街中を走る日‐団長の娘 Ⅲ
□ ■ □ ■ □ ■
ケフィーナさんの酒場の前で、ウェドさんはぶっ倒れた。
弱い、どころじゃないわ、外国人ってこんなに脆いの?
「宿はどこ?」
二つ通りに宿は何軒もあるし、まだ復興作業をしてる人たちも多いし、訊いて回るのも面倒。
そう思って尋ねたら、返事の代わりにウェドさんの震える手が、木鍵を差し出してきた。鍵には宿の名前が彫られているから、助かった。
「じゃあ勝手に持ってくるわよ?」
荒い呼吸をしながら、ウェドさんが頷く。うーん、発芽大麦よりヒョロヒョロだわ、このおじさん。
宿の女将さんに挨拶をして、鍵を見せながら説明したら、部屋に案内してくれた。
一旦表に出て、酒場の前で蹲ってるウェドさんを指したから、怪しまれなかった。
「洗濯屋、分かりにくかったかねえ。説明が足りなかったかしら」
部屋に入ったら、床は生乾きの泥だらけだし、≪機工ランタン≫は終わってるし、窓は閉めきってて薄暗いし、なんか臭う。
「あらあら、こりゃひどいわ」
「ろくでなしですね」
靴を脱ぎ、泥を踏まないように上がる。暖炉の近くにあった洗濯かごには別の洗い物が放り込まれていたので、その上に椅子やテーブルに引っ掛けられてる衣類を突っ込んだ。
たくさんの刺繍に驚くけど、まだ冷たいし泥汚れが目立つし、こりゃひどいわ。
「ちょっと掃除して、窓も開けておくわ。ウェドさんに伝えておいてね」
「分かったわ」
「外套も買ってなかったみたいねえ、ついでにお店に連れていってあげてもらえる? 忙しいだろうけど」
終わったら合鍵で閉めておくから、と箒を取りに行く女将さんと一緒に薄暗い部屋を出た。
右手にパンかご、左手に宿の鍵を乗せた洗濯かごと巾着袋。
うーん、なんでこうなったんだろう。
「しょうがないです、通りすがりの赤の他人ですが」
「あらまあ」
「あのヒョロいろくでなしに、道案内くらいはしてやりますよ! 今日のパンを美味しく味わうためにも!」
「一日一善、ねえ。コディアちゃんは、立派ねえ」
おっと、初対面なのにあたしのことは知られているのか。
じゃない、今日のことを思うと、これは。
「……母のことも、ご存知ですか」
「うちの前だったからねえ。夫が飛び起きて、消火してくれたの。格好良かったわぁ」
女将さんは、あたしの背中を撫でてくれた。
そうか、じゃあ、この宿の近くだったんだ。部屋の窓、布戸越しに見える香ノ木の輪郭は、うちより大分小さめだ。
「──立派な母でした。母なら、あんな危なっかしい外国人、ほっとかないと思います」
「偉いわねえ、でもね」
時々は大人に甘えるのよ。
そう告げられて、モヤモヤがまた一つ、晴れる。
正面から見た女将さんは、母さんのような微笑み方をしていた。ちょっと下がった眉と細めた目。
□ □ □
宿を出たら、地べたに座り込んでいたウェドさんが、箒を持ったケフィーナさんから水を恵まれていた。周囲の人たちが、笑いを噛み殺している。
衛兵さんたちの中には、憧れの先輩に世話を焼かれるなんて、って睨んでる人もいる。
さっき見かけた、キリャねえちゃんのお義兄さんたちの姿はなかった。作業がかなり進んでるし、昼までの任務だったのかなあ。
「ほらウェドさん、片付けの邪魔だからとっとと立って! 洗濯屋行くわよ!」
□ □ □
ウェドさんは、歩けないくらい疲れていた。
「しょうがないわね、父さん、ちょっと出てくるわ」
コップと箒を店内に戻したケフィーナさんが、ようやく立ち上がったウェドさんを横向きに抱き上げる。
「──!」
おお、外国語だ。
やめてくだちゃい、って聞こえたけど気のせいよね。
「洗濯屋に運べばいいのね?」
「ありがとうございます、宿の女将さんに、服屋で外套を買わせろとも言われました。それから、魔法の家に向かいます」
「おろ……ちてくれぇ……ぇぇ」
「あら、女将さんとこのお客だったのね。軽いから余裕よ」
おっと、ケフィーナさんは歩幅が大きいから、あたしも全力出さないと。
「おおおおあああああ」
「洗濯屋から先は、あたしが背負います」
「いいわよ、店の片付けは終わってるから。今日は指定日でしょ? 間に合わなかったら団長に怒られちゃうわ」
「うわー、ありがとうございます!」
やっぱりケフィーナさん格好いい!
「お安い御用よ。小路じゃぶつかるから大回りするけど、勘弁ね」
「やめてぇぇぇぇわたち、おとなぁぁ!」
ケフィーナさんの腕の中で、真っ赤な顔を手で隠すウェドさんに、イラッとした。
か弱いおじさんの分際で、美女と美少女より可憐に恥じらうとか、正気か。
□ ■ □ ■ □ ■
ウェドさんは、洗濯屋前でケフィーナさんに降ろされ、ふらついていた。ムカついたから、預かったままの宿の鍵を懐にねじ込んでやったら、悲鳴を上げられた。
違います衛兵さんあたしじゃありません、あたしは悪くないです。
あたしが山盛りの洗濯かごを出すと、おばさんは今朝と同じようにして──もう今日の洗いは終わったし、下洗いと染み抜きがあるから、遅くて高くなるよ、と言った。まあそれは、覚悟してたから驚かない。
びっくりしたのは、へろへろと店に入ってきたウェドさんが、ピカピカの銀貨を出したことだ。
「なに考えてるんですか!」
「宿と、酒場は、これで払いまちた」
「勘弁してちょうだいよ、お釣りが足りないじゃないか」
笑い飛ばすおばさんに謝って、あたしが鉄貨と銅貨で立て替える。うう、今朝のうちの洗濯代より高い。量は少ないのに、と眉を寄せたけど、明るい店内で広げられた服を見て納得した。
袖なしの服や変なシャツ、ズボンにはどれも裾に色鮮やかな刺繍がすごくたくさんあって、宿の薄暗い部屋で見た時よりずっと、染みが目立つ。
刺繍は文字のような一綴りで、赤から橙に糸が色変わりして、また赤くなっている。朝焼け空か、ランタンやかまどで揺れる炎みたいで、きれいだ。
やっぱりこの人、お貴族さまとやらかもしれない。えーと、リーシュだと黒おじさんの──宰相とか、村長さんたちから選ばれる区長さんみたいな立場だっけ。しかも代々、お金持ちって聞いたなあ。
いや、だったら違うか。外套はぼろっちい革だから。
「さっきも見たが、それなに。ここのおかね?」
ウェドさんは混乱すると、喋り方が幼くなるのね。
全然可愛くない。
「嘘だあ、鉄貨も知らないの?」
「鉄!? 銅貨なら……」
財布から出されたのは、見たことのない金ぴかだった。
「なにこれ金じゃないの? 銅貨ってこれよ!」
あたしが自分の財布から銅貨を摘まんで見せると、ウェドさんが唖然とする。
「待て、これが銅貨だと? なんでこんなに赤土色なんだ? まるで兵装じゃないか!」
あ、言葉が戻ってる。
へーそーって……ああ、衛兵装具のこと?
なに言ってんだろう、一般衛兵の盾鎧は銀から薄緑へ色変わりする、ホビュゲ素材なのに。
「ぼったくってやりゃ良かったかねえ」
あたしたちを見ていた洗濯屋のおばさんが、げらげら笑う。
ケフィーナさんは無言で、ウェドさんが出した金ぴか銅貨を凝視していた。
「言いふらすよ」
「冗談だよ、コディアちゃんとケフィーナさんの前でできるもんか。
それにしても、一、二と……七枚かい。造りが違うねえ、ここのは昨日のホブリフの血かい? 血と泥を抜くから出来上がりに二日かかるよ」
その言葉に、はっとする。
そうだ、昨夜の現場も宿の目の前だった。ウェドさんはあの騒動に巻き込まれたから、服や外套がこんなに汚れているんじゃないかしら。
「……お怪我は」
「ない」
「でも」
「まったくない」
急にウェドさんの口が重くなった。
嫌な思いをしたんだろう。それ以上訊くのはやめた。
ケフィーナさんがなにかを言いかけて、口を閉ざす。あ、なんか知ってるんだな、とピンときたけど、あたしは黙ることにした。忙しいので。
「両替商にも行くべきね」
「いやもういい自分で」
「無理よ、コディアちゃんより足が遅いんでしょ」
「やめてぇくだちゃいぃ!」
その口調やめてよおっさん、なんか笑えるから。
洗濯屋を出た途端、またウェドさんを抱き上げたケフィーナさんが北へ走ろうとするので、あたしはその裾を引く。
「先に三つ通りで外套買いましょ、日が落ちたらまだ冷えるし」
「そうね」
踵を返したケフィーナさんと一緒に、南路に出てから三つ通りに入る。
速い速い。
母さんの倍くらい速くて、あたしはパンかごに巾着袋を突っ込んで、まとめて抱えてから必死に走る。
うーん、あたしは衛兵さんにはなれないなあ、と確信した。武器の扱いも得意じゃないし、圧倒的に体力が足りないわ。
パルトフィシャリスも無理かしらねえ、これは。
広場を通りすぎる。
ロバ小屋の戸を閉め、側にある祠の供え物を片付ける王様の後ろ姿が、目に入った。
子どもたちはもういなかった。
服屋の前で、ケフィーナさんはウェドさんを雑に降ろすと、さっさと外套を選び出した。二、三着を手にして振り返り、財布を求めている。
あたしが追い付いた時には、ウェドさんが銅貨の釣りを受け取って、外套を羽織らされていた。
「……鉄、よりこの銅、の方が高価、でちゅか」
「ちが、うの?」
お互いに息を整えながら尋ね合って、ウェドさんの国では鉄貨そのものが存在しない、と返される。
「じゃあ一つ通りに行くよ」
「もうい」
「あ、ウェドさん、パンかごお願いします」
「へ」
ケフィーナさんの腕の中、のウェドさんの手に、あたしはかごを押し付けた。こうなったら、甘えさせてもらおう。
うん、手ぶらならもうちょっと走れる!
「じゃ、飛ばすわよ」
「え」
なんということでしょう。
「のわああああああぁああぁ」
「待ってー!」
ケフィーナさんのさっきの走りは、全力じゃなかったのです。
嘘、速いー待ってー、いや、負けないぞー!
「おろちてぇぇぇ!」
北路へ疾走するケフィーナさんは、旋風どころか冬の木枯らし。庭や街路沿いの香ノ木を延々とざわつかせる、あの強風みたいだ。
うん、無理!
あたし絶対、衛兵さんになるのは無理!
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突き当たりの北路を東に曲がり、パルトフィシャリスの屯所を通りすぎ、役場と奥の入国管理棟を横目に見る。
今度は一の通りに突き当たるので、南に曲がって、第二衛兵団詰所の前を通過。今度こそ父さんに会うかと思ったけど、そうならなかった。鍛練所から聞こえてくる掛け声の中にも、父さんのものはない。
また雑に降ろされたウェドさんは、疲れきった顔をしていた。
解せぬ。
酒場の前から一歩も走ってないくせに、なんでぐったりしてるのよ。
「ソイン、客だよ開けな!」
ケフィーナさんが、両替商の鎧戸を拳で殴りながら大声を上げている。
あたしは荒い息を落ち着かせながら屈み込んで、地べたに座り込んでいるウェドさんの腕からパンかごを受け取ると、小声でお金のことを訊いた。
流れで、入国後の話も聞かされた。
「もう昼過ぎだよ!」
あの……ケフィーナさん、ちょっと怖い。
「宿で十日分前払い、はともかく、酒場で銀貨払い? ばかなの?」
「愚鈍とはなんだ、辺境でまともな酒と食事を頼むなら、相場は銅貨三枚くらいだろう」
「お金が違うのに? あの金ぴか銅貨、あたし見たことないわ」
「……正銀貨が使えるなら、銅貨も同じと思い込んでいた……」
でもまあ、これはしょうがないのかもしれない。
ウェドさんは気絶したまま、宿に放り込まれたそうで。自力で入国してちゃんと両替商に行っていたら、こんな勘違いはなかっただろう。
「酒場では、正銀貨で食えるものを、と頼んだだけだ」
「なにその上から目線! あたしなら割り増し料金でぼったくるわ!」
だが彼女は隣に座って、だの、私の話をずっと聞いて、だのケフィーナさんの後ろ姿をちらちら見上げつつ、小声で愚痴ってたから、その勘違いを正してやるべきだと思った。
「そんな偉そうな非常識男、ほっといたら他のお客と揉めるに決まってるからでしょ。ケフィーナさんは今はあそこの用心棒代わりだし」
そう告げると、ウェドさんはケフィーナさんから目を反らし、萎れてしまった。
言い過ぎた、かなあ。
「おうおう、今開けるから戸を壊すな」
ぎしぎしと鎧戸を軋ませながら、内からはげ頭に赤い頬髯、左目に眼帯をしたおじさんが顔を覗かせる。
そう言えばあたし、両替商に来るのもはじめてだったわ。父さんから預かる買い物代は、いつも銅貨と鉄貨だし。
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「リーシュじゃ銅貨と鉄貨が普通だ。今の交換は正銀貨一枚でこの銅貨が十、手間賃が銅貨一。
銅貨一枚で鉄貨が七、手間賃が鉄貨一だ」
昨日入国した物知らずです、とあたしがウェドさんを紹介すれば、ケフィーナさんはケロッとした顔で「うちと女将さんとこの上客だった」と付け足した。
ウェドさんが、呻きながら腰に提げていた財布の口を広げる。
厳ついソイン店主──左手の小指と薬指がなかった。大変そう──、は見た目より丁寧な説明をしてくれた。
ウェドさんが財布から出した数枚の銀貨を、ソイン店主は右手の太い指で一枚ずつ謎の箱に摘まんで入れていく。箱に付いてる石がその度にチカチカ光るから、あれは魔道具だろう。
ウェドさんが騒いでいないから、あれは外国にもある、と思う。
それから、ソイン店主はカウンターの後ろの鍵つきの鉄箱を開けて、小さなちり取りみたいな道具で中身をすくった。それは十個、銅貨の大きさに凹みがあって、軽く揺すると一回でぴったり十枚数えられるようになっていた。
カウンターの上の木の皿にちり取りもどきから銅貨が十枚注がれ、毎回一枚省かれる。それが銀貨の枚数分、繰り返された。
便利だけど、この店でしか使えないだろうなあ、あれ。
「……ん、銅一鉄五、じゃないの?」
思わず、あたしは口を出す。
三日前の野菜屋でもそれ以前でも、それこそ手習い所で習う、お金の交換数はそうだったはずだ。
「一昨日、武装商会が入ったろ、それでちぃと、動いたんだ」
「えー、お金って交換数が変わるの?」
「まあ基本は銅一鉄五、だがな。色々と国が大きな売り買いをしたら、ズレるんだ。直に戻るが」
「じゃあ銀一で鉄五十、じゃなく七十よね。銀貨を鉄貨に直に換えると、手数料はどうなるの?」
指を折るまでもなく、ソイン店主に尋ねると、面白そうな顔をされた。
「銅一鉄一を引くから、鉄貨八枚だな」
「じゃあ鉄貨六十二枚……手数料を引いても、銀貨が鉄貨十二枚分、値上がりしてるってこと?」
まあそうなんだが、と返されて、あたしは考える。お財布に銀貨はない。あったら、ぼろ儲けできるんじゃないかしら。
「嫌なことに気付いたな。まあ、ここしばらくは銅貨の価値だけが上がった、と思って欲しいんだが。
なんか黒い兄さんが武装商会と一緒に来て、ありったけの銅貨を希望してったんで、うちの在庫が足りねえんだよ」
その言葉で、あたしの脳裏を過ったのは、キリャねえちゃんのお義兄さんと一緒にいた、大きな人だ。
あの人かなあ。装具が違ってたし。
見た目よりずっとお金持ちだったのか、そうか、ウェドさんより上なのか。
……どうにかして知り合ったら、一回くらい奢ってもらえないかしら。
「えー、じゃあウェドさん得できるー」
うっかり腹黒くなった想像を払い飛ばして、あたしは普通に会話を続ける。
「……ああ、そうか。正銀貨をこの国の銅貨でなく、鉄貨にすれば」
「まあ、黒様がすぐ均すだろうが」
ちっ、嫌な顔を思い出させないでよ、って、あれ、ってことは。
「──ちょっと待ってよ、じゃあ、あたしの手持ちの銅貨も、今すぐ全部鉄貨に換えて!」
なんて幸運なの! まさか交換するだけで手持ちのお金が増えるなんて!
両替商は額面が減るところって聞いてたのに!
なんてついてるの今日は! やったわこれでお財布が潤ったわ!
「……嬢ちゃん、今日はパンの指定日か? そりゃまた二重に運がいい」
「ホーッホッホッホ、日頃の行いがいいからよ!」
高笑いをしながら、あたしは自分の財布から銅貨を出してカウンターに並べる。十八枚。
ソイン店主は苦笑いをしながら、今度は鉄貨がぎっしり詰まった箱を開けた。
普段は十八×五で鉄貨九○枚、手数料を引かれると七十二枚になるから、額面がガッツリ減るはずなのに。
今日は十八×七で鉄貨百二十六枚、手数料十八枚を引いても百八枚。
ひゃっほう!
なにもしてないのに、減るどころか鉄貨十八枚分、増えたわ!
お財布がぎっしりパンパンだわ!
縫い目がギリギリだわ!
あたしの拳二つくらいに膨れたわー!
「じゃあ、私も……」
ウェドさんは銀貨と換えた銅貨、の六枚だけを、鉄貨に換えた。全部換えればいいのに、と言ったら。
「財布が限界だ……」
ああ、うん、口紐が足りなくなってる。小さいのね。
「空財布は一つ、銅貨二枚で売ってるが?」
ソイン店主がニヤニヤしているけど、ウェドさんは首を振る。
「いや、必要になったら都度換えに来ます。多すぎると把握できなくなる」
変なの。ああ、でもウェドさんはへなちょこだから、全部鉄貨に換えたら重さで歩けなくなる、のかも。
「ところで……こっちの銅貨は替えられないの?」
あたしたちの両替を黙って見ていたケフィーナさんが、ウェドさんが出していた金ぴか銅貨を指差した。
出した銀貨は、銅貨と鉄貨に交換されたけど、それらは手付かずでカウンターの上に残っている。
「おう、そいつは向こうの──『貧者の金』だ、小国家群は銅貨の規格が国ごとでばらばらだろう。うちじゃ貨幣としては取り扱えねえ」
「はあ? なんだその呼び方は」
「貧者の金ってなに?」
なんだか腹を立てているウェドさんを横目に、ソイン店主に尋ねる。
「小国家群の銅のことだ。国ごとに色合いが違うが、大体こういう金ぴかになる」
「金じゃないの?」
「ほっとくとくすむし、硬さも違う。大昔は詐欺や偽金貨に使われたりしたせいで、そういう呼ばれ方なんだ。
つぶせば鍛冶屋が買い取るが、うちじゃ地金の相場が分からんから替えられねえ。需要によるからなあ」
うーん、こんなにきれいなら、そのまま装飾品になりそうなのに。
「リーシュの銅貨は青銅だ。橙銅と錫を混ぜて、赤っぽい硬いモンになる」
「……我が国では、青銅は下級兵の装備に使われていた、と思います。これとは少し色合いが違うようですが」
え、リーシュの銅貨が外国では鎧や槍になるの?
首を傾げていたら、ソイン店主が子どもみたいにウキウキしはじめた。
「あっちは銅より鉄の方が、基本的に高価だからなあ」
「そうです! 鉄製装備は騎士階級以上でないと」
「ところがうちじゃあ、鉄の方が安いんだ。なあコディア」
急にこっちに振られて、よく分からないまま返事をする。キシカイキュウってなんだろう。お貴族様の仲間かな。
あれ、なんでソイン店主もあたしの名前知ってるの?
「うちのあのお鍋も鉄だったけど、ウェドさんのいたところは違うの?」
「……違う。ああ、そうだ、スゥェールが、そうか、あれは確かに色が……馬鹿な、鉄は銅より温度が」
あたしとスーさんの言い争いをズバッと断じたウェドさんが、困惑している。変なの、この人、頭がいいのか悪いのか分かんない。
とうとうソイン店主が、噴き出した。
「なあ、これだから面白ぇんだ。一昨日の兄さんも鉄貨にびっくりしてたぜ。あんた同行してたんじゃねえのかよ」
あれ、そっか。ウェドさんは武装商会と一緒に入国して来たんだっけ。
で、あの謎の人もそう、なのかな。んー、でもソイン店主が兄さんって言ってるの、別の人かも知れないけど。
「知らん──わたしはラバに酔って、周囲を見る余裕がなかった」
「えー、ラバに乗ったんだ! いいなあ!」
ロバより大きくて似ているラバは、武装商会が入国した時、たまに街中で見ることができるけど、リーシュにはいないから稀な存在だ。
大人も騎乗できるので、「冬の祭日」で童心に返ったおっさんたちに取り囲まれてたのを見たこともある。あれはちょっと、可哀想だった。ラバが。
「酔うぞ。あと尻が痛くて死ぬかと思った。なんか盾を背負わされて重かった」
……うん、ウェドさんは弱いんだな。色々と全体的に。
盾はなんだろう、ホブリドに背中を見せるなっていう、あれかな──盾かあたしを背負ってたら、母さん生きてたかなあ。
ちょっと考えていたら、ケフィーナさんが小さく笑っていた。その目は、外国の銅貨を見たままだ。
ケフィーナさんでも、見たことなかったのかな。
「……これ、きれいだね」
「そうね」
「ウェドさん、鍛冶屋町に持っていく? ちょっと遠いけど」
きらきらから目線を外し、ウェドさんを見上げる。
「──いや、君たちにあげるよ」
「いいの?」
「いいのかい!?」
おっと、ケフィーナさんの勢いがすごい。
「その……案内の礼には安いだろうが、地金で買い叩かれるより、君たちの方が、大切に」
「するよ! わあ、どうしよう! 父さんに見せなきゃ!」
「小さい穴をあけて、こう、紐を通したら首飾りにならないかしらね」
「あ、それ素敵! スーさんに頼もうよ! 磨いたらもっとぴかぴかになるかもだし、訊かなくちゃ!」
きゃー、首飾りだって! 大人だー!
盛り上がっていたら、急にケフィーナさんがあたしの頭を撫でてくれた。
「……良かったね」