新人パルト③‐火魔法使い Ⅲ
□ ■ □ ■ □ ■
へとへとで、ぺこぺこになって屯所に戻ると、同世代のパルトがいっぱいいた。
あ、初日から南地区へ向かってたチームが帰ってきてるんだ。
「あーあ、結局これっぽっちかよ」
「しょうがないって、あるだけマシだって」
「なあ、明日はもっと早く出ようぜ」
南行きの新人同期たちの稼ぎは、あまり芳しくなかったらしい。
「南の竹札あったー」
「次こそ満額達成しようぜ」
って、みんな一種類しか受けないの? あれ?
「あれじゃー、街中より割高でも厳しいんじゃないかなー」
食堂に向かいたい気持ちを抑えて、こそっと呟くと、先を歩くお義兄ちゃんが振り返った。
「他所は他所、考え方はそれぞれだろう。
実家に泊まって、食事も作ってもらえるなら、採算は合うんじゃないか?」
「おれ、一回くらい南地区行ってみてえな。塩泉と塩炊き釜と、綿花畑見てみてえ」
お腹を押さえて我慢してるクードの軽口を聞き流し、私は首を振った。
一昨々日や一昨日みたいな大きさのホブリフやホブリドが現れないとしても、土地勘のない地区での任務を完遂できる自信はない。
「クードの『二代目』ができるまでは、街中や西地区の南村から中央村任務を中心に受けよう。
幸い、初日に失敗したチームが話を広めてるらしくて、西地区は避けられてて競争相手がいないし──今、南は同期が集中して、一日一件以上は任務を受けられないだろう」
新人が限られた任務を奪い合ってる、と、空腹で早口になったお義兄ちゃんが、私たちに小声で伝えてくる。
「明日は水車小屋と、一の通りの解体倉庫でホブリドの羽洗い。ホブリフは素材じゃなくて、銀貨申請……も頭割りすると、銅貨になるけど。
……なんて言うか俺たちは、街中のことでも、知らないことが多すぎる。
ワーフェルドさんがリーシュを知らないように、俺たちも知ってるつもり、だったことがたくさんある」
例えば、と足を止めて、お義兄ちゃんは食堂の入り口横に私たちを誘った。
うう、いい匂いがしてる。
でもワーフェルドさんも、我慢して会話に付き合ってくれてるから、我が儘言えない。
短く切り上げてね、お義兄ちゃん。
「装具店に行ってなきゃ、あの札で解体現場に入れることも知らなかった。武器の話や防具の──装具話、素材のこととか」
あのお爺ちゃんの顔を思い出して、私たちは頷く。
靴だって、そうだ。
「クードが素材屋に勤めてなきゃ、場所も分からなかったし、あんなに話も進まなかった」
「まあ、いちいち挨拶からしなきゃなんなかったわな」
「ぼくは今日、はこべをおぼえるしました」
「そうです、そういう細かいことを知らず、いきなり近場とは言っても南へ行ったって、稼げるとは思えない」
「明日なにかをおぼえたら、受けるできます任務がふえる」
「待って、ってことはー」
我慢しながら、考える。
最終講習で、アーガさんはなんて言ってた?
「遠回りに見えるだろうけど、俺はこれが一人前になる近道だと思う。街中や近場の任務に集中して、色んな人や店に覚えてもらって、少しずつ情報を仕入れて、できることを増やしたり、行動半径を広げたりしていくんだ」
最終的には西地区の森を中心に活動する、と漠然と考えていても。
私たちは結局、その西地区のことを全部は知らない。
クードだって職人町の全部は知らないし、夕方に駆け込んだ取引先以外の鍛冶屋町はさっぱりだ、って言ってたし。
私がしっかり把握してるのは、家の近所と、今日の野焼き現場──南村の叔父さんの休耕地だった。
依頼人が血縁者だから、私たちでも受けられた任務だった。
他にちゃんと分かっているのは、石切場、通った手習い所と実家がある中央村、街だと魔法の家までだ。
二つ通りの店は、試験前に入った道具屋しか知らなかった。
装具屋も洗濯屋も靴屋も鋳掛屋も、事前に人に尋ねたり、教えてもらったり、うろうろ探して見付けたりだ。
「……ほんとだー、私が知ってるリーシュって、全部じゃないー」
お店の内情は勿論、なにを仕入れてなにを必要としていて、それがどこから来るのかも、説明できない。
ワーフェルドさんに、リーシュのこと、全然教えてあげられない。
「俺も気付かなかった。ワーフェルドさんに会えたから、分かったんだ」
「ぼく?」
なにもしてない、と首を振るのを、クードが止める。
「お前はすげー活躍したじゃねえか。
じゃなくてな、うん。
おれもずっとお前らと遊んでたのに、畑のことなんも知らねえや」
けどよ、とクードは重すぎる借り物の長柄鎚を壁に立て掛け、腕を組んだ。
「知ってることだってあるじゃんか、使えるコネ? つーか顔馴染みもいる。
それはおれらの強みじゃねえか」
「うん、皆無じゃない。だからそれぞれを教え合って、共有しよう」
「……石の話とか、皮の鞣し方とかしかねえぞ」
「クードは、自己評価が低いと思うなー」
そう呟くと、変な顔をされた。
「大したことないから、って黙ってるの良くないよねー。私たちもハコベのこと言ってなかったしー。
でも教えたら、それがクードやワーフェルドさんの強み、武器にもなるよねー」
私の中で、色んなことが繋がっていく。
「そういうのきっと、街や町や村の、色んな人がそれぞれ持ってるよね」
「うん、だから任務をやりながら、色んな人から色んなことを学びながらお金を貯めて、ワーフェルドさんの棒やみんなの防具に備えたい」
どうかな、と締めたお義兄ちゃんに、私とクードはそれぞれ同意した。
知識は力であり、武器だ。
そして街も人も職業も国も、全部繋がっているんだ。
「……ぼくは、おしえるできることない。リーシュ、知らない」
肩を落とし、お腹を鳴らしているワーフェルドさんに、全員が目を見開く。
ああもう、なに言ってるんだろうこの人は。
「小国家群のことを、俺たちに教えてください」
「私は服とか食べ物とか、ひつじって生き物のこと知りたいー」
「おれは戦い方とか、知りてーし」
揃って畳み掛けると、ワーフェルドさんがちょっと笑った。
「ぼくは知ること少し」
「おれはワーフェルドが生きてきた外国のこと、丸ごとなーんも知らねえぞ!」
クードがしょうもない自慢をして胸を張るのを見て、私は噴いた。
うん、私、こういう分かりにくいクードの優しいとこ、好きだなあ。
さ、ごはんにしよう。みんなでいっぱい、パンを食べよう。
□ ■ □ ■ □ ■
朝起きて、早めにごはんを食べて、焼き立ての繋ぎパンを買ってから動くようにした。
食べず準備せず出発したあの日、空腹が辛くて職人町で遅い朝ごはんを食べたら、高くついたからだ。
当然、パンは出なかったし。
とにかく豆と、見たことのない豆の加工品だらけだった。美味しかったけど。
農村に食事処はないから、昼から辛かった。
夜、私たちは無言で急いでお腹を満たしたんだけど──ワーフェルドさんが慌ててパンを頬張ったせいで、長パンの皮が口の中に刺さった、とものすごーく悲しい顔になった。
余裕は大事だ。勉強になった。
水車小屋までは、ワーフェルドさんの会話練習をしながらみんなでゆっくり走る。
イルさんに挨拶をして、お義兄ちゃんは水魔法研究分棟の人たちと話をする──石切場のじいちゃんの弟子、と自己紹介した日から、よく分かんないけどそういうことになった。
その間に私たち三人で、ホブフリオスメルジャや、かごの枝葉を換えるようになった。
私は枝葉担当のワーフェルドさんに、合間合間で木や草を教える。日用品に加工できるもの、食べられるもの、くらいだけど。
「キリャ、あれはぼく知ってる。ねつが出たらおゆにいれて飲む」
「菩提樹よー、夏前に採取依頼があるかもねー」
「ぼだじゅ」
「おーい、今日は夕方から雨が降るみてーだぞ! 早めに切り上げようぜ」
灰集め係のクードは、イルさんや接岸した川漁師さんに林の手前から声を張って、天気や水位の話を聞き出す。
今年は鯉が少ないから、川底浚いの任務が増えるかもしれないとか。
水位と地下水量は関係があるから──それを見越して、街中の井戸掃除が前倒しになるかも、とか。
「水に合わせて、歯車を換えることもあってなあ」
たまにイルさんや洗濯屋のおじさんに、みんなで水車小屋の中を見せてもらう。
小麦挽きの方は立ち入り禁止だけど、洗濯篦がある方の小屋は、子どもだって見学できるのだ。
箆や杵が回らず上下する構造を、私は説明できない。魔法の家の長なら、からくり模型や魔道具に詳しいんだけど。
「……報告書の提出、頼まれた」
お義兄ちゃんは、分棟から竹簡の運搬をよく頼まれるようになった。
やれやれ、また帰り道で役場にも寄らないと、だね。
□ □ □
職人町を経由する。
途中で、預かり物を運んだり、相談を受けたりする機会が増えた。
「なあ、今年の大豆の作付知らんか」
「ダメですよー、収穫期まで価格査定に繋がることは教えられませーん、って私はもうパルトですからー」
お義兄ちゃんの受け売りで返すと、そりゃそうだがよう、と笑われる。
「おまめ、たくさんかう?」
「染めにゃあ豆汁が要るんだよ兄さん、ほれ、絞りたて飲んでみるか?」
「あったかい! あまい!」
何故かクードの元勤め先で、駆けつけ一杯をご馳走になる。
これに「南地区の塩泉の残り水」とかいう、なんだかよく分かんないものを混ぜると固まって、あの日の色んなおかずになるんだって。不思議。
「これが新しい型染め見本ですか」
「そうなの、三つ通りの織り工房に届けてもらえるかしら。混色織りとは違う風合いで、競合しないと思うんだけど」
ちゃりんちゃりん、ともらう鉄貨。
なんだかんだで、結構な収入になるのだこれが。
「事後報告用に、一筆お願いできますか?」
「あいよ」
お義兄ちゃんは、無地の竹札をまとめて買って、背負い袋に入れるようになった。
「おーい、そろそろ筍掘りを頼めるかー」
「おじさん、とんしょにくる。パン食べられます」
「行くのも手間でなあ、代わりに依頼出してくれんか。お前さんらぁの指名で」
「俺たちはまだ、入林許可証がないんで先輩方に回しますね。受付係員に訊いて、適正報酬を計算してもらいます。
竹林の広さと拘束時間は」
「ここは南村の五番だ。夜明けの鐘から昼前で」
「了解でーす」
農道を走りながら、遠方からの声掛かりに返事をする、やり取りにも慣れてきた。
□ ■ □ ■ □ ■
「……お前ら、本当に新人か?」
すっかり顔馴染みになった受付所のおじさんに、三人がかりで作った事後任務報告や、代理依頼の提出だ。
日暮れ前か、夜雨が降り出すまでに屯所に戻って、竹札に刻み込むのが当たり前になった。
そろそろ、ナイフじゃなくてちゃんとした彫り刀を買うべきかもしれない。
「ピッカピカの新人パルトじゃんか、銅貨以下の竹札任務しか受けてねえじゃん」
「二日目から木札塗れになってたこと、忘れてんのか」
「あれはーたまたまですー」
言いながら竹札掲示板を眺めていた私は、ワーフェルドさんに頼んで、やたら高いところにあるやつを取ってもらった。
「やったねー、春の薬草採取だよー。期間は夏前までだってー!」
「はこべのばあちゃん!」
「うんうん、他にもあるからー、教わりながら覚えていこうねー」
街の薬師のお婆ちゃんは、裏庭に品種改良中の鉢植えが山のようにある教え上手だ。
独り暮らしは寂しそうだけど、近くにお子さんお孫さんたちが住んでて、通いのお弟子さんたちもいるんだって。
クードがきれいに乾燥させたハコベを納品して、喜ばれたことが記憶に新しい。
「……おう、そりゃあお前さんらへの、半分指名だ」
「はんぶん?」
「お前さんら並にできそうな新人なら、回してもいいって言われてたんだが……」
つーか、そんなにチマチマ稼いでどうすんだ、と問われたので、私たちは揃って返す。
「ワーフェルドの防具代っす!」
「クードの改造長柄鎚代です。今持ってるのは、石切場からの借り物なんで」
「ワーフェルドさんの棒貯金でーす!」
「みんなの防具とくつと、キリャの……まほうランタン?」
「機工ランタンよー」
「きこう、でした」
そう、とにかく私たちは買うべきものが山のようにあるのだ。
鉄貨一枚であろうと、稼ぐ機会は見逃さない!
普通のランタンでもいいんだけど、油をまめに買い足さなきゃいけない。
機工ランタンなら、光源の魔工石を一個買い取ってしまえば、毎回、返却交換する必要がないから、結局安上がりになるだろう──≪熱くない光≫を発動できるように、詠唱練習を頑張って良かった。
使いきった魔工石に、私が自力で充填しちゃえば、実質タダだもん。
「……そうか、まあ、休む日も作るんだぞ」
おじさんの、心からの忠告に頷き、私たちは食堂へ向かう。
だって今日からは。
「アーガさん! たべましょう」
「お疲れ様でした皆さん、ワーフェルドさん、新作のヤク型ホブリフの燻製削ぎを、長パンに挟みましょう!」
……うん。朝、のんびりできないから、夜しか顔を会わせられなくなっちゃったのよね、アーガさんと。
□ □ □
アーガさんの早朝出勤に出会して、口約束を交わせるか。
夕方にばったり遭遇できないと、晩ごはんを一緒に食べようと誘うこともできなくて。
昨日、偶然会えたから、今日以降の待ち合わせの約束ができた。
すごーく浮かれてるワーフェルドさんには悪いけど、アーガ大先輩との会話には、学べることがあるからよ。
そう、私たちに都合が良いからであって、別にお二人のため、とかじゃあないの。
盛り上がっている二人を見守りながら、なんとなくハーブ唄を口にした。
「……ラーヴェンダー、バージル、ウィーンタサボリー」
パセリセージ、ローズマリーとターイム。
……仲間の恋路に捧げるには、気が早すぎる並びだけどね。
□ ■ □ ■ □ ■
「雨だねえ」
「あめです」
前日のイルさんの天気見方が、ぴたりと当たった朝。
私たちは食堂でゆっくりと間引き菜と溶き卵のスープを啜っていた。薄いしょっぱさが、丸パンによく合う。
「雨具が欲しいけど……」
「高ぇし少ないからなあ」
実家にいた頃から、雨は好きだけど面倒だった。
小雨だから、と、そのまま畑に出た上のお兄ちゃんが、体を冷やして風邪を引いたり。笠簑を着けた父さんが、泥だらけになって帰ってきたり。
私の火魔法と、お義兄ちゃんの水魔法の合体がご近所さんに喜ばれるのは、こんな春雨の頃合いや収穫期だった。
盥風呂で体を清め、かつ温まることができれば、体調が整うからだ。
二人で頑張って、お湯をたくさん作れるようになってからは、雨の中、筵を被ってあちこちお邪魔していたっけなー。
……今だと、任務として受けられそうよねー。
「あめの日もしごと、たいへんです」
「そうねー、少なくとも笠がないと」
「ですが、雨の日はホブリドが出ないんですよ。ホビュゲも」
「それはあんしん」
水撒きの手間も省けるし、雨は内職が捗る。
とは言っても、薄暗いせいで昼でもランタンを使う必要があったり、水路が崩れたり、続くと野菜の根腐れが起きたり、干し物が乾かずカビたりするから、困ることも多い。
雨上がりは爽快だけど、井戸水が濁るし、道は泥濘むし、ホブリドとホビュゲが出やすくなる。
一長一短、ってやつよねー。
「イルじーさんには感謝だな。お陰で慌てずに済んだし」
クードの言う通りだ。
私たちは知っていたからこそ、他の同期たちより早く「屋内」任務を受けることができた。
今朝、ゆっくりできているのは、それが理由だ。
「ぼくとクードは、装具のみせでおてつだい、がんばるます」
我流でも棒の加工や、革兜の整形作業ができたワーフェルドさんは、そうと知ったあのお爺ちゃんのお弟子さんに、鉋や鑿を教えてもらうそうだ。
石じゃねえけど道具使いは応用できっかも、とボヤいたクードと一緒だから、心配はしていない。
「ちゃんと外套、被って行けよ」
「ったりめーだろ、向こうに着いたら乾かすって」
そんなお義兄ちゃんは、役場の手伝いだ。これはなんと、木札の常設任務──とても駆け出しパルトが受けられるものじゃあないんだけど、何故かお義兄ちゃんなら、と許可された。
受付のお姉さん曰く、カルゴという新人パルトが暇そうだったらどうにかして受けさせて欲しい、と役場から連絡があったらしいんだけど。
どうやらお義兄ちゃんは、役人になることを望まれていたみたい。
うん、本人以外はみんなそう思ってたよね。村長さんは、うちの村の担当になって欲しいって言ってたもんなー。
「キリャ、魔工石を爆発させるなよ」
「ひどい」
そして私は、屯所でできる加工内職だ。
火魔法の力から熱を引いて、水晶に閉じ込める──ネゴヘートブレィを使った、機工ランタンの光源作製。
魔法の家であの呪文を習った際に、加減を間違えて破裂させたことを、お義兄ちゃんは何年経っても覚えてるから嫌よ。
「あ」
口を濯いだハーブ水を飲み込んでいたら、笠簑を携えたアーガさんが受付に向かう姿がちら、と見えた。
途端に、ワーフェルドさんが立ち上がる。こらこら、お匙は置いていきなさい。
「アーガさんおはようござります!」
「おはよう、ワーフェルドさん」
お匙男と笠簑女。そう呟いたクードに、思わず笑う。
「かっこいいかさですね、そのもしゃもしゃが、みろですか」
「簑、ですよ。水を弾く草を繋げて、体が濡れないような造りなんです。羽織ってみますか?」
「はい! ……わらじゃないです、なんてくさですか、あし?」
そんなやり取りを聞きながら、自然に私は笑っていた。笠かそれに似たものは、外国にもあるみたいだけど。
簑はないんだー、蒲もないのかなあ。竹もないっぽいし。
よし、今晩はみんなでごはんを食べながら、ワーフェルドさんに雨具素材の話をしよう。
□ ■ □ ■ □ ■
南地区出身の同期たちが、どうやら効率の悪さに気付いて、方針転換をはじめたらしい。
そりゃそうよね、複数任務の掛け持ちをしないと、移動に片道半日以上かかるわけだし。
って、南地区の端までは全力で走っても一日以上かかるんじゃないかしら。
受付もそれを待っていたかのように、街中の竹札任務を増やしたような気がするけど、偶然かなー。
そう思っていたら、衛生上、溝掃除や井戸浚いは夏になるまでに毎年増えるもんよ、とダイラさんから駆けながら教えてもらった。
井戸浚いは換気役の風魔法使いが一人以上いないと受けられず、色んな理由で一ヶ所あたり半日以内で終わらせるのが基本だそうで。
先輩パルトと衛兵さんの、指導管理下での作業になるんだって。
「中に入れるのは二人以下で、異物除去と状態確認もしなきゃいけないからねえ。
昼でもランタンがないと見落としも出るし、責任が大きいからしんどいのよ」
やはり機工ランタン。手持ちのランタンがあれば、あれこれ便利になる。
今日は普通のランタンを持っているダイラさんと一緒に、五人で石切場の井戸に向かって走っている。
向こうで、第三衛兵団の人と合流する予定だ。
「いやー、カルゴ君とワーフェルドさんがいるから、汚水除去と異物引き揚げが捗りそうでなによりだわ」
清掃で出るそれらを引き揚げるのが、とにかく手間なんだって。笊と桶をひたすら往復させて、外で捨ててまとめて確認して。
国中の井戸の横には香ノ木が植えられているから、水棲ホビュゲの発見例はないそうだけど、万が一もある。
雨の日に、ダイラさんにホビュゲ研究班の講習も受けるのを奨められたのはこういう意味だったんだなー、と感謝した。
「ぼく、ほびゅげのこともっと知るしたいです」
「ははは、いいねえ! あんたらは安定してるから、これからも雨の日は知識講習、受けまくるといいよ」
「植物素材講習を受けると、入林許可証が取れて。
その許可証があると、屋外実習が受けられて。
試験を受けて採取免許取得、の流れですよね」
「そうそう、個体判別と採取サイズ規定は座学で教わるのよ。
しっかり覚えておかないと、実習参加で採ったモンが寸足らずで不合格、なんてことになるから気を付けるんだよ」
「うおー、マジっすかー! って、そりゃそうか……巻尺、買っとくべきっすねえ」
「座学前に、全員分準備しておきな。
講習で貸し出されるのは竹尺だから、測りにくいモンが多いのよ」
走りながら大事なことをたくさん教えてくれるダイラさんは、頼りになる。
皆でダイラ先生だダイラ姐さんだ、と誉めちぎっていたら、首を振られた。
「あたいは、ただ続けてるだけの半端者よ……ケフィーナさんみたいな衛兵になれなかったし、二月に一度は外に出られなくなるし。
この見てくれじゃあ、誰も言い寄ってくれないからねえ」
確かに、ダイラさんは凄い美人ではない。
そこらの商人男性より厳ついし、敬遠され続けてきたんだと思う。
でもねえ。
「ダイラさん、すてきなひとです」
ワーフェルドさんの言葉に、私たちは頷いた。
南地区の農村出身、って聞いたけど。あっちの男連中は、女を見る目がないと思う。
「やめてよ、アーガさんにゃ勝てないの、自分でも分かってるわよ」
おっと、私たち以外にもバレてるよワーフェルドさん。
そんなダイラさんが、この半日後。
井戸浚いの様子を見に来た、クードの一番上のお兄ちゃんと意気投合して、屯所に帰る前に熱烈な求婚をされ。
一年後には石切場の若奥さんになって、弱めの風魔法で石粉を吹き飛ばしながら笑うようになるなんて、誰も想像できなかった。
□ ■ □ ■ □ ■
「あまぐがほしいです」
装具店で、何故か筵編みや縄綯いまで教わっているワーフェルドさんが、しとしとと降り続く真っ暗な窓の向こうを睨む。
うん、そうねえ、三日続いてホブフリオスメルジャの交換にも行けてないからねえ。
実家の小麦、大丈夫かなあ。
ちなみに今日の収支は赤字。
半日分の屋内任務あれこれで稼いだ額より、食費と宿泊費と講習代の方が高くついた。
それでも、他の同期たちよりはマシだと思う。
──私も、個人的に助かった。
「だよね、でもあれって川漁師が内職するやつ、『冬の祭日』じゃないと手に入らないって」
そんなワーフェルドさんの隣で、酢漬けの間引きカブをパリパリ齧っているのは、素材講習で一緒になったツァルク君だ。
私とそう変わらない身長の、南地区出身の男の子。
どうやら血気盛んなチームと相容れなくなって、独りになったらしい。
「冬まで無理かあ、構造自体はそこまで難しくなさそうだけどよ」
「葦や蒲の採取と加工権は川漁師の管轄ですから、勝手に刈っちゃ駄目ですよ、ワーフェルドさん」
お義兄ちゃんに釘を刺され、ワーフェルドさんは咀嚼していた竹パンを飲み込みながら頷いた。
ところで、普通の全粒粉パンをなんで竹パンというのかは謎なのよねー。縦に割って、節で発酵成型させているから、らしいけど。
「ただ刈って乾かすだけじゃないって、うちの村のおっちゃんが言ってた、ですよ」
ワーフェルドさんと並んで座ってると、ツァルク君ちっちゃいなあ。私も、他人からはあんな感じに見えてるのかー。
「燻蒸か?」
「あれは虫除けだろ……うーん、竹も灰汁漬けや炙り工程があるけど、講習では教えてもらえなさそう、なんですよね」
そうなのだ。
採取講習では加工技術は教えてもらえず、鮮度維持や下処理以上のことがパルトには分からない。
なんて便利で良くできた制度だろう、と思っていたけど、知ることで抱くようになった欲を満たせるまでではない。
本職の人たちの稼ぎを減らさないよう、調整されているんだ、とお義兄ちゃんは言うけど。
その通りなんだろうけど、自分で作れるものは作りたいよねー。
「……なあ、ツァルクは川漁師になりてえのか?」
私の隣で、長パンを噛みちぎりながら、クードが尋ねる。
「ううん、僕の体格じゃ無理だよ」
ツァルク君は身軽さを活かし、東に出ている先輩パルトで言うところの、斥候を目指していたらしい。
……どこかで聞いた名称だなー、いつだっけ。
だけど飛び抜けた駿足でなく、戦闘技術も上手くなくて、元のチームのリーダーにからかわれていたんだって。
木登りが上手いのは、立派な才能なのにー。
「お金がなくなるまでは素材系の講習を受けまくって、職人の見習いになれればいいかなあって」
そう言うツァルク君は、私たちより少し大人びて見える。
「職人つっても色々あるぞ。どっち方面だ?」
お、元職人見習いが相談に乗るようです。
「木登りや木が好きだから大工や樵かなあって、でも身長がないと、腕力があっても難しいよね」
□ □ □
翌日、雨が止んだ。
個人的には、助かるタイミングだ。
朝から、受付所は大盛況だ。
夜明け前に抜け出して、水車小屋周りの任務竹札だけさっさと取ってきたワーフェルドさんを皆で誉め称えて、講習の当日予約を取ろうとしていたツァルク君を捕まえる。
泥濘んだ道を思い切り走ったから、帰ってから泥跳ねを落とすのが大変だった。
ツァルク君の助けになるかも、って大工の元棟梁であるイルさんに引き合わせただけ、だったんだけど。
やけにイルさんに気に入られたツァルク君は、その後、伝手を辿って樵組合まで進み。
高所での枝打ち専門になって、黒おじさんから「空師」という超格好いい職名を授かることになるのだが。
それはまた、ちょっと未来の、別の話。
□ ■ □ ■ □ ■
そうこうしているうちに、本格的な春だ。
西地区の各村の、農作業補助任務が増えたので、水車小屋周りは他の同期たちに譲って、私たちは真ん中木橋の往復に専念する。
……違うわ、専念するのは農作業よ。
小麦畑や大麦畑にもっさり生えた、雑草を片っ端から抜いていく。
ワーフェルドさんは、生まれてはじめての麦踏みに躊躇していたけど、雑草除去には容赦がなかった。
パンのてき、と腰が固まるまで麦苗以外を排除し続けて、後で悲鳴をあげることになり。
うちの村のみんなに、あっという間に馴染んでしまう。
腰痛仲間のクードと一緒に、休憩中は村の子どもに集られていたワーフェルドさんだったけど。
三日目には、その子たちから腰痛予防の体操を教わっていた。
……ごめん、私とお義兄ちゃんが、伝えておくべきでした。
麦畑の除草ついでに、薬草を選別して買取をして、街の薬師に転売する。
お義兄ちゃんがカビ予防の竹酢液を水魔法で散布して、クードが風向きを微調整する。
煙くて酸っぱい、と鼻を押さえているワーフェルドさんは、麦苗へ応援の声かけをしていた。
……あのね、麦を大きく実らせたいなら、声をかけるより油粕をあげてね。
「あぶらかす、なに」
「油菜の種や豆を、搾油した残りよー」
「ちくさえきは?」
「竹炭を作る途中で、煙を集めて冷やすとできる液体です。竹炭は道具屋でも売ってますから、次の休みに行ってみましょう」
「灰をまぜるのとちがう?」
「ありゃあ種を蒔く前だよなあ、そう言やぁなんでだ?」
あらら、教える相手が増えちゃった。
□ □ □
鮮度抜群な若菜の少量運搬、蜜蜂の巣箱の増築。
蜜源の一つである青躑躅の生育状況を観察するお義兄ちゃんは、役場から指名任務を受けている。
だって掲示板に、そんな竹札なかったのに──何故か、お義兄ちゃんの背負い袋に、ぶら下がってるから。
「このまえむしったのに、なぜまたはえる!?」
効率的な除草方法を体得したワーフェルドさんだったけど、任務の度に麦畑の雑草に本気で怒っている。
「そうじゃそうじゃー、あんちゃんもっと言っちゃれー!」
今日の依頼主は、年齢の割にノリが良い。
「麦畑なんだから、麦以外はお断りです!」
「ええぞカルゴー!」
「生えるなら食えるやつだけにしやがれー!」
「その通りじゃクード! お前も立派な農民じゃー!」
「ちげーよ! おれはパルトだよ!」
……でも、おっきな声を出すのって、スッキリしそうよねー。
「今年も豊作お願いしまーす! 雪が降る前に白パン食べたいですー!」
「ぼくもたべたい!」
□ □ □
農道整備の任務が、来ました。
この前の依頼主が、わざわざ私たちを指名してくれました。なんで?
「石に棒がはえてる」
「うちで切り出した半端建材かよ」
「カルゴとキーちゃんだけじゃ無理じゃろうが、クードとあんちゃんなら力あるじゃろ。
二人で棒を持って、石を浮かせて、こうやって落として進むんじゃ」
私とお義兄ちゃんは、進行方向の異物除去と、荷車の轍に新しい土を足す係です。
ワーフェルドさんが全力で衝き固めを行って、付き合わされたクード共々、筋肉痛になりました。
私たちも、腰が痛くなりました。
だって、畑仕事と姿勢が違うんだもん!
□ □ □
私とお義兄ちゃんは、村のみんなの御用聞きを──巡回商人さんが請け負わない、小さな範囲のものも、頑張った。
農具や刃物の研ぎ直しや補修は、巡回商人さんがまとめて取り次ぐけど、お鍋やランタンはそう簡単には出せない。
代わりがないと、その日の夜から困っちゃうもんね。
なので皆で話し合って、貸し出し用の中鍋と普通の──油受けと芯が入ったランタンを買いました。
これらを貸して、私たちはお鍋とランタンを鋳掛屋のスーさんに夕方、持ち込むのだ。
スーさんは、ワーフェルドさんによく話し掛けるようになった。
お義兄ちゃんと一緒に、リーシュの言葉遣いを楽しそうに教えているし、面倒見がいい人みたい。
外国出身の友人がいるから、今度紹介するよ、って言われちゃった。どんな人だろう。
「鍛冶屋町から支店出すよう、言ってみるか」
一月もしないうちに、白いおひげの店主がそう言い出して、この稼ぎ方はできなくなっちゃったけどね。
ランタンはともかく、このお鍋どうしよう。打ち直して小さい盾にできるかな、と相談したら店主さんとスーさんに、怒られました。
困ったなあ、使わないのに嵩張るよねー。
□ □ □
と、思っていたのに。
「ランタン、中鍋、燃料、寝具、筵。
お前さんたち、夜営講習、受けられる条件が揃ったぞ。やったな」
受付のおじさんがニヤニヤしながら、誰も教えてもらえてなかった講習の、開催日を伝えてきたの。
なにがどう転ぶか、分かんないわよね。
筵は、クードとワーフェルドさんが練習で編んだ「売り物にならない」ものを、持ち帰ってくれてたし。
四人分の薄い綿羽布団を作ったことは、まあ宿で使ってるし、筵で巻いて、背負い袋に括って乗せてるから、知られていても分かるけど。
中鍋や、面白がって買った竹炭は、ワーフェルドさんの袋にしまってたのになあ。
私がランタン、丸出しにしてたからかなー。