西の果てから‐踊る聖詠女 Ⅵ
□ ■ □ ■ □ ■
シェダールお養父さんに見送られ、わたしは四人と一緒に山道を登る。吹く風が、石柱香炉のほぶふりお、すめるじゃ、の香る煙を薄めて漂わせる。
見えなくなっても、ずっと傍にいてくれてる、気がする。
男三人が荷車を牽いて押して、キリャちゃんがわたしの話し相手になってくれた。
「あの煙とオーシャさんの札はー、モンスターよけです。この赤の山々はー途中までー、えーと、麓から真ん中より低い辺りまでー、鳥型モンスターが出てたそうです」
「ほぶりど、ですか」
「あー、ご存知でしたかー。虫は生木、鳥は煙を嫌う、で覚えてくださいねー」
「ほびゅげが木材、ほぶりどが煙、ですね」
あ、ワーフェルドさんがなんか笑ってるっぽい。肩が揺れてる。
「モンスターじゃない厄介な虫はー、さっきシェダールさんが渡してくれた護身香で死ぬか逃げるかなんですよー。ダニも山蛭も血を吸うしー、刺されて腫れたり痒くなったりする羽虫もいるからー」
だからこれも、札や煙とは別に山道ではちゃあんと要るんですよー、と、キリャちゃんはわたしの巾着袋を突付く。
「みんなは、持ってないの?」
わたしよりもしっかりした装備や荷を担いでいる姿を見て訊けば、荷台を指される。
「あそこにありまーす。荷車から離れなければ大丈夫ですし、今はシェダールさんの洗濯物と布団もあるから、効果覿面ー」
なるほど、それでクード君が顰めっ面して押してるのか。牽いてるワーフェルドさんの方が、臭いはマシっぽいなあ。風下になるとしんどそうだけど。
ほぶふりおすめるじゃ──やった、完全に覚えたわ!──の交換を手伝っていた時よりゆっくりした歩みで山道を進み、昼過ぎに湧き水のところに着く。
この山の水は、ほびゅげや他の寄生虫がいないけど、濾過しても煮沸しても飲んだら下すそうなので口にはできないから、カルゴ君がじゃばじゃば飲める水を出してくれた。
すごいなあ、カルゴ君がいたら水には困らなさそうだし、ちょいちょいシェダールお養父さんのとこに行って欲しい。
キリャちゃんも一緒だと、お養父さんいっぱい沐浴できそう。ああ、でも護身香の匂いは、ずっとするよねえ。
携帯食は、刻んだ葉野菜の塩漬けが混ぜ込まれた生地の堅焼きで、しょっぱくて美味しかった。
カルゴ君の水、おいしいなあ。
キリャちゃんがくれた乾燥ハーブを入れた水で口を濯いだら、すごくさっぱりできた。
□ □ □
「──で、問題はこの先だ」
カルゴ君がそう言って、山道の先を見る。ずっと左側にある岩壁を回り込むように続く登り道、ここから先は、シェダールお養父さんと一緒にいたわたしが、目にしたことがない世界だ。
どんな景色なんだろう。
第二関所、ならまたあんな家や柵壁があるのかな。
「面倒臭ぇなあ」
「ぼくが見てこようか?」
「焼いちゃうー?」
「研究班がまだなら無視して、来てたら手伝い、かな。うん」
どうやらあのクズ連中は、第二関所の宿営地になってる広場で、もう死体になってる……と思われてるらしい。
うーん、一昨日あんなに威張り散らしてたのに、もう死にかけてるのね。
「ホビュゲだらけの森で刺されてるってのは、危ないのー。皮膚の下に寄生されてるかー、血管に卵を産み付けられてるかー」
うげぇ。
「森の水飲んでりゃ、腹の中にもうじゃうじゃいるだろうなあ」
ひえええ。
「ぼくが武装商会から聞いたのは、寄生するほびゅげは、卵も幼虫もすごく小さくて、それと分からないらしい。
でもそのうち、いきなり吐いたり漏らしたり痛くて動けなくなったりして、そのうち体を中から食い破られる」
おげええええええぇ。
「まあ、昨日のあの様子じゃ、もうダメだろうな。第二関所の衛兵さんが、香ノ木の杭打って囲ってたから出てきても動きは鈍いだろうけど」
「けどそいつら、護身香もねえんだろ? だったら」
「死体や体液に虫がたかってる?」
「……よねー、そうなるわよねー」
いやああああああ!
話だけで涙目になって震えていたら、四人が顔を見合わせて、頷き合った。
「オーシャさん、荷車と一緒にここで待っていてもらえますか?」
「ふぁい」
「ここはすぐそこに石柱香炉があるしー、オーシャさん札いっぱいあるしー、護身香もあるから大丈夫よー」
「ふぁい……」
「ま、ちょっと見てくるだけっすよ」
「ふぇい」
「行こう」
ワーフェルドさんが、荷台から護身香らしき小袋を取り出し、隙間に差し込んでいた銀貨二枚を担いで、歩き出す。
重そうな長柄鎚を手にしたクード君と、矢筒に巾着袋を結んだキリャちゃんが続き。
「大丈夫です。待っていて下さい」
荷車が動かないよう、車止めを噛ましたカルゴ君が、わたしが使わせてもらっていた槍を受け取って、走った。
□ □ □
しばらくして、四人が戻ってきた。
どうやら……けんきゅうはん、の人たちが、第二関所に到着していたそうで、担当の衛兵さんと一緒に「最後の一人が息絶えるのを」待っている、らしい。
ここまで臭いや音が届いてこなくて、良かった。のかなあ。
「殺っちゃえばいいのに」
「ぼくもそう思いますが、リーシュでは野盗討伐や駆除の仕事はないそうです。死罪は、みかいちへの身一つでのほうちく、と教わりました」
わたしの呟きに、ワーフェルドさんが小声でそう返してきた。元々、同盟国家群でエフだった彼には、常識や感覚の差が大きいだろうなあ、と思う。
普通にやっていたことを禁じられたり、逆に避けていたことを推奨されたり、というのは精神的に大変そうだけど。
入国してからそんなに経っていないのに、極力リーシュの流儀に合わせられるワーフェルドさんは、すごいなあ、と思ってたら。
「……オーシャさんは、ぼくよりリーシュの言葉が上手です。羨ましい」
顔に出ていたようで、ワーフェルドさんにそう言われた。
「わたしはワーフェルドさんの強さが、羨ましいです。新しいリーシュ国民同士、出身が違っても協力できたらいいですね」
「あー、二人で外国語喋ってるー。流暢だー」
キリャちゃんの声に、揃って笑った。
四人はこれから改めて、衛兵さんやけんきゅうはん、の人たちと一緒に「処理手伝い」をするらしい。
「随伴するパルトが一人足りなかったので、その、キリャの参加を要請されまして」
「けどおれたち、チームだからよ。キリャが行くならみんなで参加だ」
カルゴ君の説明に、クード君が胸を張る。
じゃあ、わたしはここでしばらく待機していればいいのかな。
「気を付けて、頑張ってね」
そう言って、見送ることにした。
見送った後で、ワーフェルドさん以外の三人には「がんばりぇー」みたいに聞こえてるのかなあ、と気になったのは。
カルゴ君が、わたしにすごく優しい笑顔を見せてくれたからでした。
……ち、違うからね。わたしはちっちゃい子じゃないからね!
□ □ □
しばらく、交互に吹き替わる風だけになる。
荷車を離れ、道の端からリーシュを見下ろそうか、と思ったけど、止めた。
シェダールお養父さんといた時に、何度も見たものとそこまで変わらないだろうし。もっと進んで、それこそ山のてっぺんまで行ったら、また見ればいい。
ここの北、北東方向に見えている「白の山脈」から、南へ大きな川が流れているとか。
その川の東側に町、じゃない街があって、コディアちゃんとチューシェさんと、鶏たちが住んでいて。カルゴ君たちも寝泊まりしていて。
この山の麓、川の西側が、三人のふるさと。小麦や野菜や麻や豆、蜜蜂の巣箱や生えてる香ノ木、石切場と……タケ、ってなんだろう。
そんなことを考えていたら、遠くからキリャちゃんの悲鳴が、カルゴ君たちの罵声が聞こえてきた。
「やだー! 気持ち悪いー最悪最低ー! オーシャさん連れてこなくて大正解ー!」
「えぐっ! きっしょ! おええええええ!」
「こっちは採取終わったし、護身香も抜いたよ! 頼むね!」
「ダイラさん了解です! 小さいのはクードが潰せ! 俺は刻む!」
あの、なんか、微かに、ブチャグチャネチョグチョっていやーな響きが聞こえてきたんですけど。
知らない女の人の声もする。四人の知り合いっぽいなあ。
ワーフェルドさんの声は聞こえませんが、なんか力強い殴打音が。
「きったねえええええええ!」
「がんばれー! クードがんばれー! えいっえいっ」
「キリャ、これ! 無制御で燃やせ俺がなんとかす」
「──【火】! とりゃーっ!」
ぼぼん、ぼぼぱぁん、と音がした。
あれだ、冬の祭日で大きな篝火が燃えて爆ぜるような。
え、あの、キリャちゃん……?
「うわー! 嘘だろなんだその威力!」
「杭まで燃えるぅぅ!」
「済みません【散水】!」
知らないおじさんたちの声に、カルゴ君の……ああ、多分、水魔法かな。じゅうぅう、って。
「くっせえええええ!」
「わーん私帰ったら金槌買うー! 靴も買い換えるー!」
「おりゃおりゃおりゃ、ならおれが選んでやる!」
「約束よー!」
「ぜってぇ守ったらあ!」
……ああ、うん。色気ないけど逢い引きの約束だね。おのれ修羅場で恋愛満喫コンビめ。
末長く幸せになれ。おねーさんは踊って祝っちゃうわよ。
「そっちに這い出てるので最後です! こっちはぼく全部潰しました!」
「あと一息だよ! みんな気合い入れな!」
……うん、ブッチョングッチョンドッスンゴッスン、って聞こえてきてたわ。
もし探してた木材じゃなくても、絶対、あの銀貨二枚はワーフェルドさんに押し売りしよう、そうしよう。
二度と持ちたくない。
静かになった。終わったのかな、と思って、背伸びをしてみる。
当然、なにかが見えるわけでもない。
なので荷車を離れ、そうっと岩壁の向こうを窺うと。
「【炎放】!」
「ひゃっ!」
柵壁のない第一関所に似た空間、の一角で、火柱が上がった。う、風下になった。くさいっ!
「流します──【急水流】!」
と思ったら、豪雨が「横に」降り注ぐ。空は真っ青で春の晴天。雨雲らしきものはない、じゃない、雨は左から右に降り注がない。
カルゴ君の両手から、豪雨、じゃない、ものすごい水が生まれて、地面を流す。黒焦げのなにかが混じった水が、ビューッと一直線に崖の先へと飛び、下の森へと弧を描いて落ちていく。
「わあ」
水が飛ぶ方を見ていたら、虹が出た。
破落戸どもの墓標と呼ぶには綺麗すぎて、変な笑いが出た。
□ □ □
覗き見がばれないようにこっそり戻り、またしばらく待つ。
疲れた顔の三人と、ご機嫌で銀貨二枚を揺らしているワーフェルドさんを迎え、荷車と再出発だ。
岩壁を回り込んで少し進めば、さっき見た第二関所だ。
左側に岩壁、石造りの物置とトイレ、香ノ木で建てられた家。
なんだか、シェダールお養父さんのところに戻ったみたいに感じる。
「ようこそ、正しい移住希望者さん」
でも、濡れた杭をまとめていた、わたしにそう声を掛けてきたムキムキのお兄さんはお養父さんよりずっと若くて、灰色の顎鬚は短かかった。
宿営地的な広場は、大きく焦げてびっしょり濡れていた。
でも土がほとんどないから、泥濘んではいない。
カルゴ君たちが牽く荷車より小さい手押し車に、知らない人たちが壺を幾つも積んでいる。
蓋を閉めて、藁筵を巻いた壺に厳重に縄掛けをしている──その中身は、考えないようにしよう。
「はじめまして、足止めしちゃって悪かったね」
振り返った厳つい女性が、柔らかく笑う。それだけでいい人だ、と知れたので頭を下げた。
兵士にしては個性的な部分鎧と兜、剣まで携えているから、衛兵さんじゃなくてカルゴ君たちのお仲間、みたいな気がする。
他には、槍を持った赤毛のスカートの女性と、揃いの草染め服を着た男性三人。よく分からないけど、けんきゅうはん、の人たちだろう。
わたしは衛兵のお兄さんに、シェダールお養父さんに持たされたものを見せるだけで、手続きが終わった。
関所は第五まで、ほびゅげでない寄生虫を入国までに駆除するように、と虫下しを衛兵さんに渡された。
ほびゅげを退治する飲み薬、はないらしい。しみじみと、武装商会の人たちの言に従っていて、良かったと思う。
無の草原や蟲の森で取水していたら、わたしもあの汚い虹になっていたかもしれない。
知らない人たちは、後処理がどうので、わたしたちの後から出立するんだとか。
「あのー、あいつらの荷物とかは」
「危ないから全部、灰にしちゃった。銅製品は研究班の人たちが一応回収するんだって」
うふ、と笑うキリャちゃんが怖い。
「確かほびゅげ素材がどうとか」
「箱と袋かな? 研究班が引き寄せて中身を検分してたが、折れてて割れてて砕けてて、有毒部位も取り除かず一緒になってたから、鶏の餌にもなんねえ。燃やして終わりって。
……シェダールさん、護身香突っ込んだなら、言ってくれてりゃいいのに」
荷車を押していない方の手を振りながら、そう言うクード君が、渋い顔をする。
「あれがあったから、まだマシだったと思うけどなあ。普通の虫が集ってなかったから、採取の手間が省けたし。
甲冑や剣は潰せばいい。銅だし、高く売れる」
「いやー、あれ銅じゃねえぞ?」
「ううん?」
カルゴ君とワーフェルドさんの、荷台越しの会話の意味が分からず、首を傾げていたら。
「あー、小国家群の銅とリーシュの銅は、なんでか色が違うんですよー。オーシャさんの銅貨は金ぴかじゃないですかー?」
「ええと、はい。黄色いです」
「リーシュの銅貨はこういうー、赤土っぽい色なんですよー」
わたしの隣で、キリャちゃんが片手で器用に財布の口を開け、一枚摘まんで見せてくれた。
親指の爪くらいの、知らない小さい貨幣。
「そうなんですか」
え、じゃあシェダールお養父さんの髪やひげが銅貨色、って言ったらリーシュじゃ通じないのかな。
「オーシャも両替商に行くといい。違いすぎてきっと驚く。
同盟銅貨は、ぼくたちが鍛冶屋町に売りにいってもいい。あの隊長さんは、もういないから」
ワーフェルドさんが荷車を牽きながら、笑った。
どういう意味だろう。
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山頂の第三関所は、シェダールお養父さんより年嵩っぽい衛兵さんがいた。やっぱり似たような臭いのする小屋の横で、手続きをする。
「ん、下が賑やかだったなあ」
「汚れていたので勝手に掃除をしました」
「ん、助かった」
衛兵さんとカルゴ君のやり取りに、背筋が冷える。絶対、なにが起きたか知ってる。なのに敢えて具体的なことを省いて、それで終わらせている。
「入国者一名、ん、ようこそリーシュへ」
でも衛兵のおじいちゃんが向けてくれた笑顔は真っ直ぐで、わたしは少し混乱した。
ただ、シェダールお養父さんを思い出して、こういうものだと自分を納得させる。
同盟国家群では野盗を狩るエフたちが当たり前なように、リーシュでは逸脱者の命を助けないのが、きっと普通のことなのだ。
岩や石だらけのてっぺんから東を見下ろすと、麓の森の向こうに豊かな畑や、木々がきちんと並んだ斜面が広がっているのが見えた。家もかなりある。ここからじゃ、ちっちゃく見えるけど。
北側には白い頂の山が東の彼方まで線を描くように連なっていて、その南の麓にも、森がある。
リーシュの遥か南には、水面があるようだった。湖か大河か、海かは分からない。
石壁がある大きな街は緑が多く、石壁の先はまた深い森で、遠くに山影が薄っすら見える。
リーシュは三方を山に囲まれた窪地っぽくて、森を拓いて興った国のようだった。
こんなに高いところから街を、村を、国を見下ろしたことはない。ちょっと怖くて、でも爽快な気持ちにもなった。
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下る山道の方が、荷車は大変だった。走りすぎないように、キリャちゃんと一緒に荷台の後ろを掴んで、力を入れる。
先頭で支えながら牽くワーフェルドさんは、力があるんだなあ。
荷台の左右に回り、抑えたり掴んだりするカルゴ君もクード君も、みんな無言だった。
途中の第四関所で一泊して、キリャちゃんが煮炊きしたスープを分けてもらう。
ずっと使ってきた偽造証は、薪と一緒に燃やした。
口にした虫下しの苦さを散々愚痴ったら、カルゴ君に頭を撫でられた。
少しだけ奉納舞いを披露したら、みんなに喜んでもらえた。
いつかシェダールお養父さんにもちゃんと見せなきゃなあ、と思った。
「オーシャさん、服と靴は早めに買い換えてねー」
キリャちゃんに力説された。
山道を下っていくうちに、うんと下にあった森が近くなる。
小さな川に架かる橋、大石や岩だらけの渓流脇で、また一泊。苦ぁい虫下しを飲んでいたら、そこで後から来た、けんきゅうはん、の一行に追い抜かれた。
「あんたら早すぎるよ、足は大丈夫かい?」
「ありがとうございます、ダイラさん。事前にしっかり教わったことが実践できるようになっただけで、俺たちは無理はしていません。
山道や荷車捌きのコツが掴めるようになったんだと思います」
「あたいらも予備食料持ってなかったし、運搬別動隊も出払ってて」
「南ですよねー、大丈夫ですよー! やりくりできましたからー」
「……凄いな、今年の新人ってのは」
「この子たち、初日に完遂できた唯一の組なんです。アーガ先輩も、気にかけるわって話で」
なんか、わたしが分からないことで盛り上がっている。
「オーシャさん、なにかあったら屯所にお声がけ下さい。役場よりうちの方が女性が多いので」
赤い髪の女性に、頷きを返した。色々と、お世話になるかもしれないから、この人たちの顔も覚えておこう。
「あたいは街中を中心に動いてるから、いつでも気軽に声をかけてね。んじゃ、お先に!」
あの、厳つくも優しそうな女性剣士はダイラさんと言って、キリャちゃんと同室の先輩ぱる、とふぃ、しゃりす。
スカート姿の、赤髪の槍使いさんは、アーガさんの後輩なんだって。
いや、だからアーガさんって誰なの、ワーフェルドさん。
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山道が終わり、建物に招かれた。ほぶふりおすめるじゃ、とは違う煙たい部屋に、四人と一緒に入る。目は閉じてもいいらしいけど、靴裏の土はここで全部落とすようにと言われて、ちょっと大変だった。
外で待ってるねー、と言うキリャちゃんたちと別れて、係の人に連れられて別室へ向かう。
入国審査官は、無精髭の黒髪のおじさんだった。逞しいけど、縦に長い印象だ。ちょっとワーフェルドさんに近い。
あくまでもシェダールお養父さんや関所の衛兵さんたちと比べると、だけど。
「ふぅーん、ブレサウィズから、舞芸神殿の。よく辿り着けたねえ」
そして口調が軽い。
って、あれ、同盟共通語だ。東西ごっちゃの、標準だっけ平準だっけ。
「祠の建立と布教? いいんじゃない。シェダール君が認めるくらいは、礼儀も常識もあるんだろうし、君がリーシュ向きじゃなきゃ、養父にもならないだろうから」
保証書きと舞芸神のしるしを返すね、と先に提示したあの板と、縫い直してまた解いたくるみボタンの中身を渡された。どっちも、わたしの宝物だ。
「あの、舞芸神様の教義というのは」
くるみ直して大急ぎで服に縫い付け、胸元を閉める。男の人の前でスカーフ覆いだけじゃ緊張するから、これで一安心。
「知ってるよ。うちの国教は一応創造神だけど、べぇっつに一神教とかじゃないからいいよ」
しみじみと、軽い。
浮かんでいる笑みが、嘘っぽい。
「弾圧前に出国とか、よくやったねえ。翠紅と白粉に関しては、国が全面協力するから、生産技術者を育ててもらえるかな。
君には毎月、定額技術指導料と、それとは別に加工品の国内外売り上げの二割、双方税額を先に引いたものを払おう。こっちは脱税予防、そっちは変動収入の申告手続きの省略になるから、双方利があるよね。
民からの喜捨は月毎、布教経費と祠の建立経費を引いた額面の三割が税金納付ね。こっちは副収入扱いにするから、面倒でも毎月申告してもらえるかな。カルゴ君に役場の案内を頼むといいよ。彼は税務の知り合いが多いし、詳しいから。
技術者だから住宅補助と斡旋もあるけど、そこは先にチューシェ君──あ、シェダール君の実弟さんね──たちと相談してからかな。同居を望まれるかもしれないからねえ。ってか、シェダール君は同居希望してるよね、あの文面だと。
あと希望するなら、酒場も紹介できるよ。小さい舞台なら増築させるし、奉納舞いとか感謝舞踏、衛兵詰所への慰問歌唱とか──ブレサウィズの神殿時代と似たことをやってもらえると、民の娯楽になるし士気も高揚する。相互扶助精神の教義を謳った聖歌は、リーシュの楽士たちに早めに教えてやってくれるといいなあ。
うん、初年度は技術指導の片手間でもいいから、むしろこっちを優先的にお願いできないかな。無理なら来年度以降でいいからさ。これは国から都度、税引き給付の形で。
仕事が多くてごめんねえ、しっかり支払うから頑張ってくれるかな?」
とか思ってたら、言葉の大洪水だ。
なにこれ、カルゴ君の水魔法より大量すぎる。
ってか、カルゴ君は何者なのよ一体。
ええと、なんかむっちゃ好条件なんだけど。わたしの希望が全部通ってるんだけど、いいんでしょうか。
あと、そんなにお金もらえて税が軽かったら、祠どころか神殿まで建てられたりしない?
お婆ちゃんになるまでに目指せ神殿、とか夢見てもいいかしら。いやいや、ただの聖詠女なのにいいのかな。
それと、このおじさん──なんで舞芸神殿のことを知ってるの。同盟国家群でも、東に行くほど知られていなかった、のに。
「うん、今の全部書面に起こすから待っててね。あとこれ、回収した香ノ木の札の代金と当座の支度金、国民証と、パンの指定日札。両替商はあの子たちと一緒に行くのかな?」
早い早い。すごいわ、このおじさん。
「あ、はい。街を案内してくれるって」
「良かったねえ、国の最強と二番手が家族になって、パルト最強新人組と繋がるとか──忌避地や森のことといい、君は強運どころか豪運の主だ。
今までの苦労と不幸に負けなかった君は、これから全部取り返せるよ。おめでとう」
ニヤリと笑われて、どうしていいか迷っていたら。
「──ブレサウィズとやらは、着実に滅びの道を辿っているよ。
黄金の実をつける大樹を伐り倒した蛮行の報いは、脱出民と叛乱勢力の増大で、今まさに受けてる最中のはずだ」
「えっ、あ、なん」
「まあ『金貨の誓い』が有効なうちは、外圧より内から壊されるようにできてるからねえ。
さあて、君みたいな有能な人がまた、うちまで来るといいんだけど」
「……王、様?」
「違うよ僕はただの補佐官──宰相、なんて呼ばれてるけどねえ」
凍り付いた目で、薄っぺらく嗤う器用なおじさんは、机の上で羊皮紙と羽ペンを操る。
怖い。
なのに。
「うちの王様はねえ、大陸一の、お人好しだよ」
その呟きだけは、温度がある優しいものだった。
わたしは椅子から、動けなかった。
必死に唾を、飲み込む。
そして、積まれた銀貨の山と二枚の木札に、手を伸ばした。
(誤字報告、ありがとうございます。ガッツリ反映させていただいています)
(じっくり読み込んで下さってる方々がいらっしゃるんだ、と嬉しいです)