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新人パルト③‐火魔法使い Ⅳ



 □ □ □ 



 講師の人と向かったのは、南北川の中洲でした。

 お義兄ちゃんとクードは、納付運搬の手伝いで、お父さんやおじちゃんたちと使ったことがある宿営地だったんで、全然緊張してなかった。

 長旅をしてリーシュに来たワーフェルドさんは、ものすごーく手慣れていて……私だけ、興奮してた、んだけど。


「こんなに羽虫がいるんですかー!」


「ははは、そうそう。焚き火とランタン目掛けて来るから、鍋には蓋がいるんだ」


 私がぎゃーぎゃー騒いでいたら、ワーフェルドさんが自分の口を手で押さえる仕草を見せてきた。


「キリャ、さわぐのきけん。火やけむりはみつからないように」




 はい、講師のおじさんとワーフェルドさんに、むっちゃ教えてもらいました。

 ミントと酢漿草(カタバミ)眩草(クララ)なんかを漬け込んだ(とも)し油を使ったランタンを、跳ね戸を開けて風上に置くとか。

 う、結構きつい。


「しるしとおなじですか?」


「ああ、兄さんは山道で護身香(しるし)使ったんだっけ。あれはもっと色々混じっててなあ」


 よく分かんないけど、夜営って大変だわ。

 あと、下に筵を敷かないと、布団の直置きは危険ね。汚れちゃうから。

 洗濯屋の染み抜きは、高くつくし。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 夜営許可証を取ったら、何故か、赤の山々の関所への資材運搬任務を命じられました。

 ()せぬ。

 だって私たち、まだ「外」に出られる許可証ないよね!

 新人二ヶ月目の私たちに、なに言ってくれちゃってるんですか!




「──ここだけの話だがな、東と南の外へ、調査隊が増員されて人手が足りんのだよ。ワーフェルドは入国の際に通っているし、シェダールとも会ってるんだろ?」


「しぇだーる」


 受付のおじさんに問われたワーフェルドさんは復唱して、少し考え込んで。


「! 銅貨いろのひげ、じゃないえっと、金がまじったの衛兵さん! すごくつよいくさいひと!」


 ……どうしよう、リーシュ最強衛兵さんに、会う前からすごい先入観が。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 資材運搬任務は、大変だった。

 国境関所までは「外に(あら)ず」というのは、詭弁(きべん)じゃないかなー、と思うけど。

 だってそんな竹札任務、掲示板ではこの二ヶ月で、一回も見たことないのに。


 そう愚痴りながら、重い荷車を押して進む。これでも水樽がないだけ、軽いそうだけど。

 あと、衛兵詰所で貸し出された護身香は、全員の鼻に厳しかった。我慢してぶら下げてたら私たちはどうにか慣れてきたけど、ワーフェルドさんは早々に外して、荷台の端にぎゅう、と詰めている。

 大丈夫なのかな、あそこで。もしダニに噛み付かれたら、私が(あぶ)って取ってあげよう。


「……条件を、満たせば、提示される、んじゃないかと、思う」


「条件、って、なんだよ」


 農道に比べると凸凹が目立たないけど、(ゆる)い傾斜が続く道は辛い。

 右手に(そび)える「白の山脈」や(ふもと)森、細い小川やそれに渡されている板橋といった、目新しく見応えがあるものを楽しむ余裕はない。

 道は固いけど、落ち葉を踏むと滑りそうに、なって危ない。


「夜営許可証と戦闘力、いや、自衛力、かな。ホブリド、は出なくても、獣は、出るだろう、から」


 なるほど。

 確かにこの道にも、石柱香炉はあるし、枝葉のかごもちゃんとある。から、ホブリドやホビュゲ対策はできている、んだろうけど──野の獣たちは、その香を恐れない。ネズミ、兎、鹿に猪、までなら多分勝てるけど、熊は困る。

 先頭で牽いてる、ワーフェルドさんとクードなら、勝てるかもしれない、けど。二人が、前に出てくれたら、私たちも魔法が使えるし、でもその時は、この荷車が……。


 道沿いに下っていく、ならともかく、左手の林に突っ込んだり、小川に脱輪したりしたら、引き上げられる、かなー。


「腕力、もだよな」


「俺ら、だけだと西の里山、くらいしか、だけど、ワーフェルドさん、が」


 うん、お義兄ちゃんは、もう喋らない方が、いいと思う。




 ヒィヒィ言いながら進んでいたら、左手の林との境界柵戸から、知らないおばさんが現れ、私たちに手を振る。

 誰だろう。


「おーい、新人さんたち休憩取りなー」


 栗染めの長衣を羽織ってるから、土魔法使いだ。肥車の巡回や、堆肥分配でよく見た。

 毎年、鍬入れ前や収穫後にも村へ来て、土の具合を見てくれて、凌霄花(ノウゼンカズラ)を使った農薬に成功したから、葉が出てから使ってみて、って。


「ほらぁ、後ろのお嬢ちゃんが限界よー」


 済みません、その通りです、おばさま。




 土魔法の研究所、に続く柵戸の手前は、平らになった停車地、になっていた。

 おばさまはワーフェルドさんと並んで、梶棒(かじぼう)に手を掛けると、つい、と荷車をそちらに寄せるように、進めていく。

 うわあ、荷車使いの年季、が違うわ。


 へたり込みながら、竹水筒を肩から外した。二つ栓を抜いて、水を(あお)る。うあー、あー、しんどかったー。


「これこれ、車を()めてからにしなさい」


 笑いながら停め木を車輪に噛ましているおばさまに、慌てて立ち上がろう……として、失敗する。クードもお義兄ちゃんも、荷台に(すが)りながら息を切らしているし、ワーフェルドさんは梶棒の枠の中で膝を着いている。

 ぐぬぬ、と水筒を戻すと、震える膝を叩いて立ち、私は停車地へ向かった。独りで勝手に水まで飲んじゃって、格好悪い。




 ぜひぜひ、と息を(あら)らげる私たちに、おばさまは歩幅や重心、坂道を登る際のあれこれを教授してくださった。

 荷車は下り坂の方が暴れる、そうだ。気を付けないと。

 朝の落ち葉は、踏むと滑りやすいから体ごと横向きにして、小刻みに進むといいんだって。


「秋ほどはないけど、今頃は清掃任務も少ないからねえ」


 香ノ木のように、紅葉せず年中繁っている樹木は常に葉を落とす。

 分かっていたはずなのに、なんなら村で、香ノ木の落ち枝葉を拾うのは子どもの仕事だったのに、その理由までちゃんと知らなかった。

 事故や怪我の予防、の意味もあったんだ。ホブフリオスメルジャの原料として、ただ売るだけじゃなくて。


「……あっちの森と、こっちの林には、どんな種類があるんですか」


 水筒を戻したお義兄ちゃんが、おばさまから学ぼうと竹札と木炭を出した。

 そうか、白の山脈の麓森には見慣れない木もあるし、間隔を空けて並ぶ林の樹形も一種類じゃない。




 影が短くなるまで、おばさまと色々なことを話した。私たちが誰も土魔法を使えないことにがっかりされるかな、と思ったけど、そんなことはなかった。

 堆肥は発酵時に熱が出るから、火魔法で温度を加減すると質や日数が変わるかどうか調べてる、とか。

 風魔法での乾燥の応用、水魔法の研究で分離や抽出が、とか。


「あ、水車小屋の研究分棟で、浄水が第二段階まで進んだそうです」


「そうかい、また向こうに人をやらなきゃねえ」


 知らなかった。

 魔法はそれぞれ、効果と役割が違うと思っていたけど、違う呪文で似た現象に至ることもあるんだ。

 でもそうか、風通しのいいところでも、台所のかまどの側でも、青菜は乾く。どっちが美味しいか、どっちが早いかは違うけど。


 クードの風が、私たちの魔法の範囲を変えてくれるのも、リーシュの開祖さまが奥さまの火魔法を最強にしたと聞くのも──あ、なんか色んなものが手を繋ぎ合って大きくなっていく。

 見えないけど、全部違って、全部同じだって。

 なんだろう、急に乗算が分かった日のような、感覚。



 □ □ □ 



 石だらけの宿営地、香ノ木林の簡易トイレ、南北川の源流の一つである速く細い渓流。

 日が傾く頃に着いたそこで、汗だくになったワーフェルドさんが、二月前の入国体験を思い出しながら教えてくれる。


「この川は、かえると小魚がいるです。体や頭をあらうのは、いけないと言ってたきいた」


 そして私が灯したランタンに、目を細める。


「ほびゅげの羽ランタンは、同盟国家群のランタンよりずっとあかるいです。むこうは銅の板に、あなをたくさん」


「魔工石じゃなく油と火だったら、風が入って消えるんじゃないのか?」


「あな、ぶっすりじゃない。ええと」


 ワーフェルドさんは香ノ木の落ち葉を拾い、山刀で円の下半分を描くように切れ目を入れた。ちょい、と刃先で持ち上げると、跳ね上げ戸と窓のような格好になる。


「こうなる」


「なるほど、中の光が穴から下向きに照らす形ですね」


「上下の穴から換気もできるんだな。(たがね)打ちで……幾つくらい空いてるんだ?」


 銅製なら、ランタンが大きく動いて炎が当たっても溶けなくていいなあ。

 ホビュゲ窓は、燃えないけど直火で溶けることもあるし、そうなると使い勝手は最悪になる。出先で補修、ができないし。


 話しながら、肉詰めの燻製干しと干し野菜でスープを作る。少し乾いた繋ぎパンを大きくちぎって匙代わりにすれば、晩ごはんだ。


「赤のやまやまには、草木がないです。石といわとすなばかり」


()き水も飲めねえって、受付さん言ってたな。

 ホビュゲや虫も、ロクに()まねえ、って」


「道幅や傾斜……坂はどのくらい急ですか?」


「きゅうでものすごくのぼる、ではないです。ラバげんきにあるくできた。きょうのみちよりさか、たかい? はばは……このにぐるま、いける」


 国境関所に至る山道は、街の七つ通路や、里山や斜面畑のような一本道でなく。

 曲がりくねって回り込んで、少しずつ高くなっていくらしい。

 ワーフェルドさんは川原の石を幾つか積んで、木炭でぐにゃぐにゃの線を引いて教えてくれた。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 交代で睡眠をとり、ちょっと背中が痛くなりつつ、また坂道を進む。

 ワーフェルドさんは、短い眠りに慣れているみたいだ。いつ声をかけてもすぐ起きてくれるから助かるけど、街に戻ったらしっかりぐっすり寝てもらいたい。


 第五関所で手続きをして、山道の詳細を衛兵さんに習った。

 曲がる際は崖側に(ふく)らまないように、と、より詳細な荷車の操作方法を聞いて広場で試す。

 後ろから三人で押していたけど、前後に回れるよう横に一人いた方がいいんだってー。


「得物は荷台の、手が届く場所に挟んでおけ。後ろの二人は停め木もすぐ()ませるようにな」


 本当に、学ぶことは山のようにある。




 いよいよ入った山道は、別世界のようだった。

 こんなに、なにも生えていない道は、知らない。衝き固めたばかりの農道より、足裏に硬質な感触が返る。敷石の上、を歩くのに近い。

 受付の人たちや土魔法使いのおばさま、ワーフェルドさん、衛兵さんから事前に聞かされていても、目や足を疑うほどだ。

 私が知ってる土の色じゃない。

 石切場の石礫(せきれき)とも違う、荒い岩砂地。


 靴屋さんの言葉を、思い出す。

 次に買い換えなきゃいけないのは、私たちの靴だ。




 落ち葉はないけど、荒砂の場所によってはざり、と(こす)れて滑る。

 気を抜けば、編み竹の車輪の隙間に小石が詰まる。


 お義兄ちゃんは後ろから、ワーフェルドさんに軌道修正を都度(つど)伝えるけど、中々声が届かなくて、上手くいかない。

 私が崖側の横に出て、伝言を中継するようにした。

 荷台に押されて滑落したくない、と言えば、ワーフェルドさんはできるだけ内側に寄せるようにしてくれたけど。

 曲がり道だと、ぎりぎりになる。


 崖下は見ない。

 絶対、見ない!



 □ □ □ 



 第四関所に着いたのは夕暮れ前で、私たちは衛兵さんに誉められた。

 山頂の第三関所までは、一日一関所、というのが初心者には丁度いいペースなんだって。もっと速い先輩たちって、凄いわ。


「下りは速まるが、登りより大変だぞ」


 笑いながら教えてくれる衛兵さんが、ちょっと(うら)めしい。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 翌日は日が暮れる直前に、第三関所に到着できた。できたけど、足も腰も背中も肩も、もうパンパンだ。

 これに比べたら、西地区半分走り回って農作業、の方が、絶対楽だわ。

 昨日から私の水樽は空にされて荷台に載せられてるけど、それでも。


「……トイレ、行くねー」


 がくがく笑う膝を叱咤(しった)して、山の色と同じ石造りの小屋へ入った私は。


「きゃああああああああ!」


 うっかり、便座の、なにもない中を見てしまって絶叫してしまった。

 だって、だって下が。

 うんと下に、崖の斜面がちらっ、って。

 これ、床や便座が壊れたら、ひゅーん、って。


 外からクードが扉を叩く音で、正気に戻れた。ありがとう、漏らさずに耐えられたわー。

 でもお願い、大丈夫だから向こうで待ってて。えっとね、音が聞こえないくらい離れてくれると嬉しいんだけど。




 ワーフェルドさん以外の、私たち三人には衝撃的なトイレは、第一からこの第三関所の間では「当たり前」だそうだ。

 何故、誰も前もって教えてくれなかったんだろう。


「そりゃまあ、運搬パルトがビビる様がこっちの娯楽も兼ねてるからなあ」


 ひどい。


「なんせ、定期連絡のテレフィミ以外、喋らない日もあるからなあ。

 あと第四も、同じ構造だぞ。あそこは下が影になっていて、分かりにくいだけだ」


 ……そ、それは大変ねー。って、そうか、気付けなかっただけで、もう経験してたんだ底無しトイレ。

 肥車は、第四と第五の間にあるトイレまでしか登って来れないそうだ。専門家の二重桶でも、(こぼ)れちゃうのかなー。

 今、荷台に積んでるお酒みたいに、樽じゃないと辛いのかなー。

 ちなみにお酒は、山で冷える衛兵さんたちの必需品というか、薬代わりらしい。下戸(げこ)だと就けない仕事なのね。


 ところでこの衛兵さんは、何故、私たちと一緒にごはんを食べているんだろう。


「お前さんたちには、残念な知らせがある。今日の昼に、≪蟲の森≫から招かれざる者共が入り込んでな、それが片付くまでは、ここに留まって欲しい」




「え」


 全員の匙が止まった。


「なんすか、それ」


「まね、まねく、あらざる……まねくされない?」


「えーと、正しく入国していない、ワーフェルドさんたちのように許可されていない、野盗のような連中……で、合ってますか?」


「野盗はよくない! ぼく戦う!」


 ガッ、と大きな長柄鎚に手を伸ばしたワーフェルドさんを、クードとお義兄ちゃんが抑える。私は落ちかけたお椀をキャッチした。


「いや、兄さんが戦うまでもない。もう『相当回って』いるそうだから、明日には動けなくなっているだろう。

 研究班が向かっているから、その処理を待てば」


「あのー」


 お椀を二つ持ったまま、私は困った顔になる。


「私たち、往復日数分の必要食料しか持ってきてないんですー。どうにか進めないでしょうかー」


「あ、そうだった。おれたち水は大丈夫なんすけど、メシが」


「ごはんへらす?」



 □ □ □ 



 その後、衛兵さんはテレフィミを何度か往復させて、私たちの予定と()り合わせてくれた。

 どうやら危険人物たちは、第二関所まで到達し──飲めない水に、香ノ木をほんのちょっぴり削って混ぜた差し入れを渡されたことで、無事に動けなくなったらしい。

 無事に動けない、って変な言い方だけど。


「……んなもん飲ませていいのかよ」


「健康な人間なら、山の水は腹が下る程度だ。

 香ノ木を少々()めたところで問題はない。あれを嫌い逃げるのはホビュゲだ」


「もしかして、胃や腸に寄生されてるんでしょうか。その連中」


 待って、体内にホビュゲがいる状態でそんなことしたらどうなるの?

 虫下しを()った後みたいに、にょろん、と出たあれを想像して、私は渋い顔になるけど。


「むしつき野盗」


 ワーフェルドさんの変な言葉に、力が抜けた。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 気を付けてな、と第三関所の衛兵さんに見送られ、朝の山道を下る。

 綿羽布団、あって良かった。山の上の朝晩が、こんなに冷えるとは思わなかった。

 着替えと外套だけだと、重ねて羽織(はお)ってても、風邪を引いていたかもしれない。




 しっかり忠告された通り、下りでは荷車が加速するので位置取りを変えた。今までは力で押し上げていたのに、今度は体で止める形だ。難しい。


「のぼる、ほうがらくだった」


「あーわー、左行かないでー! 落ちるー!」


 わあわあ言いながら、頑張って下っていくと第二関所が見えてきた。

 (うずくま)ってる、倒れ伏している、もがいてるヤバい人たちを囲むように、香ノ木の杭を打ち込んでいる衛兵さんがいる。

 木槌を振り上げてる姿に、いつかのクードやワーフェルドさんを思い出した。




 平らになった宿営広場、の端っこで休憩しつつ、衛兵さんと最後の手続き。じゃないわー、あと一回あるわー。


 なんとなく、(うめ)き声が聞こえてくる方は見ない。

 視界に入っちゃうけど、見ない。

 衛兵さんが、あいつらに触れる言葉を発さないので、私たちも問わない。


 第一関所まで、あいつらのせいでトイレは使えないと聞いたので、それだけで私は恨むことにした。

 三人はね、私が耳(ふさ)いで目を閉じてれば最悪──崖っぷちでどうにかできるだろうけど、私は無理だもんー。

 荷車を置いて、一人ずつ山道を走って戻って、トイレを済ませることにした。




 嫌な、汚ないものを見て、暗い気持ちでいたからだろう。

 翌日、排泄欲求と相俟(あいま)って駆け出した、ばかなクードの先にいた(ひと)が、凄くきれいに見えた。


 すごく華奢(きゃしゃ)で、薄汚れてるのにピカピカしてて、私より暗い色の髪を一つに編んで。

 明るい夜空のような瞳をした彼女は、オーシャさんという名前だった。



 □ □ □ 



 オーシャさんという「リーシュを知らない人」と、シェダールさんという「国一番の衛兵さん」の前で、いつもより格好をつけたのは私だけじゃなかった。


 お義兄ちゃんは、筋肉痛を見せないように振る舞っていたし。

 翌朝、≪緑楠≫かもしれない棒を譲られたワーフェルドさんは、張り切ってシェダールさんと手合わせをしてたし。

 ──農村や石切場の端で、長柄鎚を振るう練習をする姿とは、違った。ワーフェルドさんは、ただの棒で鉄槍衛兵と対等に戦える、ものすごく強い仲間だった。


 私は、オーシャさんとシェダールさんをさっぱりさせようと、頑張ってしまった。

 ら、その晩、オーシャさんにピカピカにされました。優しい。いい人だわオーシャさん。


 お二人に対して、口調も態度も全然変わらないクードが逆に大物に見えたけど、分かってますーただの贔屓(ひいき)目だってー。

 オーシャさんにお化粧してもらったのに、クードだけ誉めてくれなかったから、ちょっとガッカリした。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 汚れ仕事という想定外はあったけど、どうにか予定通りの日程で戻ってこれた。

 一人増えたけど、オーシャさんは途中から荷車押しを手伝ってくれて、細いのに健脚で、食べる量も多くなかったから。


 私とお義兄ちゃんが七割にするだけでどうにかなったので、我慢の範疇(はんちゅう)だ。

 お化粧品を作ったり、≪黄赤の花≫という新しい作物を育てたり、見たことない素敵な踊りができたりするオーシャさんのためなら、苦にはならない。

 虫下しが苦いよう、と半泣きの顔を私たちに見せるオーシャさんは、姉のような妹のような、不思議な感じ。


 街に入ったら、しっかりごはんを食べて、もうちょっと健康的な太さになって欲しいなあー。



 □ □ □ 



 第二衛兵団に荷車と交換資材と護身香を返しに行って、完了印をもらう。

 屯所へ帰って一休みしたいけど、みんなで入国管理棟の入り口へ戻った。オーシャさんの両替と、今日の宿を案内する約束をしたからだ。

 お手伝い任務の事後申請をするはずのお義兄ちゃんは、今日に限って竹札も木炭も出してない。いいのかなー。

 オーシャさんに返された槍を、嬉しそうにぶらつかせてるから、まあ訊かないでもいっかー。


「ありがとうごじゃいましゅ」


 ぺこり、と頭を下げたオーシャさんに、お義兄ちゃんはリーダーぶって余裕を見せている。

 オーシャさんは美人なのに、可愛い。


「構いません、チューシェさんとコディアさんも貴女を迎える準備がいるでしょうから、今日明日は宿に泊まった方がいいでしょう」


「お金ここでかえる、そいんさんこわいけどしんせつ」


 クードが率先すると思っていたのに、ずっとお義兄ちゃんとワーフェルドさんが世話を焼いているのが、ちょっと面白い。


 (たくわ)え額を大勢に見られたくはないだろうから、と外で待っていたら、ぱんぱんになった新品の財布を両手で持ったオーシャさんが退店してきた。

 技術者としての入国で、当座の生活費が銀貨で支給され、使いやすいように全額鉄貨に両替をしたら、こんなことになったらしい。


「おさいふ、かっちゃった」


 へにゃん、と笑うオーシャさんが可愛い。

 なんだかずるいなあ、華奢さと片言のリーシュ語の組み合わせって、問答無用で守ってあげたくなっちゃう。



 □ □ □ 



 二つ通りの宿屋、は私たちの誰も泊まったことがない。南地区出身の同期たちは、パルト受験で泊まったんだろうけど。

 ──そうか、同期たちは私たち以上にお金に余裕があるんだな、と思った。受かるか分からない試験のために、宿泊費を出せるくらい。

 それでちょっと、こう、なんとなーく、違うのかもしれない。


 ソイン店主が「武装商会」行き付けのそこを紹介してくれた、とのオーシャさんの弁に従って、看板を探し歩く。


 途中で装具屋さんに寄って、居合わせたお爺ちゃん店主にオーシャさんの棒──銀貨二枚、って呼び名がおかしい──を鑑定してもらったら、ちょっとした騒ぎになった。

 正真正銘の、緑楠でした。


 銀貨二枚で買ったから同額でワーフェルドさんに譲る、と辿々(たどたど)しく説明したオーシャさんは。

 お爺ちゃん店主から、手数料と希少性がどうの、って説教を食らって目を白黒させていました。

 可哀想だけど、仲間意識を抱いちゃうなー。

 金貨怖い、とブルブルしながらお爺ちゃん店主に預け戻していたし、預け仲間よ。うん。

 あと、オーシャさんとはお金の感覚が近い、気がするわ。



 □ □ □ 



 ちょっと小ぶりな香ノ木がある宿に、オーシャさんは二泊することになった。盥風呂は別料金、と女将(おかみ)さんからオプション説明を受けている彼女の後ろで、私たちも学ばせてもらう。

 一泊ならともかく、定宿(じょうやど)にするのは、今の私たちにとっては厳しい。なにがって、お値段が。


「……当分は、屯所の宿だなあ」


 お義兄ちゃんが肩を落とす。

 しょうがないよ、いつか全員の装具が揃って、余裕ができたら、泊まってみたいねー。




 オーシャさんの好意で、部屋を見せてもらった。


「広いー!」


「物がねえ!」


「いい造りですね」


「あ、くつ脱ぐ」


 家じゃないんだから、家具やあれこれがないのは当たり前でしょ、クード。

 あとワーフェルドさん、普通の家は扉の中で靴を脱ぐのよ。屯所の宿は、箱寝台以外では土足だけど、あっちの方が珍しいんだからねー。

 うーん、農作業任務の合間に、実家に来てもらおうかしら。石切場の休憩所や畑地の休憩小屋は、靴を脱がずに座れるだけで家じゃないもんねー。

 そうか、ワーフェルドさんはリーシュの普通の家、まだ知らないのかー。しまったなー。



 □ □ □ 



 日が落ちる前に、五人で酒場に向かった。いいお宿なのに、ごはんが出ないのは悲しい。

 女将おすすめは、二軒隣のケフィーナさんのご実家で、その名もずばり「武の酒場」。いっそ清々しいくらいに、分かりやすい。


 ホブリフ事件の復興任務で、お世話にもなっていたので場所はすぐ分かった。店内や軒先に提げられている機工ランタンに、オーシャさんは大はしゃぎだ。


「明るい! いっぱい、すごい!」


「ぼくもさいしょ、びっくり。すぐなれる」


 ……ワーフェルドさんが、お兄ちゃんぶっていますー。

 なんだこの、全然似てないのに妙に兄妹っぽい可愛いやり取りは。


「こんなおみせで踊りたいなあ」


 ちょっと感覚がズレてるところも、似てる。




 いざ入店してみたら、静かに四弦楽器(リウト)(かな)(うた)う女性がいた。

 楽士だ。はじめて見たわ。

 一見、普通の奥様っぽい格好だ。


 そして(すみ)のテーブル席に、よく知った相手がいた。


「でーすーかーらー、呪文研究より手習い所を優先させてって言ってるじゃない!」


「そっちはお前だけでいいだろう! 短杖(ワンド)は貸してやるから!」


 コディアちゃんが、謎のおっさ……お兄さん? と口論をしながら、晩ごはんを食べていたのだ。

 え、あの、どういうご関係?


「あっ、キリャねえちゃん久し振り!」


「元気そうねー」


「うん、あのね、≪(フォーウ)≫以外に成功したの! 仕事に就いたの! このボンクラ外国人の案内と見張り役! ウェドさんっていうへなちょこ! あとね、スーさんって」


 情報が多いわー。


「誰がボンクラへなちょこだ、この初恋暴走娘! スーとの年の差を考えろ! 自力で曲げた包丁持ち込みついでに、手料理持参するな!」


「うるさいでーす、そっちこそ身の(ほど)(わきま)えてくーださーい! 両腕使っても、ケフィーナさんの右腕一本に負けるくせにー!」


 腕比べで負けちゃうんだー。


「……元気すぎねえ?」


「あ、盾のひとだ」


「誰が盾だ! って、お前、あのエフか?」


「こんにち、わ、わたしはオーシャです! これからリーシュで住みます! 宿に泊まるます」


「えええ、あの、オーシャさんって、シェダール伯父さんの? あの、あたしコディアと言います」


「コディアちゃん!」


 ああもう、目茶苦茶よー。

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