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改め、迎える‐植物魔法使い Ⅰ




 物心ついた頃から、緑はすぐそこにあった。


 玄関脇の虫除け蓬菊(タンジー)

 庭に植わった香ノ木は黄葉も紅葉もせず、季節ごとに(さか)りが変わる数多の鉢植えは、異なる緑と花を見せる。

 刈られ、干され、束ねられ。

 窓際に吊るされたハーブたちの芳香には、微かな青臭さも混じる。


 料理にも飲水にも、ハーブの香気があることは当たり前だった。

 公営施設や店舗のように≪機工角灯(ランタン)≫を持たない民家では、獣脂や植物油の照明で──虫除けと臭気の緩和目的に、ハーブが混じる。


 数軒おきにある共同井戸や、旧い建物の庭にある家井戸の横に、香ノ木を植えることと。

 七つ通路の脇に香ノ木が並ぶことは、≪豊国(リーシュ)≫の定めであり、象徴だ。


 川藻を食らう魚、山の恵みに育まれる鳥獣、青々と繁る畑。

 刈られ、裂かれ紡がれ、糸に布にと変わる麻。

 染める前の布を浸ける豆汁、色になる草木や花、樹皮。

 甘味を授ける樹木や(くず)

 苦痛を和らげる薬は、母の薬研(やげん)や乳鉢を経た、緑。

 蜂が集めた花蜜(はなみつ)を分けてもらうのは、夏になるまで。


 俺に植物魔法の力が(あた)えられたのは、幸運だった。

 街に住む子より、農村部の子の方が、適性持ちが多いとされるのだから。



 □ □ □ 



 兄と姉は、結婚を機に家を出た。

 薬師である母の跡は継げぬ、己にその才はない、と。

 言外に俺は期待されたのだろう──だが、末子である俺は、≪公務遊撃隊(パルトフィシャリス)≫となって家を飛び出した。

 母に、通いの弟子が複数いたから、と言い訳をして。


 俺は根付いた植物に長く触れることで、害あるものか(えき)となるものかを知れた。

 どの枝が病んでいるか、いつ枯れるか、植物が直接、教えてくれた。

 言語を持たぬ植物は、俺の痛覚へと合図を送る。仔細を、希望を、それを翻訳するのは難儀だったが──知ることは、楽しかった。

 緑の中で力を振るい、見知らぬ新種を持ち帰ろうと汚泥(おでい)(まみ)れることすら、苦にならなかった。


 緑は絶対の畏怖(いふ)であり、人が()かし操ることができるものであり、飢餓を()たすものであり、国を満たすもの。

 リーシュは、満ち足りた緑の国。

 俺は国を豊かにする、選ばれた緑の申し子なのだ、と思い上がっていた。




 家族より、誰かより、自分と仲間が一番大事だった。

 己の才と野望と、それに伴う対価こそがすべてだった。


 植物を、そのままの(ことわり)を越えて操ること、が可能になった日に得たのは。

 魔法が使えぬ宰相殿や、武の才に恵まれぬ王を越えた、という思い上がり。




 愚かだった。


 半ば捨てた家族が、血縁が、いつまでも変わらず居てくれると甘えていたことも。

 想い合った女性が、自分を万事優先しないと怒り、別れたことも。

 己に与えられた権利であり、当然だと思っていた。


 義務も、配慮も、気(づか)いも果たさぬ自惚(うぬぼ)れ者は──緑の中を走れなくなるまで、それに気付けなかったのだ。




 慌てて悔いて、改めて。

 言葉を尽くし、態度で見せて。

 取り(こぼ)したものを拾い集めて、寄り添おうとして。

 なにを今更、と老いた母に伸ばした手を()()けられた。

 かつての恋人はとっくに、他の男と所帯を持っていた。




 俺は派手に間違えた。

 周囲に甘えを押し付けて、自分を保つことに専念し、他者に重きを置かなかった。


 なあ、お前さんはこんなおっさんになってくれるなよ、ウェド。

 今、そこにある「当たり前」は、なに一つとして「明日もそこにある」ものじゃないんだ。


 聞いてるのか?

 俺は酔っちゃいねえぞ。


()み過ぎです、テルダードさん」




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 外国から来たウェドは、(おご)りを捨てれば──有能だった。

 規則性を見()だし、仮説を構築し、挑戦と失敗を繰り返すことで本質へと迫っていく思考作業を、苦と思わない。

 魔法研究、との建て前に恥じぬ再編と筆記っぷりは、俺の助手にしておくのは勿体ない。




 試験導入された≪草紙≫に、びっしり書かれた「発動条件推論」。

 鉱石と導体を用いた「媒介(ワンド)」を併用することで、集中と想起を容易にする、との内容を読みながら。


 執務机に肘をついた宰相殿は、黒髪を()いた。


「ああ、まあ、そういうことだろうね。属性ごとの好相性……金、銀、銅、鉄、鉛、(すず)

 水晶、は魔工石になるくらいだ、全属性向けか、そうか。

 じゃあ早速、彼の短杖(ワンド)を接収、分解して構造解析しないと」


「私物、いえ、個人財産の徴収になりませんか」


「元に戻して、()()()いいじゃない」


「壊さずに戻せる確証はおありですか?」


 そこだよねえ、と天井を(あお)ぐ宰相殿に、俺は嘆息した。




 宰相殿は、腐敗した某国からリーシュに逃れてきた文官だった、と聞く。

 どこまで本当かは、分からない。


 小国家群で使われる度量衡(どりょうこう)の原器を複製してすり替え、持ち出し。

 流れ人の死体を自宅家財と共に燃やし、己の事故死を(いつわ)って。

 あらゆる知識を頭の中に詰め込んだまま、名を変えて──「武装商会」を頼り、出国した、と。

 どんな目に()ったら、そこまでするんだ。いや、信憑(しんぴょう)性不明の噂、だが。


 ≪丘の国(ベルガス)≫の氏族連合代表議会からも、≪陽の国(ディスティア)≫の王公からも在留所属を求められたが、冒険がてら入国したリーシュで。

 邂逅(かいこう)した少年に、王の器を見、(ひざまず)いて従士(じゅうし)となることを求めた、と。

 こっちは一応、本当のこととされている。


 魔法を使えぬ身であり、俺より年嵩(としかさ)ではあるが──あらゆる面で、勝てる気がしない。

 怠惰と現状維持の結果で独身である俺と、王と国にすべてを捧げようと私生活を捨てた宰相殿。

 その差に気付けなかったかつての俺は、しみじみと間抜けだったと思う。


 魔法の才を持たない宰相殿の武器は、知識と経験と計算、組織作りと指揮能力。

 近くで仕事をするようになるほど、多岐(たき)に渡る能力に愕然(がくぜん)とする。

 この超人に勝てると思った、かつての俺の目は節穴だったな。絶対。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




「いらっしゃいま──あら、テルダードさん」


 振り返ったケフィーナに軽く頷き、俺は額に手をやった。夏の盛りを越えた夜でも、まだ汗はかく。

 走ることができなくなってから、俺は二つ通りを往復することが精一杯になった。


「今日はなにがある?」


「塩漬けキャベツと茄子(ナス)の川海老炒め、≪魔獣(ホブリフ)≫の内臓焼き、薄焼きの蜂蜜添え」


「またナスかよ」


 ざり、と顎を撫でると、ケフィーナは肩を(すく)めた。


「しょうがないわよ、豊作なんだから」


 パルトの新人どもが、南地区から連日、ナス満載の荷車を()いてくるとは聞いていた。

 しばらくは皆に喜ばれていたが、通う酒場で、こうも続くと飽きがくる。

 やれやれ、すっかり贅沢(ぜいたく)口になったもんだ。


「ホブリフはこの前のか」


「そうよ、鹿型」


 いつもの席に座る。「武の酒場」はなんだかんだ、毎日違う料理が出てくるのが独身男にはありがたい。

 調理場に続く開口枠の隣では、異国からきた細身の乙女が、竹笛奏士の曲と酔客の手拍子に合わせて踊っていた。

 (ひるがえ)るスカート、ちらと見える足首。娼館に通えるほどの甲斐性(かいしょう)がない連中には、さぞ扇情的に映るだろう。

 だが、彼女に手を伸ばす愚者はいない。


「……いいねえ、華があって」


 (ぬる)い湯冷ましを含み、嘆息した。

 二月前の騒動は、大層愉快だったと伝え聞く。




 オーシャという名のあの乙女は、技術者であり伝播(でんぱ)者であり、聞き馴染みのない神に仕える存在だ。

 舞い踊る神、とその教義には誰もが一瞬戸惑ったが、宰相殿の告知もあって排斥や差別には至らなかった。


 個人的には、彼女が持ち込んだ≪黄赤(きあか)の花≫に、ときめいた。

 土魔法研究本棟に頼み込んで、「魔法の家」の裏庭で一鉢、面倒を見ている。


 彼女は日中、土魔法使いたちが管理する試験農場や役場で働き、日暮れから月が傾くまでは、ああしてこの武の酒場で──妙に流暢(りゅうちょう)な教義を(うた)うか、要望があれば踊る。

 教義内容は新鮮だが、よくよく聞けば穏和(おんわ)で優しく、ほろ酔いの耳で聞くのは、悪くなかった。


 口説こうとした若いもんもいたが、迎えに来た第二衛兵団長(チューシェ)さんの愛娘の口撃に退けられ、ケフィーナに腕比べを挑まれて諦める。

 あのちびっ()コディアは、ウェドの見張りと生活介助役として働くようになって、気の強さが増したからなあ。




 ただそれでも、酒が入ると歯止めが()かなくなるバカは現れる。


 東帰りのパルトの一団が、頭数にものを言わせて彼女に迫ったのだ。


 流石に人は斬り倒せないケフィーナを足止めし、うるさいコディアを引っ(ぱた)き。

 荒事に向かねえ癖に、間に入ったウェドをどついて吹っ飛ばし。

 彼女の、細っこい腕を掴んで。


 直後、駆け付けたチューシェさんと、交替休みで戻ったばかりのシェダールさんにぶん殴られた、と。

 いやあ、この目で見たかったねえ。リーシュ最強兄弟の、ぶちギレ大捕物(とりもの)


 そのことがあって、彼女がシェダールさんの養女(むすめ)で、チューシェさん家に住んでるって広まったんだよなあ。

 おまけにカルゴたちも駆け付けて、連中はずぶ濡れになって()せ返ったとか。

 いやあ、カルゴが組んでる黒髪の兄さんも大暴れして、人型ホブリフ三人組状態とか。見たかった、ああ見たかったねえ。




 そんな、楽士が(うた)う英雄喜劇のような一件は、(またた)く間に国中の噂になった。

 酒が抜けて平身低頭のパルトどもは、年内は宰相殿の監視下で強制労働。(わず)かな余暇すら、第二衛兵団の詰所で(しご)かれているそうで。


 ≪魔蟲(ホビュゲ)≫も殺せぬオーシャちゃんは、今や王様くらい、誰にも手出しができない、と。

 ……そりゃいいが、将来どうすんだろうなあ。

 恋だってしたいだろうに、(そび)える防壁が最強かつ堅牢すぎて、寂しいことにならなきゃいいが。



 □ □ □ 



 小気味良く踏まれる床が奏でる音に耳を傾けていたら、ケフィーナが料理を運んでくる。


「なぁにやらしい顔してんの、いい年齢(とし)して」


「心外だな、俺ぁ人型ホブリフたちとやり合う気もねえし、あんな細っこい娘は好みじゃねえよ」


「そうよねえ、テルダードさんはおっとり女将(おかみ)さんが……ってのはもう昔話?」


 やめろ、あいつの耳に入ったら困らせるだろうが。

 俺たちの過去の交際を知る者は多いが──()りを戻そう、なんて俺は望んじゃいないし、それができる立場じゃない。


「残業せず、毎日来てちょうだいよ。あの日もテルダードさんがいたら、≪防御草木(デフェンドプランタ)≫で店内の破損が少なくなったのに」


「無茶言うな、ここじゃ店中、枝だらけになっちまうぞ」


 製材された床板や柱から生やせる質量は、魔法防御力を伴わせるものなら──細枝程度だ。

 魔法の家の裏手のように、土に根付いた「弄(いじ)れるナマモノ」がありゃ別だが。




 塩の効いた内臓焼きを頬張っていると、カルゴたちの姿が見えた。噂の黒髪兄さんは、あれか。確かに外国人だな。


「お久し振りですー、テルダードさん」


 少し大人びた問題児、もといキリャが声をかけてくる。

 おう、可愛げもへったくれもないカルゴも元気そうでなによりだが。


「……あんた、その装具」


「だれ? はじめてまして?」


 オーシャちゃん同様、片言でそう尋ねる兄さんは。

 俺たちが最後に狩った、足蛇の革でできた新品の鎧と兜を着けていた。




 ≪緑楠≫の棍棒を携えた兄さんは、小童(ワーフェルド)と自己紹介してきた。なんだその名は。ふざけてんのか。

 そう思ったことが顔に出ていたようで、カルゴに返される。


「本人がそう呼ばれてきて、これでいいそうです」


「良くねえだろ、渾名(あだな)にしても、もっとマシなもんにしろ」


「ぼくはこれでいい、です」


 流れで同席してきやがる。お前ら、えらい図々しくなったな。魔法の家に来た頃は、おどおどしてた癖に。

 もう一人は、二人やワーフェルドとの間合いを目で測り、面識のない俺へ(わず)かな警戒を見せていやがる。

 なんでパルトやってんだろうな、こいつ。気質は明らかに、衛兵向きだろうに。


「あのねー、魔法の家の副長さんなのー、テルダードさん。植物魔法使いで元パルトよー」


 気が抜けそうになるキリャの紹介に頷き、俺は右手をワーフェルドともう一人に差し出した。




 四人は、定期的にオーシャを護衛する役を(にな)っているらしい。

 暴発炎上娘(キリャ)と踊り子が、なにがどうして親友関係になったのか、までは分からんが、任務以上の仲である、と。


「あの、おれらはまだ『外』に出られねえんですが……どんなホブリフだった、んすか」


 クードという少年は、俺が膝をやっちまった頃に、魔法の家で挫折を味わったらしい。

 なんとなく、同時期に将来を憂いた仲間感覚になる。いや、年齢が親子ほど違うが。

 職人見習いを経てパルトになった彼は、俺よりずっと早く、大事なものを理解できているようだった。

 いいぞ、そのまま真っ直ぐ進むんだ。


「おう、ワーフェルドが着けてる足蛇は──東南の湿地帯にいたな。向こうに行けるようになったら、膝下防具をどうにかしろよ」


「どんなの、いる?」


 何故かわくわくした顔で尋ねてくるワーフェルドに、俺は肩を竦める。

 こいつはあれか、恐怖心が吹っ飛んでる欠落者か。仲間にはしたくねえ奴だな。

 濃い肌、黒目黒髪は、暮れる前に面会した宰相殿に似た色合いだ。


「お前はあれか、南の大国出身か?」




「みなみちがう、ぼく≪中央国(セトラム)≫」


「そうか、混血か」


「こんけつ?」


 首を傾げる大男には、宰相殿にはない可愛げがあった。


(ルーツ)は南だろう、宰相殿のように」


「黒おじさんー?」


 キリャの言い方に、うっかり笑う。なんだその渾名は。


「ワーフェルド、はリーシュ……と、小国家群で(つか)われている言葉なんだろう? 向こうでの意味は知らんが、リーシュ(こっち)じゃあんま素晴らしい意味じゃないぞ。

 お前さん個人に相応(ふさわ)しいのは、南の大国の言葉、の名前じゃないのか」


 俺や兄の名が、ディスティアの地域語から()られたように。

 名は家族や先祖、所縁(ゆかり)や故郷から続く。

 (まど)わず、立てるように、と願われて。


 そう説明すると、四人はそれぞれ難しい顔になった。


「んな大層なモンじゃねえと思う。うちは兄貴たちと一字違いだし」


「ひい婆ちゃんの名前って聞きましたー」


「俺は……どうだったのか分かりません。あ、昔はクードと呼び間違えられました」


「あったあった」


「お母さんが『クード、水()きできる?』ってー」


 けらけら笑う三人は、家族との絆が強いようでなによりだ。


「……ぼくは」


 だが、ワーフェルドにはそれがないのだろう。故郷を捨てても、思い出は残るが──こいつには、それすら希薄なのかもしれない。

 人名でなく呼称を名とする、なんて、家族が一人でもいればそうはならないだろうから。


「ワーフェルドは通称で使えばいい、だが真名(まな)は持て。根無し草にならないために」


「……リーシュで、ワーフェルドはどういういみ?」


小童(ワーフェルド)、は、未熟な子ども、って感じの呼び掛けで遣うな。

 危ないことをやらかした子どもを(しか)ったり、説教したりする……血縁がない相手から、だ」


「よかった。ぼくみじゅくだから、へいきだです。かぞくいない、です」


「……そうか」


 変わってんな。

 まあ、本人が納得してるなら、そう呼ぶが──小国家群では、どういう意味なんだろうな。


 だが、血縁がいないなら、人の縁を繋げ。

 誰だって、独りでは生きていけないのだから。

 亡き後に、誰かになにかを(のこ)し、継げ、繋ぐように。

 灰になるだけの命で終わらないように。


 そう言おうか、と思ったが、俺は黙ることにした。

 知らんおっさんの人生訓(じんせいくん)なんざ、鬱陶(うっとう)しいだけだろうから。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 四人組とは、武の酒場で顔を会わせるようになった。

 干したナス皮の油焼きを酒の肴にしていたら、藁屑(わらくず)塗れで駆け込んできたこともあった。


「おう、麦刈りか」


「いえ、藁干しと燻蒸(くんじょう)です」


 すん、と鼻を鳴らせば、確かに煙いな。特にクード。


「クードが大活躍だったんですよー、ねー」


「……別に、大したことじゃねえ」


「そうかー……んじゃ、藁布団の詰め物交換がそろそろか」


 貸部屋の近隣を思い出す。子持ちの娼婦、家族との折り合いが悪かった独身職人、独り身の氷売り、傷痍(しょうい)衛兵。

 中々どうして、昼間に布団を店へ持ち込むのが、難しい面子だ。昨年、詰め物交換できたんだろうか。

 大家は、布団の状態まで管理してねえよな。


「なあ、貸部屋棟の布団交換って任務はあるのか?」


「依頼でしたら代理申請しますよ?」


 カルゴが竹札と木炭を出して、にやりと笑う。

 手慣れてやがる。本当にお前ら新人か?


「何組希望があるか分からんから、先ずは俺の分だけやってくれ。そん時に各部屋の扉に『中材(なかざい)詰め物交換代行します』って竹札(くく)っときゃ」


「あれー、テルダードさん?」


「お疲れ様です、あ、今日の献立はなんですか」


 と、コディアとウェドが雪崩(なだ)れ込んで来た。おいおい、今晩は随分と(にぎ)やかだな。


「んなもん、ケフィーナに()け」


「ダメですよ、このヘタレおっさん(いま)だに緊張して」


「えー、なになにー」


猪脂塗り(スマレッツ)と野菜スープだよ、いらっしゃい」


「あ、ども……」


「あー、ウェドおじちゃんだー! おっす!」


「こら! 一応お客さんでしょう!」


 そこにケフィーナと息子が現れ、いよいよ大騒ぎになる。


「構いませんよ……おっす、お手伝いか?」


「うん! お皿あらったらねる!」


 参ったな。

 ウェド、お前そんな顔で笑えたのか。

 夜なのになんて明るいんだ、ここは。


 ふと、視線を逸らすと。


 オーシャもワーフェルドも、俺に似た顔をしていた。

 目を細め、(まぶ)しいものを(いつく)しむような。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 高く積み上がる雲と夕立(ゆうだち)がなくなり、空の青さがより遠くなった頃。

 ()の下を歩いても汗が出なくなり、リーシュの麦畑はいよいよ本格的な収穫を迎える。


 雪渓(せっけい)が小さくなっていた「白の山脈」だが、天辺(てっぺん)から短い夏が終わる。

 工作兵──リーシュの関所とベルガスを結ぶ「人には見えぬ道」を探る、どこぞの偵察兵が不定期に残す()()()()()()の撤去を担う専門家──たちが、≪蟲の森≫から越山し、設備の建て替えを終えた大工団に合流して帰還する。

 それに続くように、関所の駐在衛兵たちが、下山して来る。


 ウェドのことといい、()()()()()

 二国以外の小国家群は、いつになったら、夢から()めるのやら。

 リーシュは黄金郷でも楽園でもない、ただの辺境小国に過ぎないんだがなあ。

 



 一斉に、国中が動き出す。

 村人は鎌を持ち、ひたすら麦を刈る。

 見習いパルトたちが自前の鎌を買い求めるようになるのは、この時季の任務のほとんどが収穫手伝いだからだ。

 刈り束ね、干し、実を外し──藁は素材として肥料用に、細工用に、布団用にと分けられる。


 秋咲きの花蜜を求め、蜜蜂は最後の貯蓄に励む。夏までのように奪わないから、安心してくれ、と声をかけたくなる。

 林や森では、許可証持ちが果実の収穫を競う。

 共同作業場では休むことなく加工が続き、備蓄倉庫からは各地区に、塩袋が運び出される。


 街中でも、手仕事の成果があちこちに(さら)される。

 何軒かが共同で、漬け物を仕込むのだろう。民家商家を問わず、軒先に複数種類の野菜が干され。

 布糸の買い足しに向かう奥方たちの姿が、三つ通りに散見され。

 子どもは遊びでなく、連絡や購入手伝いに走り回り、忙殺される。


 麦糖の値が上がり、酒と酢の小売りが減る。

 傷あり果実は大急ぎで加工所に搬送され、農作業の合間に摘まめる混ぜ込み菓子が焼かれ、それを巡回商人と雇われパルトたちが駆けながら売る。

 冬越しを目論む、野山の獣と人との遭遇が里山で増え──武の酒場にも、肉が増えた。


 ≪魔蟲(ホビュゲ)≫も≪魔鳥(ホブリド)≫も、出現頻度が上がる。事件も事故も、伴う犠牲も。





 収穫作業中に、見習いパルトが二人、死んだ。

 南地区での、ことだ。

 夏季に比べ、屋外作業に勤しむ人の数が増えれば──それを狙うホブリドも、増える。

 臨時で≪魔忌避香(ホブフリオスメルジャ)≫を()く場を増やしたとて、完全には防げないのだ。


 里山に入り怪我をする者と、その顛末(てんまつ)

 今年の栗や胡桃の実付き。

 どの区画の小麦が「(ふく)らみが足りない」薄いものか。

 俺の後輩にあたる植物魔法使いたちが、各農産地区を走り回って確認し、施肥(せひ)や天候の記録と照合した役人たちが、土魔法使いと翌年の方針計画会議を行う。


 人と物の流れと共に、情報も街に伝わる。

 ()きも悪きも。

 街から出る力を失い、収穫にも加工にも関わることがない俺は。

 (あわ)ただしく焦り、笑い、嘆き、動く人の流れや輪から取り残される。



 □ □ □ 



「……なにかを、作りたくなりますね。向いてないと分かっていても」


 火魔法以外の「発動しやすくなる」長文呪文を明確にするべく、分解と再構築という思考作業に()くウェドが、そう(つぶや)いた。


 魔法の家には、四季がない。

 希望者の指導と、聞き取りの写しと編纂(へんさん)、冊子の補修は暑さ寒さに関係がない。

 機工ランタンの光源作製は、春夏に需要数がやや減るが、それくらいしか差異はない。


「もう、野菜ごとの水やりも、雑草の見分けも忘れてしまいましたが」


 麦はまだ束ねられるかも、と竹ペンを置き、手指を動かすウェドは、農家の生まれと聞いた。

 農具の扱いを忘れた代わりに、知識を持ち込んでくれた──ただの紋様(もんよう)程度に思われていた刻印が、規則性のある文字である、と。


「あたしは麦の刈り方も、知らないや」


 その隣で、ウェドのワンドを借りながらコディアが魔工石へ「光の素」を込めている。随分と、器用になったものだが──暴発すると危ないので、俺はミント鉢を寄せて万が一に備えている。


「便利ですね、デフェンドプランタって」


「万能じゃないし、加減を間違えると枯れちまうがな」


 対象魔法の影響効果相殺(そうさい)と、多少の物理衝撃軽減。

 割れた水晶片が飛び散っても、同じテーブルにつく三人の、怪我くらいは防げる。


「テルダードさんがいるから、あたしたちは色んな挑戦ができるんです。助かります」


 コディアはウェドが入国してから、はっきりと大人びた。

 口喧嘩(くちげんか)をすると以前のままだが、それ以外では落ち着き、他人との距離が適切になり、(いら)立ちと焦りが消えたように思う。

 いいことだ。


「でもね、そういう魔法がある、展開してるってことは、ちゃあんと言わなきゃダメですって。

 言わなきゃこっちも分からないし、伝わらない気遣いは意味がないんです」


 手厳しい。

 無精髭を撫でながらウェドを見ると、苦笑いが返った。目を合わせ、頷き合う。


「あっ」


 バチ、と音を立て、コディアが摘まんだ水晶が割れる。

 ひょろん、と伸びたミントの枝が揺れたが、魔力が吹き荒れることも破片が散ることもなかったので、光り枯れることはなかった。


「しまったぁ……まだお喋りしながらの注入は、無理でした」



 □ □ □ 



 入国前から、小国家群に属すセトラムの間諜(スパイ)見做(みな)されていたウェドには、監視がついていた。

 「武装商会」の飲水供給専門家である、あいつの亭主がそうだ。


 水魔法使いとしてはそこそこだが、剣と尾行を得意とする、元パルトの斥候(せっこう)職。

 宿屋の跡取りのはずが、しょっちゅう姿が見えなくなる──宰相殿直属の、工作員の一人。


 ──うちの宿に放り込みました。妻に魔法の家へ誘導させ、幾つかの商店情報も与えるように頼んでいます。平時は魔法の家へ縛り付けておいて、無駄に街の外へ出さないように願います。


 そう伝えに来た顔を見て、知った。

 亭主は、俺が、妻の元恋人だと理解している。

 あいつに微かな未練がある俺の息の根を、任務ついでに止めに来たのだ、と。



 □ □ □ 



 だが、と俺は小さく笑う。

 事態は、あの亭主の予測を越えた。


 ウェドは(くすぶ)っていたコディアを目覚めさせ、補助員とはいえ定職へ就かせる要因になった。

 ケフィーナと出会い、衛兵たちへの敬意を態度で見せ。

 スーと友誼(ゆうぎ)を結び、休日には歩行に難がある彼の元へ、酒や保存食を持参し、語り合うようになった。

 武の酒場の常連であった俺と酒を()み交わし、その中で過去を語った。

 だから俺も、胸襟(きょうきん)を開いた。


 望まぬスパイ役から、如何(いか)に脱せるか。

 その相談は、わざと武の酒場で続けている。

 伝え聞いたであろうあの亭主と宰相殿が、どう感じたかは知らないが。




 俺が武の酒場に通い続けた理由は、通りすがりにあいつを見られるからだった。

 過去だ。

 今はもう、宿の受付を覗き見ることもない。


 季節を映す料理と酒を楽しみ。

 ワンドに目を輝かせたケフィーナの子と、親しくなるウェドの様を。

 外国から来た少女の、楽しげな踊りのリズムを。

 俺を打ちのめさない顔馴染みとの、交流を。

 まっすぐ育つ教え子たちを、毒づきつつ眺め、楽しむために通うのだ。




 真っ当な家庭も築けず、子を()せなかった出来損ないのジジイだが。

 眩しい奴らに関わり、少しでもその助けになりゃあいい。

 名も無き灰で終わろうと、少しでも(いた)んでくれる誰かがいりゃあ、それでいい。


 そう、心から思えるようになったのは、俺の変化だろうか、成長だろうか。

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