新人パルト②‐風魔法使い Ⅵ
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素材屋を出ると、日が傾きかけていた。
鞣しの臭いに騒いだ三人を静かにさせたり、親方や職人の先輩たちに挨拶したり、昨日のホブリフからはでかくていい革が取れそうだと聞いたり、また手伝いに来いと言われたり。
カルゴはそのうち臭いに慣れて、素材見本を出してくれたおばちゃんと話し込んでいたが、キリャとワーフェルドはずっと鼻を摘まんだままだった。
「……で、第一希望は」
「黒い足蛇」
カルゴの肩が、がくりと落ちる。おい、背負い袋は大丈夫か。
「水につよい、かるい、あれはいい」
二年前、東の未開地の水場で、ヴェテランのパルトが引退と引き換えに狩って、引きずって帰ってきたという逸話付きだった。お値段は……とても、すごかった。
今まで先輩パルトたちが何度か交渉して、予算と硬度の関係で商談が流れていたらしい。
まあ普通は、多少重くても防御力の高いもんを選ぶだろうからなあ。同額で鉄の甲冑が八割揃うぞ。
「あれは特製針じゃないと通らない、って言われて、その、ワーフェルドさんの棒の予算が……」
「棒はずっとあと。またお金ためる」
「諦めろカルゴ、元々ワーフェルドの金だ。好きなもん選ばせろ」
「しょーがないよー、お義兄ちゃん。性能は良かったんでしょー?」
「うん、まあ、ぶっちぎりで。軽いし」
復興任務の稼ぎは、可能な限り使わずに。
明後日以降も相当切り詰めないと、緑楠の棒は何年先になるのやら。
「鎧兜よくなる、ぼくもっとはたらく。みんなの鎧よくなる。もっとかせぐする」
うん、パン以外でこんなに興奮してるワーフェルドには悪いが、そこまで未来は明るくないと、思う。
「繋ぎでいいから、なんか武器がいるよなあ、やっぱ」
そうおれが呟くと、ワーフェルドは石切場へ続く道の近くの木を指差した。
「あの木、たおすけずるする」
「ダメよー」
「なんで」
ワーフェルドの素直な質問に、キリャは言い含めるように答えた。
「リーシュの中の木はー、勝手に伐採できないのー。装具屋のおじいちゃんもアーガさんも言ってたでしょー、木を伐って乾かす仕事の人がいるからー」
「木こり?」
「そうよー」
「材木屋じゃなかったか?」
「材木屋が樵を雇って管理してる、はずだから間違っては、ない」
「そうなのかです」
惜しい、語尾が逆だぞワーフェルド。
「そうよー、たくさん考えてー、伐っていい木と待ってる木、育てる木とか、分けてるのー。みんなが勝手に好きなだけ伐ったら、困っちゃうー」
おれとカルゴの小声は、後ろで走っている二人には届いてないっぽい。
「なわばりだ」
「そうねー」
「わかった。国のそとの木、いい?」
「外は私たちまだダメでしょー、それに木を探したりー、調べたりする人もパルトもいるのー。ちゃんと教えてもらわなきゃー」
そういや、見習い期間終わったら、カルゴは採集業務を目論んでるっぽかったな。材木屋で研修受けるにゃ、先に素材講習を終えて入林許可証がいる、と。試験の引っかけ問題であったな。
どっかで座学漬けになるけど、まあそれでいいか。ホブリフ狩りを目指したいとは、おれはもう思えねえぞ。昨夜のあれで、身の程を知ったし。
「あー、ワーフェルドさんーあれが竹よー」
「たけ」
走りながら、キリャが竹林を指していた。まだ筍には早く、風で少しだけ揺れて、ざわめきより囁きのように聞こえる。
道端の石柱香炉が、細く煙を吐いていた。
ここは西地区でも、古い道や区画になるんだろう。
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三日ぶりの実家に顔を出せば、もう里心がついたのか、と夕餉の支度をしていたかーちゃんに呆れられた。
ちげーし。任務のついでだし。
「第二団長から親父への伝言預かってんだよ、まだ向こうか?」
「そうよ、ぼちぼち戻ると思うけど。あら、カルちゃんもキーちゃんも立派になって。このボンクラ頼むわね」
いらんこと言うなババア。
「そっちのお兄さんは?」
「ぼくはワーフェルド、です。なかま、です」
「小童?」
「あだ名だよ、外国から来た先輩。すげえ強えんだ」
「そうですか、うちのばか息子をよろしくお願いします」
頭を下げたかーちゃんに、ワーフェルドは照れ臭そうな微笑を浮かべた。
「ぼくはたくさん、たすけてもらうしてる。クード、りっぱ。だいじょうぶ。みんなでつよくなるます」
かーちゃんにもらった干し≪秋渋≫を皆で齧りながら、石切場へ向かう。超甘い。美味い。装具屋から走り続けた、疲れた頭と身に染みる。
鑿打ちの音が聞こえてくるが、まばらだ。そろそろ仕事上がりなんだろう。
切り出したばかりの大岩の周りにいた連中に、でかい声をかければ、ぞろぞろと振り返ってきた。うん、みんなちっとも変わってない。
「クード! なにしに来やがった」
「お前、昨日どうしたんだ」
「ちょっと来い、そっちの兄さん紹介しろ!」
……クソ親父もクソ兄貴たちも、全然変わってねえ。
伝言を告げると、親父に一発叩かれた。クソ痛え。髯毟るぞクソジジイ。
うん、確かにこの帽子じゃ防御力ねえわ。装具屋のじーさん正しい。
「了解した、と団長に伝えろ」
その一言で、心暖まる親子の会話とオマケ任務は終了だ。
さー終わった終わった、南北川をもう一回渡って宿に帰ろう、と振り返ると、三人が筋肉野郎どもに囲まれている。
「キーちゃん、なんかあったらいつでも何度でもクード殴っていいからな」
「燃やしていいからな」
実の弟よりキリャを信用してやがる。ちくしょうめ。
「おう、カルゴ。あそこの岩に水魔法で一発切れ目入れてくれや」
「無理です。まだ俺の≪水刃≫は切れ目が入った石を剥がすまでしかできませんし、自前の金剛砂がありません。あと、俺はもうパルトフィシャリスなので、依頼は有料になります」
あー、そういやカルゴ、試験前はここでも金貯めてたんだっけ。余所の畑とここと、街の役場とかだっけ。
「兄ちゃん細いが、いい体してんなあ!」
「ちゃんとメシ食ってるか?」
「ちょっとそこの岩、砕いてみねえか」
「ほれ、長柄鎚貸してやっからよお」
わー、モッテモテですねーワーフェルド……。
「あーもー、うっせえなー! おれらは任務で来たの! あとちょっと訓練すっから、場所貸せよ!」
ぞろぞろ帰っていく家族と職人たちを見送り、おれは適当な岩の上に座り込んだ。
疲れた。なんかもう、今日は変に疲れた。
「クードのおうち、みんなやさしい」
筋肉職人に揉みくちゃにされたワーフェルドは、何故か笑顔が全開だ。なにがそんなに楽しかったんだ。
「おにいちゃんたち、変わってないねー」
だからキリャもさ、なんでそんな、にぱーって笑ってんだ。いやいいけど、なんか癒されるし。
「なあ、訓練ってなんだ? 日没までに渡りたいんだが」
足場が組まれてる岩肌を、目で測っているカルゴに、おれは仰け反って返した。
「悪ぃな、すぐ終わるって。ここなら昨日、ワーフェルドがやって見せたあれができるかなあって」
「あれ?」
「あれ」
にい、と笑えば、ワーフェルドがああ、と笑って背負い袋を地面に下ろす。
切り出し場から離れたところ、周りが空いてる小さな露面で、おれはワーフェルドに長柄鎚を渡した。
適当に拾った小石を置いたワーフェルドが、「赤の山々」の裾野に広がる森を指差す。石切場の端の。
「むこう、だれもいるない?」
「おう、大丈夫だ。あそこ、森の入り口に布を縛ってあったら中に猟師が入ってるけど、ねえだろ?」
ずっと気になってたんだ。実際に石打ちすると、どんな感じなのか。
受付所で見た通り、ワーフェルドは長柄鎚を両手で握り、構える。足はあれくらい開いて、あ、膝も少し曲げるんだな。
長さが合わないのか、握る箇所をずらす。ちょい前屈み、くらいか。ほうほう。
先端の鎚を、小石に軽く当てる。うん、それで距離感を合わせるんだな。
腰を回し、いや、反らせる感じだな。で、両腕を思い切り後ろに振り上げて、そのまま前に、ぶーんと。
「ふぁーっ!?」
ガギン、という鋭い音と、後ろで見ていたキリャの悲鳴が重なる。
ものすごい勢いで弾かれた小石は、一直線に空を飛び、遠くの木のてっぺんに激突した。あ、枝が吹っ飛んでる。
鳥が騒いで飛び立って、森がざわついていた。
「すっげえ!!」
「え、あ、──な?」
振り返ると、キリャの隣でカルゴが呆然としていた。おい、顎外れるぞ。
いや、そうなる気持ちは分かる。痛いほど分かる。
「当たった!」
ガキみたいな顔で、ワーフェルドがこっちを向く。
「クード、飛んだ!」
「はじめてだろ、それでやるの!」
「うん!」
「なあなあ、おれもやらせろよ!」
「うん!」
しばらく交互に打ち合って、おれも狙って飛ばせるようになってきた。やべえ、なんだこれむっちゃ面白い!
鳥どもよスマンな、日が落ちる前に終わらせるからな!
「もー帰ろうよー」
「あと一回、いや、三回で終わらせっから、頼むわ!」
「……本当に三回だぞ」
と、足場近くの道具置き場に向かっていたカルゴが、おれのによく似た長柄鎚を一本、ふらつきながら差し出してくる。
おいおい、勝手に持ち出したらダメなんだぞ。管理不十分で石切場に罰金が……ま、バレなきゃいいんだが。
「カルゴもする?」
途中で革兜を脱ぎ、ニッコニコでテッカテカの笑顔を夕日に晒したワーフェルドの誘いに、カルゴは首を振った。
はい、おれも荷と帽子をあっちにまとめてます。だって邪魔だったしさあ。
「俺はいいよ。それより二人でいっぺんに打ってさっさと終わら」
その声に、警鐘が被る。
「はあっ!?」
「な……今日も!?」
「ほぶりふ?」
「──上ぇー!!」
キリャの絶叫に、おれたちは夕焼け空を見上げた。見回す。警鐘が、南から鳴り続ける。職人町の、第五衛兵団。
遅れて北からも鳴り出す。あっちは第三──。
「ホブリド、南からよー!!」
「大きい!」
キリャの指差す方向、足場のある岩肌斜面、その、遥か上空。
翼を広げた、影。
「ホブリド……」
西の森の向こう、赤の山々に沿うよう南から現れたホブリドが、旋回している。狙われている気配がする。まずい。届かない。あの高さじゃあ弓も、魔法も。
警鐘が鳴る。南からも北からも。
ここから、第五衛兵、あの小橋を渡って、いや北から第三の到着が早いか、でも。
不快な金切り音。
あいつの鳴き声か。嘴が、開く。おれたちを啄む気か。さっきの干し秋渋みたいにぱくぱく。そんな。
繰り返される響きに、体が勝手に震える。寒気。狂気。違和感。集中、できない。
「ワー……フェ、ルド……!?」
カルゴのかすれた涙声で、正気に戻る。ワーフェルドは立ち位置を変え、おれと背中合わせになって、ホブリドを睨む。
「ぼくは、守る」
怒りのこもった声。唸りながら、おれの長柄鎚を、振る。そうか。
そう、だ。
「──当てるぞ、ワーフェルド!」
おれもカルゴが拝借してきた、長柄鎚を構える。自前のものより重いし柄が太いし長いが、大丈夫だ、動ける。手に感覚が戻ってきている。
立ち尽くしているキリャに、必死に向かうカルゴに心の中で感謝する。頼む、そのまま、お前らは逃げろ。そんなに震えてるのに、弓を構えようとするな。無理すんな──おれが、おれたちが守ってやるから!
「うん!」
二人で、狙う。鳴き声を邪魔するように叫びながら、ホブリドの動きを読み、それぞれ小石を打ち上げる。当たれ、当たれ、当ててやれ!
──当たった!
けど、小石じゃだめだ。もっとでかい石、あれだ。休むな、あいつが降りてくる。鳴き声を止めさせないと。
もっと速く、打て。
狙え!
撃て──当てるんだ!
背後で、歯を食い縛ったワーフェルドが一際でかい石を撃ち上げた。おれの長柄鎚から、ダメな音が聞こえた。
おれの視界に入ってきたホブリドは、様子がおかしい。ぐらついていて、鳴き声が変になって、狙うタイミングが易しい。よっしゃ絶対当ててやる、と続けさまにでかい石を撃ち上げる。
腕が、やべえ!
折れるな、もってくれ。
鑿鎚は石工の誇りだろうが。
クソジジイどもや岩と毎日戦う鎚、根性見せろ!
あいつが墜ちるまで!
「落ちるぞ!」
キリャをかばいながら、こっちに伸ばされるカルゴの右手、を見た瞬間、おれの手から重すぎた長柄鎚が落ちる。肘から先の感覚が遠い。突っ立っていたら、ワーフェルドの腕が後ろからおれに回る。
「クード走る!」
ちょ、え、待て。
あの、ホブリド、は。
轟音が響き、視界が真っ白になる。カルゴの呪文が聞こえ、反射的におれもコントラフェンツを唱える。
やべえ、掌の向きが分からん。発動方向、合ってるか?
倒れ込み、転がりかける。
湿り気を帯びた砂煙は舞い上がりも少なく、すぐに視界全部に真っ赤な夕焼けが映る。舞い散る黒いひらひら。おれ、仰向けに倒れて、る? 背中は痛く、ない。誰かの、上に。
「ワーフェルド!」
慌てて飛び退けば、おれを背後から抱え込んだワーフェルドが笑っていた。くそ、革兜、脱がすんじゃなかった、無事か、頭は、首は、背中は。
「だいじょうぶ」
石粉と泥まみれで身を起こすワーフェルドに狼狽していたら、汚れまくったカルゴとキリャが飛びついてきて、おれは横倒しにされた。
「いってえ!」
「クード! ばかぁー!!」
「二人とも、無茶すんなよぉお!!」
泣き叫ぶカルゴは、昔の、独りで生家に戻っていたあの時の、そのまんまの顔で。
バカ泣くなお前にゃキリャたちがいるだろ、おれもいるだろ、燻蒸小屋の手伝いくらい呼べよ──。
ダメだ、なんかまだ考えることが変だ。あー、えーと、ホブリドには鳴き声に失調効果があるやつもいるとかって、習ったよな。こうなるのか。
「だいじょうぶ、勝った。あいつ、ほぶりふより弱いだった!」
「ワーフェルドさんもぅ、無茶ばっかじゃないですかああああ!」
「うわぁーん!」
今度は二人が、ワーフェルドに飛びついて倒している。いかん、あいつらもまだ混乱してやがる。
って、勝った?
とどめは?
慌てて立ち上がれば、向こうで微動だにしていない黒いホブリドが、見えた。
え、ちょ、おれらの背負い袋は。
ワーフェルドが振って、バキィっていったおれの長柄鎚は、あの下か!?
おれが振ってた石切場のやつも、どこいった?
あ、ホブリドから血が、羽が、って、ええええおれの荷物はあああああ?
呆けたおれの耳に、昨夜のように小さくなっていく警鐘が響く。
軽い鎧擦れと、足音が。家族の声、職人連中がおれたちを呼ぶ声が、衛兵さんたちの気配が、近付いてくる。
大丈夫か。
怪我はないか。
ぼっちゃんの仇討ちだ。
オレの息子たちは。
ホブリドぶっ殺す。
切れ切れに届く心の声が、物騒すぎて笑えてきた。
どのくらい経ってるんだ、いや、ほんのちょっとだったのか、だってまだ空は赤い。
「はは、は……」
見やったホブリドの頭は、半分が陥没していた。
黒い羽が、舞っている。
なんだこれ。
ほんと、なんだよこれは。
腰が抜けて、尻餅を搗く。
いってえ。
小石がケツに刺さったんじゃねえか、今。