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新人最終講習‐内勤女性 Ⅰ




 緊張と面倒臭い気持ちを、むちむちしたサトイモパンと一緒に嚥下(えんか)して。

 含んだミント水で、口中を(ゆす)いで飲み下す。

 くじ運の悪さを、今更嘆いても意味がない。


「さあて、行きますか」


 好物も食べられたし、今日はきっと上手くいくはずよ。

 さあ、昼からも気合いを入れていこう!




「ラーヴェンダー、バージル、ウィンタサボリー」


 いつものハーブ唄を口遊(くちずさ)みながら食堂を出て、貴重品倉庫に向かい、木箱の中に立てられた巻き布の番号を確かめる。

 引っ張り出して抱えると、まあまあ重かった。



 階段を上がり、扉のない大部屋に入る。

 教壇の上で巻き布を一旦下ろして立て掛け、窓際に一つだけあった椅子をその横に持ってきた。

 靴を脱いで座面を踏み、巻き布を持ち上げる。外側の細い棒に付いてる輪っかを……こうして、教壇の上、壁に二つ並んでる掛け具に、順番に通して……よっこいしょ、と。


 えーと、芯になってる太い棒、の出てるとこを左手で支えて、真ん中の束ね紐を(ほど)いてから。

 両手で芯棒の両端をそれぞれ(つか)んで、椅子を下りながらぐるぐる開いて……よしできた。

 紐さえ取っちゃえば重さで勝手に開くだろうけど、それだと輪っかの縫い目が切れたり、勢いで中の布やボタンが外れたりしそうよね、これ。

 うーん、お裁縫は得意じゃないし、先輩の言う通りにして良かったわ。手間には理由があるのね。


 無事に展示できたのは、様々な色の布が縫い付けられた、大きな麻布の図面。

 あちこち直されたり染みができたり、うん、終わったら洗濯屋に持っていかなきゃね、このままじゃ来年困るわ。覚えておきましょ。

 毎年みんなうっかり忘れる、って聞くけど。わたしは大丈夫、よね。


 (たば)ね紐を、ベルトに差していた指示棒に巻き付けた。これなら失くさないし忘れないわ。

 室内を振り返ると、教壇に向く形で縁台(ベンチ)が並んでいる。均等間隔で、一、二……十個もいるのかしら。今日は半分で済みそうだけどねえ。




 そうこうしていたら、扉枠をギリギリ潜る、背の高い男の人がやって来た。

 着込んだ革の──見慣れない造りの鎧兜と、変な履き物。

 くたびれた背負い袋と、大きな水樽。ぼろぼろの毛皮っぽい布。

 長太い、荒々しい得物。

 ひょろりとしているけど鍛えられた四肢、浅黒い肌。

 見慣れない風体と装具類、腰から下がる多くのものに、「例の人」か、と確信した。


「……」


「一番乗りですね」


 お好きな席にどうぞ、と紐巻き指示棒を振りながら軽く笑んで誘えば、彼は慌てて革兜を脱いだ。艶のない黒髪が、ぼさぼさと(あらわ)になる。


「ぼくは」


「座ってお待ちください」


 人相も定かでない彼を黙らせようと、笑みに力を入れると、がちゃがちゃと音が返り、目論見は成功する。

 ただ、わたしの真っ正面、一番前のベンチ中央に陣取られるとは思わなかったけど。


 視線を合わせないよう、扉枠へ顔ごと向ける。廊下から大勢の、若い声が聞こえてきた。


 ──左頬に、すっごい視線を感じるわ。

 大丈夫かしら。

 他と同じ扱いでいい、って聞いてるけど、やっぱり事前に話をした方がいいんじゃないかしら。

 ああ、でも他の子が来ちゃった。もう間に合わないわ。

 うわーん、出たとこ勝負よこうなったらもう。

 ええい、女は度胸よ!


 さあて、わたしがはじめて講師役を押し付けら──任された者だって悟られないように、威厳と余裕を見せないと。練習通りにいくかしら。




 ほらほら、ひよっこども座りなさい。好きなとこでいいから。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 はい、静かに。注目。

 先ずはみなさん、合格おめでとうございます。

 この講習が最後です。今までに見聞きしてきたこと、今更教わることでもない常識の復習、と感じるやも知れませんが、これからの任務に必要なことです。適当に流さず、ちゃあんと聞いてくださいね。


 はい、では最初はこれです。

 我が国≪豊国(リーシュ)≫の地図です。


 上が北、下が南、右が東、左が西です。

 ここの四角い生成(きな)りの布が、今いる街です、国と同じリーシュという名です。

 先ずは、ここから。




 街を示すこの布には、細布が縦に五本、縫い付けられていますね。

 これがそれぞれ東から順に、一の通り、二の通りと呼ばれています。


 一の通り沿いには、北に第二衛兵団の詰所、南に第四衛兵団の詰所があります。ここと、このボタンがそうですね。

 他は倉庫をはじめ、管理棟や役場、国が管理する大きな建物が多いです。


 二の通りは、ご存知ですね。みなさんが今、身に着けている装具や、職人さんたちの専門道具の店、宿泊施設、酒場や……大人向けの館もあります。

 夜まで賑やかな通りです。


 三の通りは一番幅広く、中央広場や大きな商店、紡績場などがあります。王様のロバ小屋も、ね。

 街の手習い所や、国営のパン屋の並び、食品商店とかもあるので、これから何度も通うことになるでしょう。

 今年は、街生まれの子がいないのよね。いたら一番、馴染み深い通りです。


 四の通りには、個人商店が幾つもあります。三の通りよりも建物が小さく、小間物や細工品、日用品を用立てるならこちらです。

 食品や糸布は三、それ以外は四、と覚えておきましょう。

 この二つは朝から夕方まで、ご婦人やお子さんが行き交う通りです。大声で騒いだり、荒々しい言動をしたりしないように。


 五の通りから西は、住宅区です。あまり立ち入ることはないでしょうが、通る場合は騒いだり走ったりするのは控えましょう。


 街の西には、縦長の水色の布がこの地図の下、南の果てまで長ーく縫い付けられていますね。

 これは「南北川」です。


 街の布の端から三つ、刺繍(ししゅう)が川を(また)いでいますね。

 北西のこれが石橋。

 中央と南西は、それぞれ木橋を意味しています。


 街から三つ、南北川に橋が架かっているということです。お金を払わずに渡ることはしないように。


 え? 中洲?

 そうねえ、本当はあるんだけど、細かくなりすぎるから省略してます。この地図は概略であって、ざっくり位置関係を覚えてもらうためのものです。

 距離や大きさは正確ではないので、追々()()()()()確かめるようにね。



 □ □ □ 



 さて、石橋を渡った先、この灰色布は鍛冶屋町です。この北や西には、採掘坑道とかもあります。

 町には第三衛兵団の詰所……ボタンがここ、にあります。

 街から見ると大体、北西方向です。


 次はここ、街から中央の木橋を渡った、鍛冶屋町の南隣になる薄緑の布は、農産地区です。

 街からざっくり、西方向です。

 端っこの、山際のこの辺りだったかな、には石切場もあります。

 そうね、全部畑や村じゃあないけど、まあ省略です。いつか渡川(とせん)料を払って見に行くか、そっちの仕事を請け負って()()()()()確かめてください。




 え? 橋は有料よ?

 ──あー、そっか、地元の小橋とかしか知らないのね。君たちは南地区の生まれかあ。

 西地区の子は……挙手ありがとう、三人かあ。

 君たちは知ってるよね、街に試験を受けに来たんだし。


 あのね、村の中の小さい橋だって本当はタダじゃあないのよ。

 建てるのに木材も人手も要るでしょう? 補強したり、傷んだら架け直したり、しなきゃでしょ。

 だから村ごとに毎年、集めている共同費の中からそれに()ててるの。

 君たちの親御さんたちが、先払いしているような感じね。


 で、南北川に架かっている三つ橋は、そういうのよりずっと大きくて長いの。造りも頑丈で、国が直接管理してるから、使用の度にお金を支払うようになっているのよ。

 村の橋とどれくらい違うかは、まあ遠くからでも見れば分かるわよ。




 はい、じゃあ説明に戻ります。


 西の農産地区の真下、じゃなくて南。

 街から見て西南西に、横長の水色の布が縫い付けられてますね。

 これは西の、「赤の山々」から流れて、この南北川に合流する「飲めない川」です。

 中央と南西の、二つの木橋の中間で、南北川に合流する格好ですね。


 飲めない川に沿って、それぞれ茶色の布が縫い付けられてますが、これが職人町です。


 第五衛兵団の……あら、ここじゃないわ。失礼、ここは集積広場になりました。

 えっと、飲めない川の南岸のこの辺り、に詰所が移っています。

 やだわ、あとでボタンを縫い直しておきますね。苦手なのになあ、いえ、なんでもありません。


 はい、さっきの中央木橋の南にある、この木橋を使うと、街からこの、南岸の職人町に直接行くことができますね。


 この飲めない川には幾つか橋が架かっているので、農産地区や南北職人町、の行き来は容易です。

 渡川料は南北川のそれより安くて……え、職人証提示で無料なの?

 あー、村みたいに共同費制度なんだ。君、職人見習いだったんだ。へえ、西地区の実家から通って、って元気ねえ。




 南北川の西側、橋の向こうにあるこの三つは、引っくるめて「西地区」とも呼ばれています。

 地図では街と同じくらいになっていますが、実際はもっと大きいですね。

 街は一日足らずで一周できますが、農産地区だけでも、街の何倍も広いですから。


 さっき言ったように、大雑把な位置関係、を示しているだけですからね。今のみなさんには、これで十分です。

 より正確な地図が見たければ、出世してください。



 □ □ □ 



 さて。

 街に戻って、五つの通りの北と南にはこのように、横長の白い細布……東西に走る道があります。

 これらは北路、南路です。

 今いるのは北路沿いの、この辺りの建物の、二階です。


 他にもそれぞれの通りを繋ぐ小路はたくさんありますが、こう、一から五の通りまでずどーん、と東西を貫いているのはこの二つです。

 慣れないうちは、五つの通りと二つの南北路、で目的地への行き方を覚えておきましょう。


 はいそこ、自分たちは習ったことだからどうでもいい、って顔をしない。

 街中の任務依頼では、この七つ通路で目的地の説明が……はいはい、つまんないわよね。分かった分かった。



 □ □ □ 



 はーい、じゃあ街の外の、地区の説明の続きでーす。


 西地区の外側、北から西と南側、は、このように濃い緑の布に囲まれています。

 これは森と林、です。


 森や林の手前、農地や川沿いといったあちこちに、「香ノ柵」が設けられています。これは国中、どこも同じです。

 みなさんは勿論、見慣れているでしょうが──柵は大事なものだから気を付けてくださいね。

 提げられてるかごや、窓なし角灯(ランタン)は、勝手に(いじ)っちゃダメですよ。とっくに知ってるだろうけど、改めて約束してね。

 古い区画や街の広い七つ通路には石柱香炉、それ以外は香ノ柵。

 国内の居住地区ではこれが基本です。覚えておきましょう。




 森や林は、まだ許可証がないみなさんは立ち入り禁止なので、説明を省きます。木々が均等間隔で並んでいたら林、と覚えておくように。

 竹林もそうですよ。立ち入って行う採取伐採、狩猟に関してはそれぞれ許可証や免許が要ります。




 さて。

 森や林の外縁には、リーシュの西の国境……土色の布がこう、真っ直ぐじゃないですね。北から南西に、こう、うにょーん、と弧を描く感じであります。


 これが、赤の山々です。

 さっき説明した飲めない川は、この山の湧水が集まったものです。




 ここを越えると、山の西、反対側の裾野にはまた濃い緑の布ですね。

 これは「蟲の森」と呼ばれる、危険地帯です。国の外、になります。


 それを抜けると……この地図にはありませんが、作物が育たない草原があり、大陸平野部へと繋がります。

 そこには「金貨の誓い」と呼ばれる、不可侵条約と、交易協定を兼ねた同盟を締結した小国家群があり。


「すみません、フカシンジョウヤクはなに」


 ……はい、よその国に口出ししない、攻め込まない約束のことです。

 交易協定とは、食べ物や糸布やその材料なんかを、できるだけ同じ価格……同じお金で交換しようね、という国同士の大きな取引の決めごとのことです。

 これらによって、小国家群は別々の王様たちがそれぞれの領地を治めていながら、大きなひとつの国のようにまとまっていて、様々な学問や研究が共同で進み、発展しています。

 暦や度量衡の統一も、その結果です。これらはリーシュも、同じものを使っています。


「ドリョーコーはなに」


 ……重さや長さの単位ですね。国ごとに基準が違っていると、取引の時に計算が大変です。

 一定の重量を1パンドと決めて、小麦1パンドは今月は幾ら、のように重さと価値を結びつけると、その月はどこの商会でも、同じように取引ができますよね。

 ものの長さや金貨や銀貨の大きさ重さも、常に同じになるように定められています。

 国ごとの生産量や不作豊作、季節ごとの需要供給の度合いによって価値は変動しますが、単位そのものは変わりません。




 さて、リーシュの唯一と言ってもいい交易相手である「武装商会」は、小国家群の品々を我が国へと運んできます。

 羊毛製品、羊皮紙、塩、生活道具各種、種苗が主な輸入──買取品です。

 建国前、農業生産が困難だった時代は、穀類や食糧の多くを買取に頼っていました。

 そしてリーシュは、それらを買うために、彼らが求めるもの──特産物を売付ました。

 それが≪魔蟲(ホビュゲ)≫たちの素材です。


「すみません、ほびゅ、げはモンスターのこと、か」



 □ □ □ 



 ……ええと、この方は外来人、今説明している小国家群から先日来られて、新たなリーシュの民になった外国出身の方です。

 リーシュと小国家群とでは、言葉が少し違いますよね。


 あの、のちほど個別に照合の時間をとりますので、ちょーっとだけ質問を控えてもらっていいでしょうか。

 できるだけそちらの言葉も混ぜま……いえ、怒ってませんよ? 分からないことを素直に問える姿勢は大切です。知ったかぶりするより、絶対にいいです。

 あの、ですからそんな顔しないでください。


 ごめんね、おねーさんが急ぎすぎたね?

 ほらその、貴方は外でも同じような仕事に()いてたから大体分かるだろうって、端折(はしょ)っちゃったの。

 あのね、あとでちゃんともう一回説明するから。今はざっくり聞くだけにしておいてね。




 はい、話を戻しましょう。

 え、この方?

 小国家群で≪自在狩猟士(フリーリー・ハンター)≫という、みなさんたちと似たようなお仕事をされていた方です。


 みなさんのような、適性試験と戦闘審査は受けていませんが、証人と素材納品量によって宰相さまから特例許可が下り……えっと、合格扱いされました。


 みなさんよりちょっとだけお兄さんですけど、同期です。

 仲良くしてあげてくださいね。


 あっ、ちょっ、個別の質問はあとにして!

 今は最終講習の時間です。ほらそこ、ひとの装具を勝手に触らない!


 済みません、少しだけ自己紹介お願いできますか?


「ぼく、フリーリー・ハンターやってたわーふぇるど。長いので、『エフ』、言ってた。みなさん、たのむます」


 はい、よくでき……ありがとうございます。

 では講習に戻──はいそこ、お喋りしない!

 小童(ワーフェルド)はちゃんとした登録名です!

 理由とか本名とか、そういうのは後で尋ねるように!

 ……ちなみにこの方はわたしより年下です。こら、誰がおばさんだ! 言った奴、挙手! 正直なのは結構!

 残り時間は後ろで立ってなさい!



 □ □ □ 



 今度こそ講習に戻ります。

 えー、西はもういいわね。


 じゃあ街の南側、「南地区」です。


 ……うん、君たちは知ってるつもりだろうけどね、あっちの……立ってる元職人のお調子者ともう二人は西地区出身だし、外国人のワーフェルドさんもいるでしょ?

 いいから黙って聞いてなさい。あんたらも立たせるわよ。




 赤の山々の(ふもと)、職人町の南側から。

 こう、ずいっずいっ、と編み紐が南北川まで斜めに。川からは街の南東方向までながーく真っ直ぐ縫い付けられていますね。

 これが防壁と呼ばれる、頑丈な丸太柵を組み上げて連ねた国境です。

 あ、やだここ、ほつれてるわ。


 えー、ここは川を(また)ぐ形の石壁を設けよう、と石橋を渡して工事をしています。

 完成したら、四番目の橋ですね。

 南地区から職人町に行くのが、楽になりそうです。渡し舟は少ないからねえ。


 他の防壁も、少しずつ置き換わっている途中です。

 そのうち全部が繋がって、南の石壁と呼ばれるようになるかもしれません。


 街の南からこの防壁までの間、南北川の東側、この大きな一帯は南地区と呼ばれています。

 川の西側には、西地区であり職人町を支える農産地区があります。ちょっと小さめね。


 さて、南地区は大きな薄緑の布が縫い付けられていますね、さあここは──はい、正解! 農産地区です。

 ここは畑だけでなく、森や林もたくさんあります。濃い緑の布が、あっちこっちに重なってるでしょう。そういうことです。

 色々あるわよねえ、丘や塩泉、池や小川は……うん、この地図ではごっそり省略されてるけどね。




 みなさんが最初に向かう「外」は、この南地区とこっちの西地区、のどちらかの、川や森林を(へだ)てている香ノ柵、の手前までです。

 どの森や林にも普通の鳥獣が棲息していますし、()()()()()()()()香ノ柵にはありません。なので、付近でばったり遭遇することもあります。

 対抗準備は怠らず、でも無許可で狩り場や採取場へ立ち入ったり、柵を越えて深追いしたりしないようにしてください。


 南地区の北寄りには、第六衛兵団の詰所があります。はいこのボタンね。

 勝手なことをして衛兵さんたちの手を煩わせないように、本当に、ほんっとーに! 注意してくださいね。


 ただ、有事の際は先ず衛兵さんを頼ること。これは約束してください。


 みなさんだけで、チーム単独で「敵」に適切な対応を取ることは、難しいです。無理です。

 繰り返しますが、いざという時は衛兵さんに異常事態を知らせること、己の命を守ること、を最優先に動いてくださいね。

 それができるようになってはじめて、次に進めるようになります。



 □ □ □ 



 ──さて、南北川を越えた辺りから南の防壁は真東にこう、角度を変えてずざーっ、と延びてる、のは言ったわね。

 そして街の東南の角から真南の、はい、ここで終わりです。

 防壁の右、東端から上へまっすぐ、街の東沿いに北までずずずいっ、と延びている灰色の縦長、この布が、みなさんもご存知、東の石壁です。

 街の一つ通りの向こうに聳え立っているので、有名ですよね。


 この石壁の向こう、街から見て東方向には、はいボタン。

 第一衛兵団、が仕切っている、開拓集落が点在しています。

 みなさんの先輩がたも多く滞在し、日々、東へ国土を広げようと尽力されています。

 みなさんはまだ、こちらへ出ることは許可されておりません。なので、現時点での詳しい説明は省略します。




 はーい静かに!

 ったく、本当に毎年、ここで騒ぐのねえ。聞いた通りだわ。


 はいはい、石壁から結構、距離があるところに新しい防壁を建造する計画が出てる程度には、開拓が進んでいます。

 だからあの石壁から出たら即、≪魔獣(ホブリフ)≫とかに襲われて終わり、とはならなくなりました!

 でも格段に危険です!

 みなさんのようなヒヨコがピヨピヨ歩いてたら、うっかりパックリされるかもです!

 以上、終わり!

 知りたきゃ出たきゃ、強くなるの!

 わたしを倒せるなら、行ってヨシ!


「ぼく行ける、言われた」


 ──わあ、そうでしたっけ。

 でもワーフェルドさんは駄目です。

 貴方、強そうだけど、ダメ。禁止。


「なんで?」


 貴方もこの子たちと同じ、見習い期間だからです。

 リーシュのことを、よく知らないでしょう?

 どこに誰がいて、なにが安全で、どういう繋がりがあるか。

 自分の腕だけじゃなく、知識と判断力が伴っていないと、リーシュでは半人前として扱われます。


 ……みんなも、同じだからね! 分かった?



 □ □ □ 



 では次です。


 この地図の右半分、石壁の東側は、ほとんどが濃い緑の布で覆われていますね。

 開拓が進んでいるとは言っても、まだ縫い直すほどではないです。名のある村も、補強石を埋められた道もありません。

 香ノ木の苗木は、あちこちに植えていってるそうだけど。




 リーシュは元々、人のいない未開の地でした。


 小国家群からは辺境と呼ばれ、モンスター……ホブリフや≪魔鳥(ホブリド)≫やホビュゲの、あちらでの総称です。そういった人外の脅威が跋扈(ばっこ)する、無人の危険地帯でした。


 さっきも言いましたが、西の国境である、よいしょ、この、赤の山々。


 それとここ、左上だから北東ね、でほぼ繋がっている、街の北に横たわっている長い灰色の布。

 北の国境である、これが、「白の山脈」。


 そして東の未開拓地や森の果てに見える、えい、こっち、「黒の岩峰」。

 これは現在でも未踏の地で、赤と白の山頂部からの目視でしか、存在が確認されていません。


 リーシュは西、北、東の三方を、連なる峻厳(しゅんげん)な高山帯や山脈にこう、取り囲まれた地形、です。

 白の山脈からだと、ちり取りのような形に見えるそうです。

 そのため、大陸平野部にある小国家群の大半とは気候が違い、水が豊富で、植生も異なるそうです。


 遥か南にある水面は、小国家群の南沿岸地域と繋がっている海だと言われていますが、よく分かっていません。

 赤の山々の南の端が海に突き出る格好になっている……ええと、岬、だったかしら。それを境に西からは大きな舟でもこちら側、東へは進めない、そうです。

 なのであの水面は、南北川が注ぐ湖面だという説もあります。 


 ……現状、我々にはその水面に辿り着く道自体、ないんですけどね。


 そうなの、南地区の防壁の向こうも、東側と同じでまだまだ未開地だし、深い森が続くのよ。

 水面は、赤白の山頂からうっすら見えるそうだから、あるのは確実なんだけどね。


 ……南北川沿いに下って行った人たちがね、とある地点から先を目指すと、そのまま誰も帰ってこないのよ。

 せめて湖だか海だかの沿岸部で、生き延びてくれてると、いいんだけどねえ。



 □ □ □ 



 つまり、リーシュと諸外国を結ぶのは、この地図には載ってないけど、赤の山々を越える「赤の山道」と。

 同じく、街の北から白の山脈を越える「白の山道」のみ、となります。

 白の山道は、積雪の関係で年に四つ月しか、使えません。はいここで問題! 残りは幾つでしょう!

 ──(よろ)しい、全員正解。九つ月です。


 あ、えーと、ワーフェルドさんは、暦は知って……うん、両手指で十でしょ。足の指三つ。四本折ったら六、それに足指三、足して九ね。

 大丈夫です、すぐ覚えられます。頑張りましょう。



 □ □ □ 



 ここからは、みなさんが手習い所で少しだけ教わった、リーシュの昔のお話です。

 どうでもいい人は、寝ても構いません。ですが、聞くことでみなさんの心構えが変わると思います。


 はいそこー! 立ったまま寝ようとすんなー!

 どういう根性なのよ、そこの長柄鎚!

 ああ? 名前? 覚えてやんないわよ。もう鬱陶(うっとう)しいから座りなさい。そこの可愛い恋人の横に。

 はあ? ただの幼馴染み? はいはい分かった分かった、黙って座んなさい。




 かつて西の小国家群──このリーシュの地図の、ずっとずっと左の方ですね──は、緑豊かなこの地に膨大な資源があるのではないか、と幾度となく偵察を行い。

 比較的ホ……蟲型モンスターが少ないとされる、えい、この白の山脈の、北側の裾野までぐるーっと山沿いに繋がっている蟲の森の、この辺りを通り、山越えをする開拓遠征軍を出しました。

 この地図だとここらへんかしら、上から下に向かう感じね。


 森の北は厳しい荒野なんだけど、見通せるだけ西の草原よりはマシらしい、です。どっちもモンスターが棲息してるから、まあ危険なんですけど。


 で。

 毎回、犠牲を払って撤退したそうです。

 それほどまでにこの地に至るまでの自然は深く、モンスターたちは強かった、ということでしょう。


 もう無理だやめよう、と小国家群が決断したのは、第一回遠征軍から数十年後。その間、何度も何度も挑み、何百何千もの死体を重ねた、とされています。

 そして、最後になった遠征軍の中に、一人の青年がいました。


 戦場で重宝される、魔法の火を操ることも。

 後方支援として、兵站(へいたん)糧秣(りょうまつ)を支える水を生み出すことも。

 生物の脅威となる氷を生むこともできない、≪伝令(テレフィミ)≫──声を遠くに伝える風の呪文しか使えない、弱い魔法使いです。


 ……そう記されているの! 違うとか言わない!

 わたしも思ってないから!

 続きがあります!




 風の魔法使いは、己の弱さを補おうと工夫を凝らし、人より多くの荷も背負い、必死に行軍を支えました。


 輜重輸卒(しちょうゆそつ)の一員でありながら、蟲型モンスターの襲来を兵士と共に見張り、情報を全体に伝え。

 辛い風雪を名もなき風で和らげたり、火や氷の魔法使いの呪文効果を、その風に乗せて拡げたり。

 生きて故郷に帰ろう、家族にもう一度会おう、自分も許嫁(いいなずけ)を待たせている、と周囲を励まし続けたそうです。

 行軍中に、遠征軍は再編成が行われ──るくらい減ったのねえ。

 輸卒から別部隊への配置転属が二回、そして彼は、身分や国を越えた多くの友ができたそうです。




 ですが、厳しい白の山脈越えをした直後、接触した凶暴なホブ……えー、鳥型モンスターたちに蹂躙(じゅうりん)された遠征軍は、史上最後の撤退に追い込まれました。

 多分、地図だとこの辺りかしら。


 残兵たちは、再び白の山脈を越え、北の裾野の蟲の森、で更に数を減らしながら、どうにか抜けて。


 蟲の森の外縁、荒野を死に物狂いで北へと……地図の上へ戻って、そこから小国家群領土内を通って、酷いありさまで南西へ、と帰還したそうです。


 その中に、風の魔法使いの姿はありませんでした。


 優しい友とはぐれた。

 守れなかった。

 連れて(かえ)れなかった、と泣いた兵士は、一人や二人ではなかったそうです。


 あら、結構生き残ってるわね。兵士もそこそこ強かったのねえ。




 風の魔法使いは、戦没者一覧に名を記されました。

 しかし彼の生存を信じたかった許嫁は、悔いる友たちと共に、最後の戦地へと向かうことを決意するのです。

 彼はきっと生きている。

 もしそうでなければ、せめて遺骨か形見だけでも、と。


 諸国の王命を受けず動こうとした兵士たちは、除籍された上に罪に問われることになりました。許嫁も、家族諸共、捕縛されそうになります。

 ですが各国の憲兵が動く寸前、彼ら彼女らは、同意した家族やかき集めた財と共に、それぞれの国を後にします。

 帰る場所も身分も失い、罪人と呼ばれ、それでもただ一人の、風の魔法使いのその後を見届けよう、と。


 戦う術のない民も含む集団は、結局、それぞれの出国、いえ脱国を見逃されました。

 自ら死地に向かう罪人たちを追うのも、連れ戻すのも、投獄するのも、無駄だと判断されたのでしょうか。

 ……逃げ足が早かったのか、実はすっごい戦えたのか、どっちだと思う?




 ──よし、全員食い付いてる。

 あとは覚えた通りに話せばいいわ。

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