改め、迎える‐植物魔法使い Ⅴ
□ ■ □ ■ □ ■
冬の祭日の二日前に、今年最後の武装商会の入国があった。
王様の好物の、ベルガス産の乾酪とかいう保存食を積んで。
味は知らんが、結構臭う、らしい。まあ、食の好みは人それぞれだ。
あいつは春同様、隊長腕章を持て余しているようだが──くすんだ金色の貨幣を丸ごと嵌めた腕輪を、新調していた。
「なんだそりゃ、嫁さんからの贈り物か?
意匠が違うが、金貨か?」
「あっちの銅貨だ、価値はさほどない」
なんでそんなもんを。
「前に送り届けた『客人』が持っててな。こいつはリーシュで替えられないから、半端素材と一緒に引き取って、銀貨と交換してやったんだ」
見るたびに自戒できる、と渋い顔で笑う友は、頼れる大人の男の顔になっていた。
□ □ □
一昨日、役場に喚び出されていたウェドが、今日は俺に同行を頼んできた。
昨日は具合が悪かったようだが、もう大丈夫なんだろうか。
「コディアも行くか?」
「やだ」
お前は分かりやすく、宰相殿が嫌いだな。
いよいよ、あいつを巻き込んでの小芝居の最終打ち合わせ、というやつだろう。
そう思っていたら案の定、役場入り口にはあいつが待っていた。
□ □ □
「そうか、あんたリーシュに染まったんだな」
すっかり「緑色」になっちまって、とウェドを見るあいつは、聞かされた計画に驚かなかった。
「単独行動中に遭遇した猪型ホブリフにワンドで応戦するもやられた、という設定で、衣類を加工してみたよ。
衝突されて即死、だが巡回衛兵の現着が早く、辛うじてそれ以上の遺体損壊は防げた──ということで、血痕は最小限にして」
背を下に、作業台に広げられた刺繍入りの衣服。腰の辺りは大きく繊維が傷み、脇腹は「牙が掠った」ように裂け、血が滲んだ跡がある。
あちこちに残る大きな蹄形の土汚れが、妙に現実的だ。
「衝突箇所が上着のここって、猪にしては位置が高すぎませんか……って、そうか。ホブリフだから……モンスターは野の獣より二回り大きい、で通じるんですね」
「これが退治されたホブリフの牙と蹄、という物証ね。竹に藁束とホブリド肉を縛り付けて成形してから服を着せてあれこれやった、んで角度と大きさは疑われないと思うよ」
ごろん、と置かれた「物証」は、雑に切断された本物だった。
これを手にして……と想像したら、気持ち悪い絵面だ。
絶対ノリノリだっただろう、宰相殿。
「……血は鶏のものですか? それともホブリドの?」
「組成や褪色分析から疑われかねないからね、ちゃあんと本人の血だよ」
当たり前のようにそう返され、俺たちは反射的にウェドへ目線を向ける。
無意識に左腕を押さえたのが見え、俺はウェドの肩を掴んだ。
「どこだ! どれだけ斬ったんだ!」
「治療は? ≪施術士≫や王は関わっていないのか!」
「い、痛みはほぼなかったし、傷口自体も小さいから大丈夫だ。ちょっと痒いくらいで。
あと、他の誰も関わっていない。私たち二人きりで」
「はあ!?」
ウェドは上着三枚分の袖をたくし上げ、肘に巻かれた包帯を外す。鉄貨の厚みほどの小さな縫合を見せられ、俺はへたり込んだ。
ウェドの顔色は悪くない。傷口は拍子抜けするほど小さく、腫れても膿んでもいない──きれいなものだった。
「……これは、宰相閣下の施術ですか」
横からウェドの腕を見たあいつが、剣呑な目付きで問う。
「うん、蚊型ホビュゲの吻を加工して注射針を作って、血を抜かせてもらった。抜去痕は蒸留酒で消毒してから、髪糸で縫合させてもらった。また抜糸に来てね」
立て続けに知らない単語を出され、困惑する。
なに一つ、魔法が使えない宰相殿は──施術にも明るいのか。
「王様も施術士も採血や縫合、小細工の場に立ち会っていない。この件に関する首謀者は僕であり、単独犯だ」
なにを言っているのか分からない。
「……ご尽力、ありがとう、ございました……」
ウェドの震える声に、俺は同情した。
死を偽るために、どれほどのことをし、為されたのか。
昨日の不調は──人為的に血を抜かれ、怪我人としての施術を受けたせいだったと思えば、辻褄が合う。
合うが。
「……鶏やホブリフの血で良かった、んじゃあ」
門外漢の俺が絞り出せたのは、恐らくは的外れな言葉だった。
「同盟国家群の共立魔法院で、魔力反応機が製造されたのは七十年前だ。金銀貨幣の真贋判定機として普及して……うちの両替商にもあるものだね。
その原理を突き詰め精度を上げれば、魔工石に注入された魔力の主、個体識別までは可能になるだろう。理論上で留まっているか、実験段階か、既に成功しているか、までは分からないけどね。
血液の組成分析から種の判別、までは至っていないにしてもエド──いや、『ウェド君の魔力特性』記録が残されている可能性を考えると、本人のものを使う必要がある、と判断した。運搬期間中の変質を考慮しても、ね。
敵の強さを過大評価するのは問題だけど、市井どころか各国に対しても秘匿分野を有している技術機関の能力を過小評価するべきではない。
なのでまあ、現状、できるだけの安全策を採ったんだ」
小国家群の魔法技術はそこまで進んでいるのか、とウェドを見やると、袖を戻しながら首を振り返された。
だがまあ、本人から「自分は下等研究員だった」と聞いているから、知らないだけかもしれない。
怖いのは、使えずとも理論を解せる──いや、そうか。そうでなければ、魔法使いを率いての複数回もの大規模工事など、不可能貝、か。この人は、何十年も前から。
「この偽装隠蔽工作の主犯は、僕だ。万が一露呈したら、君たちは僕に脅され従った、と証言して欲しい」
意味が分からない。誰に対する証言を、仮定しているんだこの人は。
ただ、宰相殿は俺たちを共犯にするつもりさえない、とは知れた。
「……こいつに、そこまでする価値があるのですか」
あいつの呟きに、宰相殿は笑う。
「リーシュに役立つ人材でなければ、ここまでやらないよ」
まあ、僕が死ぬまでバレない方に賭けるけど。
そう言って鼻で笑った宰相殿に、俺は沈黙した。
この人が味方で良かった。
思考展開は説明されなければ理解できないし、感情的に共感できないし、酒を酌み交わしたいとは微塵も思わないが。
目的のために手法を選……んで、これなのだろうか。
□ □ □
大きすぎない血痕と破れと汚しの「加工」が行われた衣類と、猪型ホブリフの牙と蹄、はウェドが入国の際に持ち込んだ諸々と──ずたぼろになり、中が剥き出しになったワンドと共に箱に詰められ。
貴国特使であり、探究心に富む友の死を心より悼む。同盟国の作法に則り丁重に埋葬した云々、と綴られた弔辞文と。
嘘っぱちの遺体検分図解、という羊皮紙二枚を伴い、封をされる。
今更だが、コディアが同席していなくて良かった。
ウェド本人より大事にしていたワンドのあの有り様を見たら、今度は宰相殿に殴りかかっていたかもしれん。
見た目より腕力あるからなあ、宰相殿も避けないだろうし。
それで結局、王様に心配されて説教喰らうんだ全員で。
「じゃあこれ、運搬宜しくね」
年明け、武装商会がリーシュを発つ際に改めて持たされる、そうだ。
「……野盗や破落戸の首級より運びたくねえ……」
「うんうん、いいねえその表情。向こうのお偉いさんにも、その顔で出向けば疑われないよ」
宰相殿に人の心はないのか。
「さあて、そっちの二人は、生涯リーシュのために尽くしてもらおうか。金貨百枚払ってくれたら、克明な暴露自伝を書いてもいいよ? 僕が検閲するからね」
なんだこの、邪悪を動力源にして人の形に組み立てた魔道具みたいなイキモノは。
己の悪行を自ら広める手伝いをする、そんな人間がいるわけないだろうが。
□ □ □
多分、死体より血の気が失せた顔になった俺たちは、無言で武の酒場に向かった。
泣きながら浴びるように酒杯を呷り、ケフィーナたちに白い目で見られたようだが、許して欲しい。
呑まなきゃやってられるか。
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明けの鐘が鳴る。
窓へ向かい、突き上げ戸と布戸を開ければ、淡い灰色の雲は薄く。
濃紺から、徐々に白くなっていく美しい空が見えた。
まだ明けきってないじゃないか、と鐘撞係の気の早さに舌打ちをするが、毎年そうだったな、と思い出す。
開拓遠征に出ていない年は、毎年同じことを思って、同じように舌打ちをしたなあ、とも。
窓から北の方を窺えば、雪に覆われた白の山脈に雲は掛かっておらず、綿帽子を被った森や林も静かだった。
石造りの入国管理棟は影に包まれているが、まだ十分明るい屋内用常夜灯が窓の形を浮かび上がらせており。
隣接する役場と、斜向かいの第二衛兵団詰所の屋外のそれは、夜の最後を照らしている。
弱い光が点在しているパルトの屯所には、若者たちが蠢く気配があった。家族が待つ村々へ帰るのか、祭の準備に勤しむのか、衛兵たちの巡回警備の補佐に就くのか。
冬の間、白の山脈から南へと、強く吹き荒んでいた風が弱まっているのを、耳と顔の皮膚で感じる。
パルトの屯所から微かに届くパンの匂いを嗅ぎながら、確かな春の訪れを覚えた。
平和な二日間であるように、と祈った。
リーシュを護る、すべての神々と──新顔の、舞芸神に。
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身嗜みを整え、母と姉から譲られたハーブの小鉢を三つ、横長の籠に並べて背負う。
使うことがないと、いいんだが。
杖を衝きながら貸部屋を出ると、二つ通りは既に活気に満ちていた。
武装商会のラバを借り跨がった小柄な衛兵たちが南路へ、その先の南地区へと駆けて行き。
その後を追うように、荷車を牽いた新人パルトたちが疾走する。
お、後ろからアーガが追い抜いて行ったな。ホブフリオスメルジャの交換か、すげえ荷物だな。背負い袋と荷袋に、足が生えて走ってるみてえだ。
残雪と少しの霜がなければ、土埃塗れになっていたかもしれない。
あいつから聞いた、交易公路とやらのように道のすべてが石敷きになれば、泥跳ねはなくなるのだろうか。タンジーの鉢や店の機工ランタンの窓の、土埃掃除の回数が減るならいいんだが。
通りに面した飲食店以外の店は、鎧戸を下ろしたままで看板も出していない。
だが、戸口の横にはずらりと板と藁筵が並べられ、今日明日限りの露店の準備が進められていた。
なんだ、今年は随分と多いな。
街中での露店は、広場がある三つ通りと四つ通りが中心のはずだが。
ベンチや木箱、テーブル代わりの空き樽を早めに出したところは──ラバと荷車から泥を喰らっていた。
気が急いた新人パルトたちが、出店陳列前から、嘆いている。冬の祭日の朝の恒例を、知らなかったんだろうなあ。
祭日当日は、一の通り二の通りを衛兵が移動に使う。急な怪我人の搬送や増員要請で、北へ南へ。
見世物も兼ね、武装商会のラバを借りて走るのだ。
一応、二つ通りまでは出店許可が下りるのだが、そういった理由で露店は少ない。毎年、無人の休憩所じみたものばかり、だったんだが。
二つ通りから路地へ入り、西に進む。突き当たりの三つ通りに出れば、早朝から賑やかだった。
王様の代わりにロバを小屋から出した役人が、早速子どもたちに群がられて困惑している。
順番だ列を作れ、と知らない大人に言われても、祭日テンションの幼子たちは聞く耳を持たない。
おいおい、尻尾の毛を毟られてるぞ。
仕方がないので背負い籠を下ろし、瑠璃苣の小鉢を出した。
そちらへ歩み寄り、小鉢を掲げて唱えれば──自然ではあり得ない速度で、あり得ない長さに伸びた枝葉と、増えまくった蕾から咲いた無数の花がロバたちを囲う。
ほらほら、びっしり白い毛が生えてるから、反射的にロバも人も、後退りたくなるだろう。
「まほうだ!」
「しゅげー!」
まだ色彩に欠ける冬の終わりに、大量の白緑と薄紅の取り合わせは印象的だったんだろう。ロバへの突撃を休止した子どもたちが、一斉に俺を注視する。
「ほーら、いつも王様はどう言ってたっけなー?」
甥っ子たちにもこのくらいの頃があったんだろうなあ、と会わずにいた自分を悔いつつ、戯けた口調でそう言えば。
「ならぶのー」
「そっとなでるのー」
「ろばちゃ、むしっちゃ、めーなのー」
次々に挙手され、口々に告げられる。一丁前に王様の口調ぶっているのが、生意気なんだか可愛いんだか。
「よぅし、みんなお利口さんだ。じゃあ並べるなー?」
「「「はーい!」」」
≪解除≫すれば、ロバを守った枝葉は一気に枯れて塵になり、更に見えぬほど細かくなって、寒風に乗って四散する。
花弁は薄紅から鮮やかな青へと色を変えて散り、俺の手には小鉢が残った。
蕾の数は減ったが、ボリジは発動前と変わらぬ大きさで、枯れずに繁っている。
ろくに手入れもしていない裏庭の蔓草より、母が丹精込めた小鉢の方が、俺の魔法への適合力は強いようだ。
頭を下げる役人に杖を上げて応え、俺は小鉢を背負い籠に戻した。
日が昇り、影が少しだけ短くなる。青空も垣間見えるし、今日は中々の晴天になりそうだ。
三つ通りの露店は出揃い、楽器の音も聞こえてくる。
子連れの人波、常より多い衛兵たち、慣れぬ値引き交渉の声、賑やかな会話が増えていくのを道端でしばらく眺めると。
俺は踵を返し、路地へと戻った。
やはり独り身には、祭日の三つ通りは些か不相応だ。
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二つ通りの謎の露店並びは、どうやら新人パルトたちに特化したもののようだった。
「はい、こっちの笠簑完売でーす!」
どこかの川漁師から卸したのか、手伝い任務で自作できたのか。随分と目端が利く奴がいるもんだ。
「そんな!」
「嘘だろ、あと一組もないのかよ」
「明日は村の川漁師の露店へ行けって、そっちの方が仲介料ないから安いぞ」
「うわーやられたー!」
そう言い合って、ゲラゲラ笑い合っている。
まあなあ、出店料や手間賃くらいは上乗せされてるだろう。
少々高くても今日買うか、明日村へ帰って、顔馴染みと競争するか。どっちがいいのかは、運次第だろうなあ。
──って、今日売ってたのは見習いや手伝いが作製したモノかもしれんな。非正規品かどうかは、使ってるうちに判明するだろうか。
俺が店で買ったやつは、幸い良いものだったが。
「オーシャさんー、本当に翠紅はないのー?」
「ないです、つぎのお祭りであるかもです」
「ねえねえ、キリャ。本当にそれってスゴいの?」
「凄いのよー、もうねー、びっくりするくらいよー!」
「オーシャさん、がんばってね!」
「がんばるます!」
おう、こっちは女性パルトや奥さんたちで大盛況だな。
いつぞやの化粧会議の品を、こっちで売ってたのか。
ははーん、それで人通りが増えることを見越した連中が、こっちに出店したんだな。
俺も来年やってみっか。草紙を綴じて、茸の見分け方の絵図冊子なんて──いや、講習担当に先に買われて終わるな。
「っと、スーもこっちだったのか」
「今日は研ぎだけですよ」
いつかのウェドのように、四人組に担がれ運ばれてきたのだろうか。傍らに杖を置いて座っている鋳掛屋を見付け、声をかける。よう、杖仲間。
「案外、新人さんに需要があるようで」
複数の砥石と革で鋭利になったナイフや鋏は、採取に勤しむパルトたちには、さぞ有り難がられるだろう。
スーの横には、研がれ待ちの小型刃物が、木箱の上にずらりと並べられている。
値段を問えば、四つ通りの鋳掛屋で日頃請け負う額に、鉄貨二枚上乗せした程度だった。
こりゃあ年明けから、あっちに通うパルトが増えるだろうな。
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武の酒場から南へ続く飲食店並びは、夕方からが本番、とばかりに煮込み料理の準備をしているようだ。こっちが風上だから匂いはしないが、炊事の煙が全店から上がっている。
通りの向かい側にはもう新しい倉庫が建っているが、あそこが空いたままなら色々と便利だっただろうなあ、と無責任なことを思った。
各店の外壁沿いに並んだ、椅子代わりの木箱やベンチだけでは、夕方からは毎年足りなくなるのだ。
勝手なものだ。
あのホブリフが侵入した夜は、寝入り端の騒動で翌日は寝不足だったし。
休日は工事の音で昼寝もできず、駆け回る大工やパルトたちの声に悪態を吐いたものだった。
なのに間隙が埋まれば、あの宿や武の酒場が無防備にならずに済む、と安堵したし。
ぴかぴかの倉庫を見ては、新しいモンは頑丈そうでいいねえ、と思ったものだ。
年に一日か二日の祭日のために、広場にしろ、なんて我ながら無茶苦茶だな。
と、武の酒場からぞろぞろと女連中が出てくる。おっと、ケフィーナやおやっさんたちもだ。
「本当に大丈夫? いいのね?」
「構いません、後は弱火で煮込むだけですから」
「かーちゃん、おみやげよろしくー!」
中から聞こえてきたのは、ウェドと──ケフィーナの息子の声だ。
どうやらあいつは露店を冷やかすことをせず、酒場の手伝いに立候補したようだ。おいおい、だったら独り身仲間の俺にも声をかけろよ。水臭い奴だな。
「少しでも、楽しんできて下さい」
「だいじょーぶだよ、おじちゃんとおれがみはるから!」
随分と懐かれたんだな。
「向こうでコディアを見付けたら、二つ通りでスーが露店をやってると伝えてやって下さい。まあ、そのうち勝手にすっ飛んで来るでしょうが」
ウェドの声に笑いが混じり、なんだか嬉しくなる。
そうだな、オーシャの神様の言う通り、祭日は誰もが笑顔でいるべきだ。
笑ってりゃ、元気が出る。
空元気でも、前に進む勇気は出る。
つまらん意地を張るよりも、誰かに謝り、頼る勇気の方が──万倍の価値があるのと同じ、真理。
「……今日は鉢を持ってるから、俺もここで見張っておくぞ」
息子や孫を心配するケフィーナ一家と。雇い主家族への対応を決めかねている、手伝いに来てる奥さん連中に、声をかけた。
呑兵衛の常連男の肩書と技量を思い出してくれたようで、目茶苦茶感謝される。
はっはっは、ウェドよりは信頼されていたようで、ちょっと嬉しいな。
外の木箱に座り、籠から別の小鉢を出した。黄色い花が咲いた蘆薈は寒さに弱いが、向かいの建物の影が届かないここで俺の南側に置いときゃ、昼過ぎまでは平気だろう。
酒場の中からは、二人の声が聞こえてくる。
日暮れには鍋を持参し料理を買い求める母親軍団と、酒を求めるダメな男たちが来ること。
へとへとになった楽師が戻り、店内演奏ではいつもより音を外すこと。声が嗄れ、吟わないこと。
ぼくは今年こそ夜ふかしするんだ、と語る子に付き合い、楽しげに相槌を打つウェドの声。
いいねえ、俺も明日は──家族に顔だけでも、見せに行こうか。挨拶だけでもいい。
まだろくに話せていない義兄さんと姪三人とも、ちゃんと言葉を交わしたい。
逃げ続けるのも、俯き続けたのもやめた、と直に告げ、示したい。
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日が傾く前に、ケフィーナたちはどっさり買い物をして帰ってきた。おやっさん以外は、ぴかぴかの顔になってら。掘り出し物でも見付かったんだろうか。
「お留守番は大成功だったぞ」
親指を戸口に指しながら伝えると、ケフィーナは微笑んだ。息子が外国人にやけに懐いているがいいのか、と尋ねようとして、野暮だな、と口を閉ざす。
強い女は、弱い男でも構わないんだろう。多分。
腕力や武力でなく、ウェドにしかない「迷いを晴らす力」を買ってくれるのであれば、上司としては大歓迎だ。
そのうち、兄貴に立会人の心得を教えてもらうことになる、かもな。
□ □ □
「スーさぁぁぁん!」
喜色満面、といったコディアの声が聞こえてくる。北路から一直線に二つ通りを疾走し──あ、露店を畳んでた新人パルト一人、吹っ飛ばしたぞ。ちゃんと周囲を見ろ。
って、やられたパルトも受け身を取ってるな。無事ならよし。
じゃなくて、おい、なんだその抱えてるモンは……俺の見間違いじゃなきゃ、あのワンドに。
「なんでなんで、教えてくれたら四つ通りウロウロしなかったし、手伝ったのに!
あ、これ長がくれたの! これで年間予算使い切ったんだって!
スーさんに一本渡していいんだって! お揃いだね! こっちはウェドさんに渡してねオマケで!」
俺はアロエ鉢を置いたまま立ち上がり、スーの露店へ向かう。興奮状態のコディアの肩を叩き、撥ね飛ばしたパルトに謝ってこい、と告げた。
──やられたな。
まさか宰相殿が、本気で「中の構造を確かめて」「量産する」とは。
鉄とトウヒと、てっぺんの水晶の下は黒曜石。魔法文字の彫金は、世界、遍く、巡る、驚異、種族、進む変化……うん、覚えている限り、あのワンドにあったものと同じだ。
こんなもの、鍛冶組合の手を借りなきゃ幾つも作れるか──巻き込んだんだな、リーシュの魔法使いのために。
こりゃ魔法の家としては、鍛冶職人に礼を言いに出向かないといかん。
魔工石原料の件といい、皆で一度、年明けに鍛冶屋町へ行くか。
土、風、水に氷──それぞれの魔法を助ける金属は、どういったものだろう。俺たちの植物魔法は、香ノ木の柄に蔦巻き辺りだろうか。
「……え、あー、うわぁ! ごめんなさーい!」
ばたばたと駆けていく小さな後ろ姿を見送り、スーと一緒に苦笑した。
ダメだありゃあ、大人っぽくなったと思ったのは、勘違いだったな。
「で、色男的にはどうなんだ?」
「なんのことですか?」
商売用の笑みを返すスーに、俺は腕を組んでみせる。
「年が明ければあいつも成人だ。年齢差で逃げるのも、限界があるぞ」
「……どうしたもんでしょう、この足なのに」
「全部解った上であれだぞ、どっちにせよ、早目に決めてくれ」
面倒だが、あれでも魔法の家の看板娘だ。いや、店でもないのに変だが、そう呼ぶのが一番しっくりくる、大事な部下だ。
とか思っていたら、かしゃん、という鎧擦れの音が俺の背後で鳴り。
「──そうだな、娘とどうなっているのか、是非ともじっくりと説明してもらいたい」
振り返ると、ホビュゲ鎧の上に防寒外衣を纏った、巡回中らしきチューシェ第二衛兵団長が、いた。
「ギャーッ! ととと父さんななななんでぇ!?」
今度は真っ青な顔になり、コディアが複製ワンドをぶん回しながらこちらに駆けてくる。撤収作業中の新人パルトたちが、やんやと囃し立て歓声を上げていた。
団長殿、仕事に戻ってくれ。
スー、火魔法使いなのに凍り付かないでくれ。
コディア、俺に分かる言葉を発してくれ。
新人パルトども、賭けるな。
ひょっこり戸口から様子を見たケフィーナ、助けてくれ。ニヤニヤして戻るなら、あのアロエ鉢を店内に入れてやってくれ。