新人パルト③‐火魔法使い Ⅰ
夕暮れの中で、私たちは涙を拭った。高等級の≪魔鳥≫の鳴き声が、ここまで強烈だとは思わなかった──今まで村に現れたものは、もっとずっと小さかったから。
ワーフェルドさんが、クードが、変な遊びをしていて良かった。お義兄ちゃんが、長柄鎚をもう一本持ってきて良かった。
少しでも早く切り上げていたら、どうなっていたんだろう。
「クード!」
「キーちゃん無事か!」
「カルゴー!」
と、クードのお父さん──おじちゃんやお兄ちゃんたち、石切場のおじさんたちが血相を変えて駆け付けてきてくれた。みんな、手に斧や松明を持って。中には細い丸太を担いでる人もいる。
「怪我人はいないか! 被害は!」
それを追い越す勢いで、第三衛兵団の人たちがやって来る。松明に映える鎧兜の輝きに、へたり込みそうになった。
なんて心強いんだろう。
なんて、ありがたいんだろう。
止まったはずの涙が、また溢れる。怖いとか辛いとかじゃない、嬉しくて、ただ安堵して。
ふらふらになりながら、状況説明をした。
お義兄ちゃんが、水を飲んで落ち着こう、と言って唱えた呪文は失敗した。全然、落ち着けてない。お義兄ちゃんの不発なんて何年ぶりだろう。
「無理すんな、水筒が……あ」
「……あああ」
慰めようとしたクードとワーフェルドさんの掌が、ぼろぼろになっている。痛そう。皮がずる剥けていて、ひどい。
二人は水筒どころか、背負い袋が丸ごとない。
帽子も革兜も、長柄鎚も、あの大きなホブリドの屍の下だ。
石を撃ち上げてホブリドを落とした、なんて最初は信じてもらえなかったけど、四人がかりで身振り手振りを加えて、どうにか納得してもらえた。
良かったー。
衛兵さんたちはホブリドの絶命を確認して、大きさを計測紐で測り、風魔法の≪伝令≫を飛ばした。
クードとワーフェルドさんの手は、衛兵さんたちに水で洗われてから軟膏を塗られ、保護布でぐるぐる巻きにされた。
□ □ □
石だらけで、現場まで大荷車が入らなくて。石切場のみんなと衛兵さんたち総出で、整形広場から送り出し用の丸太を持ってきた。
大石と同様、縄をかけたホブリドの下に梃子を入れて浮かせ、丸太を差し込む。
石切場のおじさんたちは、流石に本職だ。おじちゃんの指揮で、てきぱきと広場まで丸太を並べていく。
クードのお兄さんたちが縄を引っ張って、上手く並び丸太の真ん中に乗せたので、私たちはホブリドを押す側に回った。広場までゆっくり、時折ガタつきながら転がしていく。
手伝おうとしたクードとワーフェルドさんは、全員で止めた。
怪我人は引っ込んでな、と第三衛兵団長さんらしきおじさんが笑いながら言ったので、そうだそうだー、と私も声を上げる。
へしゃげた二人の私物は、若そうな衛兵さんたちが後から持ってきてくれるらしい。
「あそこにあった、つち。ぼくたち、かってに使うして折れたです。ごめんなさい」
「いいって、命にゃ換えられん」
ワーフェルドさんの大きな声に、笑いが返った。
クードの長柄鎚も、お義兄ちゃんが持ってきたのも、ホブリドの下から見付かったそうだ──でも、柄が折れてたり、ひん曲がってたりで、あれはどっちももうダメだと思う。
「こいつはどこから来たか分かるか」
「最初に見付けたのは義妹です」
頑張ってホブリドを押してたら、急に話を振られて、私は必死に思い出しながら説明した。
「ええっと、南の森の上──『赤の山々』に沿うように、急にこっちに来ました」
「第五のテレフィミ通りだな。『南北川』の下流方面に出てる≪公務遊撃隊≫に追い立てられた個体か。手負いだったか?」
「済みません、そこまではちょっと」
「なんで分かる?」
私たちの横を手ぶらで歩くワーフェルドさんに、両隣の衛兵さんとお義兄ちゃんが代わる代わる教える声がした。
「第五衛兵団の監視塔から、風魔法で連絡があったんだ。君たちが退治したことも先ほど伝えたから、向こうは途中で引き返してここには来ていない。
それから──人里近くの森に棲むホブリドは、ここまで大きくない」
「パルトフィシャリスが発見や遭遇し次第……ええと、若い時点で狩るようになっているから、です。そういうのは……えっと、人の三倍くらいの大きさで」
「この個体の大きさだと、七級に該当する。風切羽の換羽が終わっていて、斑紋の状態から六年成鳥と判別できる。
君たちは、まだそこまで知らないか」
「はい、俺たちは無講習の新人で──つまり、あのホブリドは狩られずに六年も生き延びてきた大物なんですね。街や南地区の近くにはいないはずの」
「そうだな。営巣は水場付近の種だから、南北川下流域から北上してきた、と推測できる」
「≪魔忌避香≫が立ち上る区画に現れる、ってのは飢餓か逃走状況の場合だ。痩せてはいなかったから、命の危険を感じて咄嗟に、ってとこだろう。赤の山々は『衛兵風』と気流で越えられんし」
あら、衛兵さんがもう一人会話に加わったわ。
流石にホブリドに関しては、衛兵さんが本職ね。
私たちが知っているのは、本当に初歩の知識だけだと思い知る。
「あの山はきけん? あ、けむり」
短いワーフェルドさんの問いと気付きに、お義兄ちゃんが返す。
「赤の山々で、石柱香炉を見たんですよね。あれは更に、常駐衛兵によって風向きも調整されているんです。
街や町は広いので自然の風頼りですが……」
「じゃあ、きのうの」
「あれは十級越えの≪魔獣≫だったそうだな。
東の森で討伐に失敗した個体が、街に逃げてきたらしい」
対峙したパルトフィシャリスは、四人亡くなった。そう付け加えた衛兵さんの言葉に、ぞっとする。
街中で犠牲者はいなかった。でも外では、命を失った人がいたんだ。
何枚もの防水布が敷かれた、衛兵専用の大荷車へ積まれたホブリドが、ゆっくり石橋の方へと運ばれていく。もう、辺りは真っ暗だ。
衛兵さんたちが掲げる、見慣れない合図灯や、石工のおじさんたちの家族が持ち寄ってきた角灯の光が、あったかく広場を照らしてくれる。
「うちでご飯食べていくかい?」
石粉と羽毛と血で汚れ、ぺちゃんこになった荷が戻ってきたクードが、お母さん──おばちゃんにどうにか背負わされながら、声をかけられる。
クードは私たちと顔を見合わせて、首を振った。
「いや、宿に戻って手当てして、水浴びるわ。明日も朝から現場仕事があるし──ありがとな」
クードが肩を竦めて、返す。
うん、家族ってありがたいよね。気遣いの言葉だけでも嬉しいよね。
おばちゃんのごはんは美味しいからさ、またゆっくり来ようよ。
別れ際に、松明を一本もらった。これは私が持とう。
「済みません、片付けを手伝えなくて」
「なに、我らに代わって討伐をしてくれたんだ。後は任せろ」
衛兵さんと話し合ったお義兄ちゃんが、なにかを書き付けた木札を渡されていた。討伐証明票、というやつらしい。
「君たちはあれか、昨夜のホブリフ討伐にも関わったチームか」
「えらい新人が現れたな」
そう持ち上げられて、私は困惑した。
ワーフェルドさんは、確かに二日連続ですごい活躍だったけど、昨日の私たちはただの時間稼ぎだったし。
あ、でも今日のクードはすごかった、かも。私たちはなんにもしてないけど。
「あのほぶりど、昨日のほぶりふ、どうなる?」
「ん?」
「そざいになる? おかねもらえる?」
お義兄ちゃんと私とで、潰れた荷を背負わせていたワーフェルドさんが、率直なことを口にした。
途端、衛兵さんやクードのお兄さんたちが大笑いする。
「昨夜は知らんが、今日のこいつは間違いなく協力金と特別報酬が出るはずだ」
「お前らだけで、だからなあ。結構な額になるだろうなあ」
「あんたすげえな、パルト一の有名人になれるぜ」
「……おれも誉めろよ」
あ、クードが拗ねてる。
「そうよねー、クードとワーフェルドさんはすごい! 強い! 頑張った!」
えらいえらい、と私が声を張ると、クードは照れ臭そうに笑った。
屯所に戻ったら、ちゃんと手当てをしてあげなきゃなあ。
って、二人ともあの掌じゃあ、明日は働けないんじゃあ。
□ □ □
私たちは、大荷車の後を追うように石橋を駆けて行った。松明一本では、四人の周りを照らし切れない。
ランタンやカンテラを提げて明るい衛兵団の後ろに、くっついて動いた方が危なくないだろうから。
中洲に泊まるのか、と渡川料を払う際に尋ねられたので、全員で先行する大荷車の影を指差す。
「あの後を追って渡り切りますー!」
まだランタンを持っていない私たちが、宿営地を利用するのは無理がある。夜営許可証、だっけ、も持ってないから、いい顔されないだろうし。
二人分の荷がダメになったし、怪我してるし。遅くなっても、宿に戻るべきだろう。
ワーフェルドさんは「武装商会」と長く旅をして来たから、自前のものを持っているかと思ってたけど。
ランタンも蝋燭も、ワーフェルドさんは「持つことが許されなかった」と、昨日持ち物確認の時に聞いていた。外国、なんか意味が分かんないことが多いわ。
道中では武装商会に松明を借りて、夜襲をかけてきた敵を殴ったこともあるって言ってた。
外国は治安が悪そうで、怖い。
「なら大丈夫か。置いていかれないように、気を付けてなあ」
そう労いの言葉をくれた見張り番の人から、お義兄ちゃんはちゃあんと証文札を受け取っていた。
大荷車は、中洲で泊まらずゆるゆると進み続ける。最後尾の衛兵さんに追い付いて、一緒に石橋を渡り切れた時に、ほっとした。
□ ■ □ ■ □ ■
まだ冷え込む夜の水浴びは正直、辛い。
なので私たちは、ちょっとズルをする。
「……パルトは汚れ仕事だな」
そうぼやくお義兄ちゃんが、宿の中庭の洗い場で、人数分の盥に魔法で水を張っていく端から、私は小さな加熱魔法を重ね、ぬるま湯にした。
本当は初日の夜みたいに井戸水を汲み上げなきゃなんだけど、釣瓶を使うのも疲れるし──掌があれな二人に、遠慮されたくないから。
「こんなに毎日砂埃だらけになるなんて思わなかったー」
「まあそうだな。二人の荷物が全滅するとも思わなかった……」
ちなみにこの中庭に入る前、屯所の受付所で私たちは時間を食った。
今日の復興現場の任務完了札を提出して確認された後、夕方のホブリドの討伐証明票の提出を求められ。
銀貨の小袋複数と新たな竹札を渡されて、細々とした説明を受けて、二人の潰れた荷物を確かめたからだ。
昨夜のホブリフ討伐の協力金、と素材の一部の引換札。
ホブリドの討伐褒賞金、と素材の半分の引換札。
明日の復興任務の請負札。
今朝受けるはずだった水車小屋と西地区の任務札は、焼印で明後日の日付に訂正された。そう言えばアーガさんから伝言されてたけど、ちゃんと変更手続きをしてなかった。
失敗したなあ、と悔しがるお義兄ちゃんの背負い袋は、今や木札と竹札だらけだ。
石を撃ち上げて遊んでた二人の背負い袋は、墜落したホブリドによって再起不能になった、と受付所の借りテーブルで改めて判明した。
私たちは背負ったままで良かった。
「明日は二人の荷物、買い直しだ。あと、クードの得物と、ワーフェルドさんの靴」
武器と防具が遠退くなあ、とお義兄ちゃんがため息を吐く。
昨夜と今日と、偶然で結構な銀貨を稼いだけど。
クードとワーフェルドさんの、水樽と着替えの服と保存食、帽子や革兜、水筒に外套と拭き布と火口箱、縄と石鹸と……金梃子や鏝、あとなんだっけ。ホブリドに壊され血で染まった一式を揃えると、かなりの出費になる。
ここにクードの武器……あれって、装具店でも売ってないけど、どうするんだろう。
と言うか、昨日ワーフェルドさんの棒がなくなって、今日クードの長柄鎚がなくなっちゃって、私たち大ピンチじゃない?
「金物は鋳掛屋で直してもらえるんだっけー?」
「どうだっけなあ。鍛冶屋で打ち直しかもしれないけど、屑鉄ならどっちでも買取してもらえたはずだ。布物は全部、洗濯屋だな」
あ、そっか。着替えとかは洗濯屋に頼めばいいんだ。手じゃ落ちない染みもどうにかしてもらえる、のよね。
うっかりしてたわー、村では手洗い足踏み洗いが当たり前だったから。
というわけで、細かい手仕事ができない二人に代わって、私とお義兄ちゃんとで細かい仕分けに取り掛かった。
粉々になった水樽の破片と箍と火口箱の残骸は、燃料買取に出して、買い直しが必要。
あれこれの金具は一旦取り外しておいて、歪んだ金物と同じ袋に入れる。
布物は、まとめて洗濯屋行き、と。
ぺっちゃんこになってる石鹸で笑って、ホブリドの血に塗れて食べられなくなった保存食にがっかりする。
手伝って下さってる受付の方、ありがとうございます。
うーん、買取で銅貨何枚かになればいいかなあ。洗濯代で消えるだろうけど。
小さな破れやほつれがある背負い袋は、簡単に繕ってみたけど、受付の人に買い換えを奨められた。
ですよねえ、肩紐一本千切れちゃってるし、ほぼほぼズタ袋状態ですよねえ。ここまでどうにか背負って来れたのが、逆にすごいわー。
木片はまとめて、受付所で買取してもらえて助かった。鉄貨数枚、にしかならなかったけど。
□ □ □
盥風呂の準備ができて、手が使えない二人をお義兄ちゃんが洗った。
私は二人の服を一旦洗って、干した。ホブリドの返り血は、石鹸でも落ちないので中々すごい見た目だ。薄くはなったけど。
掌以外は落ち着いたクードは、お義兄ちゃんの着替えを借りた。袖や裾が少し短くて、ボタンは全部閉められないみたい。
ちょっと格好良く見えた。
ワーフェルドさんは袖を通すのも穿くのも無理だったので、お義兄ちゃんと私の外套を上下に巻き付ける。
すごく……なんだろう、見た目が怪しい。蛮族とか野盗って、こんな感じかもしれない。
今日はもう寝るだけだけだから我慢してねー、としか言えない。
明日の朝までには、さっき洗った服が多分乾いてると思うから、一番マシなやつ着てね。
「おおう、カルゴの服、あれだな」
「すー、とする」
昨日、ホブフリオスメルジャを背負い袋に入れていたせいで、臭いが移っていたんだろう。
しょうがないけどね、ワーフェルドさん、私の外套も嗅がないで。くさい、って言われたら立ち直れないから。
それから私とお義兄ちゃんも、ざっと湯を浴びて着替える。
二人の服ほどじゃないけど、屍を移動させた時についた血の跡があったから、洗って干した。
松明を掲げて走ってた時には、気付けなかった。
二人の掌を改めて手当てしないと、と受付所の借りテーブルに戻って保護布をほどいたら、泣きたくなった。
血は止まっていたけど、なんか薄黄色の汁、じゃない体液でねちょねちょしてて、熱い。
私たちが持っていた乾燥蓬の湿布で効くんだろうか。
不安がりながら水で戻して、練って塗っていたら、ふらっと姿を見せた王様が、二人を治してくれた。
「内緒ですよ?」
びっくりしていたら、王様はいなくなっていた。ちゃんとお礼を言えなくて、どうしようと思ってたら。
「……やべー、『奇跡』受けちまった。うおお、肩も腰も痛くねえ!」
「いまのなに。ほぅん、ってあったかいなった、皮がもどるした、いたいどこもない!」
大騒ぎしている二人を、お義兄ちゃんが必死に落ち着かせていた。
王様、すごい。
小柄で、ひげもなくて、威厳なんてこれっぽっちもないのに、こんな夜に新人パルトを労って下さるなんて。
……立て続けの大物侵入の始末で、暇なんて、ないはずなのに。
□ ■ □ ■ □ ■
翌日。
アーガさんは朝から出ているらしく、ワーフェルドさんはちゃんと乾いた──ホブリドの血痕染みがある服を着て、朝から食堂でしょんぼりしてた。パンを毟る口の動きがゆっくりで、とても分かりやすい。
「きのうとパンの味ちがう」
「焼いてる人が違うとかか?」
お義兄ちゃんの服のまま、を選んだクードがニヤニヤしながら尋ねたら、ワーフェルドさんはなにやら考え込んでいた。
同じくらいパン好きな人と一緒だと、食べてても楽しい、とは思う。
でも、味が変わるくらい違うものなんだろうか。ちらとお義兄ちゃんやクードを見るけど、うん、ずっと丸パンは同じ味だよね美味しいし。
その後で、また受付所のテーブルを借りて、昨夜の銀貨を四等分。してから、ワーフェルドさんとクードの分を割り増しにした。
抗議は受け付けませーん。
□ □ □
現場に行く前に、みんなで四つ通りの洗濯屋に走った。まだ太陽が低いから、二つ通りの道具屋並びは開いてないし。
汚れが落ちなかった四人分の服と、クードの帽子。追加料金含めて、手持ちの銅貨と鉄貨が消えた。銀貨はあるけど、これはこれで不安になる。
私たちの防具にも、幾つかホブリドの血の染みができていたけど、これはもうどうにもならないそうだ。いいもん、ワーフェルドさんの革鎧を──いつになるか分からないけど、譲ってもらう予定だし。
そのワーフェルドさんの革兜と鎧は、表面がつるつるしてるからか、血痕は残っていなかった。凹んだ革兜は、昨夜ワーフェルドさんが金槌でこつこつ叩いて、取り敢えず元の形に戻っている。
うん、やっぱりワーフェルドさんの装具はいいものなんだわ。背甲がないのが惜しいけど。
□ □ □
洗濯屋を出たら踵を返して、二つ通りの復興現場だ。
手が治った二人は、昨日と同じ資材運搬と大工手伝い。
お義兄ちゃんは、清掃と水源担当。
私は、炊き出しに加わった。
実家でも見たことのない大鍋が、第二衛兵団の詰所からやって来たのを見た時は、ちょっと興奮した。すごく重そうだし、普段使いはしたくないけど。
でも大きな木匙で大麦や蕪を煮込むのも、肉詰めの燻製干しを節約せずにどんどん炙って入れられるのも、正直楽しい。
とか言っちゃいけないんだけどね、うん。
口には出さないよ。
街の外で亡くなった先輩たちの家族や、家をなくした人たちは、ここから大変なんだから。
大事な人がいなくなったり、愛着や思い出のある物がなくなったりするのは、辛いはずだし。
ただ家具やなにやらを新調するぞ、と職人と役人と打ち合わせてる人たちは、悲愴感より元気さが勝ってるように見えたから、私が悲しい顔をするのも違うのかもしれない。
顔も名前も知らない人を悼むのは、正直難しい。
でも、忘れないようにしたい、と思う。
□ □ □
──お義兄ちゃんがうちに来た時は、家財は無事でも、家族全員が亡くなってて。
お母さんたちが目を離すと、独りで誰もいない生家に帰って、泣いていたっけ。
その度にお兄ちゃんたちや私が探して、後を追って。遊びに来たクードと一緒に、あの生家にいるのを見付けて。
外でしばらく待って。落ち着いて出てきたお義兄ちゃんを迎えて、みんなで手を繋いで、うちに帰って。
いつからだったっけ、お義兄ちゃんが泣かなくなって、あの生家の掃除をするようになって。
私たちに中を案内してくれるようになったり、うちの物置代わりに使って欲しいって言い出したり。
お父さんが怒ったのよねえ。
あの時はちょっと大変だったなあ。
結局、私たちが入り浸って遊んだり、お義兄ちゃんの亡父たちの畑の作業、の時の休憩場所になったり。
あの家はもうすぐ、うちの二番目のお兄ちゃんとお嫁さんが住む。
お義兄ちゃんは、生家と畑をうちに売り渡して、パルトになる道を、選んだ。
還る生家を自分から失くした、ように。
私が泣きながら、そのことを伝えたクードは、衛兵に就けず色んな仕事をしていた。
今考えたら、自分のことで手一杯だったクードに泣きついて、どうするつもりだったんだろう、私。
でも。
──そっか、だったらおれもパルトになってみっか。
クードは、あっさりとそう言った。
──カルゴの前で、石工の武器を振るってやる。家のじゃ重いから、鍛冶屋町で専用のやつ作って登録すっかあ。
貯金と受験のための経費を、指を折って計算しながら。
──キリャのことも、ちゃあんと守ってやっからな。準備、しとけよ。
私もパルトになる、ってその時は言わなかったのに。
──カルゴが「自分の家と居場所」を持つまで、おれが側についててやる。心配すんな。
お義兄ちゃんにとって私たちは、家族じゃなくて「恩人」とか、「お世話になった隣人」でしかなかったのかなあ。
ふと、そんなことを口に出してまた泣いたら、クードに背を叩かれたっけ。
──カルゴの義妹は、お前だけだろ。あいつに我が儘言えるのも、お前だけだ。
私は、なんでもない顔をして、パルトになった。
嫌がられてもチーム組んで、お義兄ちゃんについて行って、ずっと手のかかる義妹でいてやるんだ、って。
クードも、さも当然、って顔してパルトになった。
今までの経験は、パルトになる準備だったから、っておうちの人に告げて。
あんな優しい嘘、私は知らない。
私たちが一緒なら、お義兄ちゃんは独りじゃないよね。
仲間がいるなら、寂しがったり諦めたり、自棄になったりしないよね。
□ □ □
「はーい、お昼ごはんですよー」
炊き出し班のみんなで声を上げると、わらわらと男連中が集まってくる。あ、ダイラ先輩だ。
「わー、キリャちゃんのごはんだねー」
ダイラ先輩はごつくて厳つくて、パルト女子部屋の主みたいな人だ。
設備の使い方や、箱寝台の改造方法、血の月の日、の対策や内職あれこれを初日の夜から教えてくれたので、新人同期たちほとんどみんなに慕われている。
──あたいが余計で鬱陶しかったら、そう言ってね。二度と話しかけないから。
からっと笑いながら宣言されて、私は一気に好きになった。
不細工なのに偉そうに、と陰口を叩いた子とは、仲良くなれないなー、と思ったけど、その子の顔は次の日から見ていない。
一見、高報酬に思える南地区の任務を受けて、そのまま帰ってきてないっぽいけど、同情はしない。
まあ、戻ってきても向こうから私たちを避けるだろうから、いいや。
そんなダイラ先輩は、実は一昨日のホブリフ退治の時に、現場にいた人だ。
警鐘と同時に屯所からすっ飛んで行って、住人の避難誘導をしたり、拘束縄を投げたりとワーフェルドさんばりに活躍した、私たちの恩人の一人でもある。
クードもお義兄ちゃんも、なんならワーフェルドさんも、ダイラ先輩の顔を覚えていた。昨日から全員一致で、「格好いい先輩だ」と認識している。
「私たちみんなで作ったごはんですよー。頑張った人は、いっぱい食べてくださいねー」
「やったぁ!」
ぱかっ、と口を開けて笑うダイラ先輩は、可愛いと思う。
なんかこう、裏表がなくて、うん、好き。太い一本三つ編みも、似合ってる。
炊き出しで使うお皿と匙は、これまた恩人であり大活躍したケフィーナさんたちの酒場、を含む数軒からの貸し出しも含まれている。
パルトならみんな、自前のものを持ってるし、大工団や衛兵団は持ち込みだけど。それ以外の人たちもいるから。
私の携帯食器は、まだ荷を買い直していないクードに貸した。私のごはんは最後に回すから。
洗って返してね、って言ったら真顔になってた。
ワーフェルドさんは酒場の大皿を借りて、もりもり食べている。時々、お義兄ちゃんになにか訊いて、頷いてる。
会えて良かったなあ、って思った。
強いからじゃなくて、なんだろう、上手く言葉にできないけど。
あとこらクード、私の匙を口に入れてる時間が長い。そんなことするなら、昨夜手に塗ってあげた乾燥蓬を返してよー、もー。
嘘だよ。
なぁんにも、返さなくていいよ。
だって私、クードからずぅっといっぱい、もらいっぱなしじゃない。
分かってるからね。ちゃあんと私、知ってるからね。
□ ■ □ ■ □ ■
今日は第二衛兵団の副団長さんに完了印をもらって、一旦、受付所に戻ることになった。
昨日受け取った経費の差額をチューシェ団長さんに返したい、と鉄貨と証文札を出したお義兄ちゃんは、帽子ごと副団長さんに頭を撫でられて、ぐわんぐわん揺らいでいた。
札になにか刻まれていたから、どうやら追加任務完了、として支払い時に加算があるらしい。
お金のやり取りをきっちりしておくと、いいことがあるんだなあ、と思った。
開店している道具屋の前を通り過ぎるのが、ちょっと二度手間に思えたけど。
報告が最優先、とお義兄ちゃんが決めたことだから納得する。
夕方まで作業を続けるダイラ先輩や、炊き出し班に加わっていた近所の人たちに挨拶をして別れると、笑顔で見送られた。
受付所で今日の任務と昨日のお使いの報酬を受け取って、これは均等に分けてから、今度は三つ通り、中央広場の周りにある衣服屋に先ず向かう。
二つ通りの店より、種類が多いんじゃないか、と言うクードの着替えと。
ホブリドの血痕が目立つワーフェルドさんの服を、買い足してそのまま、また洗濯屋へ持っていくからだ。
布から新調とか贅沢はできないし待てないから、二人には当然、買取中古品を選ばせた。
質実剛健、といった衛兵さん専用店より、ちょっとだけ華やかな気がする。
古着をほどいて古布にして、肘に重ねてるもの、襟裏やポケットが色違いのもの。足されている布はどれも染めが褪せているけど、それがいい。
奥で着替えてもいいか、店の人に承諾を得る。
「ぶかぶか」
背の高いワーフェルドさんが丈で選ぶと、昨日のようにあちこち布が余った。
やっぱりワーフェルドさんは、細身だ。
≪豊国≫の大人の男の人たちは、同じくらいの背丈だと、もっと体に幅と厚みがあるのが普通だから。
「きのうかったのと、ちがう」
そうだね。こっちは街の人や職人さんたちがお客さんだろうから。
「いろがふたつの服、はじめて」
ああ、と納得した。
ワーフェルドさんが外国から持ち込んだ服は、薄くなった生成りの葛布製ばかりだった。
昨日揃えたのは全部、虫に強い藍染めの、衛兵さん向けの丈夫な造りのものだ。下着は生成りの麻だった。
今着てるのは、身頃が渋い薄緑色の、草染め葛布製。両袖は、褪せた藍染の麻製だ。ポケットもある。
「あらあ、随分余るわね。ちょっと詰めようかしら」
と、衣服屋のおばさまが、針山と糸巻きを手にして近寄って来た。
ひょいひょい、と袖の余り布を畳んで、素早く縫い縮めていく。
着たまま縫われていることにワーフェルドさんが驚いているうちに、おばさまは仕事を終えた。
ついで、とばかりにしゃがみ込んで身幅や裾の余りも直し、サイズを調整してくれる。
下手に縫い止めたら不恰好になるはずなのに、布寄せがお洒落な線を描いているみたいになった。す、すごい!
洗濯屋から戻ってきた藍染めの着替え、あんな風にちょっと縫い縮めてあげよう。できるかな。
「すごい」
きらきらした目で、おばさまを見下ろしていたワーフェルドさんは。
「直し賃は上乗せするからね」
そう微笑まれて、言葉を失っていた。
薄い水色の上下を買ったクードは、手直しが必要ないことを何故か悔しがっていた。
その分、安いんだからいいのに。