新人パルト②‐風魔法使い Ⅱ
□ ■ □ ■ □ ■
受付で袋を提出し、手箒を返して、爪サイズの鉄貨を五枚ずつもらう。思ったより安い、けどまあ、あれだけの内容じゃこんなもんか。おれの手が汚れたくらいだし。
「初任務完了ーっ」
キリャがにこにこしている。うん、相変わらず可愛いなこいつ。
「じゃあ──そうだな、済みません、あそこの待機席、使ってもいいですか」
もらった鉄貨を財布にしまったカルゴが、受付所の部屋の隅にあるでかいテーブルを指し、係員に許可をもらっていた。
よく気付けるな、こういうことに。
「ええ、どうぞ。見込みあるわね君たち」
おれたちよりちょっとだけ年上の係員が、ニヤリと笑う。
「勝手に陣取ってたら、ぶっ飛ばそうと思ってたのに」
怖っ!
「ごめーん、厠行ってくる。先にやってて。これ預けとくから」
どかどか、と椅子に荷を置き、弓手袋を外してその上に乗せたキリャが席を外す。
うーん、全幅の信頼がありがたいなあ、財布まで置いて行きやがった。
「二人はいいか? その、厠」
「ん」
「ぼくはうんちでないです」
……なんだろうなあ、こう、ワーフェルドは真面目に返答してるんだろうけど、なんかちょっとズレてんだよなあ。
揃って得物と荷を床に下ろして、革兜や帽子を脱いで上に重ね、椅子に座る。
「じゃあ確認していくか。先ずは水樽」
同じ大きさのものが四つ、それぞれテーブル上に並ぶ。キリャの荷物、位置的におれが出してるけどいいのかよ、いいんだなお義兄さんよぉ?
いやおれは紳士だからその、キリャの着替えとかは触らないぞ。見ないぞ。奥に見えた布袋の中身とか考えないぞ。ちょっと嗅ぎたくなったのは秘密だ。
「……」
テーブルにそびえる四つの水樽、おれたちのものは同期の連中のものより小さいはずなのに、こうして見ると迫力あるな。
「ぼくの水樽、すごく小さくなった。でも水だいじ。カルゴこれでいいか?」
「うーん……本音を言うと、四人で一つあればいい、と俺は思う。必要に応じて出せるから」
「流石だ歩く井戸」
「やめろ」
「いどがあるく?」
「ほら、ワーフェルドさんがこうなっちゃうだろ」
面白ぇなあ、一通り言葉は通じるのに、ちょいちょい引っ掛かるのって。
「……カルゴが水、だせるのすごい。あのおじさんといっしょ」
誰だよ、水魔法使いのおじさんって。
「でも、カルゴになにか、けがした、のときにたいへん」
「普通だと一日に百人分くらいはいけます。ただそうですね、負傷時や別行動、はぐれた際に困る、かもですね……」
「ひゃ、く」
はい出ました、天然発言。
こいつは上を見すぎてて、自分がちょっと桁外れだって自覚がない。百人分って沐浴や洗濯用水を含めて、だろ絶対。
手習い所通いの頃から、家の畑に水撒きまくってたんだよなあカルゴ。麦農家が持つ畑の二軒分以上の広さに、だぜ。
毎日じゃないとか、麦は晴天続きの時だけだとか反論されるだろうが、普通はやらねえ。
ついでに麻畑や野菜畑、休耕地も湿らせようとか、ねーから多分。
「ワーフェルド、カルゴの水魔法はすげーから、あんま気にするな。深く考えたら負けだ」
「……まけたくない」
「うん、なら──『カルゴが無事なら水は問題ない』と覚えとけ」
「わかった。カルゴと水、だいじ」
おれたちがひそひそやってたら、考え込んでいたカルゴが、決めた、と声を発す。
「水樽はこのまま全員が持とう。見習い期間中は、夕方に戻ってから井戸で汲んで──浄水筒通して、キリャに煮沸してもらってから、それぞれ半量分、になるように。冷めるのを待つ間に、沐浴や洗濯をすればいい」
「じょうす……はんぶん?」
「なんで半分なんだ?」
この大きさなら、満量にしても担いで走れるぞ。
「俺たちやワーフェルドさんは余裕でも、キリャには少し重いだろう。だからって、あいつの樽だけ空にしたら、平等じゃない」
おれなら、キリャの水樽も持ってやって、あいつに楽させるなぁ。
「見習い期間中は外……国境防壁や森林防柵の向こうには出られないけど、それはつまり街中や、ある程度安全な町や村なら無制限で回れるってことです。
許可証を得られれば、森や林にも入れるようになるでしょうが、どちらも広さ大きさといった情報は判明しています。
人家の近くなら、自宅井戸か共有井戸を使わせてもらえます。パルトは、それが許されている──ので、常に満量にする必要性は、現状ありません。
重さや揺れに慣れる訓練と思って、しばらくは半量で動きましょう──そうですね、一月くらいは」
カルゴの弁に、少ししてからワーフェルドが頷いた。
大丈夫か、今の難しくなかったか?
「リーシュの水おいしい。ぼくでも井戸つかえるの、すごい。そとに出てうごくまで、訓練、だいじ」
訓練って言葉は外国と同じなんだな。
「よっし、じゃあ水樽はこのままで半分作戦だな」
おれがそう断言すると、ワーフェルドはにっか、と笑う。
「作戦、かっこいい」
お? こういう感覚は通じるのか。
「じゃあ次は火口箱……は、まあ、全員持っておこうか」
三人で四つの水樽を、テーブルから床に下ろす。そしてそれぞれ、背負い袋や腰袋から小振りな木箱を出して、並べた。
「なあ、ワーフェルドのって中身どんなの?」
「こんなの」
錆びた留め金のついた、しっかりした造りの小箱。
ぱか、と蓋を開けると中には木屑と、使い込まれた鉄片と石英。おお、そこまで変わらないんだな。
「リーシュのは、こんなだぜ」
おれの火口箱を開けてみせる。留め木をずらして枠から内箱を引き出す格好だ。
木屑の代わりに、からっからになった草の実や豆の殻、でございまっせ。
「最悪、どうしてもってなったらこれ食えるぞ。不味いけど」
「そっちがいい」
「……ちょっと見せてください」
と、カルゴがワーフェルドの火口箱を寄越せと合図する。押しやられた箱の中を覗き込んだカルゴは、鼻を鳴らし、木屑を摘まみ、難しい顔をした。
「ワーフェルドさん、これは、小国家群で、普通に売られている木屑、ですか」
一語一語、区切って尋ねるカルゴに、ワーフェルドは首を振った。
「この棒、つくるときにけずるしたのこり、と、野営のあいだにたすした。かれえだとクスノキ、たぶん」
「──なんかヤベぇのか?」
おれが声を潜めると、カルゴは木屑を戻し、火口箱の留め金を掛け直して、ワーフェルドに返してくる。
「いや、この黒っぽい粉だけ、匂いが香ノ木に似てたんだ。ずっと弱かったし、あそこまでの効能はないと思う。燃やしても」
もし同じものなら、受付に提出した方がいいと思って。
そう続けられて、ワーフェルドが驚いた顔をした。
「この棒、モンスターよけ?」
「いや、そこまではないと思う」
「少し?」
「……まあ、皆無ではない、かもしれない。でも色合いが違うかなあ」
「その棒、なんかワケアリとかか?」
そう尋ねたら、否定された。
「棒、よくおれる。ぼくはかたい木を買うかひろうか、けずるつくる。これはたびに出るまえつくった、半年つかった。もっとおもい木よりながいもつします」
「ただの偶然、普通の木、ってことですか」
カルゴの肩が落ちた。一安心、って顔だな。
ワーフェルドの棒は、小さな凹みや割れがあるが問題はない、らしい。
「ただいまー、どこまで進んでるー?」
キリャが戻ってきたので、椅子を引いてやる。
「水樽と火口箱は全員持つ、ってとこまでだぜ」
「全然進んでないー」
笑うキリャに、変な緊張感が解ける。おれ、こいつのこういうとこ好きだなあ。
「一番嵩張るのって武器でしょ。昨日も一通り紹介し合ったけど、もうちょっと踏み込まない?」
おう、話を進めるのが早いな。のんびり屋なのに。
□ □ □
「じゃあ俺から。槍と弓、正確には短槍と小弓だ。腕力はないし、上手くはない。自衛と牽制、あと小動物の狩り以上は無理だと思う──水魔法と交渉と計算を頑張るから、勘弁してやってくれ」
皆で火口箱をしまうと、先ずカルゴが、恥ずかしそうに告げる。
いやだから、お前の場合はその水魔法でお釣りがくるだろ。
石切場の偏屈じじいが、弟子にとったのはお前だけだって聞いてるぞ。
「私は弓ねー。お義兄ちゃんよりは大きい、中型弓ー。命中率はそこそこだけどー、お金が貯まったら弩に変えるつもりー。
動きを覚えたら≪火矢≫の連続発動ができるようになるかもだし、強そうじゃないかなー?」
いやそれ山火事になるやつだろ絶対!
「……接敵されたら、弓で殴るかナイフか弱い火魔法しかないのでー、守ってやってくださいお願いします! 弓が折れたらお手上げです!」
しかしすぐに、そうやっておれとワーフェルドに頭を下げてくるので、まあそのなんだ、許す。
おれが盾になって、守ってやるから安心しろ。
「矢は今のとこ十本ねー。見習い終わるまでに増やすか変えるか、考えようと思ってるー」
「んじゃおれか。先端にちょっとでかい金槌っぽいやつがついた……ワーフェルド、使ってみ?」
「いいのか」
「ああ、使い勝手がどうか言ってくれ」
流石に屋内では振り回せないが、立ち上がったワーフェルドはおれの長柄鎚を受け取ると、両手、片手で握って揺すり、上下させている。
「えはかるいですほそい、もちやすい、よくしなる。さきがおもい。しっかりとめてある、じょうぶ」
おう、危なげない取り回しだ。
長柄鎚は所持登録が必要な、専門職の道具であって、武器として使う奴は──少なくとも今期のパルトの中には、いない。
破砕力があるし、慣れると超便利なんだが、見てくれが変だと実技試験で笑った奴がいたっけ。そいつは不合格だった。ざまぁみろ。
じゃなくて。
初見で癖というか、槍と違う重心や「先端に振り回される」違和感でばたつかないワーフェルドは、長柄武器全般の才能があると思う。
なんか、嬉しいな。
「円を描くように回したり、上に掲げて振り落としたり、剣や斧より射程があるからさ。詰められたら、こう引いて短く構えたり、刺せないけど衝くことはできる」
「さきの金槌、力があつめるする。めりこむ」
「そうそう! 硬ぇホビュゲでも、弾いたり潰せたりするんだぜ!」
うおお、分かってるじゃねえかワーフェルド! 長柄鎚の真価が分かるお前は、ぜってぇいい奴だな! 心の友だな!
「さき、斧のかたち、兵隊がもつ」
「へえ、小国家群では長柄戦斧なのか。あれは取り回しが難しいんだぜ、強度負けしたり刃先の角度がズレると、表面滑ったり。
リーシュの衛兵は槍と戟が多いかなあ、けど確か斧槍使いもいてさあ」
出たー武器マニア、という義兄妹の声なんざ、無視だ無視!
「クードににてる、ぼくは棒、こんぼう?」
長柄鎚を返してきたワーフェルドが、自分の得物を手にした。
今朝持ったけど、おれの長柄鎚より重さあったんだよなあ、あれ。
「とおくの敵、石をなげて、打つ」
「「んん?」」
はいワーフェルド、そこの二人が分かってない。
ええと、なんかねえかな。
「ちょっと待ってろ、ワーフェルド」
おれは食堂まで走って、木匙を一つ借り、丸パン一つ買って戻る。しまった、今日の稼ぎの五分の一が。
「こういうことだろ、受け止めろよ」
おれは立ったまま、左手の丸パンを軽く上に投げた。落ちてくるところで木匙を振るって、当てる。
ぽこん、と打たれ前に飛んだパンは、無事ワーフェルドがキャッチした。
「たべていいかクード?」
嬉しそうだなこの野郎、おやつじゃねえぞ。ってか、もう食ってるじゃねえか。
「そうか、それでその太さと重さか。小石打っても大丈夫そうだもんなあ」
「棒で、遠距離攻撃……?」
「えええ、石が飛んでくるのー……」
おれが納得してる横で、二人は頭を抱えている。
まあその、挫けるな。
弓には隠密性や狙撃精度で負けてるから、多分。
「くっそ、おれの長柄鎚じゃ無理だなそれ」
この柄の太さじゃ、空振りがオチだ。そう悔しがっていたら、ワーフェルドが棒を置く。
「ぼくかんがえた」
ちょいちょい、と指で招かれて、長柄鎚をまた渡す。
「金槌、あてるしたらとぶ」
「いや無理だろどうやって」
「石、なげない。おいて、ねらう」
そう言うとワーフェルドは立ち上がり、長柄鎚の頭を包む袋を軽く床に着け、適当なところを両手で掴み直す。
「床のここ、ないけど、石ある。ねらって、あてて、振りぬく」
ワーフェルドが両足を開いて、腰を後ろに捻った。
その勢いを借り、柄を握った両腕が後ろに大きく振り上げられる。
ワーフェルドが腰を戻すと、つられて腕も弧を描くように、上から振り下ろされ、存在しない石を振り抜く格好になり。
長柄鎚の頭は床上ギリギリを通過して振り上げられ──ないで、ぴた、と止まった。
「あぶないからここまで」
よくあんなねじれた体勢で静止できるな!
「……面白そうだな、当たれば結構、高くまで飛びそうだ」
おれは長柄鎚を受け取りながら、密かに興奮していた。
だって今のやつ、上手くやれば矢を使わず遠方の敵を狙えそうだ。石さえあれば相当使えるんじゃねえか?
「……盛り上がってるところ悪いが、ワーフェルドさん、クードも」
その声に、おれたちはカルゴへ向き直る。
「それ、森の中とか足場の悪い斜面だと、無理だと思う。素手で投げるか、投石器の方が狙いやすい」
「「あ」」
思わず間抜けな声が出た。
「……あのねーそれやさっきのってー、正面や近くに建物とか木とかあったら、石が跳ね返ったりしないー?」
「「──あああ」」
キリャの追撃に、オレたちは顔を見合わせて、肩を落とした。
「わすれてた。リーシュ、はたけじゃないとこ、木がいっぱい。まだそとだめ」
座り込んでしょんぼりしたワーフェルドに、おれたちは申し訳なくなる。だってこいつは、今までそれでやってこれたんだから。
「ううん、考え方はいいと思うのー。矢も節約できるしー」
「ワーフェルドさんがいた小国家群って、ここみたいな、山とか森とか少なかったのかな」
「あ、そうだ、石打ち以外はどうやってたんだよ」
三人がかりで話を向ければ、やっとワーフェルドが顔を上げた。
おい、顎にさっきのパン屑ついてるぞ。教えてやったら、指で探して大事そうに食った。
「クードとにてる。棒をふって、殴る」
予想以上にシンプルだった。
「武器をもつ敵、側頭部や手首。肘や肩」
とん、とワーフェルドは自分の耳の上や、左手首なんかを順に叩く。
「そうでない敵、足。関節、体のつぎめ」
次いで椅子を引いて、自分の両膝を。
「攻撃、逃走、つぶす。最初。とどめ、山刀か金槌」
想像を越えてえげつない。
合理的すぎて怖い。
戦闘系の単語だけ妙に流暢でビビる。
「大きいはもの、たいへん。鍛冶屋、とてもこうか」
こうか……あー、高価、ね。
なんか金がなくて弓の有料講習がどうとか言ってたな昨日。そうかあ、じゃあ剣とか槍もそうなのかな知らねえけど。
「といしは売ってた。かえた。これで山刀つかえる」
といし……ああ、砥石、な。
今朝、食堂でちらと見たが、あんま切れ味良くなさそうだったぞ。革砥買わせて、ついでにその砥石の質も確かめた方がいいな。
「──ワーフェルドさん」
カルゴが低い声で、制する。
「先ずは貴方の荷物、全部見せてください」
□ □ □
遠くで警鐘が鳴った。
全員、はっと顔を見合わせる。
だけど十も数えないうちに、ぴたと止んだ。
「いまの」
「どこかでホブ──モンスターが、町に入って、退治されました」
「退治」
「もう大丈夫よー」
「にしても速かったな、ホビュゲ何匹とかか?」
おれが笑いながら肩を竦めれば、皆もちょっと表情を緩める。
さ、続きだ続き。
ごついベルトが外されて、鞘に納められた山刀が外される。うっかり抜けないようにだろう、鞘と柄にはぐるりと回せる留め紐とボタンがついていた。
「金具じゃないんだ」
「音がでるあぶない」
ああ、抜く時に音がしないように──って、猟師と一緒か。
一方、鞘とベルトは、しっかりした金具留めだ。
「おれのはこうだ」
不公平にならないように、リーシュ流も見せておくべきだろう。
カルゴに目で合図されたので、おれはワーフェルドと同じように外装ベルトを外した。
小型ナイフ、鉈、鏝、と順にベルトと一体化した鞘から抜いて、刃や剣先をちらと見せる。それぞれ柄と鞘を留め金で繋げるかたちだ。
うん、確かに扱う時にカチカチと音がする。
「ちがう」
「だな。でもこういうのは、別に本人が使い慣れたやつでいいと思うぜ──だよな?」
カルゴが頷いたので、おれとワーフェルドはそれぞれ刃物をしまった。厳重に、留める。
「あ、金槌は蔓に通してるんですね」
「そうなってるんですねー」
「ぶらつかねえ?」
カルゴの指摘でワーフェルドのベルト、鞘の横に視線を移した。乾いた蔓を巻き付けて、隙間に金槌の柄を通す格好だ。
「えを二回、とおす。だいじょうぶ」
抜くのは楽そうだ。
見た目はあれだが、留め具を縫い付けるより手間はかからない。
「これ財布」
「あ、中身はいいです」
縫い目が見えてしまっている重そうな皮袋。現金を出そうとしたので、全員で止めた。
「リーシュのお金、重い。つかいやすいのたのむした、たくさんに、なった」
「……あとでさー、お金も一応確認しないー?」
「後で、な」
ぽそぽそ話す二人に、おれは腕を組んだ。
ううん、おれはそれなりに所持金があるが、ワーフェルドと比べたら甲斐性なし扱いされないだろうか。
「水袋、すこしもれる」
「……」
これはヤバい。なんつーか、見た目がヤバい。
「水を袋に入れるのか……なにでできてるんですか?」
「羊のいぶくろ」
「ええー……大丈夫なのそれ……?」
思わず叫びかけたキリャが、慌てて声を落とした。うん、おれもびっくりだ。
「リーシュ、ちがう? あ、羊いない」
「ひつじ? は知らないけど獣の胃袋よねー?」
「あ、糸屋で聞いたことあった! 染めが楽で、太くて柔らかくて──外国の動物の毛だって。ああ今朝、メシ食いながら言ってたのがそれか。肉が食えるのか」
「同盟国家群、≪中央国≫、羊たくさん。毛も皮も肉もないぞうも、つのもつかう」
すげえなひつじ。
見てみてえ。
あとセトラムってなんだ?
「──羊皮紙、アーガさんが言ってたな。毛は糸や織物、肉は食用、内臓と皮は加工できる素材なんですね。ひつじは」
ほら「魔法の家」の冊子とか、と続けたカルゴに、おれたちは顔を見合わせた。
そう言えば、あの紙は動物の皮と聞かされた、ような。ってことはあれ、食えるのか?
「秋前に『武装商会』が持ってくる太糸の毛か……役場で誰かがひつじって言っていた、気がする。だよな、クード」
「おう、高いから赤ん坊用のものを編むんだ。染めがきれいに出る」
するってーとあれだ、長毛ホブリフの小さいやつみたいなもんか。ひつじ。
「え、でもホブリフの内臓は……こういうのに使えない、よねー」
「うーん……」
食えるホブリフ肉は食ってる。角や骨や毛皮も加工している。ただ内臓がこんな風に使えるかどうかは、知らない。習っても、いない。
「みんな水袋ない?」
首を傾げるワーフェルドに、おれは自分の背負い袋、の肩紐から近いものを外して見せる。
初対面の時から視野に入っていたはずだが、用途が分からなかったんだろう。今日、水車小屋のところでおれたちが使っていたのを見てなかった、んだろうな。
なんか結構、周囲を見渡してたし。
「普通は水樽に入れて運ぶ。小分けにする時はこの水筒に入れて、背負い紐のここ、肩の前に装着するんだよ」
「すいとう? これ木? コップとおなじ?」
「どう説明すればいいのかな……幹の内側が空洞になっている、細い木があるんです。街や水車小屋周りには生えてないから、まだワーフェルドさんは見てない、んでしょうね」
席を立ったカルゴが、受付に向かった。なにやら係員と話して、鉄貨を払って、薄めの木板と木炭を買ってくる。
おお、思わぬ出費仲間だな。
「こういう、穂や花がつかない麦のような大きな草……ほとんど木ですが、がリーシュのあちこちに生えています。中が空っぽで、節で区切られてます。
えっと、節を二つ残すように……こことここを切ると、底と蓋がある長細い筒になります」
「そしたら蓋になる節に二つ穴を開けるのー。こんな風にー」
「ほれ、こことそこに栓があるだろ。これを抜いたら水が──しまった、さっき全部飲んじまった」
カルゴの図説を見聞きし、おれたちが空の水筒を触らせると、ワーフェルドは驚いている。
「だいじょうぶ? これ水入れる、もれない? 飲むはコップできた、いいのか」
「大丈夫です、竹、この大きい草の名前です、は水に強くて軽いので」
「毎晩空にして乾かすの大事よー。リーシュでは色んなものが竹でできてるのー、食堂のコップは知ってるでしょー、あと屋根とかー」
「パンのトングや洗濯挟み、井戸の手桶やかごもそうだよなあ」
「あれ、たけだった、すごい」
□ ■ □ ■ □ ■
話は予想以上に長くなった。今朝のアーガさんのパン講習を、もう茶化せない。
それくらいリーシュと、ワーフェルドがいた小国家群は違うことだらけだった。
係員に断りを入れてから、おれたちは朝買った繋ぎパンを分け合ってその席で食う。甘さや食感がまちまちで美味いな。日保ちは難しいだろうが。
食いながら、考える。
テーブルに広げたワーフェルドの持ち物に、パン屑を落とさないように気を付ける。
水筒と同じ大きさの、炭や砂が入った浄水筒。漏斗を順に見せる。
使い方は夕方、中庭でやって見せればいいだろう。
食いながら道具を説明するのは行儀が悪いと分かっているが、井戸や食堂に移動したり、一々片付けてまたこの場所の許可を取って荷を広げ直したりするのも、時間が無駄になると考えたのだ。
リーダーであるカルゴが。
とにかくワーフェルドは、思った以上に荷が少ない。必要最低限、にもほどがあるだろう。
石鹸の代わりの木灰袋、が出てきた時には言葉を失ってしまったくらいだ。
「いや合理的だよクード、石鹸は油と灰や石粉なんかでできてるだろ」
「そう言われりゃそうだが……手が荒れるぞ」
「たりないもの、ない」
「ううんー、ワーフェルドさんはー、足りないものいっぱいあるわー」
言いながらキリャは、カルゴから竹の絵を描いた木板をもらい、裏になにやら書き付けはじめた。
「水袋の代わりに水筒、浄水筒と漏斗でしょー。かなり生地が薄くなっちゃってるから、新しい着替えと足巻き布ー、藍染めの方が虫に刺されないしー。
櫛と爪やすりと、歯磨き用の黒斑房楊枝でしょー、ちゃんとした洗い布と拭き布と髭剃りでしょー。小鍋と匙とー、繋ぎパンや堅焼きを入れておく袋もいるかなー」
「パンのふくろ」
そこに食いつくのか。
「ワーフェルドさん、いっぱい食べるしー、保存食も買い足しておいた方がいいわよねー……で、新しい石鹸もー。それでー……」
鉄貨九十枚か銅貨十八枚、なんだけど。
控え目に告げられた結構な額に、ワーフェルドは動じなかった。
「きっとある」
だからってお前、気軽に財布ひっくり返すな!
広げた荷の間を転がる鉄貨と銅貨、必死に拾い集めていたら、受付から出てきた係員が手伝ってくれた。
すんません、あと結構美人だったんですね恋人いらっしゃいますか?
そう言ってたら、キリャに木板で叩かれた。
なんだよお礼と挨拶しただけじゃねえか。
□ □ □
「お金は大事に扱うのー!」
キリャに叱られたワーフェルドは、でかい体を縮めて謝った。どうにも鉄貨に馴染みがない、というのは分かっていたが、銅貨の価値も曖昧らしい。
玩具感覚というか、たくさんあるから扱いが軽い、というか。
まあこいつの手の大きさからしてみりゃ、鉄と銅の小粒だろうしなあ。どうしたもんだか。
「これ一枚で丸パンが一個買えるんだからー。なくなったらパン食べられないし、泊まれなくなるわよー」
「わかった」
……一瞬だった。
ころっと態度を変えたワーフェルドに、呆れるのを越えて感心してしまう。
「ワーフェルドさん、今キリャが言ったものを買いに行きましょう。店で買い物をしたら、感覚が掴めると思いますし、計算の練習にもなります」
「うん……おかねちがうし、いろもちがう。ぼくのどうか、もっと大きいでした」
リーダーは無事に、教育係も兼任してくれそうだ。うん、もうおれ、ツッコミ疲れたから頼む。フォローはするから、メインはお前で。
「えー、どんなのー?」
「あったのないです。そざいのはんぱとどうかで、ぎんかにしてくれたですたいちょー」
隊長、ああ、武装商会の隊長さんが、両替手伝ってくれたっぽいな。
どうせなら、もっとしっかりワーフェルドに教えてやって欲しかったぜ。
「あ、ちょっと待ってー」
と、木炭を自分の火口箱の引き出しにしまったキリャが挙手する。
「買い物前にワーフェルドさんの髪ちょっと切りたいー。前髪、目に入って危ないでしょー」
□ □ □
全員、荷物をまとめて背負い直すと、係員に一声かけてから中庭に出た。おれは朝干していた、ほとんど乾いていた拭き布をひっぺがし、座らせたワーフェルドの肩回りに掛けた。
後で洗って干し直せば、明日の朝には乾くだろう。
イルじーさんのよく当たる≪天気見方≫によると、今晩までは夜雨が降らないらしいし。
キリャは咄嗟の武器になりそうなでかい鋏を取り出すと、さっさとワーフェルドの蓬髪を整えはじめた。
うん、お前、いざという時はそれで敵を刺せ。
「揃えるくらいにするねー」
言いながら、バラバラの長さの前髪を切り落とし、何度も刃先の向きを変える。おれは切られた髪を受けるべく、キリャの邪魔にならないところから腕だけ伸ばして、布を持ち上げた。
「後ろはどうするー」
「まかせる」
「じゃあ二年後売れるようにちょっとだけねー」
「かみのけ、売る?」
「おう、長さと量があるほど高くなるぞ」
目元が露になると、ワーフェルドの不審者っぷりが薄れ、印象が変わった。
鋭利な野性味が、そっくり涼しげな目元のイケメンっぷりに置き換わった感じだ。
「──キリャ、お母さんみたい」
「あはは、ありがとー」
しゃきしゃきと小気味良い音が続き、キリャの手が黒髪まみれになる。うん、これは短すぎて鉄貨にしかならないな。
それでもおれの今日の稼ぎに匹敵するかも……。
髪を拾うように布を広げる位置を変えて、カルゴにさっき覚えた疑問を投げてみることにした。
「羊皮紙は食えないから試すなよ」
「やらねえよ」
ちょっと齧ってみようとか思ったことは、秘密だ。
「長毛ホブリフの肉は食えるけど、内臓は硬いしあまり食べられないだろう。皮みたいに加工するけど……水の容器にするのは、聞いたことがないな」
そうだよなあ、じゃあひつじの皮も食えないんだろうか。鶏皮は美味いから、頑張ったら食えるかと思ったんだが。
「気落ちは分かるけどさ……あと長毛ホブリフの内臓も皮も、どっちも羊皮紙にはできない。向いてないんだ」
「うん、そこは試験で出たな」
ホブリフの内臓は丈夫な紐になる。濡れると縮むから、藁や蔓のロープとは違う使い方ができる、んだったな。
皮は、鞣して外套や軽鎧になる。強固な腱は、膠の原料や弓弦にもなるのだ。
「できれば、羊皮紙を輸入せずに済むんだけど」
「今まで試してダメだったんだろ、無理なんだろうなあ」
「……」
またカルゴが考え込む。なんか思い付くかもしれないので、黙ることにした。