水車小屋周り‐隠居老爺
おう、お早うさん。
見ねえ顔だが、ここに何用だ?
まだ洗濯屋は来てねえし、建材管理はオレじゃあなく倅の……ああ、粉の案配か?
おぅい、かーちゃんお客だ……って。
違う?
じゃあ、あっちの水魔法使い連中か。まだ寝てるぜ。
そっちも違うのか。
じゃああれだな、紡織の様子の方か。
急に織機をどうにかできねえか、とか言われてもなあ。
進捗? まだまだこれからだなあ。
ん、紡ぎ車は失敗だってよ。水車の力が強すぎたみてえでな。石砕きならともかく、糸みてえな細けえもんは、止めと外しが簡単じゃねえと、ちぃと難しそうだ。
役場から頼まれてるぼろ布と藁とベルガ豆の葉や茎の方は、順調だ。
あんなもん潰してどうすんだろうなあ、お偉いさんの考えるこたぁ、じじいにゃ分からねえよ。
あん? 違う?
顔を繋ぎに?
あー、ねえさん「内勤さん」の新人か。じゃあこれから宜しくな。
いや、一の月からうちの方に来る≪公務遊撃隊≫のひよっこどもは、先ずいねえし。
雨が減る五の月の終わり頃になりゃあ、毎年渋々って顔して来るがなあ。
それじゃああれか、あんたはアーガちゃんの後輩さんか。元気か? あの別嬪さん、相変わらず変わり者か?
ほ、そうか。今日は洗濯屋へ向かったかあ。
まあなあ、ほれ、見習いが受けねえ任務は内勤がやってるだろ?
大体うちの方は、この時季アーガちゃんが……おう、速いのなんのって。
南路を東から順に、うちに寄って職人町まで、袋をもっさり背負って、突っ走って片付けてくのよ。春の旋風、なんて呼ばれてて。
いやいや、真似はせんでええ。アーガちゃんの脚がおかしいのよ。
お、紹介がまだだったな。
オレはイルだ。
この水車小屋並びの、隠居じじいよ。
で、今日は……ん? ありゃあパルトの見習いどもか。はー、珍しい年もあるもんだ。
なんか一人、でっけえのがいるな。知ってるか?
ああ、先頭のガキはクードだ。石工の三男坊よ。
あのお調子者、職人辞めてパルトになりやがったのか。
はいはいお早うさん、今朝も異常はねえよ。ほうれ、水車も四つ、いつも通り元気だろ。
風も──いつも通りだな。臭いは来たばっかのおめえらの方が、分かるだろ。「南北川」の雪融け水と、「飲めない川」の濁り水。
無患子は、ようやっと新芽が出てきたな。
少ぅしの虫除けと≪魔忌避香≫。いつもと変わんねえ。
今日は朝焼けもなかったし、東の第四、西の第五の警鐘もこっちにゃ聞こえてこねえ。
「白の山脈」にゃ「たてがみ雲」も出てねえし、よく晴れそうだな。
しっかし早ぇもんだな、クードがもう独り立ちか。
こないだまでうちの水車に登ろうとして、滑って溺れてたバカが。
あーうるせえな、おめえが寝小便垂れてた頃から知ってんだ、なに今更格好つけてんだよ。
んん? ほーん、お嬢さんと兄さんは西の小麦農家のとこの。
そうかそうか、まあクードは見ての通りのお調子者だが、性根が腐ったクズじゃあねえ。これからは面倒見てやってくれ。
お嬢さん、なんかあったらひっぱたいていいからな。
なあに、石工の家の男は無駄に頑丈だ。遠慮せんでいい。
そっちのでっけえ兄さんは、「外」から来たんか?
ん、ほれ、鎧兜が違うだろ。猪の革と膠と黒鉄か? よく出来てんなあ。
足のそれ、重そうだな。腰回りといい、走れるのか?
靴もかなり傷んでそうだし、余裕ができたら早目に新調しろよ?
おう、そりゃあ≪鉄楠≫の棒か、珍しい。
えらい使い込んでるなあ。予備はねえのか? やばい割れはなさそうだが、ぼちぼち別の得物を準備しとけよ。
朴木なら、組合倉庫に在庫あったはずだぞ。間に合わせならいいんじゃねえか。
ああ、好きに見て回れ。
川岸手前の林沿いに「香ノ柵」があるが、そっから向こうは、見習い中には出るんじゃないぞ。
まだ許可証ねえだろうし、今時分は、水嵩もあるからな。
ガキんちょならともかく、んな荷を担いだお前さんたちを引き上げるのは、じじいにゃもう無理だからな。
□ □ □
やれやれ。
で、お前さんは──なんだ、あいつらに見られちゃいかんかったんか。まあ、見習いなら気付かれとらんじゃろう。
ん? 話?
オレの?
別になんもねえぞ、もう棟梁も辞めた、ただの隠居のじじいだ。
……ほう、この水車小屋ができるまでの。聞いてどうすんだ?
そうか、アーガちゃんが。
ははーん、内勤さんの新人研修ってやつかな。
ちょっと待ってろ。曾祖父さんかじーさんが引いた図面の写しがあったはずだ。
……ほらよ。ここじゃ湿気て長持ちしにくいから、これしかねえが。他の見たけりゃ、北路沿いの店に行きな。
ああ、気にすんな。もう端がやべえだろ。本写しは店の方で保管してるから、そいつはどのみち処分するつもりだったしよ。
ん、そいつはこの前の組み直しの参考にな。一番ボロいやつだ。
だからお前さんが、あとで役場のお偉いさんとこに持ってってくれや。
一応、羊皮紙だからなあ。オレの一存でどうこうできんのよ。
おう……それを引いた、曾祖父さんの話からだ。
ちょっと待ってろ、長くなるから今座るもん作ってやる。そこの焚き火に当たってな。
──ほらよ、まあ終わったらバラすから気にすんな。背もたれ付けたから楽にしてな。
□ □ □
そうだなあ、「地獄の未開地」に人生を賭けたオレの曾祖父さんは、とんでもねえ賭け狂いだったと思う。
ああ、≪豊国≫は昔、外国からはそう呼ばれてたそうだ。
曾祖父さんは大陸中原──ああ、こりゃ旧い言い方か。平野部、っつーのか今は──のどっかの国で生まれ育って、何重もの税を搾り取られて、建材費用を削らなきゃ食っていけない職能団の、下っ端大工だったそうだ。
だからって言っても、大工道具くらいしか持たずに妻子連れて、山越え定住を決めて実行するとか、どんだけだよって。
≪魔蟲≫だらけで合従遠征軍とやらが毎度、惨敗撤退してきたような森を抜けなきゃならんとこだぜ。
村ができた、って噂一つに人生を賭けるとか、絶対まともじゃなかったんだろうなあ。
じーさん曰く「水車小屋建てて領主に抱えられりゃ、一族郎党安泰だ」ってゲスい決意だったらしい。
曾祖父さんからそう聞かされたっつってたから、まあそうなんだろう。
おいおい、建てる前にホビュゲや獣に襲われる可能性を考えなかったのかよ。
伐採中に狙われるだろ樵も。つーかそもそも、建材になる木があるかどうか分かんねえだろ。
おまけに水車が動くだけの、水量のある川があるのかよ。小屋が併設できるだけの地盤とか、そもそも粉挽きが必要とされる小麦が育つ畑があるのかよ。
ガバガバ期待にも程があるだろうよ、曾祖父さん。
じーさんも曾祖母さんも、よくついてったもんだ。オレなら行かねえな。
案の定、村の畑は痩せた大麦ばかりで、川岸にゃ平野部で見たこたぁねえ竹だらけ。
開墾整地や土留めからどうにかしなきゃならん、ひっでぇ有り様だったとか。
いきなり曾祖父さんの目論見は、空振りだったらしい。
そりゃそうだ。奇特な「武装商会」だけが足のばして、その結果、偶然交易に至ったような辺境だ。
狩った≪魔獣≫をどうにか捌いて食えるかどうか確かめたり、見たことねえ植物を片っ端から育てて食ってたり、年中開墾しちゃあ空から襲う≪魔鳥≫と戦って食ってたり。
倍以上の護衛と一緒に山に入って、捻れた木を伐り出して。
元いた国より湿気があるとかで、樹皮を剥いて背割りを入れても乾燥に時間がかかるし、ホブリフやらホブリド襲撃の度に壊された家やら柵やらに使わなきゃなんねえわだし。
水車適地を見付けても、そこらに生えてる竹の駆逐と、棲み着いてやがったホビュゲの殲滅をして。
工事用の防衛拠点建てて、護衛を常駐させて、整地して。
こつこつ溜め込んだ建材運び込んで、計測しながら設計して、心柱と棟木を組んで、垂木を嵌め込んで。
大雨で氾濫したり岸が崩れたりで、根太を張る前に退避して、場所を変えたり。
何度も湧いて攻め込んでくるホビュゲを押し返したり、燃やそうとしたり、うっかり調整しそこねて森が焼けたり。
竹に延焼して、凄まじい音が響いて赤ん坊が泣いたり。
今時の楽士が吟いたがるような、そりゃもうとんでもねえ冒険活劇だったらしい。
ああ、ここらは当時は森だったんだよ。信じられねえがな。水路を掘って、南北川から水を引き込んでなあ。
水車小屋が建ったのは、曾祖父さんが死んだ後だ。
その頃にゃ、オレが生まれてたらしい。
じーさんとオヤジが泣きながら、曾祖父さんの墓に報告したらしいが、覚えてねえなあ。
いや、毎年墓に声をかけてたのは知ってるが、涙は見たことねえ。
ばーさんが言ってたから、間違いはねえだろうが。
そんなオレが十になる前からだな、地獄の未開地の村が、どえらい勢いで発展し出したのは。
曾祖母さんはそういうのを見て、安心した顔でぽっくり逝けたそうだし、まあ曾祖父さんは結局、嫁を幸せにできたってことになるのかなあ。
水車小屋を建てるって決まった頃から、村は死に物狂いで小麦の栽培に取り組みはじめたらしい。
武装商会から塩や食いもんだけじゃなく、育てるための色んな種を仕入れて、植物や土地に作用する魔法を使える連中が、一粒でも多く実るように、と改良を重ねて。
それで、農地がガンガン広がっていったらしい。
それまでもどうにか食えていたのが、余った大麦で酒まで仕込みだした。今の醸造所の元だな。
最初は家で、麦粥の残りから造ってたんだが、腐っちまうことも多かったらしくてなあ。
武装商会から買った乾燥麦芽を使ったらうまくいったとかで、村の真ん中で女衆がまとめてするようになったとか。
──ああ、今は街だな。
飢えずに食えるようになって、酒で憂さ晴らしができるようになって。ついでに麦糖なんて、旨いもんができて。
そうしたら増えるんだよなあ、人間ってやつぁ。
曾祖父さんみてぇに、他所から命からがら流れてきた破落戸たちも、いてなあ。
徒党を組んで、新天地を乗っ取ろう、とでも考えたんだろう。
けどこちとら、女衆も一緒に毎日ホビュゲ潰して何十年にもなる、まあ歴戦の猛者がそこら中にゴロゴロしてるような村だぜ?
「蟲の森」と山越えでズタボロになった連中なんざ、ホブリド墜とすより簡単に、さっくり返り討ちよ。
まあ、そうなるわな。
踏ん縛られて取っ捕まった連中だったが、ただ飯食わせてやる道理はねえ。
村にゃまだまだ、命懸けの仕事が山のようにある。真面目に働け、と脅して放せば、連中は心を入れ換えて必死に鍬や鉈を振るった。
こっちが命令だの威圧だのしなくても、ホブリフ出たら一番に前に出た。それが今までの償いだと、態度と命で示してみせた。
んなもん見せられて、じーさんたちや村の男衆も黙ってられるかってんだ。
一緒に得物や農具振るって戦って、ぶっ殺してメシや素材にしちまって、祝いの麦酒を呑み合って。
泣いて笑って肩でも組めば、わだかまりなんざ溶けて消える。
すぐに気持ちの壁はなくなった、んだとよ。
困った時は助け合い、なにかしら働いてりゃ食いっぱぐれることはねえ。葬式が多いのがあれだが、住めば楽土、たぁこのことよ。
結局みーんなマトモになって、村の娘っこに恋をして。
こんなろくでなしに嫁いでくれるのか、と手を取ってくれた女衆に泣きながら土下座して、全員見事に尻に敷かれた、ってな。
子が産まれりゃ大泣きで、うちの妻子は大陸一だと胸張って自慢して。
その子たちが大きくなって、伴侶を定めた日にゃお祭り騒ぎで祝い合って。孫が産まれりゃ、また大泣きで。
強面のジジイたちだったが、みぃんな嫁が怖くてよく笑う、いい連中だった。
あのジジイどもの昔話は面白くてな、よくせがみに行ったもんだ。
外にはエフって退治屋がいてな、ホブリフも野盗も狩る強さらしい。
奴らに狩られずここに来れて、真っ当に生き直すことができたのは奇跡だ。お前らは絶対、道を踏み外すんじゃねえぞ、って。
なんかあっちゃあ、村の小童どもに口を酸っぱくして言ってたなあ。
□ □ □
……曾祖父さんが目論んだ、粉挽き特権が端からなくても。
後からできた粉挽き仕事が、結局半分になっちまってもなあ、オレたちゃあ別に怒っちゃいねえんだよ。
黙って座っててもメシが食える、フスマどっさり混ぜ込んで、振るわず渡せば水増しできる。そんなのが小国家群──ああ、こりゃリーシュの言い方か。向こうを立てるにゃ同盟国家群か──の悪徳水車なんだろう?
えげつねえ王様も貴族とやらもいなかった、みーんな同じ村じゃあ、悪ぃことはできねえのよ。
粉挽きは麦も豆も育ててねえ、誰かが育てたもんや狩ってきたもんを食って生きる。
だったらこっちも、いい粉挽いてお返しするのが「道」ってもんだ。
そうだろう?
その粉挽き仕事が減ったなら、別の仕事でみんなを助けりゃいい。
まあ、それだけのことよ。
オレのじーさんは、死ぬまで大工の棟梁も兼ねていた。
襲撃の度に現場にすっ飛んでいったし、樵団と村長と一緒に、材木管理に必死だった。
ばーさんはオヤジたち五人の子を育てながら、臼を見張って毎日粉を振るった。質か量か、依頼に応じて配合を変えて、絶対にずるや中抜きをしなかった。
オレはガキの頃に粉に悪戯しようとして、ばーさんに一晩外に吊るされたんだぜ。
ああ、オヤジも生涯棟梁だった。
曾祖父さんとじーさんが守り継いだもんを、より豊かに強くして渡してやる。それが男の意地と生き様だ、ってよく笑ってたなあ。
しょっちゅうなんかに襲われて死にかけてたのになあ、町の外周柵の点検中に本当にホブリフにやられて死んだしなあ。
……ああ、つい三十年前までは、全部木柵だったんだよ。南路沿いにもちぃと旧い柵が残ってるだろ、あそこが昔は町境でな。パン屋並びの周りは全部、畑だったのよ。
南の開拓が進んで、そっちがだだっ広い畑になって。丘だの小川だの、塩泉だの「大当たり」が見付かって。
西の分村や村から移住も進んで、ずうっと南にごつい丸太の柵を建ててから。
鍛冶屋村や職人村がそれぞれ町になったのも、あっちが南路になったり、五つ通りや、でかい倉庫ができたりしたのも、それからだ。
今じゃあ、東の防壁は全部石造りだもんなあ。
ああ、石工の組合がな、オヤジの葬式の時に言ってきたんだよ。
お前らの仕事を奪うぞ、って。
お前らは生活を守れ、自分たちが命を守るってなあ。
──バカだよなあ、石切場なんて毎日命懸けで、胸や喉をやっちまったり、大工や樵よりキツい現場なのに、なに言ってやがんだろうなあ。
あいつらの爺さん連中がおっ建てた、石柱香炉で何百人も助けておいて、まだ足りねえのかよ、ってなあ。
そのうち南の防壁も、まるっと全部石壁になるんだろう。南北川の跨ぎをどうすっかが問題だな。
石橋渡して、その南側の欄干を壁みてぇに組む予定だが。
いや待て、職人町の南側の開拓も進んでっからなあ……防壁自体が、もうちょい南に建て直されるかもしんねえ。
倅どもと石工連中がどうすっか、じじいはちぃと楽しみよ。
王様と宰相殿の、嬉しいやり直しになりゃあいいが。
氾濫しねえように、魔法使いたちを指揮して南北川の形を変えちまうような宰相殿だ。大した手間にもならんだろうな。
おうよ、まだ小せえ頃の王様と一緒に泥遊びしてたことが、まさかあんな大工事になるとはなあ。
あれがきっかけで、役場に算術の専門科ができたとか。数字と計算は職人と商人以外にも必要ってこった。
まあなあ、オレらの設計が発展度合いや新しい計算と釣り合わなきゃ、若いもんが幾らでも変えちまえばいいからよぅ。
□ □ □
……ああ、うん。
なんとかって魔法を使うのが、便利な「粉挽き魔道具」を作って。それで水車はお役御免、になるはずだったんだ。
もっかい言うけど、それに関しちゃ、オレたちゃ別に怒っても困ってもいねえぞ。
おふくろやかあちゃんたちが気を遣いまくる、粉挽き仕事は確かになくなると思ったが。
魔道具は、刻んだ印に注ぎ込んだ呪文の力が時間切れになったら、そこで止まるんだってな。
だから水車は半分、今まで通り粉を挽き続けてくれ、って王様に言われてなあ。
川の水量は季節で変わるが、流れは眠らねえ。
魔道具はすげえが、それだけじゃ追っ付かねえとこもあるんだ、と。
確かに実入りは減ったが、オレたちは大工仕事でも、ちゃあんと稼ぎがある。
曾祖父さんたちがその図面の水車を造ったから、村は町に育って、とうとう国を建てて街にまでなった。
けどそれは、水車だけが偉いんじゃねえ。
小麦がどっさり採れるまで頑張って、種や土や肥料の改良をした魔法使いたちと、それをしっかり育て継いだ農家があっての結果だ。
パン釜を作った煉瓦屋も、しっかり乾いた薪や炭を作ってくれる樵連中も。釜と薪を使ってパンを焼くパン屋も。
毎年小麦をしっかり管理して、みんなが食べ過ぎてなくなったりしないように売る日と量を決めた村長も町長も──王様の爺さんや親父さんだな、も。
王様も、宰相殿も、衛兵も。
みぃんなみぃんな、それぞれ全員、えらいのよ。
だからいいんだよ。
時代世代で変わっていくのが、この国の在り方ってもんよ。
ん、うちの「指定日」は明後日だ。楽しみだなあ、風呂とパン。
パンの日は、家中みんないい匂いになるんだ。あのパンの匂いのあっつい蒸し部屋、誰が考えたんだろうなあ。
……はあ? 曾祖父さんが外から持ち込んだ?
あ、王様のとこに原本が残って……そうかあ、じゃあ実際一軒目を建てたのはじーさんだな。
いや、オレは石工の誰かの主導かと。根太や梁なんかの基礎は大工仕事だが、石積壁や塗りは別物だったからよう。
二軒目からは共同で建て写し、ってオヤジが。
そっか、ほお、いや、知らなかったぜ。ありがとうな、今日はいいこと知れたなあ。
じーさんも話しておけよなあ、水車くれえ大事だろパン屋の蒸し風呂。
□ □ □
にしても、なあ。
なんでうちの石臼が、水車もない街中やら外やらで、ぐるぐる動き続けるんだろうなあ。
制限があるとか聞いてても、やっぱすげえなあ、魔道具ってやつぁ。
ああ、初日にみんなでパン屋に見に行ったさ。おふくろが腰抜かしそうになってたし、かあちゃんは「ずっと同じ速さで同じ音が続くのが気持ち悪い」って言ってたが。
ほお、次は粉ふるいの魔道具か。そりゃいい、頑張ってくれ、と伝えてくれや。
おふくろとかあちゃんと孫娘たちの仕事がもうちょい楽になるなら、大歓迎だ。
ありゃあ腰にくる。
ああ、オレは駄目だ。昔手伝って、雑すぎるって怒鳴られたわ。
コツは女連中に訊いてくれ。倅の嫁さんたちは、街のパン屋の方で忙しいからな。
西と南の水車小屋はうちの親族だし、やってるこたぁ同じだから、そっちでもいいか。イルじじいは当分くたばりそうもねえから、そっちも頑張れ、ってついでに伝えておいてくれや。
あ、行かねえ? そっか……んー、西の叔父貴はまだ達者だったよなあ。竹簡で文でも送ってみっか。
□ □ □
向こう二軒の石臼外された時は、それでもやっぱり、小屋ん中が寂しくなってなあ。
こうやって段々、水車の時代は終わっていくんだなあ、長いことお疲れさん、って思ってたら。
例のなんとか魔法を使う先生がな。
ここに、こういった洗濯篦を設置しよう、とか小せえ魔道具片手に言ってくるからよう。
慌てて排水路と溜め池掘ったら、次は水魔法使いたちが居座って、濁り水を綺麗に戻す研究とかはじめやがる。
しょうがねえだろ、そこらで野宿されちゃかなわねえし、まあなんだ、うちも孫たちを預かって狭くなったし、ちょっと増築ついでに一軒建てただけだ。
おかげさんで洗濯屋の荷車牽きは毎日来るし、「魔法の家」の副長さんが向こうにムクロジの木を移植しようと頑張って、気が付きゃ林だし。
水路分の香ノ柵が増えるし。
近場の奥さんたちも籠とガキ抱えて来るし、おふくろもかあちゃんも、毎日座ってる暇がねえ。
いや、ムクロジの実は旨いからいいんだよ。洗濯屋が要るのは殻の方だし、なあ。
で。
オレも倅に棟梁譲って引退したのに、なんで休む暇がねえんだろうなあ?
ちぃと補修と、あの連中の建家の増築手伝いの依頼でも出すか。
ん?
無理?
大工修行したこたぁあるパルトは、今年もいねえのかよ。どうにもならんのか。
なあ、新人で見込みありそうなやついねえか? 早目に木工講習、受けそうな。
その椅子を組めるくらい木を扱えそうなら、オレが鍛えちゃる。
いや、隠居じじいの道楽紛いに、本職の若ぇの縛り付けるわけにゃいかんだろ。パルトの手伝いくれぇで丁度。
オレに出来るくれえのこと、誰だって。
「できませんって!」
……おいおい、お前さん、名前なんてんだ。ありゃ、行っちまった。おーい、この図面もういらねえ、って言った……しゃあねえなあ、まあいいか。
今時の若ぇもんは、気が短ぇなあ。
やれやれ、水魔法使いどもでも起こしに行くかあ。
おーいクード、おめえまた川に落ちてねえだろうなあ!