程、モンスターの概要や……と必死に言い募るも、具体的な返答がなく。
金を巻き上げられた格好で放り出された私は、共立魔法院の上司に改めて派遣辞退を申し出に向かい、なにを今更、と却下された。
お情けで、院の史料室の利用だけは許されたが、こちらも日中のみ。手ぶらでの入室を強要された。
□ □ □
万策尽きた私は寮内の私物を多少の金子に換え、旅支度を整えた。
出立までの時間は国属史料庫と共立魔法院史料室を往復し、絶望と諦観と共に過ごした。
どうでもいい冊子の中にあった、同盟国家群概略図を発見するまでは。
商会で見せられた図を思い出し、それを国属史料庫にあった冊子の概略図に重ねる。
交易公路の形状が、国々を貫く蛇行した大河が、記憶にあるそれとほぼ一致した。
親指の爪を目盛り代わりに計測し、あの指での採寸と比べ、比率も近似していると気付く。
指先が震えたのは、秋の日暮れの寒さのせいではなく。
閲覧制限はされなかった共立魔法院の史料室で、片っ端から本に目を通した。
僅かな記載をかき集め、頭の中に描いた地図を詳細にしていく。
呪文分析と研究過程よりも明瞭に「見えてくる」感覚に、私は没頭した。
国属史料庫では、自国の成り立ちを学び直したい、と平身低頭し、新たに何冊かの資料閲覧にこぎ着けた。
部分的な交易公路の図を見付け、密かに歓喜する。
指と爪で測り、約分し、脳内の地図を精巧にしていく。
そして、それとは別に、政務官に対する不信感の理由もはっきりと把握できた。
国が公に語る歴史と、共立魔法院が抱える歴史記載が、別物と断定できたのだ。
立場の違いから要点が異なる、の域に収まらないほど。
□ □ □
かつて、戦乱状態にあった大陸中原諸国は。
ある時、海を隔てた西と南に「文化的な」先進国家が存在すると知った。
未知の異国の強度は、諸国の自負を上回った──のだろう。どれほどかは記されていないが。
故に、団結を選んだ。
十数年を経て結ばれた停戦協議から生まれた、金貨の誓いがもたらしたものは、共存共栄と発展。国ごとの道を繋ぎ交易公路として整備。中原を平原へと改めるといった名称変更、だけではない。
基盤と体制と常識が変わったのだ。正義や価値観と共に。
戦時下、人間兵器と呼ばれていた諸国の魔法師たちは、平穏の訪れと共に、処刑と暗殺に怯えた。
異国が侵略の色を見せず、恐らくは格下であったこちらとの対等交易に、何故か積極的だったからだ。
緊張状態が続くのであれば、自分たちは兵器として存続できたのに、と。
為政者たちに有益性を示し続けなければ、手に終えない過大凶器として一転、排斥される可能性がある。
魔法師たちは、社会の変容から、そう憂慮した。
元より力なき家族縁者を人質に取られ、完全服従を強いられていた魔法師たちは、国を越え、最悪を想定し密かに結託した。
金貨の誓いで謳われた、共存共栄の理念を盾に。
魔法精度を追究し、各国の生産性と文化向上への反映を目的とした、「機工魔法研究院」の設立提言。
──様々な権力機構との駆け引きと横槍、弾圧によって、共立魔法院との名称に変えられるも。
一定等級者は準貴族としてそれぞれの母国に呼び戻されて、特級技術者として囲われるようになり、今に至る。
魔法院でこの、口外厳禁な秘匿史授業を受けた当時、卒倒するかと思った。
世に語られる設立史──魔法に理解ある為政者との協力体制、とは真逆じゃないか、と。
それでも農民の暮らしよりは遥かにマシだ、と妥協したのはいつだったか。
労働時間と俸給と身分待遇を現在の他職と比較すれば、創設者たちの尽力に感謝するしかない。
□ □ □
北部大森林の開墾、で政務官は魔法師の活躍に触れなかった。
御伽噺の中にしかいなかったモンスターの実存がはじめて確認され、それを撃退したのが魔法師である、と口にしなかった。
国属史料庫で目にした本、北部開墾史には魔法師の活躍も、モンスターの出現も記載されていなかった。
モンスターは北部開墾の十数年後。
北東部忌避地の開墾中、史上はじめて発見され、倒された、とあった。
□ □ □
老舗商会で「買った」情報。
商品一覧にあった「モンスター素材の一次加工品」。
これだけだと、無意味に思える。
だがそこに、「総領土拡大政策による開墾」と「合従軍が派遣された」という政務官の弁を重ねると、見えてくるものがある。
同盟国家群は、忌避地にモンスターが棲息していることを、派遣前から知っていた。
だからこその初手、「合従軍」という当時の最大規模戦力の投入となった。
その戦費に釣り合う報酬は、開墾による拡大か?
いや、「モンスター素材」ではないのか?
諸国の王侯貴族が挙って身を飾る、宝玉より大きく、黄金より多彩で美しいもの。錆びぬ輝き。
幼子でも知る、富の象徴。
そして西や南の大国に輸出される、資源。
だからこそ、それを犠牲なく入手する伝手を得た武装商会を弾圧しきれないのではないのか?
□ □ □
合従軍の派兵と駐留に対する疑問──ベルガス開墾事業に何故兵力が必要か、との単純な疑念は、モンスターの実存と戦闘という事実で消し飛んだのだろう。
当時の各国国民にも従軍兵士にも分かりやすい「戦う理由」であり、「外敵」の姿だったのだろう。
その流れに、魔法師は不要ということか。
そこまでして、共立魔法院に名誉と報酬を与えたくなかったのか。
笑えた。
院の秘匿史はなんのためにあるのだろう。
為政者に飼い殺されることを受け入れたのであれば、そもそも残す必要があると思えない。
国が謳う正史に染まりきってしまえば──いや、違う。
膝を屈して生きようとも、真の歴史と志を胸に、魔法師としての矜持を忘れずに立て。
そう願った先人によって残されたのだろう。
国も王も貴族も、善良と盲信するな、と。
□ □ □
国属史料庫から共立魔法院へ向かう途中、見知らぬ男に呼び止められた。
互いの身分証を確認し、招かれたのは軍の施設だった。
──蛮族の国の情報が欲しくはないか。
戦史資料室の室長と名乗った老爺が、扉を閉めるや否やそう言った。
即答しかけて、黙る。
──貴公は帰還後、軍属となる。
驚きつつ、納得した。
なので、頷いた。
□ □ □
──蛮族の地に至る地形は、これだ。過去の合従遠征軍が、森までの道を拓いたとされる。
室長が机に広げた様々に、目を見張った。
今まででもっとも詳細な地形注釈が入ったベルガス南部地図、東征概論と題された本、モンスターの絵図をまとめた冊子。すべてに帯出不可の押印がある。
節くれ立った指で、室長は概略地図を辿って見せてくる。
ベルガスから南、乾燥による無人不毛の岩場が続く──無の荒野、と呼ばれる忌避地の地形。
その先に現れる蟲の森の中は、明瞭な道がない。長く冠雪する白の魔山までは、最短距離が点線で記されていた。
過去に指と爪で測り記憶した数値を、示された地図上の交易公路に照らし合わせる。
商会の落書きに誇張がなかったことは分かっていたが、あんな代物が実は軍用地図ほど精確なものだった、と改めて証明された。
私の脳内で。
──武装商会はこの道を南下する。森の中は定かではないが、蛮族どもは白の魔山の南に、隠れ棲んでいるのだろう。
乾燥した忌避地よりも蟲の森の方が、モンスターが多く出現するそうだ。
人外の化け物であっても、水は必要なのだろう。異形の分際で、生物の一と主張しているのだろうか。
逆に腹立たしい。
──蟲の森では、百人隊が壊滅する程度にモンスターが出没するそうだ。
そう付け加えられ、私は呟いた。
軍に、魔法師が帯同していれば。
──いて、その結果と記されている。
目の前が、暗くなった。
どこまでも魔法師の存在を無視し、いや消し去ったあの政務官と正史への怒りと。
魔法院の秘匿史にも記されていない、徴兵があったとされる戦史に対する、衝撃と。
モンスターに勝てなかった、過去の魔法師たちに、混乱して。
何故だ。
何故、秘匿史内に記されていなかったんだ!
いや、この男が、軍が正しいと言い切れるのか?
正史で削除されたように、戦史でそう偽っているかもしれないだろう!
魔法師は戦況を覆す力がある、はずじゃなかったのか!
地面が崩れるような混乱を、唾と共に飲み込み、震える声で続ける。
それほど苛烈な道中を、魔法師のいない武装商会はどうやって往復するのですか、と。
蛮族は蟲の森や魔山の向こうではなく。
ベルガスの南の、無の荒野や。ディスティアの東の、無の草原といった二つの忌避地に住まうのではないですか、と。
──蟲の森よりは、無の荒野の方がマシらしいからな。自分もそう思ったことがある。
だが、と室長は棚から出した別の冊子を開く。
──他国の偵察隊が、武装商会を尾行し、奴らが蟲の森を抜けた、と報告した例がある。
魔山の中腹には木柵の関があり、蛮族の姿があった、と。
目を見開いた。
おかしいだろう、それは。
そんな軽微な設備で、魔法師まで伴った完全武装の合従軍を屠った、無数のモンスターどもを防げるのか。定住ができるのか、と。
そこまで確かめた偵察兵は、何故その先へと侵入できなかったのか、と。
偵察兵が追いながら付けたであろう目印が、それを繋げた道が、何故残っていないのか、と。
修辞も敬語も忘れた、単語での問い。
だが、諌められず、私の意図は汲まれた。
──分からん。だからこそ、貴公が往くのだろう。
室長は首を振り、蛮族どもが宣った、いや放言した「建国の言葉」の写しまで見せてくれた。
同盟国家群の共通語で、長文だった。
──訳されたわけではない。
言葉が通じるのか。誰が教えたんだ。武装商会の連中か。
そう思い読み進め、違う、と気付く。
領土は「白の山脈」以南、「赤の山々」以東──名称が少し違うのか。まあ通じるが。
大陸平野部方向へ領土を拡大する意図はない。
金貨の誓いの下に加わる意志はなく、大々的に国家間交易を行う希望はない。
信義を解した武装商会のみとの売買は継続するが、それ以上の介入は断る。
植民、大規模移住目的の入国は公私不問で禁ずる。
そういった内容が、同盟国家群の公文書の形式で記されていたからだ。
□ □ □
──同盟国の離脱独立宣言、と言われた方が理に適っている。
頷いた。
蛮族と呼ぶには、知恵がある。知識と、作法、それに伴う自負も。
少なくとも、金貨の誓いの内容を知らなければ、こうは書けない。
該当する位置から西と北への拡大を行わない、ということはつまり、西にディスティアが、北にベルガスがあると知っている。
二国との国境を侵すことはしない、と。
東と南に触れられていないのはつまり、その方向になら拡大できるという環境分析──調査が進んでいる、との暗喩か。
或いは限界まで、拡張を続けているのか。
蟲の森と山の向こうの地形は、広さは、誰も知らない。
──蛮族の中に、同盟国の有爵文官以上の者がいる。
本当に蛮族なんですか。
そう言われ、私が呟くと、難しい顔を返される。
国交を開かない侵攻もしない、とはつまり、同盟国家群の西や南、海の向こうの異国たち同様、土地や食料、水や塩の不足がない証左。
金属資源も豊富なのか、あるいは必要なく暮らせるのか。
先進技術や文化があるのか、不要なのか。
──武装商会の厚遇をこちらに求める文言がない。あれば連中が噛んだと言えるが。
そう言われて、尋ねた。
武装商会の一回の輸送規模を。
──各国の開拓村への搬送量以下だろう。馬ではなくラバを率いて行くそうだ。荷馬車も牽かず。
おかしい。
国の規模と基盤が見えない。
されど武力は伝わってくる。
モンスターの棲息地を踏破できない同盟国家群より、武に長けている、と。
こちらから攻め込むのは難しい上、侵攻が叶っても勝てない気配しか、ない。
ディスティアから密かに向かわせた偵察舟や斥候分隊は、八割が戻らなかった。
以前からディスティアの漁師たちが協力を拒んだ通り、複雑な海流と海棲モンスターかなにかによって、舟のほとんどは沈んだそうだ。
忌避地、こと無の草原の先の沿岸部は岩礁だらけで舟の係留も上陸も叶わず、岩山のような不毛の岬にも人の気配はなかった、との僅かな証言に、海上侵攻の計画は完全に頓挫。
無の草原の調査は悉く失敗し、微かに目視できる森へ到達することすら、叶わなかった、そうだ。
故の、ベルガス南下ルート一択、と。
──生きて還れ。頼むぞ。
素直に頷けなかった。
生還した後、私は軍属となり、蛮族の国を滅ぼす先遣隊に組み込まれるのだろう。
剣を振るったことも、鎧を纏い行軍したこともない、足の遅い肥えた身で。
どう考えても、速攻で屍になる予感しか、しないが。