西の果てから‐踊る聖詠女 Ⅴ
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「神様を信じて、教義を聞いて、教えに従って生きる誓いを立てた人が信徒。それ未満でも神様を信じる人が信者、です」
言いながら円座の真ん中に器を二つ並べると、誓うかどうかか、と皆が頷いてくれる。
ちょっと離れたところに、もう二つの器を置く。
「教義を覚え、信徒に易しく説いたり、教えを広めたりするのが輔神官……と、女性神官」
「別の呼び方なのー?」
「女性神官はより長く特別な祈りを捧げたり、作るものが違ったりします」
「なに作るんだ?」
「舞芸神様の神殿では、輔神官は酒や楽器、女性神官は翠紅や白粉でした。輔神官は演奏を捧げ、女性神官は歌と踊りを捧げます。
それぞれ、えー、下働き大勢と行います。わたしは聖詠女といって、女性神官の下働きです」
ほうほう、と納得される。
「信者は喜捨とか献金……ええと、それぞれの収入の範囲内で、無理のないお金や収穫物、商品を神殿に納めます。
お掃除やお手伝いといった、労働で納める人もいます」
「国に税を納める感じですか?」
「強制ではありません。納めない人もいます。でも輔神官や女性神官は読み書きを教えたり、徴税計算を手伝ったりもしてましたから、ほとんどがなにかを納めてくれました」
「リーシュの手習所のような側面もあるんですね。うちは魔法使いや、商人が教え手になるんですが」
すごいなあ、魔法使いがわざわざ字を教えてくれるなんて。
商人も、とか、ちょっと信じられない。料金が高そうだわ。
「信徒は喜捨だけでなく、教典を携え、町の外の村や、神殿を知らない人々に指針を伝えたり案内したりします。
商人や衛兵が仕事の出先で行うのが多いので、そういった通行証を持つ人がなることが多かった……はずです」
身分以上に信用を得られやすい、と入信し誓いを立てる大人がいた、気がする。
「信者さんが普通の人で、信徒さんがよく動く別の仕事の人、なのねー。輔神官が男の人で、お酒や楽器を作る……で合ってる?」
「合ってます。女性神官が農作・化粧品・歌と踊り、という感じです」
「神殿に払った金はどうなるんだ?」
「わたしたちの生活費や、神殿や周辺の整備に使います」
「足りるのー? 額面決まってないのよねー」
「足りないので、酒や加工品を売ります」
「部分的に職人と似たような感じになるのか」
首を傾げたシェダールお養父さんに、わたしも首を捻った。
「うーん、畑仕事もしてましたし、町の掃除とか、兵舎への慰問とか。孤児院もありましたし、色んなことをしてたと思います」
一つずつ思い出しながら、説明する。神殿を出たのが成人前だったから、他にもたくさんあっただろうけど、分からない。
「孤児院?」
「親や縁者のない子を、成人するまで住まわせる施設です。読み書きを覚えたりお手伝いをしたりして、信者に引き取られたり、信徒が営む職の見習いになったり」
ワーフェルドさんが呆然としている。彼の出身国にはなかったのかなあ、って、見当たらない国もあったわ、そう言えば。
「あー、色んな仕事の人がいるし、神殿で顔見知りになったりするワケか。なるほどなあ」
「わたしのように、聖詠女になる子もいます」
う、沈黙が痛い。難しかったかな。
「ええっと、輔神官や女性神官を取りまとめるのが、神官様です。神の『奇跡』の使い手で、教典を暗唱して、祭祀を執り行う知識と資格、その全部が揃ってないとなれない、偉い人です」
信者と信徒、として置いた器の横。
輔神官と女性神官、と重ねた器の更に上に、器を一つ載せる。
「お祭りー?」
「はい、≪聖日≫……は神様ごとに違いますが、ええと、うちは……春の種蒔きが終わった頃に豊作祈願と、夏に貝吹きの紫奉納、秋の収穫後に豊笑感謝のお祭りがありました。冬の祭日とは別に」
うん、これはちゃんと覚えてた。
「それはいいですね、リーシュには冬の祭日しかありません」
カルゴ君がちょっと笑顔になる。うん、農家の出身なら通じやすい。お世話になったあちこちの村でも、そういうのがあるとやる気が出る、って言われたなあ。
「どんなことするのー」
「神殿で酒と果物を配って、演奏して、歌って、舞います」
「金は? 幾ら払えばいいんだ」
「聖日は冬の祭日のように、料理の売り買いはないです。無料ですよ」
「いいじゃん!」
おっと、クード君が食い付いた。
「創造神様も、そんな祭りが増えるのはいいんじゃね? 全員参加は無理でもさ、こう、季節ごとになんか元気出そうじゃんか」
「その聖日、というのは決まり事はないんですか。禁止事項とか、誰かは参加できないとか」
舞芸神の信者でないとダメとか、と確認してくるカルゴ君に、わたしは微笑んだ。
こういう質問をされるのも、答えられるのも、嬉しいなあ。
「あります。『参加者は全員、笑顔であること』というのが」
聖日は、日没まで喧嘩や怒鳴り合うのはご法度。神と隣人に感謝を伝えること。酒と果物を、分け合うことが必須だ。
結構難しいんですよ、と伝えると、ワーフェルドさんが挙手した。
「パンは、ないですか」
「……うーん」
流石にパンはなかったなあ。粉挽き水車は国の管轄で、聖日だからといって特別扱いはされなかった。
そう返すと、しょんぼりされた。
「──リーシュならあってもいいんじゃね? パン」
「果物だけじゃ足りなくなりそうよねー」
あら、そういえばリーシュの作物ってどうなんだろう。シェダールお養父さんの食糧を見たら、大陸平野部とはちょっと違ってそうだったし。
あの薄黄色の豆、風味があって美味しかったなあ。
神官様の上には大神官様がいるけど、具体的になにをやってるか、までは分からない。
正直にそう言えば、多分国王の下で調整したり、色々難しいことをしたりしているんじゃないか、とシェダールお養父さんが推論を述べた。
「あんまり会わなかったから、覚えてないの。すっごいお爺ちゃんで、難しい原典教義を話してたくらいで」
ただ、それを聞いていたからシェダールお養父さんの言葉が掴めたし、リーシュの言葉が早く分かって話せるようになったんだ。
無駄な経験なんてないんだなあ、と思う。
「……リーシュに神殿はありませんし、そういう上下? 組織? みたいな制度はないです。
王様が神官様、になるんでしょうか。冬の祭日の取りまとめをされてるし、奇跡の使い手でもあるし」
カルゴ君は、腕を組んで考え込みながら、そう話す。想像以上に大雑把なのね、リーシュって。
「春の果物つったら、藪の実と赤長の実と」
「黒苺と赤苺があるけどー、一日それだけじゃおなかすいちゃうー」
「それを混ぜたパンを焼くのがいいと思う」
「秋ならあるよなあ、栗だろ、胡桃だろ、秋渋……は干すから冬の祭日まで待たないとだけどさ」
「あけびと林檎もー」
「山葡萄を干したのがパンに入ってた」
こっちの三人は、果物談義だ。
酸桃があるかと特徴を伝えて尋ねたら、キリャちゃんが塩漬けの実を教えてくれた。似たものが漬物であるらしい。
よっしゃ、同じものだったら燻して翠紅作っちゃうわよ!
「あれ、生じゃ食べられないのよー。秋渋の実も干さないとダメなのー」
「秋渋は干したら超甘ぇ」
「カルゴのお母さんがくれたやつです、パンに合うでしょうか?」
わいわい言ってたら、シェダールお養父さんが手を叩いた。
「よし、今日はここまでだ。安堵したか、オーシャ」
「はい!」
「うおお、真っ暗じゃねえか」
クード君の声で周りに目をやれば、細く開けた窓の向こうは真っ暗だ。家の中も、ランタンの光が届かない端はもう見えない。
「俺とクードが一の夜番するよ。次はワーフェルドさんでいいかな?」
「じゃあ明けの番するねー」
言いながら、四人は床上から自分たちの器と、別にしていた匙とを持って外へ向かう。
「えっ、あの」
「此処は安全だぞ。狭いが中で」
そう引き留めるシェダールお養父さんに、カルゴ君が振り返った。
「昨日も夜番を立てました。俺たちは見習い中なので、訓練しているんです」
お気持ちだけいただきます、と頭を下げる姿は、わたしより年下だろうに、すごく大人だった。
□ □ □
新しいふかふかの布──羊毛布じゃなくて、綿羽布団って言うんだって、に包まっていたら、ぺたんこの布団を敷いた床に横たわっていたシェダールお養父さんが、声をかけてきた。
「どうだ、リーシュでやっていけそうか」
「やっていきます」
お義父さんや、まだ見たことのない家族がいる。
キリャちゃんとも仲良くなれた。魔法使いの友だちができるなんて、今でも信じられない!
「魔法は、知らなかったか」
「びっくりしました。ワンドがなくても、魔法って使えるんですね」
「ワンド? 我も使うぞ」
「うん気付い──あれっ!」
驚いてシェダールお養父さんの方を向こうとしたら、勢い余って転がり落ちそうになった。太い腕が伸びてきて、止めてくれる。
「コディアも、そうだな、リーシュは民の多くが使う」
「なんで教えてくれなかったんですかあ!」
「訊かれなかったからだが」
うー、その通りだけど、でもだってまさか、そんなに魔法使いが大勢いるとか、当たり前だとか、知らなかったんだもん。
「……わたし、奇跡一つも使えません」
魔法とかさっぱりだし、できない子扱いされるのかなあ。ちょっと怖い。
「リーシュで奇跡を使えるのは、王だけだ。農民も商人も、魔法を使えぬ者はいる。汝の技術も、知恵も、教えも、重用される。心配するな」
「……なんで分かるの」
「ん?」
「なんで不安だって」
「分かるぞ、我は汝の養父だ」
シェダールお養父さんは、わたしを綿布団越しにぽんぽんと叩いた。
「親になると言うのは、こういうことなのか、と我にも不思議だ。顔が見えずとも、声を聞かなくとも、分かるものなのだな」
「そうなの?」
「そのようだ」
弟たちの気持ちが分かった、そう言ったシェダールお養父さんは、多分今、ちょっと笑ってる。真っ暗で顔が見えないけど、声と気配だけで。
父親って、娘って、こういう感じなんだ。
「へへへ」
「もう寝ろ」
「……おやすみ」
ぽん、と響く柔らかさに、安心して目を閉じた。
あったかい。
□ ■ □ ■ □ ■
翌朝、シェダールお養父さんと同時に起きた。はじめて寝起きの顔を見た。あ、結構ひげいっぱいだ。
「お義父さんひげだらけ」
「男はこういうものだ」
ちょっと拗ねた声を返されて、笑ってしまう。
二人で布を濡らして、顔を拭く。シェダールお養父さんは手櫛だったから、それじゃダメよ、とわたしが梳かした。堅くて太くて、銅貨色。昨日お風呂を使ったから、ぴかぴかだ。
わたしが白粉を塗り、シェダールお養父さんは土間で頬や鼻付近の髭剃りをする。生やしてる髯と髭は落とさないように、器用に刃先が顔を撫でていく。
「見えずにできるの?」
「慣れだ」
うーん、それは良くない。養娘として、格好いいお養父さんにはちゃんとしててもらいたい。
「これ、わたしのお古だけど置いていくね。使って」
机に櫛と銅磨鏡を並べると、シェダールお養父さんは振り返って声を上げた。
「オーシャ、それは大事なものだろう!」
「いいの、お養父さんに使って欲しいの」
「だが」
「養娘からの贈り物。要らなかったら、崖から向こうに投げちゃうよ?」
「……分かった。感謝する」
大きなため息を吐いたシェダールお養父さんの掌に、わたしの髪はぐしゃぐしゃにされた。
手櫛で直して括ってたら、目を細められた。
外に出ると、やっぱり弱い風が交互に吹いている。
柵に凭れて座り、外套に包まって目を閉じているワーフェルドさん。
背負い袋に頭を預けて、麻布を被っているクード君。
カルゴ君は荷車の上、シェダールお養父さんの洗濯物や空になった大小の木箱の隙間に挟まってる。苦しくないのかなあ。
「……オーシャさん、おはよー」
朝日の中で、弓を手にしたキリャちゃんが立っていた。小声で挨拶されて、わたしは手を振る。
昨夜のお化粧はもう落ちちゃってるけど、うん、可愛い。
風が、少し早まる。
振り返ると、戸を潜ったシェダールお養父さんが、開いた口を閉じるのが見えた。
ワンドも、偉そうな話し方も、服の刺繍もないけど。
「──この風が、お養父さんの魔法だったんだ、よね」
こんな厳つい優しい魔法使いがいるなんて、わたしは知らなかった。
みんなでまたごはんを食べて、わたしは武装商会から買った香ノ木の札をたくさん提げて、寝台の下から銀貨二枚を引っ張り出した。
ら。
「緑……」
「オーシャさぁん、その杖」
「うっそだろ」
「オーシャさんその杖見せて下さい!」
いきなり囲まれて、わたしは仰天する。
「えっ、あの、なに」
「済みませんその杖が、俺たちが必要な木でできているように見えて」
「ちょっと見せてもらってもー、いいですかー」
「いいけど、これ、重いですよ」
手渡すと、三人が順番にじっくりと観察している。どうかな、似てる、と口々に言い合って、最後にワーフェルドさんが手にした。
「……外で振ってみます」
言うなり、ワーフェルドさんは靴も履かずに出ていった。
「えっ、ちょ」
「靴履けバカ!」
慌てて追うと、少し高くなった朝日の下で、ワーフェルドさんが。
軽々と、片手で銀貨二枚を振り回していた。手首だけでぐるぐる、両手で持って、斧を木に打ち込むみたいに、ぶぉん、って。何度も。
「──ほう」
と、後ろからシェダールお養父さんの声が聞こえる。
外壁に立て掛けていた鉄槍を手にして、わたしたちを追い越して、ゆっくりワーフェルドさんに歩み寄った。
「二度目の手合わせを、願おう」
□ □ □
二人は両手で得物を構え、先を合わせた。
直後、ものすごい速さでシェダールお養父さんが槍を前に出す。ワーフェルドさんが銀貨二枚で、槍の柄を横に叩き飛ばす。
すぐに足を開いて体勢を立て直したお義父さんは、槍を下から斜めに振り上げた。ワーフェルドさんは後ろに跳び、躱す。
今度はワーフェルドさんが、ええと、速すぎる!
銀貨二枚を使っての横薙ぎ。槍を持ち変えたお養父さんが柄で防いで、くるっと回して足元を狙う。
それを、銀貨二枚を縦にして防御、足を引いて上で打ち合い、下でまた打ち合い、二人が位置を換えてまた突いて弾いてを、いろんな角度と高さで。
避けて、構えて、振りかぶって、止めて、跳んで、待って、もう、目が。
ガィイン、と聞いたことがない音がして、ワーフェルドさんが踏み込んで振った銀貨二枚を、シェダールお養父さんの槍の柄が、止めた。
「速いな」
「──強い」
すっ、と二人は得物を下ろした。揃って右手を空け、握手をする。
「ワーフェルド、真名を聞いて良いか」
「まな?」
「呼び名でない、真の名を」
「ない。ぼくは貧民の子以外、名がない」
「……」
「ぼくは貧民として、豪商の慈悲の下、飼い殺された獣同然に育った。
流しの詩人が吟った夢の国を目指し、『外の身分』であるエフになって、武装商会と知り合えて、お金を貯めてリーシュに来た」
唖然とした。
変わった人だと、思っていた。
だけど、さらりと語られた半生は、軽いものではなかった。わたしより、ずっと。
「リーシュは夢の国だ。ぼくは誰にも忌まれない。
笑顔を向けてくれた、アーガさんに逢えた。
ぼくを信じる、カルゴに、クードに、キリャに逢えた。優しい大人に、真っ当なあたたかい人たちに逢えて、言葉を交わせた。
夢に見たパンが、投げ捨てられたかちかちの皮じゃない、本物のパンが食べられる」
孤児院には、神殿の人々がいた。不足気味でも、食べ物も水も、寝床もあった。
様々を学ばせてもらえたし、信者や信徒の人たちのお手伝いとか。仕事に就くことも、国の民として独り立ちすることも、できた。
でも、どこかの国で見た貧民は。
──パンに拘る気持ちは、わたしも分かる。
貧民や流れ人のように、国の民と認められない身分の者は、パンを手に入れることができないから。
でもわたしは、知っていた。神殿にいた頃に、堅いパンを、買いに行った。スープに浸して食べていた。
「ぼくの望みは、リーシュで生きることです。同盟国家群に戻ることは二度とない。
おかしな呼び名だが、偽りはない。ぼくに他の名は、ない」
「だったらなおさら要るだろうがよ!」
クード君の絶叫が、響き渡った。
「お前を蔑んでた奴らの呼び方なんか、一生背負ってんじゃねえ! おれらに呼ばせるなよ!」
「そうよ!」
キリャちゃんも、怒ってる。
「俺も同意です。貴方を真名で呼びたいし、名乗らせたい」
カルゴ君は、静かだった。
そして、ワーフェルド、さんは。
「別にいい。ワーフェルドで」
首を傾げるが可愛くない。
おいこら、待て。
「な」
「えええー」
「は?」
「リーシュのみんなは、ぼくを人として扱う。ワーフェルドと呼ぶのも、軽んじてじゃない。だったらそれでいい。他にもいない名前だし」
前言撤回。
この人、ただの変な人だ。
ぶっ、と噴く音がして、そちらを見ると。
シェダールお養父さんが、口を押さえていた。
□ □ □
「失礼した、ワーフェルド。我はシェダールだ」
「依頼受付で聞き覚えました」
ズレてるなー、この人。
「早目に衛兵詰所に行け。汝は鍛練に励めば、更に強くなる」
「武器がない」
「長柄鎚ではないのか」
「あれはクードの家から借りたものです。ぼくは棒です。ほぶりふ殴って砕けました」
「棒……」
シェダールお養父さんはしばらく考え込み、ワーフェルドさんと銀貨二枚を眺め、わたしに向き直った。
「オーシャ、この杖をワーフェルドに売ってやれ」
「わたしの銀貨二枚ー!」
「って、安っ!」
「お義兄ちゃん、装具屋のお爺ちゃん、あの木は幾らって言ったっけ?」
「いや待て、鑑定してもらってから決めるべきです! シェダールさんも勝手に」
「お養父さんが決めないでよー!」
「えっ、養父娘なんすか?」
うわあ、なんか色々ややこしくなったあ。
□ □ □
落ち着いてみんなで話し合って、答えと指針をそれぞれ確かめ合った。
「ワーフェルドさんは、今後も俺たちにワーフェルドさん、と呼ばれていいんですね」
「うん」
「ワーフェルドの武器は棒で、新調予定。不足素材が、オーシャの杖かもしれぬ、と」
「あのじーさん、在庫ないっつってたからなあ。もしこれが≪緑楠≫だったら、適正価格で売ってくれオーシャさん。銀貨二枚よりは高値だと思うし、ちゃんと払うし、絶対損はさせねえからさ」
「はあ、まあ……町に着いてからということで」
「街まで貸して下さい、代わりにカルゴが槍を貸します。クード、長柄鎚返す」
「あいよ、で、おれは槍をカルゴに返して」
「で、俺がオーシャさんに……あの、どうぞ」
「……わあ、軽ーい」
うーん、もうあれは返ってこない気がするわ。
さよなら銀貨二枚、新たなご主人さまに可愛がってもらうんだよ。
「棒ができたらー、詰所に行って稽古つけてもらうのねー」
「行くなら我からの紹介と言え。オーシャ、あの板を見せて説明を頼む」
「分かりました」
「それであの、シェダールさんとオーシャさんは」
「養父になった」
「養娘になりました」
「……昨日会ったばかりで?」
「入国はもう少し前だ。衰弱していてな、介抱したり審査をしたりしているうちに、意気投合した」
「おじさんと姪っこちゃんに会えるのが楽しみです!」
カルゴ君が難しい顔をしている。うん、でも嘘とかじゃないよ、舞芸神様に誓って。
「あー、コディアちゃん喜びそー」
「ご存知ですか」
「後輩なのー頑張り屋さんだけど寂しがりだしー、宜しくねー」
もうちょっと大きくなったら、お化粧教えてあげてねー、と囁くキリャちゃんに、わたしは了解と伝える。
「……ということは、オーシャさんはあれとは無関係なんですね」
「はい?」
カルゴ君の質問が理解できず困惑していると、シェダールお養父さんから表情が消えた。
「連中は何処まで進めた?」
「第二関所です。便座に受け壺を嵌め込むと同時に、駆け込んできたそうで、一気に悪化したのを──」
「そうか、第三までは無理だったか」
わたしは、シェダールお養父さんを見上げる。
ひょっとして。
「研究班の現着まで、香ノ木の臨時柵で隔離しているそうです。あいつらがオーシャさんの同行者でないなら、先行したのはどちらですか」
カルゴ君の言葉に、わたしは青ざめた。
そうだ、無の草原も蟲の森も、抜け方を知るのは武装商会だけのはずだ。たくさんの国の兵士たちが突破できないのは、モンス……ほびゅげ、たちがいるから、だけじゃなく。
なのにわたしが、辿り着けた。
数日後に、あの破落戸たちが来た。
それが意味するのは──
「ちが、わたし、あんなクズ連中とか、全然知らない」
「オーシャは独りで、蟲の森を抜けて来た。見ての通り、武装商会の協力を得て。彼奴等は恐らく、その後をつけて」
「独りで!?」
と、ワーフェルドさんが驚いた顔で詰め寄ってくる。
「無茶だ! あの草原も森も、昼夜問わずほびゅげが」
あ、そうだこの人も同盟国家群からリーシュに来た人だから、蟲の森を知ってるんだ。
「寝ずに歩きました。あの、この札をたくさん、武装商会に売ってもらって」
「一緒に来なかった?」
「あの人たちは、リーシュからディスティアに来て、更に西へ向かう途中だったんです」
「三月待てば別の武装商会がまたリーシュに来る。その時までディスティアで待って、お金を払えば」
はい無理です。あの東の砦町で、三月で金貨を稼いで待つとか、わたしには不可能です。
ワーフェルドさんなら、できたんだろうなあ。
「え……このぶら下げてる札、全部ですか!? って、全部、磨き直されてるからちゃんと芳香が、って、いや、それでも女の人独りでとか、すごいです」
カルゴ君の目に少しだけ浮かんでいた疑念が、払拭されて、ほっとする。見開かれた榛色の目が真っ直ぐわたしを見てきて、見つめ返したら何故かぱっと反らされた。
「オーシャは空に近い水樽を負い、ホビュゲに寄生された痕も様子もなかった。目の充血、難聴、血痰症状もない。池塘に近寄らず、給水も行わなかったな?」
「するなと言われたので、してません」
シェダールお養父さんに返しながら、腑に落ちる。
無の草原や蟲の森の水場は、ほびゅげの群生地なんだ。その水を飲むと、体内に巣食うかもしれない、んだ。
ぞっとした。
生の野菜や魚肉、煮沸していない水を口にして、虫がつくのはよくある。ものによっては激痛でのたうち回ることや、重い病になるとも聞く。
ただの虫でも、それだ。
それが──人を襲い喰うほびゅげ、なら。
「……オーシャさんは、実は強い人ですか? ぼくのように狩りましたか?」
「強くないし狩ってません。ワーフェルドさんは、武装商会と一緒にリーシュに?」
「はい」
そっかあ。金貨を稼げるくらいなら、さては凄腕のエフだったんだな。
「みんな、オーシャさんはすごい。ほびゅげだらけの森を、独りで踏破した人だ」
いやそんな、さっきのあのすごい手合わせ? を見せた人に誉められても。
それから四人に、シェダールお養父さんと交替であの連中の説明をした。
「ひっどーい! なんで捕まらないのー!」
「信徒を名乗り、戦の神のしるしを持つ者は、神殿から破門宣言書が下りないと捕縛できないんです。人を殺めたり火を放ったりといった重罪を、兵士や有力者が目撃したとかになれば別ですが」
「んじゃ、戦の神殿? がねえ国とか町だと」
「伝令馬を走らせているうちに、領地を出られたら間に合わないんです」
「うま? ……なんでそんな奴等を通したんですか。
ってか、研究班って……ああ、そういう」
カルゴ君が咎める顔を、シェダールお養父さんに向け、でもすぐに納得顔になる。
けんきゅうはん、ってなんだろう。
「我は通しておらん。複写した入国管理板にも、記載がないだろう」
「え」
いやそれは、ちょっとどうなのお養父さん。
「虫刺されがある、森の水で樽を満たした、手遅れの破落戸どもが、崖から落ちようが野垂れ死のうが、我の知るところではないな。
たまたま何処ぞで出会した研究班が、その屍からホビュゲの幼体や卵を拾うかもしれんし、焼却処理をすることがあるかもしれんが」
「……」
「……えげつねえ」
「うええー、じゃああの人たちってー」
「入国者でないということは、香ノ木の札も、護身香も持っていない、ということですか」
「小屋の在庫数は昨日確かめただろう? ああ、オーシャには未だ渡していなかったな」
シェダールお養父さんは、腰帯の背宛から、謎の小さな巾着袋を二つ、取り出した。わたしの背負い袋にぶら下げた香ノ木の札の一つに、括り付けてくれる。
「──貴方の腕なら、進ませずここで倒せたはずだ」
厳しい声のワーフェルドさんに、シェダールお養父さんは、肩を竦めた。
「我はリーシュの衛兵だ。リーシュの法に、未だ背いておらぬ者に向ける刃は持たぬ。それではただの殺人者だ」
「あんな酷いこと言われたのに?」
思わずそう言えば、頭を撫でられた。
「そうだな、養娘を泣かせたし、先に知っていれば足を折って森に蹴り返してやったのにな」
「……それは今度の武装商会の迷惑になるのでは」
ぼそっと溢したカルゴ君に、シェダールお養父さんは、悪い笑みを向ける。
「なに、三日も経てば骨も残らん」
「……!」
わたしのお養父さは、ろくでなしには平気で怖い言葉を向ける人だった。
でもそういうのは、わたしや──ちゃんとしたワーフェルドさんやカルゴ君たちを守るためなんだろうなあ、と養娘は思いまーす。