街中を走る日‐団長の娘 Ⅱ
□ □ □
元気なパルトたちを眺めていたら、なんとなく気が晴れた。
ので、走って家に帰ることにする。
小路を駆けて、通りへの出口で止まって、左右を確認してパン屋の匂いを突っ切って。
別の小路に入って、色んなお店が並ぶ四つ通りを渡って。
見慣れた五つ通り、共同井戸の近くに出たら、近所のおばさんに声をかけられる。
「すみません、今日は鋳掛屋と指定日なんです!」
なんだか引き留めようとしてくる気配を振り切って、家へ駆け込んだ。靴を脱いで台所に向かい、流しに置きっぱなしにしていた穴あき大鍋を手にする。
ぶん、と、一回振ると滴は飛んだ。
ついでに野菜かごと氷冷棚の中も見て、今晩の献立も決めた。
薫製肉の塊の残りを炙って、干し野菜と塩漬けキャベツと潰し豆の麦酒煮込みを作ればいい。焼き立ての黒パンに合うはずだ。
氷が小さくなっている。そろそろ買い足さないと、だ。
明日は朝から野菜屋に行こう。間引き菜が出回るには早いけど、そろそろ干し野菜の値引きがはじまるはずだ。
それから魚屋で干物を買って、肉屋は──まあいいわ。ぶら下げてる腸詰めの燻製干しは、まだ長さがあるし。昨夜のホブリフが肉になるのも、何日か後だろうから。
氷屋はその後だ。昼は洗濯屋に今朝の分を引き取りに行って、庭の香ノ木の枝葉拾いをして、ピーちゃんたちの小屋掃除もしようかな。
大鍋と財布を持って家を出る。ちょっと重い。けど水樽よりずっと軽いし平気!
お尻で扉を閉めて、四つ通りへ駆けた。
□ ■ □ ■ □ ■
腕が痛くなる前に、金物屋の前を通過できた。
朝は閉まっていた鋳掛屋、戸枠の上に看板が掛かっていて、溝蓋の上には水が入った盥がある。中からは規則的な金属音が聞こえていた。
「すみませーん、お鍋直してくだ」
「なんだそれは!」
いきなり、誰かの怒鳴り声がした。落としかけた大鍋の二つ柄を掴む両手に、力をこめる。
「見ての通りだ、あんたも火魔法使いなら分か」
「らんわ! なにもかもが!」
鋳掛屋の中で、男の人たちが怒鳴りながら言い争っているみたいだ。どうしよう、と思うけど、別の男の人の笑い声もする。深刻な喧嘩、とかじゃない、のかな。
って、この大鍋を直してもらわないと、今晩の煮込みが困っちゃう。ええい、女は度胸よ、今は愛嬌じゃないわ。
「お鍋直してくださいな!」
「説明しろ! この国の魔法は、いったい全体なにがどうなっているんだ! 何故、短杖無しで」
ちょっとお。
折角、声を張ったのに邪魔しないでよ、おっさん!
苛立ちながら、あたしは半開きの引き戸に鍋を持つ指を掛けて、体を入れる。土間には炭と屑鉄がそれぞれ積まれた箱があって、かまどみたいなものに火が入っていて、春先なのにちょっと暑い。
店の奥半分は地区名が記された棚が並んでいて、農具がまばらに並んでいた。
入ってすぐのところに小さな作業台があって、白い頬髯のおじいちゃんが笑いながら包丁を研いでいる。
「……あの」
入って左側の窓の下。
手すりがある椅子に座った男の人が、大きな平鍋に右手をかざしている。杖が立て掛けてある作業台は、おじいちゃんのそれとは高さも違うっぽい。
その隣に立っているひょろっとした男の人が、なにかぶつぶつ言っていた。
だぶだぶの変な服。髪も半端に長くて、括ってないからだらしない。
顔の下半分がつるんとしてて、若く見える。切り傷が見えるから、髭剃りが下手っぴっぽい。
「……お鍋……」
「おお……急ぎかね?」
困惑していたら、白髯おじいちゃんが顔を上げた。あたしの大鍋をちら、と見て、驚いた顔をする。え、お客にびっくりするの?
「晩ごはんの、煮込みが、底に穴が」
「ああ、そうか見してみ──ああ、これならすぐ塞がりよるわ。おいスー、こっち先に頼むまあ」
あたしの鍋を受け取った白髯おじいちゃんにそう言われ、椅子に座っていた男の人が、こっちを向いて。
ものすごく驚いた、顔をした。
「……え、あ、そんな」
あたしそんなに変なお客かな、と首を傾げてみたら、スーさんとやらは泣きそうな顔になる。
隣の変なおじさんのことは、完全に無視だ。いいのかなあ。
「……大きくなって、あ、いや、そうじゃない」
「ん? 知り合いか?」
変なおじさんも、こっちを見る。知らない。あたしはこの人たち、どっちも知らない。
ぶんぶんと首を振ると、三者三様のため息が返った。なんなのよ、もう。
「……まあ、頃合いじゃろスー。コディアちゃんももう、大人じゃ。ええ機会じゃし、逃げんと」
「え」
なんで、あたしの名前。
「ですが師匠、ぼくは」
「え」
「おい待て誰だ、いや私は」
「はい?」
わけが分からずおろおろしていたら、変なおじさんも挙動不審になる。ちょっと、真似しないでよ。
「……まあ、ゆっくりせられえ。そっちのあんたも、そこの椅子出しより」
「すみません、あたし今日は指定日なんで、ゆっくりできません」
「そうか、じゃあスー、手短になあ」
白髯おじいちゃんが立ち上がって、屑鉄のかけらを摘まみ、あたしの大鍋と一緒にスーさんの作業台に移動させた。代わりにスーさんが整えていた、底がほのかに赤い平鍋を持ってくる。
研ぎ石と包丁を端に寄せ、おじいちゃんは作業台の横に提げてあった金槌を手にして、平鍋の底を打った。カンカンカン、と大きな音がする。
白髯おじいちゃんは平鍋を持って、振りながら店の外へ行った。お届けかな。戸が閉まって、じゅう、という音が小さく聞こえた。
変なおじさんは壁際にあった椅子を二脚、スーさんの両脇に置いて、左側に座るとあたしに手招きをした。
□ □ □
「済まなかった。きみのお母さんを、セルナさんを殺めたのは、ぼくです」
「──」
作業台に向いて座ったまま、頭を下げたスーさんの言葉に、あたしは絶句した。
あたしと対面しているおじさんも、ぎょっとした顔になっている。
夢を、思い出す。
うるさく喚くホブリドに襲われていた、お兄さんやお姉さん。
≪伝令≫を唱えながら、こちらへ駆けてくる衛兵さん。
頭が痛くなって、突っ立ってただけの、あたし。
母さんは火魔法でホブリドの注意を引こうとしてできず、倒れてるお姉さんの武器を拾おうとして。
ホブリドが、あたしを見て。
「パルトを辞め、埋葬場勤めをしていました。鍛冶屋町に隠るには、足が」
その言葉に目線を下げる。スーさんの右足は膝から先が、なかった。空の裾が、椅子から生えてる支え木に押し当てられて、揺れている。
「……パルト……? 埋葬?」
「火葬役です」
「はあ!?」
変なおじさんの問いに、スーさんはそう返した。
「……し、死体を……燃やす……」
「土葬では、荒らされるので」
「禁忌より尊厳を重視するのか……」
真っ青になっているおじさんの様子で、あたしは逆に落ち着けた。この人、なんか変だと思ったけど、リーシュの人じゃない、んだ。
誰だろう、なんでここにいるんだろう。
「……おじさん、の国では違うの?」
声が出た。ちょっと震えたけど。
「ホビュゲやホブリフがいないの? 屍はそのままでも、集られてひどいことにならないの?」
「そんな話は聞いたことがない」
「変なの」
「──そっちこそ。あと私はおじさんじゃない、ウェドだ」
変なおじさんは突然、財布を突き付けてきた。なによお小遣いくれるの、と思ったら、見せたかったのは括り付けてある香ノ木の入国証、らしい。
共立魔法院属、火魔法使い。友好派遣交流員、と読めた。なんかすごい。
「……その後、火魔法の、高温調整と極小範囲制御の腕を買われて、ここに就きました。きみの生活半径に入る、と迷いましたが、第二団長の取り成しで」
「待って」
俯いたまま横顔で、話を続ける彼に苛立ち、あたしは立ち上がってスーさんを椅子ごと斜めに動かし、こっちに向かせた。
第二団長──父さんはこの人のこと、前から知ってたんだ。
ちょっと胸がチクッとしたけど、それよりなにより。
「あたしの母さんを死なせたのは、あたしとホブリドよ。あなたじゃないわ」
□ □ □
あたしはあの日、母さんに突き飛ばされた。
母さんを背後から貫いた鉤爪。
母さんの目から消えた光。
ホブリドと、近場の香ノ木を燃やしたものすごい炎は──火魔法は、向こうの血溜まりの中から。
倒れ伏していたお兄さんが、叫びながら右手を掲げて。
ホブリドの鳴き声がうるさくて。
スーさんが顔を上げた。
その造りに、覚えはない。声も、知らない。
でも。
「勘違いしないで」
あたしは手を伸ばして、スーさんの右手に触れた。固く握り締められた拳に、見覚えはない。
でも。
「母さんはあたしを庇って、死んだの。母さんを死なせたのはホブリドと、あたしよ」
「違う!」
「違わないわ!」
つられて叫べば、涙が落ちた。
あれ、なんで。
「どうして父さんも伯父さんも誰も、あたしを責めないの! お前のせいだ、って、どうして誰もあたしを疎まないの!」
「きみのせいじゃない!」
「あたしのせいなの! なんでそれをスーさんが取るの! なんでスーさんのせいになるのよ!」
「ぼくはセルナさんを」
「火葬が早まっただけじゃない! なんであなたが全部背負うの! やめてよ! 逃げ隠れできなかったあたしが悪いって、あたしのせいだって言ってよ!」
あたしは良い子じゃない。
母さんを死なせた、悪い子だ。
なのに誰もそう言わない。可哀想な子だ、って、誰も、誰も!
「──待て、ちょっといいか」
泣きながら息を切らしていたら、スーさんの斜め後ろから声がする。
「君たち、二人ともおかしいぞ。そっちの、ええと、コディアとか言ったな。君の母を殺めたのは、ホブリド、とやらだな」
「違う、ぼくが」
「順番だ黙ってろ」
難しい顔をしたウェドさんが、吐き捨てる。
「どうなんだ、君はその、ホブリドに襲われた理由があるのか。そいつに石を投げたとか」
「は?」
わけが分からないことを言われて、涙が引っ込む。
「ええと、昨夜のあれがホブリフ、で、ホブリドとやらはあれか、仲間か」
「はあ?」
スーさんも、変な声を漏らす。
「モンスター、でいいのか」
「「もんすたー?」」
「人や家畜を襲う化け物のことだ」
「かちく」
繰り返すと、スーさんが瞬きをする。ウェドさんの方を向こうとしたので、あたしはまた椅子ごとスーさんの向きを変えた。作業台に右肘を着けるように。
あたしは立って、聞きやすい方へ移動する。
「ありがとう──確かこの国の鶏の呼び名じゃなかったか。じゃない、いや、そうだけど、父は確か羊や馬を」
「君は小さいのに力持ちだな。ええと、森で遭遇した蟲型モンスターが、確か」
「ひつじ? うま? 森? 蟲? ホビュゲのこと?」
「毛の長い牛のモンスターがホブリフ、でホブリドというのが」
「うし?」
話が逸れてる、と思っているのはあたしだけだろうか。
けどあれこれ話し合って、新しいことが幾つも知れた。母さんのことも、ついでに喋った。
スーさんは炭の欠片で、作業天板にあたしが見たことない動物の絵を描いてくれた。なにこれ、かわいい。
ウェドさんは、パルトフィシャリスも知らなかった。
あたしとスーさんが交互に説明して、ようやく「エフのことか」と納得されたけど、いやエフってなに?
「うしやひつじやうま、かあ。すごいねえ、力が強くておとなしくて便利で、毛皮が使えて食べられるんだ」
素敵だ。リーシュにも欲しい。
きっとお肉が安くなる。
あと、スーさんの絵。あれが動くと、絶対かわいいと思う。
「うしは初耳だな。草で育つなら、ひつじやロバや──『武装商会』のラバの仲間か。ん? じゃあ、あいつらも食えるのか?」
父からの伝聞で本物は知らないけど、と見たことのないかわいい動物絵を描いてくれたスーさんは、そう呟いて首を振る。
ああそうか、あんなかわいい子たちは食べちゃダメだ。
でも食べられるのか……うーん、明日から広場のロバを見る目が変わりそう。困ったなあ。
「四本足の獣型がホブリフ、猛禽型の全般がホブリド、蟲型がホビュゲ、よし覚えた──で」
独りで頷いていたウェドさんが、あたしたちに椅子ごと向き直る。
「コディアはホブリドに手を出していない、君の母親は君を庇って即死した、だな」
「うん」
あの時、母さんはホブリドの一撃で息絶えた。それは間違いない。
「だったらスーは、コディアの母親を殺していない。死体は、死なない。そうだな」
「……ええ、まあ」
「君たちは、二人とも間違っている。コディアの母親を殺したのはホブリドだ。そのホブリドはどうなった?」
「……燃えた」
「死んだんだな」
「ぼくが、火勢と範囲制御に失敗して、セルナさんごと」
「だったらお前は、コディアの母親の仇を討ったことになる。コディアから逃げ隠れて悔やむ理由がない」
「あ!」
ウェドさんに整理されて、モヤモヤが一つ晴れる。そうだ、スーさんは。
「ありがとうございます!」
「いやいやいや、ぼくはあの時、ホブリドだけじゃなくセルナさんや、あの宿屋の香ノ木も燃やしてしまって」
「その火事で誰かが死んだのか?」
「いや……そんな話は」
「ないわ! あの時は母さんだけで──パルトの怪我人が……あ」
思わず口を挟んで、気付く。そうだ、向こうに倒れていた人たちは。
「……ぼくと仲間は負傷したが、それだけだ。ぼく以外は完治して、パルトを続けている」
良かった、大火事にはならなかったし、間に合ったんだ。衛兵さんや近所の人や、王様、ありがとう。
ああ、でもスーさんの足は。
「なら尚更だ。リーシュでは、復興は国が担うと聞いた。お前の過失を恨む遺族や民もいない、んだろう?
コディアの母親の仇を討った。悪しきホブリドを退治した。
それで片足を失ったお前を、誰が罪に問えるんだ?
それとも墓勤め? とやらは、この国の刑罰だったのか?」
「……」
ウェドさんの勝ちだ。
いや、なんの?
「で、コディアもだ」
あたし?
「君はたまたま、ホブリドに襲われていたスーたちに出くわした。
結果、狙われた。
わざわざ襲われるために向かったわけではない、過失も落ち度もない。君が自分を責めるのは筋違いだ。
それで周囲が『何故、自分を罵らないんだ』と言われても、意味が不明だ」
「あう……」
は、反論できない。
「むしろ誇れ、君を命懸けで救おうとした、立派な母親の娘だと胸を張れ。
それが出来ずに自分が悪い自分のせいだ、と言い続ける娘なら、母親が命を張った甲斐がない!」
「……」
「結論、二人とも馬鹿だ!」
ウェドさんの勝利宣言じみた断言に、あたしとスーさんは項垂れた。
なんか悔しい。
剃刀傷だらけの変な外国人のくせにー。
「で、だ。私はリーシュの魔法のことを……その、侮っていて……」
と。
急にウェドさんが、肩を落としてあたしたちを見てくる。
「……スー、お前のさっきの、魔法のことを……教えてくれないか?」
□ □ □
スーさんは、低い声できれいな呪文を唱え、あっという間にうちの大鍋を直してくれた。
横で「新分類名だ」とか「最小範囲だ」とかうるさいウェドさんは、放っておく。
真っ赤に灼けて柔らかくなった屑鉄が、穴を塞ぐ。スーさんの声と手の動きに合わせて、赤い鉄が薄く延び、鍋底と一体化した。
スーさんの手には、火傷痕が幾つもあった。爪も、変形している。
父さんとは違う造りの、働く大人の男の人の、手だ。
その指の色を間近に見ても、怖くなかった。あたしと母さんの「そんげん」と、街を守ろうとしてくれた、立派な手だと思った。
さっきの白髯おじいちゃんみたいに、鍋底を金槌で叩いて均して、呪文で熱を奪って、鉄が赤さを失っていく。はいはい、ウェドさんうるさいでーす。
それからスーさんは、お鍋全体の焦げを落として歪みも均し、蜜蝋磨きまでしてくれた。すごい、新品みたいにピカピカだ。
「お幾らですか」
「銅、いや鉄貨十二枚」
代価を渡すと、ウェドさんが変な顔をしていた。
でもスーさんの表情に、吹っ掛けてやろうという嫌な笑いはなかったから、あたしは言われた通りの額を払う。
「……また来ていい?」
「うん、なんでも直すよ」
はじめて正面から見たスーさんの笑顔に、あたしの顔が熱くなった。
うえ、なにこれ。
「ウェドさんも、ぼくが手隙の頃合いなら、いつでも」
頭を下げたスーさんに、ウェドさんはそっぽを向く。
「ウェド、でいい。から、お前の名前を教えろ」
スーさんって言ってるじゃない。
「略称じゃない、お前の本名は」
「……ぼくの父親は、≪丘の国≫の生まれでね、発音しにくいんだ」
あ、緑色のお豆の名前。
スーさんはあのお豆の国に所縁がある人なんだ。覚えておこう。
スーさんの本名は、スゥェール。
あたしが何度繰り返しても「スエール」や「セール」「シュエール」にしかならなくて、がっかりした。
ウェドさんは一発で、正しい発音ができたらしく、スーさんは嬉しそうだった。
おのれ、なんか無茶苦茶、悔しい。
□ ■ □ ■ □ ■
大鍋を持って店を出て、帰ろうとしたら、何故か追ってきたウェドさんに腕を掴まれた。
「ちょ」
「……コディアも、魔法が使えるのか」
意味が分からない。
「下手っぴだし一個だけ。火魔法」
「私も火魔法だ──ワンド無しでは、役立たずだが」
ワンドってなんだろう。
「あの、あたし帰るんですけど」
「……鍋、運んでやろう」
「え、いやいいです」
頭は良さそうだけど、どう見ても変な外国人に、自宅までついて来られても嫌だ。
衛兵さん呼ぶわよ。
「代わりに頼み事がある。洗濯屋が分からない」
「はあ?」
「……魔法の家にも、もう一度顔を出したいが、その……」
んー? なによこれ、道案内に同行して欲しいってこと?
「今日はあたし、『パンの指定日』で忙しいの」
「まだ昼過ぎじゃないか」
わざとらしく強調して言えば、聞き返されず流された。
あ、ウェドさんの国も、指定日にパン買うんだ。そこは一緒なのね。
「しょうがないなあ、じゃあ、あたしも教えてもらえる? スーさんの名前、どう発音する……の……」
足を早めながらそう言ってみたけど、返事がない。振り返ると、後方で大鍋を道に落としそうになってる、へなちょこ姿が目に入った。
「ちょ、なにやってんのよ! あたしのお鍋!」
「……重……」
「腕力なさすぎじゃない?」
土を付けられたら嫌なので、大鍋の片柄を奪った。うん、半分なら軽いわ!
「……ちょ、待」
しょうがないわねえ、と言いながら走る。もう片柄を掴んだまま、へっぴり腰のウェドさんがついてくる。やだなあ、このおじさんものすごく弱いわ。
「ほら、スーさんの名前!」
「スゥェール!」
「スエール!」
「小さいウを入れろ!」
「スヴェール!」
「濁るな! あ、と、もうちょっとゆっくり」
「うるさいわね急いでるのよ!」
仕方がないから、ちょっとだけ速度を落としてみた。
□ □ □
うちに着いたので、大鍋を台所に置いて、パンかごと巾着袋を持って出る。ウェドさんは外で屈み込んで、息を切らしていた。
「で、洗濯屋にどんな用事? 水魔法使いなら、職人町だけじゃなくて、昨年末から水車小屋の方に集まってるって話を副長さんから聞いてるけど」
「……き、のう、私の、服が、よご、れれ……」
「なんだ、洗濯物があるの?」
「や、どで、あら、って、おちな、く」
「うーん、もう昼過ぎてるから、できあがりは明後日になるわよ?」
「そ、れで、い」
「じゃあ取りに行かなくちゃ、ほら立って!」
「へ?」
腕を引っ張って立たせると、あたしは二つ通りへ小路を縫って走る。後ろでなんか、悲鳴と鈍い音がしてるけど、急がなきゃ。洗濯屋の閉店は、夕方前なのだ。