表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/37

新人パルト②‐風魔法使い Ⅲ



 □ □ □ 



 もっさり頭がスッキリしたワーフェルドが、鋏を引いたキリャに完了を確認し、首を振ろうとしたので、左肘で頭を抱えて止めさせる。やめろ鉄貨が減るかもしれん。

 カルゴが指で()かし、落ちた髪を、待ち受けた布で拾う。

 あーこりゃ、革鎧の隙間に入ってそうだな。それは流石に諦めるか。


「ワーフェルド、ついでに頭に水浴びてこい」


「まだ、日がたかい」


「いいんだよ、今日の任務は終わってるんだし──日があるうちなら、寝るまでに髪が乾くだろ。昨夜の、そろそろ乾いてるだろうからそっちに着替えて、今の服は洗って干しちまえ」


 立ち上がられる前に、布を外して内に折る。ちょっと目立つ黒髪は、鉄貨何枚になるだろう。いや、色は関係なかったっけ。


「じゃあ私とお義兄ちゃんはー、明日の任務依頼出てるか見てくるねー」


「おう、ついでにこれ売ってきてくれ。終わったら買い出しな」


 布包みをカルゴに渡すと、ワーフェルドの背を押して、一旦二手に分かれた。




「ちゃんと泡立てろよー昨日みたいにチマチマ(こす)ってんじゃねーぞー」


「水つめたい、もったいない」


「キリャに湯を頼めば良かったな、まあ今日は晴れてるから大丈夫だろ。ってか、石鹸はしっかりたっぷり使うもんだって言ったろー」


「いわれた、でも」


「石鹸一個は鉄貨二枚だ、宿代はー」


「二日で銅貨一枚」


「覚えてたな」


 つーか、上達速ぇな。今の発音、バッチリだぞ。


「おぼえてた。クード、きょうのおかねもらったからあとで石鹸代かえす」


「おう」


 木戸越しに、そんな会話をする。石鹸、はちゃんと言えるようになったようで一安心だ。

 おれは預かった重い革鎧の、継ぎ目や隙間に針を突っ込んで、きれいにしてやった。イルじーさんが言ってたが、確かにリーシュでは見ない革だ。猪より毛穴が小さいな。

 重いがかちかちで頑丈で、金属板が要所に打ち付けてある。格好いいじゃねえか。

 ただ、胸甲が分厚いのに、背甲がないのが気になる。背負い袋がなかったら、ベルトが剥き出しになるし、危ないぞこれ。


 針先がすべって、金属板を少し削ってしまった。錆止め塗装の下から(のぞ)いたのは、色からして銅のようだった。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 昨日同様、着ていた服で体を拭いたワーフェルドは、ロープから乾いた洗濯物を外して着込んだ。靴を履き直すのに手間取っていた。

 本当は沐浴所から全裸で出ちゃダメなんだが、誰もいなかったし、まあいいだろう。やっぱちんこでけえな。

 それから濡れた服を洗い場に置き、濡らして叩きだす。明るいから分かったが、さっき見た木灰袋の中身を振りかけて。


「だから石鹸使えって……それで汚れが落ちるもんなのかぁ」


 すげえな、と横から見ていると、ワーフェルドに微笑まれる。


「においよく落ちる。石鹸よりやすい」


「けど手指が荒れるからほどほどにしろよ──あ、そういや、ワーフェルド今朝はずいぶん早起きだったんだな」


 早朝、気付いたことをふと口に出せば、無言で頷かれた。




 ワーフェルドは洗った服を絞ってから、ロープに掛けて広げ、揺れている洗濯挟みを外して挟み直す。

 それから着替えた袖口を鼻先に寄せて、呟いた。


「服、くさくない。灰よりいいにおい」


「おう、昨夜石鹸で洗ったからな」


「……灰袋と、はんぶんこする」


「ん、まあそこは好きにしろ」


 おれから受け取った革の鎧を着け直したワーフェルドを見、ため息をつく。

 背負い袋からおれの櫛を出して、昨夜同様、濡れ髪を梳かしてやるから屈め、と手招きした。


「あれ、いい。服がおちない」


「ん? ああ洗濯挟みか。開きすぎると()けるから気を付けろよ」


「たけすごい、しなるしつるつるで、水いれてももれない──」


 ばっと顔を上げたワーフェルドの言いたいことが分かって、おれは壁に立て掛けていた長柄鎚を指差した。


「おう、あいつの柄も節を抜いた竹だけどな、秘密の細工がしてあるんだ。洗濯挟みやコップとちょっと違って重さがあるだろ」


 合金の細い筒柄を、割った竹で挟んで、滑り止めの革を巻いてある造りだ。石切場で普通に使われている全金属の長柄鎚は、おれには重すぎてああなった。

 ワーフェルドなら、そのうち気付くだろうから、今は黙っておこう。


「ひみつ、かっこいい」


「そうか」


 顔を見合わせて、笑う。




 戻ってきた二人と合流した。

 鉄貨二枚がワーフェルドに、細かい黒髪まみれになった布がおれに渡される。石鹸、と言いつつワーフェルドが鉄貨をそっくり寄越してきたので、頷いて受け取った。これで貸し借りはなしだ。

 布を水洗いしながら、明日のことを尋ねると。

 今日と同じホブフリオスメルジャの交換複数箇所と、木柵の点検、休耕地の除草、といったみっしり日程だ。


「えっらい詰め込んだなあ」


「でも全部、水車小屋以外は南村……えっとね、南北川の向こうの、西地区の一箇所よー」


 キリャが、ワーフェルドに分かるように言い換えた。


「報酬と生活費を考えると、これからはこれくらいいるはずだ。石切場からは今は依頼が出てなかった」


 うーん、また明日、イルじーさんにからかわれるのか。

 まあいいか、しばらくは通うことになるだろうし、そのうち飽きるだろあのじーさんも。


「パンは一枚、石鹸二枚、泊まるの銅貨」


 歩きながら指を折っていたワーフェルドが、愕然とする。


「お金たりなくなる?」


「俺たちは、手持ちの現金が多少あります。ワーフェルドさんほどではありませんが」


「三月分くらいはないとー、パルトフィシャリスの試験は受けられないのー」


「半年は嘘だったんだよなあ……まあ、多いに越したことはないから、良かったんだけど」


 なんかカルゴはいい意味で誰かに騙されたっぽいな。


「親兄弟から借りたり、伸ばしてた髪売ったり、村で稼いだりしてから受けるんだぜ」


 最初は赤字からです、とのカルゴの言は、ワーフェルドには通じなかった。

 実はおれたちにも。


「あかじとは借金、ですか」


「そうですが今の場合は、収入が足りずに貯めていたお金で補うこと、です。

 国の官吏(かんり)が数字の計算をする時に、不足項目を分かりやすく朱で記すことから、そう言うそうです」


「「「へー」」」


 カルゴはどこでそういうの知るんだ?

 あ、役場か。

 あとワーフェルド、なんとなくおれたちに合わせただろ絶対。官吏とか項目とか分かってねえだろ。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 おれたちはぞろぞろ連れ立って、朝食後に向かった二つ通りを再訪した。

 安くて大きい日用品の取扱い店なら四つ通りだが、衛兵やパルトフィシャリス向けみたいな携帯用品ならこっちだ。アーガさんも昨日言ってたからな。

 水樽を買い替えた店で、木板の裏にキリャが書き出したものを買い足す。ワーフェルドは文字や数字が読めないことも、はっきりした。

 少しずつ覚えてもらわなきゃ、だな。




 背が高いからダメか、と思っていた服も、店主に教わった衛兵御用達店に移動して、無事に見付けることができる。


「ボタンたくさん。いろがある、えらいひとみたい」


「これでたくさんなのー?」


 そういやこいつのシャツ、生成(きな)りの葛布(くずふ)(えり)ぐりが大きい、ボタン無ししかなかったな。


「セトラム、このかたちふつう」


「女性用もー? ……胸元見えちゃわないー?」


 うっかり想像したおれは悪くない。キリャが悪い。お前で想像してしまったおれは断じて悪くない──はずなのに、足を踏んできたキリャは理不尽だと思う。


「女のひと、ひもとボタンある。かぶってから、ここをきゅっとする」


 開いた襟ぐりを中央に握り寄せて見せられ、納得する。なるほど安全だ。あと、結構可愛いかもしれん。


「すきなひとにボタンおくる。『冬の祭日』、男はみんなそうする。すてきなものつくる、けずるみがく」


「いい習慣があるんですね。求婚に欠かせないボタン、うん、素敵だと思います」


「けどリーシュにゃねえなあ。こういうボタン作ってんの傷痍(しょうい)衛兵のおっちゃんらだから」


「え!?」


 全力で驚いたワーフェルドに、カルゴが解説する。


「彫刻細工、ええと、小さい木彫りとか木粉練りとかは、怪我をして戦えなくなった衛兵さんたちの仕事なんです」


「おじさん……」


 どうやらがっかりしてそうなワーフェルドを、おれはどうにか元気付けようとして。


「あ、いや、ワーフェルドはあれだ、ボタンじゃなくて平焼きパンを贈ればいい! あれなら民家のかまどで焼ける!」


「そ、そうよ! それかパンにぴったりなおかずを作って贈るとかー!」


「パンかごや皿なら手作りできますし!」


 援護をくれる義兄妹に、チームのありがたみを感じるぜ。


「ぼく、ボタンおくるひといない」


「「「いや準備は必要」」」


 ちょっと笑ったワーフェルドに、おれたちは顔を見合わせる。

 なんてこった、あんな顔してパン渡して、さっきみたいな顔でボタン話をしておいて、本人にまるで自覚がないのか。

 なくてあれか。


「……ねー、よねー……?」


「うん、俺は合うと思う」


「つーか確実にそうだろ。どうでもいい知り合いにあんな顔向けるか? アーガさんもあのパン食えるか? おれはできねえぞ」


 おれたちがひそひそ話している間、ワーフェルドは新しいシャツの前面に並んだボタンを一つずつ、指で撫でていた。


「ぱんつは同じ。ひもでしばる、だいじょうぶ」


「ワーフェルドさん、人前で下着や裸の話はしない方がいいです」


「あたらしいぱんつ、はじめて。たのしみ」


「……おれたち以外にパンツの話はダメだ。破廉恥(はれんち)


 カルゴを真似た言い方にすると、はれんちだめ、と頷かれた。意味、分かってんだろうか。


「麻も色があるのも着ていい。リーシュのふつうはすごい」


 あー、今着てる服、上下どっちも葛布だもんなあ。なんか制限あったのかな、エフって。

 これからはいいけど、冬は寒かったんじゃないか? あの、剥げ剥げの毛皮モドキと重ね着で耐えられたのか?

 小国家群があるとこって、ここより寒くないんだろうか。


 あのぼろ布毛皮は、寝具であり防寒具だと言っていた。

 狩った獣を見様見真似で(なめ)したらしいが、どう見ても失敗作だ。

 近いうちに買い直させてやりたい。毛布は混紡(こんぼう)でも高いけどなあ。



 □ □ □ 



 一式、目当てのものを買い足してから、受付所に戻った。係員は別のおっさんになっていたが、昼と同じように許可をもらってテーブルを借りる。


 それにしても、店の買い物では完全にキリャがリーダーだった。何故、自分のものでなくとも、ああも早口でテンションが上がるのだろう。

 おれたちはただの荷物持ちで、ワーフェルドは完全に財布係で勢いに押されまくっていたなあ。


 幸い、使い方が分からないものはなかったらしく、ワーフェルドはキリャの指導の下、今は真剣に荷を詰め替えている。

 あ、もう一式の着替えを丸めて突っ込んでたの怒られて、畳み方覚えさせられてら。あいつらの家は……うちとちょっと違うんだな、袖は先に折り込むのか。


「ふえたのにふえてない。ふしぎ」


 前髪が短くなって、ワーフェルドの笑顔がよく見える。昨日まで知らない人間で、おっかない厳つい長細い大男、だったのに。

 まるで印象が変わった、この状況の方がよっぽど不思議だ、とおれは思う。




「おまえらは、ちゃんとしてんなあ」


 木板の表、竹の図解の横に、再度手にした木炭でカルゴが明日の依頼のルートを描く。

 皆で顔を寄せ合っていると、如何にも暇そうな受付のおっさんが声をかけてきた。


「はい?」


「昼前のおねーさんも似たようなこと言ってたなあ」


「違いますかー私たちー」


 揃っておっさんに向き直ると、にやつかれる。


「他の連中は揃って南地区、何人かが西地区に向かって、まだ誰も帰ってきてねえよ」


 それは単に、おれたちが昨日出遅れたからなんだが。


「初日は様子見、荷の確認して、先を見据(みす)えて、きっちりお互いに話をしてから動く。おまえらなら、長生きするだろうな」


「買いかぶりですよ。俺たちはそんなんじゃ」


「カルゴ、ちがう」


 と、ワーフェルドが口を挟んだ。


「ありがとう、ぼくたちは生きのびる」


 黒い目が真剣だったので、おれは止めなかった。


「カルゴ、いいリーダー。えたいのしれないぼくを信じる、くれた。たくさん、おしえるくれる」


 その言葉になにか言いかけて、カルゴは黙る。


「キリャ、やさしい。ぼくを、きれいにするくれた。しかるの、ぼくのため」


 ……うぉう、なんか死角から小突かれたみたいだ。いや待ておま、ちょ、アーガさんどうするんだ。


「クード、ことばちょっとへん」


 おまえが言うかそれをぉぉおおお!


「けどたのしい。わかってくれる。一番ぼくをしかる。でもこわくない、いやじゃない、ぼくのため、ちゃんと分かる」


「ほーお」


 おっさんの笑顔に、顔が赤くなる。


「だからぼくは、みんなをまもる。ぜったい、死なせるしない」


 ……あ、カルゴもキリャも顔が真っ赤だ。しゃーないよな、だって、こんな。


「ぼくはみんな、だいすき」


 ──親にも言われたことねえよ! こんな真っ直ぐなことはよぉぉぉ!




「……ワーフェルド、さん。俺も、貴方を守ります。死にません」


「うん!」


「私も……頑張るから、守らせてねー。あとワーフェルドさんも、死んじゃやだからね、無茶しないのよー」


「うん!」


「……あのな、あの石打ち、今度石切場で練習すっからさ、一緒に行こうぜ」


「うん!」


「親父たちに紹介すっからよ、おれ見ての通りのヒョロさだし、筋肉の話は親父たちが詳しいからさ」


「うん……?」


 クード筋肉ある、と言われても困惑する。半分とは言わねえが、ワーフェルドの腕の太さの──三分の二くらいしかねえぞおれは。


「槍とか棒の、練習相手にもなってくれると思うぜ。多分。衛兵詰所で訓練させてもらう前に、ちょっと扱い方を教わっておこうぜ」


「それはすごい!」


 盛り上がるワーフェルドの隣で、カルゴが微妙に渋い顔になる。

 ああ、まあ、お前は石切場の鍛練にいい思い出ないよな悪かったな。

 あの脳筋親父たちは、農家のおっちゃんたちより手加減知らねえから。

 けどワーフェルドなら、互角以上にやりあえると思うぜ? ちょっと見てみたいだろ?



 □ □ □ 



 おれたちは気恥ずかしさを振り切って、おっさんに退去を告げて、食堂に逃げ込んだ。


「パン!」


「おい先ず荷物下ろそうぜ」


 暮れの食事には早すぎる頃合いだからか、他に誰もいない。お陰でワーフェルドが皿に積み上げたパンの山に、白い目を向けるやつもいなかった。


 メシを食ってたら、受付の方が騒がしくなってくる。怒鳴り声は若く、それに応じる罵声は──うん、あの場にいなくて良かった、とだけ。

 斥候(せっこう)希望ならどうにかしろ、って仲間に無茶言うなよ。何日か前までは、農家の次男やどっかの下働きや見習いだったんだろお前ら。

 自分がリーダーだから全判断に従え、って、間違えた場合は全責任を被る覚悟はあるんだろうか。


 と、さっきの受付のおっさんが、おれが思ったことと大差ない言葉を返した。淡々と、静かな言い方は──恐ぇんだな。

 今度は泣き声やら金切り声やら、それを(いさ)める別の声、は先輩パルトだろうか。うーん、殺伐としてやがる。


「……明日からも、水樽作戦があるし早目に戻ってこよう。報酬をもらう度にあんなんじゃ、気持ちが(ふさ)……楽しく、パンが食べられない」


 カルゴはちら、とキリャを見やった。

 キリャは顔を(しか)めている。

 おれは他人の大声にそこまで抵抗がなかったし、ワーフェルドも平気な顔をしてパンで頬を膨らませていたが。


「むむ」


「だな」


 揃って、頷いておいた。キリャのために。




「……同期の、南地区出身の奴らだろう」


 ぽつり、とカルゴが言う。

 うん、先のあれは、一人前のパルトたちの口振りには聞こえなかった。


「一番分かりやすい、北の石橋の渡川料を払って、道も分からない西地区に入って、迷いながらホブフリオスメルジャのランタン探して、日暮れまでに完遂できたと思うか?」


「えー……」


 キリャが困った顔になる。

 南北川沿いの水車小屋というのは、一番近くて分かりやすい依頼で、だから安くて不人気で残ってた、んだが。


「夜営の許可取りや場所や準備が分からなきゃ、屯所に戻るしかないだろう。西地区に縁者がいるなら、別だけど。

 今日の俺たちより依頼料が高くても、不完全な上に往復渡川料を考えたら……」


 それこそ、おれたち以上の赤字じゃないだろうか。


「南地区や西地区の方が依頼料が高いのは、往復で半日から一日以上潰れることや経費、渡川料を考えたら当たり前だ。

 見知った土地なら香ノ柵の場所も見当がつく。でも『依頼作業』そのものがはじめてでコツや効率を──」


 匙を止めて真顔になっていたおれたちに、カルゴは一旦口を閉じた。


「……昨夜の時点で、ここまで考えてたわけじゃないから偶然の結果だけどな。

 クードは小さい頃から石運び舟に乗って南北川を渡って、水車小屋で遊んだことがあるって聞いてたから、俺たちよりイルさんと近しいと思ってた」


「おう」


「イルさんは街と大工組合の顔役で、近場の川漁師とも親しい。万が一のことがあっても──それこそ勝手に林に入って、岸から川に落ちても、なんとかなるようになってるんだと思う」


 あのじーさんのでっけえ声は、もしかして。


「最初のパルトフィシャリス、の任務には、うってつけだと思ったんだ。今日は安くてもいいから、『依頼作業』を覚えて任務を成功させるのが最優先かな、って。

 明日の西地区の任務は、掲示板に出されてなかった。係員から直接渡されたんだ」


 ぽん、とカルゴが自分の背負い袋を叩いた。任務札は紐で結ばれた竹簡でなく竹札──木札でないなら、新人向け任務内容──で、中にしまっているらしい。


「……さっきのかかりのひとたち、ぼくたち見てた。おなじ。水車小屋のちかく、しらない女のひといた見てた。あかいかみのけ。かえるとき、いなくなったします」


 マジかよ。


「クード、キリャ、きょうは訓練だった。カルゴの作戦せいこう」


「いやだから作戦じゃなくて偶然だって、たまたま」


「……明日はどうするんだっけー、お義兄ちゃん」


「朝、水車小屋周りのホブフリオスメルジャ交換。ランタンとかごの場所は覚えたし、明日は枝葉交換がほぼないだろうから、早く終わる。まだ夜は冷えるし」


 うんうん。さっきそこは話したよな。


「そのまま南の木橋を渡って職人町。近道を抜けて、『飲めない川』の渡し橋を使って北へ、西地区の南村に向かう」


 ……うん?


「しょくにんまち、ぼくしるな、しら、ない」


「俺もです──頼りにしてるからな、クードの土地勘」


 はい?


「……あ、そっかー! 北の石橋を往復するより、合計渡川料が安くなるのねー!」


 キリャが小声で、でも珍しく早口でそう言った。


「南村の役場で休耕地の確認、あっちは秋に施肥(せひ)が済んでるのと水撒きしてないはずだから、キリャの≪炎放(ブランダ)≫で一気に焼いて、俺の≪散水(スケーロ)≫で消火する。風向き調整はクードに任せる」


「お、おう」


 てっきり真ん中木橋を使うと思ってたが、なんか意味があるんだろうか。あるんだろうな、カルゴのことだから。


「みんなのまほう!」


 やめてくれワーフェルドそんな期待すんな、おれの風魔法ショボいんだって。


「畑主に立ち会ってもらえれば、確認までも短くなる。終わったら、ホブフリオスメルジャの交換と柵の状態確認です。用水路沿いだから、こっちは俺とキリャが場所と道を知ってます。隣村ですから、手伝いに行ったことがあるんで。

 ワーフェルドさんは今日のように周囲の警戒をお願いできますか、出るならホビュゲか鹿です」


「どっちも狩ったことある、まかされた」


「……南村って、風強いとこねえ? いやおれ行ったことねえから、知らんけど」


「昼間は吹き上げも(おろし)もない、森や竹林に近いと弱まるし──でも突風がないわけじゃないから、こっちも発動待機しておくし、キリャの周りはクードに任せるよ」


「任された」


 としか言えねーよ、くそぅ、この有能リーダーめ。


「終わったら真ん中木橋まで北上して、街に戻ろう。五の通り周りは詳しくないけど、一旦北路まで出ればいい。なにもなければ日暮れまでに屯所に着ける」


 そうか、水車小屋から真ん中木橋は北に戻る必要がある。

 真ん中木橋から南村、へ行くのも、回る順番を考えると無駄が多くなるんだな。


 今更だけど、カルゴお前本当にパルトフィシャリスでいいのか? 巡回商人、いや役人向きだろ絶対。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 混む前に食堂を出て、洗い場で肌着を着替えて湯を使い──昨夜と同じくキリャに頼んだ──洗う。

 カルゴは盥風呂を使うと言うので一旦別れ、洗濯物を干してから宿場棟に戻ると、ワーフェルドが寝台の上に今日買ったシャツを広げ、嬉しそうに見ていた。


「楽しそうだな」


「うん、きょうはしんじられないくらい、パンたくさん食べた。よるは月のかたちがおいしいかった」


 そっちかよ。


「アーガさん、ハンカチ、夜明けまえとったからちょっとしめってた、でもありがとうって。借りたのぼくなのに」


「嬉しかったのか」


「うん、パンをおしえる、って」


 こいつの中で、パンとアーガさんはどっちが上なんだろう。

 あと、夜はちゃんと寝ろ。


「いっしょに食べた。おいしいねって、ぼくを見て笑った。すごく、うれしくておいしくて、パンが止まらなかった」


 そうかそうか……アーガさんがいないと、あそこまでは食わないんだな。そういやあ昨夜も、今日の昼も夜も、ちょっと多かったくらいか。

 パンは多かったが。


「みんなと食べるのも、おいしい。だれかといっしょは、たのしい」


 しらなかった、と呟いたワーフェルドが、真顔になる。


「ぼくはずっとひとりだった」


 あ、待て、これは多分。


「貧民、いやがられたり、たたかれたり、刺そうとしたり、ケガラワシイってにげる」


 待て待て待てーっ!

 どういう意味か分からんが、重い話なのは伝わるし、そういうのはおれだけじゃ無理だ!

 今、カルゴ呼んでくるからちょっと待て!

 あと、ひんみんってなんだ聞いたことねえ単語やめて。


「みんなぼくをこわがる、でもはたらくと、くちだけほめる。ほめても、いっしょはいやがる」


 だからひとりだった、そう笑うワーフェルドに、おれは泣きそうになった。


「バカ野郎」


「ばか、わるいことば」


「うるせえ、もうひとりじゃねえだろうが。昨日から、お前は。それが分からねえ奴は、バカだ──」




 突然、物凄い警鐘が鳴り響いた。


「なっ!」


「近い!」


 ワーフェルドは新しい服の横、脱いでいた革鎧を着けはじめた。昼より速い。

 おれが部屋を飛び出して、周りの状況を確認して開けっ放しの扉を振り返るまでの間に、革兜から脚甲まで装備を完了させている。

 警鐘は鳴り続けている。廊下の窓の布戸を手前に跳ね上げ、外の突き上げ戸との隙間から外を(うかが)えば、鳴り響く音は、南の方からも数を増やしていた。

 第二詰所と第四詰所から、ほぼ同時ということは。


「クード!」


 ワーフェルドに言葉を返さず、おれは目を閉じて、風を探った。

 行き交う声、悲鳴、呻き、叫び、夜風に混じる、たくさんの人の口から発する流れ、そこから魔力を、見付け出す。


 風魔法の、呪文詠唱。


 目を閉じると、おれにはその「色」が見える──意味が分からないと言われるが、そうとしか説明できない。


「……【伝令(テレフィミ)】」


 唱え、その色に沿わせ、声を拾う。


「……第八級、ホブリフ……東、開拓地、防壁、破壊……消音? 無効?」


 傍受した≪伝令(テレフィミ)≫に含まれる言葉たち。

 口に出すだけで、震えが走る。八級ってなんだよ、どんだけでかいんだ。

 特殊個体なのか。≪窒息(サファクス)≫で足止め弱体化させることができないのか。

 だけど。


「──俺は行ってくる、皆はそこにいろ!」


 警鐘と大騒ぎの中で、中庭からでなく外からカルゴの声が聞こえた。

 聞こえて、しまった。


「お義兄ちゃん!」


 上の階から、キリャの声も。


「クード、カルゴが!」


 ワーフェルドは、おれの隣の窓をこじ開けて顔を突っ込み、屯所の南を指す。衛兵詰所じゃなく、現場に向かったのか。見えたのか。助かった。


「……ワーフェルド、キリャを頼む」


「クード?」


「おれはあいつを!」


 そう怒鳴って、長柄鎚も持たずおれは素手のまま布戸を限界まで開いて、窓から外へ飛び出した。二階から石敷きの北路へ、着地に合わせて≪逆風(コントラフェンツ)≫を唱える。

 点々と灯る明かりは昼間より心許なく、それでも、走り出したカルゴを見付けようと、ワーフェルドが指差した先へと、急ぐ。




 ──おれの中途半端な風魔法は、衛兵に必要なテレフィミには足りなかった。


 あの呪文を詠唱しても、聞こえるだけ、なのだ。相手に、声を届けられないんじゃ、意味がない。

 どんなに頑張っても、伴う「声」を聞くことだけ。


「カルゴー!」


 呪文を唱えなくても、強い思いを含んだ魔法の色を「閉じた目で」見られる。

 意図せずたまに、親しい人の悲鳴や嘆きといった、心が届く。

 それは有益だと言われたが、おれ以外にできる奴もいる。

 三年前、魔法の家で己の限界を知らされたおれは、絶望した。


 だからおれは、衛兵にはなれなかった。

 パルトフィシャリスになる覚悟もできず、職人町で悩みながら働いていたら、キリャが泣きながら来たんだ。


 ──お義兄ちゃんが、パルトになっちゃうってー! どうしよう、どうしたらいいのークード!




 警鐘が鳴り響く。なにかが崩れる、轟音。飛び交う音、途切れる音、不自然な音──ホブリフの消音能力は、不完全なのか。

 進んだ一つ通りは先が大きく崩れ、(ふさ)がれている。人が、明かりが、声が、音が、ホブリフの微かな咆哮(ほうこう)が、カルゴの怒りが、ピカピカの心が右の二つ通りの方から。


「「クード!」」


 すぐ後ろから、聞こえた声。

 振り返れば、人影が二つ。

 でかい革鎧と棒のかたち。

 素手で駆けてくる、あの日より短くなった三つ編みはきっと、おれの大好きな栗色。


 助けたい、仲間と共にいたい、誰かの役に立ちたいという、ピカピカの心が二つ。


 ああ、お前ら!

 おれの仲間は、バカばっかりだ!


「──曲がれ! 二つ通りだ!」


 おれからの声は届かない。心も届くか、分からない。

 だから叫ぶ。叫びながら、二人へと走る。

 腕を振って、そこの横道を右に曲がれと示す。

 そしておれも、側の小径を右に折れる。まだ乾いていないだろう、麦藁色の幼馴染みの頭を探して走る。




 そこから先は、英雄(たん)の第一話らしいが、知ったことか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ