改め、迎える‐植物魔法使い Ⅲ
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リーシュ全体が越冬物資の仕込みに明け暮れる中、魔法の家に勤める者が増えた。
ウェド作製の「氷魔法の新長文呪文」は失敗に終わったが、巻き込まれた氷売りの兄ちゃんが呪文研究に目覚め、新たに勤めるようになったのだ。
「ずるいっすー火魔法ばっか長文呪文あるとか、ぜってえずるいっすー」
「しょうがないじゃん、ウェドさんは火魔法専門だったんだからー」
「街中の仕事なら、全属性の長文呪文を普及させるべきっすー! 安定して魔力消耗も小せえなら、そっちの方が稼げるっすー!」
一理ある。
「稼げるなら長くても練習すっし、覚えるっすよー」
言いながら、手を休めない。器用だな。
彼はウェドが記した、魔法語の基本模写を投げ出さず繰り返している。生活と金子の重さを知るからこそ、勉強が苦にならない、そうだ。
目標が具体的でないと、手習い所での学びが苦痛でしかなかった。
そういう子は、自分以外にもいるんじゃないか、だそうだ。
「おいらが氷魔法の先生になって、国中で悩んでるできない子を助けるっすよー! 南地区のはしっこ村でも、真夏に氷を売れるようにするっすー」
お前は研究者になりたいのか、教育者を目指すのか、稼ぎたいのか、どれだ。
「全部っすー!」
若ぇな。
役場の奥に隠っていた、偏屈な研究ババ……もとい、お姐さまが、黙々と竹尺片手に大きく書かれた魔法語を採寸していく。
線の長さと点の位置と数から構成を分析し、比率を変え。毎夕、ウェドに発音の高低だの発声の長さだのの確認を求めては、一覧にまとめていく。
彼女とウェドの会話は、なにを言っているのかちょっと分からない。
まあそのうち、手習い所の子にも分かるようになるだろう。
裏庭の魔工石講習と生産は、曜日と人数を決めて交代制になった。
休日の衛兵や、鍛冶屋町の若手も加わって「動力源や光源以外の魔工石」が作れないか、とそれぞれ話し合っている。
「あたしは補佐なのにー!」
そうだな、すっかりコディアは煎じ湯配りと筆記係だな。しかし各属性の参考冊子を披露し、解説を加えることができるのも、お前かウェドだけだ。頑張れ仲介役。
おっさんたちはなあ、お前らほど新しい仮説を応用して、論理的に説明できんのだ。
あと、お前がいると、街のご隠居さんたちがなにかにつけて顔を見せに来てくれて助かるぞ。
やたら防御魔法が上手い、俺の植物魔法の兄弟子、こと装具屋のじいさんが来た時はちょっとビビったが。
禿頭も白い鬚も、相変わらずで元気そうだった。
「それで、コディアちゃんはどうなの? 噂のお兄さんと、どうなった?」
おお、恋愛相談にも乗ってくれるのか。洗濯屋の奥さんだったか。水魔法の魔工石って、成功したらどんな効果になるんだろうな。
ところで誰と噂になってるんだ、こっちにゃ全然聞こえてこないぞ。
「どうって……まだ自宅も教えてもらってません」
がっかりしたコディアの声に、俺は振り返った。
ちょっと待て、お前まさかウェド狙いなのか? 何歳差だ?
いや、ウェドは見てくれはアレだが、中身も多少アレかもしれんが、将来性と国にとっては優良物件だ。三つ通りの北側くらいオススメだが。
「待て待て、あいつじゃチューシェ団長の張り手一発にも耐えられないんじゃないか。麦芽くらいヒョロいぞ?」
つい口を出したのは、武の酒場での大乱戦の伝聞を思い出したからだ。
養女であるオーシャへの、狼藉を働いた奴らにシェダールがああなら、コディアの恋人をチューシェが黙って受け入れるとは思えない。いや、同意ならもっと穏便な対応かもしれんが。
「違いますそっちじゃない! テルダード副長の目は節穴! あたしが好きなのは砂色の髪の人!」
直後、コディアは自分の口を押さえ。
裏庭の老若男女は、大笑いした。
済まん、その、なんだ。
これは明日の朝までに、改めて街中に拡散する噂、になるやつだな。
そうか、お前さんはあれか──母親の仇を討った、片足の兄さんを選んだのか。
男を見る目と、覚悟があるんだな。もう、子ども扱いはできんな。
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朝夕の冷え込みが、膝に響くようになってきた。
秋野菜の収穫は最終段階を迎え、俺が目を覚ます頃には、新人パルトたちが屯所から西へ南へと駆けていく様子が聞こえてくる。
寝台から下り、窓の突き上げ戸を開ければ、二の通りを走る影が幾つも、見えた。
遅れて、夜明けの鐘が鳴る。
口を濯いでから、以前よりまめに使うようになった氷冷棚を開け。昨夜、武の酒場で買った竹皮包みを取り出した。
薄焼きに挟まれた、豆の煮物。残っていた汁気で全体が少し柔らかくなっていて、飲み込みやすい。
水を呷り、歯を磨き、竹皮を洗えば、水瓶が空になる。
背負い紐のついた水樽を背負い、共同井戸へ向かった。
今日は休みだ。洗濯屋へ行き、この貸し部屋の掃除をして、水を沸かそう──薪も買わなきゃならんな。
ついでに盥で湯浴みもするか。井戸へは三往復しなきゃならんな。
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洗濯屋へ行った帰り。
今月が交換目安と刻印されていたので持参した、古い浄水筒をよろず屋に引き取ってもらう。
分解して、それぞれごみとして出すこともできるんだが、ここへ持ってくると新品を少しだけ値引いてくれるからだ。
新しい浄水筒を買うついでに、店内をあれこれと物色して回った。
竹編みの枕は、今使っている籾殻枕より好みの弾力だった。
一見、同じ品なのに値段が微妙に違う。疑問を口に出せば、細工物の見習い職人が作ったから、だそうだ。
麻布を巻けば大差なかろう、と安い方を買い求める。
草紙を束ねた冊子のようなものが売られていて、薄い鉋屑──≪木紙≫のそれと、並んでいる。
「どっちが売れるんだ?」
縫い物をしながら店番をしている、店主の娘らしき女性の顔を見て、尋ねてみた。
今年の夏前から新たに出回るようになった、ベルガ豆の枝茎や古布を主原料にした漉き紙と、材木屋の製材副産物。
生産量が逆転したのはあっという間のことで、今は役場でも木板や竹簡で保管されていた文書が、どんどん草紙に写され置き換えられている、と聞く。
場所を取らないこと、軽いことは強い。
「木紙ですね。匂いと触り心地と、慣れで好まれるから」
「それもそうか」
「あと紙だと飛んじゃうから、って木板や竹簡を選ぶ奥さんもいますねえ」
「ははは、なにに使ってるんだ?」
「祖母や母直伝の、料理や家事のコツですよ。親族含めた家系図みたいに、後から結んで増やせる方がいいって」
「……そうかぁ、婚儀や葬式の連絡が、しやすくなるなあ」
祖先の筆跡を遺し継いでいくのも、己の根を知ることだったな。
合理性とは別の、価値基準だ。
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日があるうちに帰宅し、湯冷ましを作るついでに盥風呂を使い、夜のメシを求めて二つ通りをそぞろ歩く。
拭けば乾く短髪は、洒落っ気が縁遠くなる代わりに後が簡易だ。
とは言っても、そろそろ切りに行きたい長さだ。次の休みは「パンの日」だから、蒸し風呂ついでに、肩揉みと一緒に散髪を頼もう。
もう立ち寄ることもないパルト用の道具屋、衛兵用の大きい造りの衣服屋を眺め、南へ歩く。その先の靴屋を覗くと、新人たちで大盛況だった。
「なあクード、靴ってそんなに違うもんなのかよ?」
「おう、このおっちゃんの靴に買い換えてから走る速さが上がったぞ。あと、こう、踏み込む力が」
「店主をおっちゃん呼びするな、お前らと十も変わらん。お兄さんと呼べ」
ほう、いい情報を共有するんだな。今年の新人たちは。
俺たちがあれくらいの頃は、冬の林間任務で難儀するまで、履き物は後回しにしていたっけなあ。
武の酒場へ入り、夕食を頼む。
鯉と牛蒡の魚醤煮込み、カブと≪波茸≫が入った大麦粥、ナス皮の塩炒め。
どんだけ今年はナスが豊作だったんだ。
少しだけ混じってる肉詰めの燻製干しがないと、常連でも暴れるぞ。
と言うか、皮じゃない中身はどうなったんだ。スープの中で大量に煮溶けたものを、俺だけ気付かず延々と食ってたってオチか。
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食い終わる頃、靴屋に群がっていた連中が揃って入店して来た。
秋の繁忙期を越え、手持ちに余裕ができた、ということだろう。
靴の新調や夜の外食、今年の新人パルトは、順調のようだ。
飛び抜けて優秀なあの四人組は、同期を出し抜き蹴落とすことより、手を取り合うことを選んだのだろう。或いは、南地区での死亡事故が──。
「やっべえ、街の酒場とか大人ー」
「なあなあお前ら、なに頼むんだ」
「ちょ、あれがオーシャちゃん? うわほっせぇ、え、ちょ、マジ美人じゃね?」
「シェダールさんとチューシェ団長が怖いなら、口説かず眺めるだけにしましょうね?」
「そうそ、酒場で溺れたくも脱臼させられたくもねえだろ、お前ら。カルゴとワーフェルドさんも、手加減が下手だぞ」
「オーシャに、めいわくかけるのだめ!」
「お義兄ちゃんはーいつ勇気を出すのかなー」
「……わかった。諦める」
「おおおおお、奏士がいる! すげえ店だ! 母ちゃんオレやったよ! 立派な一人前になれたよ!」
「ん、ここは一食で幾らくらいするんだ?」
……元気そうだな。
いいねえ、若さって。
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なんとなく、酒でなくボダイジュ湯を頼んだ。
酒場デヴューの新人たちが、いつぞやの先輩どものように騒動を起こす可能性が……なさそうだが、まあ念のために。
だが、新人たちは水で割らない麦酒の香気にわあわあ声を上げたくらいで、後はおとなしいもんだった。
屯所の食堂とは違う塩の濃さ、油っけに舌鼓を打つことを優先し、噂の踊り子へはチラチラと目をやる程度。
「パンもいいけど、このナス粥もうめえな」
「パンのほうがおいしいです」
さっさと平らげたワーフェルドが、ケフィーナに断りを入れ、彫り刀と木片、草紙を取り出した。
それを見た新人の一人が、慌てて粥の残りを掻き込んで向き直る。
「……ん、そうそう、押さえる指は刃の先にこないようにな」
「曲線は少しずつ、でしたっけ」
カルゴが尋ねながら、椅子ごとそちらに加わる。
「ん。一気に滑らすのは危ない。ちょっとずつ、木の方を動かして、炭の線を外れないように」
どうやら教えている彼は、木工の心得があるようだ。
「かたなちいさい、むずかしい」
「ん、父ちゃんが使ってたボタン細工用のは、その半分くらいだ。針みたいな細いやつもあるんだ」
「そぇさ、錐じゃねへの?」
「クード、飲み込んでから喋るのー!」
そうか、彼の父親は傷痍衛兵なのか。自宅で働く姿を、見て学んだんだな。
「おとうさんすごい」
「ん、だから早く一人前になって帰って、村を守るんだ」
「俺たちと一緒ですね」
「お前らは西?」
「そうよー」
やがて匙を置いた奴から、どんどんワーフェルドの彫刻を見守る輪に加わっていく。一人、いや二人か。オーシャの足元に釘付けになっているのは。
「ん、ワーフェルドさんって、強くてなんでもできると思ってたんだけどさ。できないことあるんだな」
「ぼく、できないことたくさん。まだまだ」
青つつじむずかしい、見てもかけない、と板と草紙を交互に刃先で指すのを見、皆が笑顔になる。
バカにする笑いでなく、弟妹や子どもを見守る表情で。
小童、と呼ばれても構わない。
あれは、虚勢で言ったわけではなかったんだな、と思った。
なら、いい。
そろそろ酒を、頼もうか。
この冬は任務の合間に甘葛取りに行こうぜ、売らずに親孝行しようぜ。南地区の北側の休耕地に、とっておきの群生地があるんだぜ。
雪が降ったら職人町で手伝い任務出るぞ。
マジかー。
マジだ雪晒しってやつだ。
くるくる変わる話題は、瑞々しく希望に溢れている。
生き急がず、新雪を踏み締めて、楽しみながら進もうという気配があった。
ふわふわした展望でも、地に足が着いている。
そうだそうだ、お前さんたちは成人年齢に達していても──まだ子どもでいていいんだ。一足飛びに、大人になれる奴なんていないんだ。
少しずつ、楽しみながら背負うものを増やしていけ。
「雪の前に、果樹の菰巻き任務が出ることを元パルトが教える」
うっかり酒が進んでいたせいで、俺は口を滑らせた。
どうなったかって?
オーシャに見惚れていた奴ら含め、新人全員が俺のテーブルに群がってきやがったよ。
草木の越冬作業、凍結予防、楓の樹液採取。
入林許可証や採取講習は、と言えば、わあわあと挙手され口々になにやら話し出す。誰がなに言ってんのか、聞き取れん。
俺はゲラゲラ笑いながら、新人時代を思い出す。
あの頃、受けられた任務は他になにがあったっけなあ。
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初雪前、西地区にホブリドの小群が来やがったそうだ。
ゴボウ畑と麦畑、来年休ませる畑の整備作業を手伝っていた新人四人組が撃墜した、と聞いた。
案の定、あいつらだった。
「いやなあ……ちょっと他が真似できんと言うか。今でも冗談かと思うやり方でな」
裏庭で詳細を語ってくれたのは、第三衛兵団に属する若手だった。
魔工石講座は、嫁探しの出会いの場じゃねえぞ。なんだお前、ちゃっかりソインさんの娘さんと目で会話する仲になりやがって。
あのおっさん、ああ見えてまだまだ強いぞ。
新婦の男家族と新郎が手合わせした後に、役場に届出を提出するのがリーシュの結婚式だが──ソインさんは飛び蹴りと浴びせ蹴りが得意なことを、こいつは知っているんだろうか。
知らない方が、面白いことになりそうだ。黙っておこう。
なんでも、ホブリドの小群が上空に到達したタイミングで、ワーフェルドとクードが「カルゴを放り上げた」そうだ。
この時点で、ちょっとなにを言っているのか分からない。
カルゴは空中で、小袋の口を開けて≪水刃≫を唱えた。
立て続けに、四方向へ。
小袋の中身は以前、魔法の家で買い取った水晶粉だったそうだ。
ホブリドが広げた羽は、普通の鳥より堅く、だが石切場の岩盤より硬度が低く──半ば切断された、らしい。
変な体勢で落ちてきたカルゴを、投げた二人で受け止め。
遅れて墜落してきた手負いのホブリドどもは、立ち会っていた畑主や土魔法使いたちと八人がかりでボッコボコ、とのことだ。
第三衛兵団が駆け付けた頃には、キリャの矢を頭から生やし。
関節部が長柄鎚や棒の殴打で腫れ上がって。
槍や鍬で首を切断されかけた、三羽のホブリドの屍が転がっていた、そうで。
血が染みた畑土を掘り除いて、香ノ木林に運搬しなきゃとか。減った土をどこから補うべきか、とか。
腐葉土や、団粒促進用の養殖蚯蚓の投入留保で予定がずれ込むとか。
一羽の目を貫いていた矢が、燃えていたとか。
決戦の舞台となった畑がある村は、大騒ぎになったそうだ。
いつぞやの石切場のように、南方向から──今回は越冬地を求めてきた、逸れの牡三羽は、無事に素材と肉になったようだが。
俄には信じがたい戦法を披露した四人組は、頭を抱えた第三衛兵団に、役場まで連行された、と。
「……うん、分からん」
俺が思わずそう呟くと、周囲からも首肯が返った。
「仲間を放り上げるのも、ぶった斬らせるのも、理屈は一応その……分からなくはないんだが。
いざそれを実行できるか、ってなるとなあ」
「空中で呪文……」
「石や岩がなかったからカルゴを投げました、って言われて、宰相殿が腹を抱えて笑ったらしい」
それは見たかったな。
仲間へ抱く絶対の信頼と連携、離れ業、任務完遂実績。一年未満の新人のものではない、と見習いの制限を解かれる運びになったが。
「あの子たち、断ったんですよ」
ソインの娘が、笑いながら恋人の後を引き継いだ。
「それが報奨なら、いりません。俺たちはまだリーシュのことを知らない半人前ですから、って」
ああ、あんたは今年から屯所の内勤に就いてたんだっけなあ。ソインさんと去年の今頃、武の酒場の二軒隣で一緒に呑んでたのは噂になっていたっけ。
アーガ先輩みたいに街の風になります、って宣言して、ソインさんが渋い顔になったって聞いたぞ。
「代わりにね、ワーフェルド君の名前をください、ですって。宰相さまなら、南の大国の言葉をご存知じゃないですか、って」
その言葉に、裏庭にいた全員が同じ顔になった。
二十年近く前、武装商会に連れられてやって来た男は、なにもかもが異質だった。髪も瞳も黒く、肌色や目元の彫りの深さも違っていた。
実年齢より若く見え、膨大な知識と知恵を有し、小国家群で使われている原器を持ち込み、曖昧だった度量衡を精確なものにした。
──僕の両親は南の交易商でね。≪青き海の国≫の請願に耳を傾けることさえしなきゃ、最高の人間だったよ。
戯れ言のように過去を語った男は、リーシュに根を下ろした。
大人なら知る、昔話だ。
「……まあ、ご存知だろうな」
宰相殿を知る者であれば、ワーフェルドの風貌は「南」に所縁があるものと量ることができる。
顔立ちは違っていても、体格が異なっていても、その身を彩る色が同じなのだから。
「もう小童って呼ばなくていいんだな」
何故か、俺は落胆し、同時に安堵した。
まださほど親しくはないが、顔見知りだ。
宰相殿同様、リーシュに根を張って生きる者が真名を得るのは、祝うべきことだろう。
「それがですね、ええと『ぱんきち』って」
「「「はあ?」」」
しんみりしていた裏庭が、途端に大騒ぎになる。
「ぱんきち?」
「なんだそりゃ!」
「ちょ、え、本当に?」
「本当ですよ、クード君は『だっせぇ』って一刀両断したそうです」
「いやその場にいたらオレも言うわ、だっせえ」
おい平衛兵、言ったらお前さんの首が飛ぶぞ。失職という意味で。
結婚前に無職になってどうする。
「ちょ、待て。俺たちが聞き慣れない言葉なだけで、なんか意味があるんだろう」
取り成すように尋ねれば、彼女は肩を竦めた。
「遍く広がる吉報、とかいう意味、だそうですが……」
「そ、そうなんだ。いい意味……いや、やっぱダセェ」
おい彼氏。
「……ふ、ふふ……本人も、クード君たちも、ぷっ……しまった、って顔をして……ぷぷぷ」
おい彼女。
「ぱんきち……」
「ぱ」
向こうで織物工房のご隠居さんが噴き出し、それを皮切りにとうとう全員で笑い出す。
済まん、ワーフェルド。
済まん、宰相殿。
まあその、なんだ。あれだ。
ウェドを誰も「エド」と呼ばないように、ワーフェルドを誰も「パンキチ」とは呼ばないだろうな。
と、確信した。
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九の月の終わり、夜更けに粉雪が舞った。
朝、僅かに残っていたそれは、昼までに消えた。
街では竹屋根の点検が急がれ、壁や戸窓の補修も進む。
ロバ小屋のある三の通りの広場では、小さな祭が催された。オーシャと四人組と王様が中心になって、干し果実が入った平焼きを配ったそうだ。
「冬の祭日」の前祝いのように、奏士や楽士らが吹き奏で吟い、踊りの輪ができたらしい。
商魂逞しい連中が、露店を幾つか開いたとか。
重い膝を騙しながら覗きに行けば、人混みの中で母と姉一家に遭遇した。
笑顔でいることが参加条件、という新しい祭の規則に──俺は救われた。
恐らくは、母たちも。