新人パルト②‐風魔法使い Ⅲ
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もっさり頭がスッキリしたワーフェルドが、鋏を引いたキリャに完了を確認し、首を振ろうとしたので、左肘で頭を抱えて止めさせる。やめろ鉄貨が減るかもしれん。
カルゴが指で梳かし、落ちた髪を、待ち受けた布で拾う。
あーこりゃ、革鎧の隙間に入ってそうだな。それは流石に諦めるか。
「ワーフェルド、ついでに頭に水浴びてこい」
「まだ、日がたかい」
「いいんだよ、今日の任務は終わってるんだし──日があるうちなら、寝るまでに髪が乾くだろ。昨夜の、そろそろ乾いてるだろうからそっちに着替えて、今の服は洗って干しちまえ」
立ち上がられる前に、布を外して内に折る。ちょっと目立つ黒髪は、鉄貨何枚になるだろう。いや、色は関係なかったっけ。
「じゃあ私とお義兄ちゃんはー、明日の任務依頼出てるか見てくるねー」
「おう、ついでにこれ売ってきてくれ。終わったら買い出しな」
布包みをカルゴに渡すと、ワーフェルドの背を押して、一旦二手に分かれた。
「ちゃんと泡立てろよー昨日みたいにチマチマ擦ってんじゃねーぞー」
「水つめたい、もったいない」
「キリャに湯を頼めば良かったな、まあ今日は晴れてるから大丈夫だろ。ってか、石鹸はしっかりたっぷり使うもんだって言ったろー」
「いわれた、でも」
「石鹸一個は鉄貨二枚だ、宿代はー」
「二日で銅貨一枚」
「覚えてたな」
つーか、上達速ぇな。今の発音、バッチリだぞ。
「おぼえてた。クード、きょうのおかねもらったからあとで石鹸代かえす」
「おう」
木戸越しに、そんな会話をする。石鹸、はちゃんと言えるようになったようで一安心だ。
おれは預かった重い革鎧の、継ぎ目や隙間に針を突っ込んで、きれいにしてやった。イルじーさんが言ってたが、確かにリーシュでは見ない革だ。猪より毛穴が小さいな。
重いがかちかちで頑丈で、金属板が要所に打ち付けてある。格好いいじゃねえか。
ただ、胸甲が分厚いのに、背甲がないのが気になる。背負い袋がなかったら、ベルトが剥き出しになるし、危ないぞこれ。
針先がすべって、金属板を少し削ってしまった。錆止め塗装の下から覗いたのは、色からして銅のようだった。
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昨日同様、着ていた服で体を拭いたワーフェルドは、ロープから乾いた洗濯物を外して着込んだ。靴を履き直すのに手間取っていた。
本当は沐浴所から全裸で出ちゃダメなんだが、誰もいなかったし、まあいいだろう。やっぱちんこでけえな。
それから濡れた服を洗い場に置き、濡らして叩きだす。明るいから分かったが、さっき見た木灰袋の中身を振りかけて。
「だから石鹸使えって……それで汚れが落ちるもんなのかぁ」
すげえな、と横から見ていると、ワーフェルドに微笑まれる。
「においよく落ちる。石鹸よりやすい」
「けど手指が荒れるからほどほどにしろよ──あ、そういや、ワーフェルド今朝はずいぶん早起きだったんだな」
早朝、気付いたことをふと口に出せば、無言で頷かれた。
ワーフェルドは洗った服を絞ってから、ロープに掛けて広げ、揺れている洗濯挟みを外して挟み直す。
それから着替えた袖口を鼻先に寄せて、呟いた。
「服、くさくない。灰よりいいにおい」
「おう、昨夜石鹸で洗ったからな」
「……灰袋と、はんぶんこする」
「ん、まあそこは好きにしろ」
おれから受け取った革の鎧を着け直したワーフェルドを見、ため息をつく。
背負い袋からおれの櫛を出して、昨夜同様、濡れ髪を梳かしてやるから屈め、と手招きした。
「あれ、いい。服がおちない」
「ん? ああ洗濯挟みか。開きすぎると割けるから気を付けろよ」
「たけすごい、しなるしつるつるで、水いれてももれない──」
ばっと顔を上げたワーフェルドの言いたいことが分かって、おれは壁に立て掛けていた長柄鎚を指差した。
「おう、あいつの柄も節を抜いた竹だけどな、秘密の細工がしてあるんだ。洗濯挟みやコップとちょっと違って重さがあるだろ」
合金の細い筒柄を、割った竹で挟んで、滑り止めの革を巻いてある造りだ。石切場で普通に使われている全金属の長柄鎚は、おれには重すぎてああなった。
ワーフェルドなら、そのうち気付くだろうから、今は黙っておこう。
「ひみつ、かっこいい」
「そうか」
顔を見合わせて、笑う。
戻ってきた二人と合流した。
鉄貨二枚がワーフェルドに、細かい黒髪まみれになった布がおれに渡される。石鹸、と言いつつワーフェルドが鉄貨をそっくり寄越してきたので、頷いて受け取った。これで貸し借りはなしだ。
布を水洗いしながら、明日のことを尋ねると。
今日と同じホブフリオスメルジャの交換複数箇所と、木柵の点検、休耕地の除草、といったみっしり日程だ。
「えっらい詰め込んだなあ」
「でも全部、水車小屋以外は南村……えっとね、南北川の向こうの、西地区の一箇所よー」
キリャが、ワーフェルドに分かるように言い換えた。
「報酬と生活費を考えると、これからはこれくらいいるはずだ。石切場からは今は依頼が出てなかった」
うーん、また明日、イルじーさんにからかわれるのか。
まあいいか、しばらくは通うことになるだろうし、そのうち飽きるだろあのじーさんも。
「パンは一枚、石鹸二枚、泊まるの銅貨」
歩きながら指を折っていたワーフェルドが、愕然とする。
「お金たりなくなる?」
「俺たちは、手持ちの現金が多少あります。ワーフェルドさんほどではありませんが」
「三月分くらいはないとー、パルトフィシャリスの試験は受けられないのー」
「半年は嘘だったんだよなあ……まあ、多いに越したことはないから、良かったんだけど」
なんかカルゴはいい意味で誰かに騙されたっぽいな。
「親兄弟から借りたり、伸ばしてた髪売ったり、村で稼いだりしてから受けるんだぜ」
最初は赤字からです、とのカルゴの言は、ワーフェルドには通じなかった。
実はおれたちにも。
「あかじとは借金、ですか」
「そうですが今の場合は、収入が足りずに貯めていたお金で補うこと、です。
国の官吏が数字の計算をする時に、不足項目を分かりやすく朱で記すことから、そう言うそうです」
「「「へー」」」
カルゴはどこでそういうの知るんだ?
あ、役場か。
あとワーフェルド、なんとなくおれたちに合わせただろ絶対。官吏とか項目とか分かってねえだろ。
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おれたちはぞろぞろ連れ立って、朝食後に向かった二つ通りを再訪した。
安くて大きい日用品の取扱い店なら四つ通りだが、衛兵やパルトフィシャリス向けみたいな携帯用品ならこっちだ。アーガさんも昨日言ってたからな。
水樽を買い替えた店で、木板の裏にキリャが書き出したものを買い足す。ワーフェルドは文字や数字が読めないことも、はっきりした。
少しずつ覚えてもらわなきゃ、だな。
背が高いからダメか、と思っていた服も、店主に教わった衛兵御用達店に移動して、無事に見付けることができる。
「ボタンたくさん。いろがある、えらいひとみたい」
「これでたくさんなのー?」
そういやこいつのシャツ、生成りの葛布で襟ぐりが大きい、ボタン無ししかなかったな。
「セトラム、このかたちふつう」
「女性用もー? ……胸元見えちゃわないー?」
うっかり想像したおれは悪くない。キリャが悪い。お前で想像してしまったおれは断じて悪くない──はずなのに、足を踏んできたキリャは理不尽だと思う。
「女のひと、ひもとボタンある。かぶってから、ここをきゅっとする」
開いた襟ぐりを中央に握り寄せて見せられ、納得する。なるほど安全だ。あと、結構可愛いかもしれん。
「すきなひとにボタンおくる。『冬の祭日』、男はみんなそうする。すてきなものつくる、けずるみがく」
「いい習慣があるんですね。求婚に欠かせないボタン、うん、素敵だと思います」
「けどリーシュにゃねえなあ。こういうボタン作ってんの傷痍衛兵のおっちゃんらだから」
「え!?」
全力で驚いたワーフェルドに、カルゴが解説する。
「彫刻細工、ええと、小さい木彫りとか木粉練りとかは、怪我をして戦えなくなった衛兵さんたちの仕事なんです」
「おじさん……」
どうやらがっかりしてそうなワーフェルドを、おれはどうにか元気付けようとして。
「あ、いや、ワーフェルドはあれだ、ボタンじゃなくて平焼きパンを贈ればいい! あれなら民家のかまどで焼ける!」
「そ、そうよ! それかパンにぴったりなおかずを作って贈るとかー!」
「パンかごや皿なら手作りできますし!」
援護をくれる義兄妹に、チームのありがたみを感じるぜ。
「ぼく、ボタンおくるひといない」
「「「いや準備は必要」」」
ちょっと笑ったワーフェルドに、おれたちは顔を見合わせる。
なんてこった、あんな顔してパン渡して、さっきみたいな顔でボタン話をしておいて、本人にまるで自覚がないのか。
なくてあれか。
「……ねー、よねー……?」
「うん、俺は合うと思う」
「つーか確実にそうだろ。どうでもいい知り合いにあんな顔向けるか? アーガさんもあのパン食えるか? おれはできねえぞ」
おれたちがひそひそ話している間、ワーフェルドは新しいシャツの前面に並んだボタンを一つずつ、指で撫でていた。
「ぱんつは同じ。ひもでしばる、だいじょうぶ」
「ワーフェルドさん、人前で下着や裸の話はしない方がいいです」
「あたらしいぱんつ、はじめて。たのしみ」
「……おれたち以外にパンツの話はダメだ。破廉恥」
カルゴを真似た言い方にすると、はれんちだめ、と頷かれた。意味、分かってんだろうか。
「麻も色があるのも着ていい。リーシュのふつうはすごい」
あー、今着てる服、上下どっちも葛布だもんなあ。なんか制限あったのかな、エフって。
これからはいいけど、冬は寒かったんじゃないか? あの、剥げ剥げの毛皮モドキと重ね着で耐えられたのか?
小国家群があるとこって、ここより寒くないんだろうか。
あのぼろ布毛皮は、寝具であり防寒具だと言っていた。
狩った獣を見様見真似で鞣したらしいが、どう見ても失敗作だ。
近いうちに買い直させてやりたい。毛布は混紡でも高いけどなあ。
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一式、目当てのものを買い足してから、受付所に戻った。係員は別のおっさんになっていたが、昼と同じように許可をもらってテーブルを借りる。
それにしても、店の買い物では完全にキリャがリーダーだった。何故、自分のものでなくとも、ああも早口でテンションが上がるのだろう。
おれたちはただの荷物持ちで、ワーフェルドは完全に財布係で勢いに押されまくっていたなあ。
幸い、使い方が分からないものはなかったらしく、ワーフェルドはキリャの指導の下、今は真剣に荷を詰め替えている。
あ、もう一式の着替えを丸めて突っ込んでたの怒られて、畳み方覚えさせられてら。あいつらの家は……うちとちょっと違うんだな、袖は先に折り込むのか。
「ふえたのにふえてない。ふしぎ」
前髪が短くなって、ワーフェルドの笑顔がよく見える。昨日まで知らない人間で、おっかない厳つい長細い大男、だったのに。
まるで印象が変わった、この状況の方がよっぽど不思議だ、とおれは思う。
「おまえらは、ちゃんとしてんなあ」
木板の表、竹の図解の横に、再度手にした木炭でカルゴが明日の依頼のルートを描く。
皆で顔を寄せ合っていると、如何にも暇そうな受付のおっさんが声をかけてきた。
「はい?」
「昼前のおねーさんも似たようなこと言ってたなあ」
「違いますかー私たちー」
揃っておっさんに向き直ると、にやつかれる。
「他の連中は揃って南地区、何人かが西地区に向かって、まだ誰も帰ってきてねえよ」
それは単に、おれたちが昨日出遅れたからなんだが。
「初日は様子見、荷の確認して、先を見据えて、きっちりお互いに話をしてから動く。おまえらなら、長生きするだろうな」
「買いかぶりですよ。俺たちはそんなんじゃ」
「カルゴ、ちがう」
と、ワーフェルドが口を挟んだ。
「ありがとう、ぼくたちは生きのびる」
黒い目が真剣だったので、おれは止めなかった。
「カルゴ、いいリーダー。えたいのしれないぼくを信じる、くれた。たくさん、おしえるくれる」
その言葉になにか言いかけて、カルゴは黙る。
「キリャ、やさしい。ぼくを、きれいにするくれた。しかるの、ぼくのため」
……うぉう、なんか死角から小突かれたみたいだ。いや待ておま、ちょ、アーガさんどうするんだ。
「クード、ことばちょっとへん」
おまえが言うかそれをぉぉおおお!
「けどたのしい。わかってくれる。一番ぼくをしかる。でもこわくない、いやじゃない、ぼくのため、ちゃんと分かる」
「ほーお」
おっさんの笑顔に、顔が赤くなる。
「だからぼくは、みんなをまもる。ぜったい、死なせるしない」
……あ、カルゴもキリャも顔が真っ赤だ。しゃーないよな、だって、こんな。
「ぼくはみんな、だいすき」
──親にも言われたことねえよ! こんな真っ直ぐなことはよぉぉぉ!
「……ワーフェルド、さん。俺も、貴方を守ります。死にません」
「うん!」
「私も……頑張るから、守らせてねー。あとワーフェルドさんも、死んじゃやだからね、無茶しないのよー」
「うん!」
「……あのな、あの石打ち、今度石切場で練習すっからさ、一緒に行こうぜ」
「うん!」
「親父たちに紹介すっからよ、おれ見ての通りのヒョロさだし、筋肉の話は親父たちが詳しいからさ」
「うん……?」
クード筋肉ある、と言われても困惑する。半分とは言わねえが、ワーフェルドの腕の太さの──三分の二くらいしかねえぞおれは。
「槍とか棒の、練習相手にもなってくれると思うぜ。多分。衛兵詰所で訓練させてもらう前に、ちょっと扱い方を教わっておこうぜ」
「それはすごい!」
盛り上がるワーフェルドの隣で、カルゴが微妙に渋い顔になる。
ああ、まあ、お前は石切場の鍛練にいい思い出ないよな悪かったな。
あの脳筋親父たちは、農家のおっちゃんたちより手加減知らねえから。
けどワーフェルドなら、互角以上にやりあえると思うぜ? ちょっと見てみたいだろ?
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おれたちは気恥ずかしさを振り切って、おっさんに退去を告げて、食堂に逃げ込んだ。
「パン!」
「おい先ず荷物下ろそうぜ」
暮れの食事には早すぎる頃合いだからか、他に誰もいない。お陰でワーフェルドが皿に積み上げたパンの山に、白い目を向けるやつもいなかった。
メシを食ってたら、受付の方が騒がしくなってくる。怒鳴り声は若く、それに応じる罵声は──うん、あの場にいなくて良かった、とだけ。
斥候希望ならどうにかしろ、って仲間に無茶言うなよ。何日か前までは、農家の次男やどっかの下働きや見習いだったんだろお前ら。
自分がリーダーだから全判断に従え、って、間違えた場合は全責任を被る覚悟はあるんだろうか。
と、さっきの受付のおっさんが、おれが思ったことと大差ない言葉を返した。淡々と、静かな言い方は──恐ぇんだな。
今度は泣き声やら金切り声やら、それを諌める別の声、は先輩パルトだろうか。うーん、殺伐としてやがる。
「……明日からも、水樽作戦があるし早目に戻ってこよう。報酬をもらう度にあんなんじゃ、気持ちが塞……楽しく、パンが食べられない」
カルゴはちら、とキリャを見やった。
キリャは顔を顰めている。
おれは他人の大声にそこまで抵抗がなかったし、ワーフェルドも平気な顔をしてパンで頬を膨らませていたが。
「むむ」
「だな」
揃って、頷いておいた。キリャのために。
「……同期の、南地区出身の奴らだろう」
ぽつり、とカルゴが言う。
うん、先のあれは、一人前のパルトたちの口振りには聞こえなかった。
「一番分かりやすい、北の石橋の渡川料を払って、道も分からない西地区に入って、迷いながらホブフリオスメルジャのランタン探して、日暮れまでに完遂できたと思うか?」
「えー……」
キリャが困った顔になる。
南北川沿いの水車小屋というのは、一番近くて分かりやすい依頼で、だから安くて不人気で残ってた、んだが。
「夜営の許可取りや場所や準備が分からなきゃ、屯所に戻るしかないだろう。西地区に縁者がいるなら、別だけど。
今日の俺たちより依頼料が高くても、不完全な上に往復渡川料を考えたら……」
それこそ、おれたち以上の赤字じゃないだろうか。
「南地区や西地区の方が依頼料が高いのは、往復で半日から一日以上潰れることや経費、渡川料を考えたら当たり前だ。
見知った土地なら香ノ柵の場所も見当がつく。でも『依頼作業』そのものがはじめてでコツや効率を──」
匙を止めて真顔になっていたおれたちに、カルゴは一旦口を閉じた。
「……昨夜の時点で、ここまで考えてたわけじゃないから偶然の結果だけどな。
クードは小さい頃から石運び舟に乗って南北川を渡って、水車小屋で遊んだことがあるって聞いてたから、俺たちよりイルさんと近しいと思ってた」
「おう」
「イルさんは街と大工組合の顔役で、近場の川漁師とも親しい。万が一のことがあっても──それこそ勝手に林に入って、岸から川に落ちても、なんとかなるようになってるんだと思う」
あのじーさんのでっけえ声は、もしかして。
「最初のパルトフィシャリス、の任務には、うってつけだと思ったんだ。今日は安くてもいいから、『依頼作業』を覚えて任務を成功させるのが最優先かな、って。
明日の西地区の任務は、掲示板に出されてなかった。係員から直接渡されたんだ」
ぽん、とカルゴが自分の背負い袋を叩いた。任務札は紐で結ばれた竹簡でなく竹札──木札でないなら、新人向け任務内容──で、中にしまっているらしい。
「……さっきのかかりのひとたち、ぼくたち見てた。おなじ。水車小屋のちかく、しらない女のひといた見てた。あかいかみのけ。かえるとき、いなくなったします」
マジかよ。
「クード、キリャ、きょうは訓練だった。カルゴの作戦せいこう」
「いやだから作戦じゃなくて偶然だって、たまたま」
「……明日はどうするんだっけー、お義兄ちゃん」
「朝、水車小屋周りのホブフリオスメルジャ交換。ランタンとかごの場所は覚えたし、明日は枝葉交換がほぼないだろうから、早く終わる。まだ夜は冷えるし」
うんうん。さっきそこは話したよな。
「そのまま南の木橋を渡って職人町。近道を抜けて、『飲めない川』の渡し橋を使って北へ、西地区の南村に向かう」
……うん?
「しょくにんまち、ぼくしるな、しら、ない」
「俺もです──頼りにしてるからな、クードの土地勘」
はい?
「……あ、そっかー! 北の石橋を往復するより、合計渡川料が安くなるのねー!」
キリャが小声で、でも珍しく早口でそう言った。
「南村の役場で休耕地の確認、あっちは秋に施肥が済んでるのと水撒きしてないはずだから、キリャの≪炎放≫で一気に焼いて、俺の≪散水≫で消火する。風向き調整はクードに任せる」
「お、おう」
てっきり真ん中木橋を使うと思ってたが、なんか意味があるんだろうか。あるんだろうな、カルゴのことだから。
「みんなのまほう!」
やめてくれワーフェルドそんな期待すんな、おれの風魔法ショボいんだって。
「畑主に立ち会ってもらえれば、確認までも短くなる。終わったら、ホブフリオスメルジャの交換と柵の状態確認です。用水路沿いだから、こっちは俺とキリャが場所と道を知ってます。隣村ですから、手伝いに行ったことがあるんで。
ワーフェルドさんは今日のように周囲の警戒をお願いできますか、出るならホビュゲか鹿です」
「どっちも狩ったことある、まかされた」
「……南村って、風強いとこねえ? いやおれ行ったことねえから、知らんけど」
「昼間は吹き上げも颪もない、森や竹林に近いと弱まるし──でも突風がないわけじゃないから、こっちも発動待機しておくし、キリャの周りはクードに任せるよ」
「任された」
としか言えねーよ、くそぅ、この有能リーダーめ。
「終わったら真ん中木橋まで北上して、街に戻ろう。五の通り周りは詳しくないけど、一旦北路まで出ればいい。なにもなければ日暮れまでに屯所に着ける」
そうか、水車小屋から真ん中木橋は北に戻る必要がある。
真ん中木橋から南村、へ行くのも、回る順番を考えると無駄が多くなるんだな。
今更だけど、カルゴお前本当にパルトフィシャリスでいいのか? 巡回商人、いや役人向きだろ絶対。
□ ■ □ ■ □ ■
混む前に食堂を出て、洗い場で肌着を着替えて湯を使い──昨夜と同じくキリャに頼んだ──洗う。
カルゴは盥風呂を使うと言うので一旦別れ、洗濯物を干してから宿場棟に戻ると、ワーフェルドが寝台の上に今日買ったシャツを広げ、嬉しそうに見ていた。
「楽しそうだな」
「うん、きょうはしんじられないくらい、パンたくさん食べた。よるは月のかたちがおいしいかった」
そっちかよ。
「アーガさん、ハンカチ、夜明けまえとったからちょっとしめってた、でもありがとうって。借りたのぼくなのに」
「嬉しかったのか」
「うん、パンをおしえる、って」
こいつの中で、パンとアーガさんはどっちが上なんだろう。
あと、夜はちゃんと寝ろ。
「いっしょに食べた。おいしいねって、ぼくを見て笑った。すごく、うれしくておいしくて、パンが止まらなかった」
そうかそうか……アーガさんがいないと、あそこまでは食わないんだな。そういやあ昨夜も、今日の昼も夜も、ちょっと多かったくらいか。
パンは多かったが。
「みんなと食べるのも、おいしい。だれかといっしょは、たのしい」
しらなかった、と呟いたワーフェルドが、真顔になる。
「ぼくはずっとひとりだった」
あ、待て、これは多分。
「貧民、いやがられたり、たたかれたり、刺そうとしたり、ケガラワシイってにげる」
待て待て待てーっ!
どういう意味か分からんが、重い話なのは伝わるし、そういうのはおれだけじゃ無理だ!
今、カルゴ呼んでくるからちょっと待て!
あと、ひんみんってなんだ聞いたことねえ単語やめて。
「みんなぼくをこわがる、でもはたらくと、くちだけほめる。ほめても、いっしょはいやがる」
だからひとりだった、そう笑うワーフェルドに、おれは泣きそうになった。
「バカ野郎」
「ばか、わるいことば」
「うるせえ、もうひとりじゃねえだろうが。昨日から、お前は。それが分からねえ奴は、バカだ──」
突然、物凄い警鐘が鳴り響いた。
「なっ!」
「近い!」
ワーフェルドは新しい服の横、脱いでいた革鎧を着けはじめた。昼より速い。
おれが部屋を飛び出して、周りの状況を確認して開けっ放しの扉を振り返るまでの間に、革兜から脚甲まで装備を完了させている。
警鐘は鳴り続けている。廊下の窓の布戸を手前に跳ね上げ、外の突き上げ戸との隙間から外を窺えば、鳴り響く音は、南の方からも数を増やしていた。
第二詰所と第四詰所から、ほぼ同時ということは。
「クード!」
ワーフェルドに言葉を返さず、おれは目を閉じて、風を探った。
行き交う声、悲鳴、呻き、叫び、夜風に混じる、たくさんの人の口から発する流れ、そこから魔力を、見付け出す。
風魔法の、呪文詠唱。
目を閉じると、おれにはその「色」が見える──意味が分からないと言われるが、そうとしか説明できない。
「……【伝令】」
唱え、その色に沿わせ、声を拾う。
「……第八級、ホブリフ……東、開拓地、防壁、破壊……消音? 無効?」
傍受した≪伝令≫に含まれる言葉たち。
口に出すだけで、震えが走る。八級ってなんだよ、どんだけでかいんだ。
特殊個体なのか。≪窒息≫で足止め弱体化させることができないのか。
だけど。
「──俺は行ってくる、皆はそこにいろ!」
警鐘と大騒ぎの中で、中庭からでなく外からカルゴの声が聞こえた。
聞こえて、しまった。
「お義兄ちゃん!」
上の階から、キリャの声も。
「クード、カルゴが!」
ワーフェルドは、おれの隣の窓をこじ開けて顔を突っ込み、屯所の南を指す。衛兵詰所じゃなく、現場に向かったのか。見えたのか。助かった。
「……ワーフェルド、キリャを頼む」
「クード?」
「おれはあいつを!」
そう怒鳴って、長柄鎚も持たずおれは素手のまま布戸を限界まで開いて、窓から外へ飛び出した。二階から石敷きの北路へ、着地に合わせて≪逆風≫を唱える。
点々と灯る明かりは昼間より心許なく、それでも、走り出したカルゴを見付けようと、ワーフェルドが指差した先へと、急ぐ。
──おれの中途半端な風魔法は、衛兵に必要なテレフィミには足りなかった。
あの呪文を詠唱しても、聞こえるだけ、なのだ。相手に、声を届けられないんじゃ、意味がない。
どんなに頑張っても、伴う「声」を聞くことだけ。
「カルゴー!」
呪文を唱えなくても、強い思いを含んだ魔法の色を「閉じた目で」見られる。
意図せずたまに、親しい人の悲鳴や嘆きといった、心が届く。
それは有益だと言われたが、おれ以外にできる奴もいる。
三年前、魔法の家で己の限界を知らされたおれは、絶望した。
だからおれは、衛兵にはなれなかった。
パルトフィシャリスになる覚悟もできず、職人町で悩みながら働いていたら、キリャが泣きながら来たんだ。
──お義兄ちゃんが、パルトになっちゃうってー! どうしよう、どうしたらいいのークード!
警鐘が鳴り響く。なにかが崩れる、轟音。飛び交う音、途切れる音、不自然な音──ホブリフの消音能力は、不完全なのか。
進んだ一つ通りは先が大きく崩れ、塞がれている。人が、明かりが、声が、音が、ホブリフの微かな咆哮が、カルゴの怒りが、ピカピカの心が右の二つ通りの方から。
「「クード!」」
すぐ後ろから、聞こえた声。
振り返れば、人影が二つ。
でかい革鎧と棒のかたち。
素手で駆けてくる、あの日より短くなった三つ編みはきっと、おれの大好きな栗色。
助けたい、仲間と共にいたい、誰かの役に立ちたいという、ピカピカの心が二つ。
ああ、お前ら!
おれの仲間は、バカばっかりだ!
「──曲がれ! 二つ通りだ!」
おれからの声は届かない。心も届くか、分からない。
だから叫ぶ。叫びながら、二人へと走る。
腕を振って、そこの横道を右に曲がれと示す。
そしておれも、側の小径を右に折れる。まだ乾いていないだろう、麦藁色の幼馴染みの頭を探して走る。
そこから先は、英雄譚の第一話らしいが、知ったことか。