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入国に至る道‐商会隊長




 開けた空が、下り坂を進むにつれ、(そび)える岩肌の向こうに遠のいていく。

 山風が吹き抜ける谷合の木橋を渡れば、ひんやりと乾いた喉奥が、湿度を覚え楽になる、気がする。


 「赤の山々」に入山してから二日、煙る香に()らされた鼻が、ゆっくりとかつての嗅覚を取り戻し──己や、連れたラバが放つ濃い体臭と護身香の混じりに、目を見張る。

 いつものことだ。

 そしてすぐに馴れて、感じなくなる。


 毎回のこの、僅かな転変に対する気付きが、真に入国を果たした合図だ、と思う。

 二つの山並(やまなみ)が接する狭隘(きょうあい)なここは、いつも風が強く、なんの生物の姿もない。




 山頂で震えながら二夜目を明かし、第五関所を通過したのは今日の昼。

 石と岩だらけだった「赤の山道」の下りも終わりに差し掛かると、安堵が強くなる。

 眼下にしか見えなかった緑が、ほんの少しでも道の側に生えているようになると、特に。

 木の靴底越しに、道の硬さが和らいだように思う。だが融雪(ゆうせつ)で生まれる泥濘(ぬかるみ)は、後が面倒なので極力避けたい。


 山道の端に点在していた石柱香炉が、この谷合にはない。そこから常に漂っていた香煙も。

 危険地帯にも思える無防備さだが、風が吹き下ろしてくる北側には──ここからは見えないだけで何某(なにがし)かの防護設備がある、と以前聞いたことがある。己の目で確かめたことはないが。




 歩みを進め、名も知らぬ灌木(かんぼく)の新芽を目が拾うようになった頃、また石柱香炉が出現し、最後の宿営地も見えてきた。

 日が傾きかけた中、張られた布屋根(タープ)と、炊煙が上がる石積の(かまど)が、耳に届く北からの微かな水音が、なによりもありがたい。

 「東の砦町」から同伴してくれる「専門家」は、存在そのものがありがたいのだが。配給上限を気にせず、安全な水を得られる安堵は、また違うのだ。

 乾いた喉が、足取りを()かす。


「もう少しだ、好きなだけ水が飲めるぞ」


 横を歩くラバにそう声をかけると、後続の隊員の控えめな歓声が返ってきた。

 歩みにより気を配る下り道になってからは、あまり聞くことのなかった(うわ)ついたものだった。




 ゆっくりと繰り返される南からの鐘の音は、日没を告げるものだろう。他国の時告げのそれと大差ないもののように、聞こえる。

 山中で耳にした時より距離は縮まっているはずなのに、その響きはいまだ遠く感じられた。



 □ □ □ 



 到着した宿営地──北にある「白の山脈」を越える「白の山道」との合流地点は、すべらかな巨石が目立つ渓流脇にある。

 元は浮石だらけの傾斜地だったそうだが、人の手が入り、土を運ばれ(ひら)かれ。

 離れたところに防護設備の一つである≪香ノ木≫を植えられ、石柱香炉も(すみ)にあるここは、最後の夜を過ごすには申し分ない。

 赤の山々では出くわさなかった、春先の羽虫が行く先に小さく群れていたが、我々が近付くと散り散りになった。

 護身香、様々(サマサマ)だ。




「お疲れ様です、二十四名で変わりはないでしょうか」


 設営をしていた、着膨(きぶく)れている青年たちが角灯(ランタン)を持ち上げ。

 その光が、こちらに向かって歩く、まだ若さの残る衛兵の目映(まばゆ)い鎧装を照らし出した。


 東部(なま)りとも異なる、古風な言葉遣い。もう自分の耳は勝手に訳してくれるので問題はないが、後ろにいた新人が姿勢を改めた気配がある。

 そうだな、慣れないうちは大神官に対峙(たいじ)し説法を受けるように思うかもな。




 青年たちや衛兵が携帯するランタンは、三面窓で非常に明るく、炎が揺れない。何度見ても、素晴らしく便利だと思う。


「我々『武装商会』二十一名、『随伴専門家』一名、『客人』二名で変わりはない」


 作法に(のっと)り、全員で得物を地に置く。先方も剣先や穂先を地に刺し、それから双方共に携え直す。

 正対し、共に笑う。

 儀礼ではない、友の顔で。


 ラバたちは、香ノ木の林へと鼻先を向け、(しき)りに前()きを繰り返す。

 よしよし、良い子だ。




 赤の山道の五つの関所で都度示した薄板の名簿を、背負い袋の横口から出し、衛兵に差し向けた。


「確認致しました。客人一名の体調がすぐれないと聞いておりますが」


「疲労と揺れ酔いだ。食欲はないようだが、汁物と水は()っている。不浄(トイレ)にも自力で行けていた。命に別状はない」


 親指を立ててそちらを差せば、見()った衛兵と青年たち全員が渋い表情になった。

 我々も同じ顔をしているだろう。




 そいつは役立たずだった。

 ついぞ野営に馴染めぬほどひ弱で、目の下の(くま)は常に濃い──出立時に比べ、二回り近く痩せたように思う。


 荷馬車に乗せた初日からしょっちゅう吐き、ラバに換えて以降は降ろし歩かせるも進みが遅く、乗せざるを得なかった。

 だがそこでも、ずり落ちかけるし吐くし。


 道中では危険行為を度々やらかしそうになるし、黙ったと思えば周囲を睨み思索に(ふけ)り、こちらの流儀と慣習に怪訝(けげん)な顔しかしなかった。

 無言で不動の塩荷袋の方が、遥かに優秀だというのが我々の共通見解だ。


 奴は今、隊員の手を借りて、ラバから降ろされ、虚ろな目でへたり込んでいる。とうとう独力では無理になったか。

 無理だ、地獄だ、狂人ども、と、いつもの()り言は(かす)れて弱々しいが、こちらには届いている。

 護身用に背負わせた盾を嫌がり続け、我々を呪える元気があるなら、なによりだ。あー、面倒くせえ。


「……明日はうちの荷車に積みましょうか」


 衛兵の横に立つもこもこ青年が、渋面でぼそっと呟くのに首を振る。


「いや、馬車乗りの公路上でも吐いていた。人の歩みでも荷台上では酔うかもしれんし、そちらの宿営資材を汚すやもしれん。

 入国までの『運搬義務』はこちらにあるから、気にするな」


 そう返し、気遣いの弁へ短い感謝を付け足す。どういたしまして、と小さく笑まれ、こちらの心も(なだ)められた。


心得(こころえ)た。お前たちは戻れ」


 衛兵の言に、青年たちは(まばゆ)いランタンと得物を持ち直して現場に帰っていった。

 周囲に薄暗がりが広がり、こちらのランタンも出さなければ、と背後の隊員に合図をしていると。

 衛兵は、かしゃり、と音を立てて肩を(すく)め。


「──あれが『黄色』ですか」


 (ひそ)め声でしてきた確認に、こちらも最小の声で応える。


「ああ、こちらを探る目をしていたので、盾を()()()()()理由も教えていない。

 もう一人は『緑』だ。恐ろしいくらいに即戦力になる」


 衛兵は視線を反らし、自分が人差し指を向けたもう一人の客人に目を遣り──絶句した。

 まあ、そうなるだろう。自分も初見なら、そうなる。

 特に今は、散っていったランタンで逆光になっているから、余計にあちらの客人の、おかしな輪郭が際立つだろう。


「草原と森でな……あれはつまり、中身が()()だ。それから、第一関所ではシェダール氏と試合(しあ)えた。どちらも軽く」


「げ。バケモンですか……欲は」


「パンを食いたい、だそうだ」


 一瞬、砕けた口調になった衛兵は、微かに笑った。引き()った響きだった。



 □ □ □ 



 徒歩で帰還する衛兵とその灯りを見送り、振り返ると、宿営地は(にぎ)やかになっていた。

 見慣れた自分たちの淡いランタン光が数多(あまた)灯れば、この国の眩いそれとの差は歴然として──同時に、なんとも幻想的な景色に見える。


 敵の襲撃に、過度に気を張る必要のない樹影。

 狭さのない平らな足元。

 青年たちによって組み立てられた浄水筒から(したた)る水音と、渓流の音。

 煮沸と炊事で()かれた火の数も多く、山中より様々な制限を解かれたが故の、安堵感。

 清廉な気質の人々の、控えめな歓迎。

 何度訪れても、美しい場所だと実感する。


 我々にただの羽虫が(たか)らないのを見、毎回、第一関所で渡される護身香は強力だ、としみじみ思う。可能であるなら、他国でも携帯したい──無理なことは分かっているが。


 もこもこした青年設営団は、夕食や拭き布を隊員に配ったり、香ノ木林へ問題客人を動かそうとする隊員を手伝ったりしている。

 手隙になった隊員数名が、それに同行していた。

 ああ、後で自分も行くか。赤の山道の「底無しトイレ」は、正直、出し切れるほど落ち着けなかったし。




 日暮れ前に渓流から()み上げられ、浄水筒を経て一度煮沸された水が入った(おけ)に、荷を解かれたラバたちが競うように群がっていく。

 安全な湯冷ましは、さぞ旨いのだろう。

 道中では、危険な(よど)みや、飲めない湧き水へ向かおうとするものもいたからな。


「うわー顔でかっ鼻息すげっ可愛いなあハハハ」


「ロバよりでけえけど、可愛いよなあ。ちょ、待て待て順番だ。(わら)と黒岩塩もあるからなー」


 薄暗がりの中、ラバたちに取り囲まれている着膨れた青年二人は、満面の笑みだ。

 和む。




 と、(つまず)きながら渓流に下りようとする隊員がいた。暗がりの中、水音を頼りに屈み込むのを、気付いた別隊員に止められる。おっ、振り払った。ところを後ろからのもう一人に羽交い締め。

 なにをやっとるんだ。


(かゆ)いんだよ……!」


「明日にゃ(たらい)風呂使えるだろ」


「今、洗いたいんだよ……!」


「髪が凍るかもだぞ、つーか、ここでの体洗いは禁止だろ。やべえもん付いてて下流に行ったら首が飛ぶぞ!」


 小声でのやり取りは、残念ながらこちらに筒抜けだ。

 あの馬鹿は罰金、止めた二人も言動は真っ当だが、素手はいただけない。

 気が(たる)んでるな。


「あったけえ……」


 こっちで塩気が濃い肉野菜汁(すす)って、堅くない薄焼きを(かじ)る奴らの方が、百倍マシか。

 あの対面儀礼の後、拾い上げた得物を一時も離さず携えてるようだからな。


「一班休みます!」


 そう言いながらタープの下へ駆けていく連中も──まあ、気持ちは分かる。

 板敷きの上に固く薄い藁袋と(むしろ)が乗っていて、今までと違い、手足を伸ばして眠れるからなあ。

 あっちも合格、装具を解除しないのは基本だ。




「いつも済まんな」


 宿営資材を乗せてきた荷車の近くにいた青年──恐らく彼が団のリーダーだろう、さっきも衛兵の横に来ていたし──に声をかけると、目を細められた。


「いえ。初の夜営任務が、武装商会の皆さんのお迎えだなんて、こちらこそありがとうございます!」


「……」


 おおう、こりゃ大変だ。自分だけでも気は抜けないな。

 まあ、ここで獣以外に襲撃されたことは、今まで一度もないのだが。

 香ノ木林と石柱香炉は偉大だ。万能でも完璧でもない、とは聞くが。




 青年たちが()いてきた荷車には、空になった袋や(たる)があった。


「食糧と糧秣(りょうまつ)分、帰りは一台分軽くなるので、なにか採取できないかと考えていまして。

 そちらの全荷を請け負えるほどは無理ですが」


「今時分のここらじゃなあ……そこで小指ほどの魚が獲れるくらいか?」


 宿営地には香ノ木林と渓流以外、めぼしいものがない。

 巨石と丸石の隙間を複雑に縫って南下する水は速く細く、手間と燃料はかかれど安全な飲水補給はできるものの──釣りは難しい。

 今回越えてきた、赤の山々の(ふもと)に自生する草木は食用には向かない上に乏しく、自分も枯れた灌木を焚き付けに使った程度の経験しかない。その続きであるここも、普通の川瀬より口にできたり肌身に付けられたりする緑は少ない。

 ましてや年明け、一の月上旬では、山野草の息吹や生物の孵化(ふか)には早いだろう。香ノ木林の向こうや、岩石の隙間には夜目にもうっすらと、残雪が認められる。


「もう一月もすれば北の……向こうの白の山道沿いなら、幾らか生えてくると思うが」


 言いながら、夜の(とばり)影形(かげかたち)すら曖昧(あいまい)な方を見やる。


 今朝方、山頂から眺めた白の山脈は、名の通り延々と白かった。本格的な雪()けには、まだしばらくかかるだろう。

 それまでは自分たちも、今回使った赤の山道を往復するしかないのだ。

 死にたくない凡人の団体なので。


「そうですか……」


 樽や桶は畳めないからなあ、と肩を落とす青年を見ていて、ふと思い付く。


「ワーフェルド!」


 二班に混じって肉野菜汁を受け取っていた異形の客人を、呼ぶ。

 おっと、お前さんだけだな。背負い袋と荷を一つも下ろしていないのは。

 いい心掛けだが──ぶっちゃけ、邪魔だぞ、背後の体積。


「お前のその素材、この兄さんに預けられるか?」




 赤の山道に入るまでの間に、ワーフェルドが入手した素材は結構な量だった。

 手早く解体、もとい(むし)りまくった外殻と(はね)が詰まった大袋二つ。重さはそれほどでもないから、と己の背負い袋に縄で(くく)り付けていたが。


 ただでさえ、でかい水樽を縛り付けてる上に、なのだ。

 お前はラバどころか荷馬かよ、と全隊員に嘆息されたのは致し方あるまい。

 横に括ると幅が危ない、のは理解できるが……上積みが過ぎて森の枝葉へし折って進みかけたとか、うん、おかしい。


「幾らで」


 匙と器を携えたまま、長身、更に背中に縦長大荷物ドン、という状態の上、ごつい得物持参でこっち来るな怖い。

 圧が、圧が強い。

 せめて炊き出しは置いてこい。誰も取らんから。


 頭が小さい上に手足がひょろ長いせいで、余計に怖い。

 脚甲に胸甲腰甲とガッツリ装備、の上にぼろい毛皮を巻いていて、うっかり筋骨隆々に見えなくもないから怖い。

 革兜に蓬髪(ほうはつ)で表情が見えにくいのも、更に怖い。

 思わず二度見するごつい得物が、トドメに怖い。


「ひょえっ」


 青年の口から、おかしな声が漏れた。気持ちは分かる。衛兵の兄さんも目を疑ってたからな。


 なにがおかしいって、こいつこんな(なり)なのに、気配が薄いからその──留意してないと、そこにいることを忘れそうになるのだ。


 目には入っている、明らかにおかしい、のに気付かせない。

 生い立ちや仕事柄、身に付いた武器であり特性なのだろうが。


「運搬代金は幾らで」


「運ぶ、お金?」


「運搬代金」


 二人の会話が微妙にズレている、と察し、慌てて仲介した。


「ワーフェルド、ここは言葉が違うんだ。いや、言葉遣いが別なんだ」




 しまった、説明が足りていなかったか。

 自分は自然に切り替えられるようになっていたから、つい。


「単語は少し違うが通じる、語順は同じだ。

 ただ、発音や言い回しがその……」


 古語や書き言葉、というものを知り得ない生育環境。上流階級者への謙譲敬語や丁寧語と無縁だった生活。

 そんなワーフェルドに、「今までの客人」には容易だった説明が、通じるとは思えない。

 案の定、首を(かし)げられた。


「貴方は随分(ずいぶん)と幼い口調なんですね」


「ぼくは成人している」


 あー、これ「(なんじ)(いとけな)し」「ぼく、おとな」ってお互い聞こえてるやつー。




 仲介しようかと考えていたら、二人は徐々に単語のみの片言会話で意志疎通を試みるようになった。

 助かった。

 うん、大体通じてる。

 ヨカッタヨカッタ。


「袋、二つ、無料、帰る時のついで」


「保証、隊長、無料、ダメ。銅貨?」


 いやもう、おじさんどうしようかと思ったわよ。やっぱ若い子は若い子同士で気が合うのよねぇ、と東の砦町のお(ねえ)さん口調で逃避していたら。


「ちょ、なんだよこのでかい金ぴか、銅貨じゃねえよ! 受け取れねえ!」


「これは銅貨です、二十枚で銀貨です」


 ダメでしたー、若い子は忍耐と根気が足りませんでしたー。

 あとこっちも、説明足りてませんでしたー。


 いやほら貨幣のことはね、両替商で教えようかなって後回しにしてたからね。

 今までの客人は通過してきた国々で私物を買い足してたから、国ごとに少額貨幣が違うとか、物価とか、気付いて下さってたんだね。だから後からの説明で足りたんだね。

 すまんワーフェルド、おじさんがお前さんを、経由地で市場に連れ回してやるべきだった。

 お前さんのその銅貨、ここでは両替できない代物なんだよ。あとでおじさんが、どうにかしてやるからな。

 

 あー、おじさん落ち度だらけだよ、泣いちゃっていいかな?


 若手主体の初隊長業務で、疲れてんの、って言い訳は良くない。

 あー、やっぱ自分はヒラ隊員向きだわ、うん。



 □ □ □ 



 その後、青年は仲間を集めて皆で財布を出し。二種類のランタンの光の下、銀貨とこっち国の銅貨を出して、ワーフェルドに単語で説明をはじめてくれました。

 ただ、鉄貨を出したところで、ワーフェルドがギブアップです。


 ごめんよ、見たことない貨幣と交換率を説明されても、お前さんには意味が分からないよな。

 金貨と銀貨はどの国でも、目的地でも共通してる、っておじさんが雑な説明をした時、(うなず)いてくれてたから流してたけど。

 そうだね、お前さんは読み書き計算も習ったことなかったんだっけ。

 そんでもって、搾取(さくしゅ)と不当買取ばかりで、銀貨以上の現物を知らなかったんだよね。一般商店への立ち入りも禁じられてて──ああ、それで道中、買い物しなかったんだな。

 知らない外国で、金子(きんす)の使用が許されるだろう場が分からなくて。


 あー、こりゃ完全に、道中で教えたり機会を作らなかったりした、おじさんのミスです罰金ものですわー。


 と、空腹と排泄欲求と戦いながら、金勘定しつつちょいちょい通訳を手伝っていたら。

 ワーフェルドが取り出した銀貨を一枚、奪った青年が、自分たちの国の──我が同盟国家群では流通していない、色も違う小さい銅貨をじゃらじゃらと押し付けてきました。

 やだー、どこの国でも若い子は短気だわー。


「……ええとだな、入国管理棟まで二袋運搬、役人に預けるので簡易審査後に受け取るように。代金はええと、お前さんにとっての銅貨二枚分、で渡してきた釣り銭が、色が違うがこっちの銅貨だ。不正はしていない。んじゃ開封不正防止用の封蝋(ふうろう)、おじさんがやっちゃうな。印章は、武装商会のもので」


 小便が漏れそうだから早口になったが、ワーフェルドは頷いてくれた。うん、じゃあ得物は横に置いて荷物下ろそうか。その空になった器と匙は、おじさんが印章と蝋塊持ってくるついでに、あっちに返してきてあげるから。

 香ノ木林のトイレに寄るから待っててくれよー。




 □ ■ □ ■ □ ■ 



 ゆっくり口にできた炊き出しは、旨かった。

 肉の風味と食感が馴染んだものと違うのは、水と原料の違いだと知っているので、文句はない。

 なにより、たっぷりの湯冷ましが旨い。酒を呑んだ後のように、声が出た。




 夜警は設営団の青年たちも(にな)ってくれたので、隊員たちは交代制でも、いつもよりしっかり眠れたようだ。自分もうっかり、久々に震えずに熟睡できてしまった。

 覚醒へと浮上する感覚で、そうと知れる。


 今まで服用していたものより強い、この国独自の虫下しの苦味には毎回閉口するが、振る舞われる炊き出しと旨い水とで帳消しになる。

 人心地つく、という体感はこの宿営地で得られるものが一番大きい。


 二番は年長の呑み友との余暇だが──彼は変わらず、存命だろうか。

 前線から退いたとて、再会できるまでは安否が分からない。

 会えたら、今回の愚痴を聞いてもらおう。彼の白髪が増えるかもしれないが。


 心地()微睡(まどろ)んでいると、夜明けの鐘の音が遠くから聞こえ、慌てて藁袋の上から飛び起きる。

 咄嗟(とっさ)(さや)走らせ、タープを潜り出ようとして、消えかけたランタン光や焚き火に浮かぶ立ち番の隊員から、異状なしの合図を返された。


 ……なにが「自分だけでも気は抜けない」だ、ガッツリ油断してんじゃねえか。

 これも罰金ものだな。帰途(かえりみち)の酒代がなくなっちまう。




 隅には「黄色」の男が、苦悶の顔で横たわっていた。

 背の盾を下ろさせていないので、寝返りもし辛いのだろうがどうでもいい。

 見張り役の頭数に入れられてないだけ、感謝しやがれ。




 出立時より長くなった顎鬚(あごひげ)(しご)きながら外に出ると、冷えた闇が陽光に払われ出した頃合いだった。

 春を迎えたと言えども、日が低ければまだ吐く息はうっすらと白い。

 荷とラバの様子は、とそちらに目を遣れば異状はなく。

 南の方角を道端から見下ろしている、上積み荷がなくなったワーフェルドの立ち姿に気付く。

 薄い縦長の輪郭は、昨夜までに比べ短い。

 朝日を浴びる影は、淡い色に見えた。




「よお」


 声をかけると、顔だけこちらに向けられる。


「もう少しだ。今日の夕方には、入国管理棟で手続きをして、お前さんの旅が終わる」


「はい」


 言うや否や、ワーフェルドはまた、南を向いた。赤の山々に入ってからこいつは、隙あらば下方の目的地──辺境の新興国を見つめている。

 微かに震えていたので、近い方の焚き火の側へと(いざな)った。




「管理棟に入る前、靴裏の土を落とす。第一関所の柵前の道でやったようにな。

 それから、手続き前に『香ノ部屋』という所に入る。ちぃと煙いが、そこで自分らと一緒に、しばらく(いぶ)されろ。

 お前さんが昨夜預けたあの荷も、そこに置かれているはずだ」


 こいつと、あの問題客人には国の役人から手続き以外に質疑応答があるだろうが。

 まあ、「お偉いさん」が出て来るかは分からんから、通訳として立ち会ってやるか。


「それが全部終わったら、改めてお前さんの、あの素材の買い取りだ。済んだら両替商に行こうな。管理棟を出てすぐの、衛兵詰所のそばにある、(いか)つい鎧戸のある店だ。

 金子のことを、おじさんがちゃんと教えてやる」


「麦が」


 こいつとの付き合いはそこまでだ、と思いながら話していたら、ワーフェルドが口を開いた。


「ん?」


「畑に、麦が少ない。半分の半分より少ししか生えていない」



 □ □ □ 



 真剣な、憂い顔だった。

 革兜からはみ出しているぼさぼさの前髪で目元が見えにくいが、数ヶ月付き合ってきたから分かる。


「パンの国なのに、春がきたのに、他は麦じゃない小さい草ばかりだ」


 おい待てよ視力良すぎないか、おじさんには暮明(くらがり)の中、ボワボワした緑っぽいものしか見えんぞここからでも。


「えーと……ああ、そうか、こっちは」


 (うな)りながら、記憶を漁る。なんつったか、確か。


「春()き、そうだ、麦を秋に蒔かないんだ」


「どうしてですか」


「同盟国家群の──お前さんたちがいた≪中央国(セトラム)≫と、天気が違うんだ。刈り入れ時は雨が少ない方がいいから、あっちは夏に実るように、前年の秋に蒔く」


 麦も雑穀も、干す日数が要るからなあ。

 若い頃、自分も疑問に思って、国を(また)いだ後、ここの農村で尋ねたことを思い出した。


「≪陽の国(ディスティア)≫の東側からこっちは夏まで雨が多いから、秋に実るように……ずらして、春に蒔くんだ」


 農家のおっちゃんおばちゃんは、凄い勢いであれこれニコニコ説明してくれたっけ。小さい息子たちが、両親の止まらないお喋りに呆れてたっけなあ。

 ──次に来た時には、亡くなってたんだよなあ。生き残ったのは上の息子だけだったと聞いた、ような。


「じゃあ、あの少ない麦は」


「ん、おじさんにゃここからじゃあんま見えねえけど、秋蒔きを試してるか……『北の黒麦』かなんかじゃないか。

 あと今、他の畑に生えてんのは肥料か油かになる草……だと思う。そいつらの花が散ってから、種以外をこう、土に()き込んで……ん? 枯らしてからだったか?」


 やべえ、草木灰だの堆肥だの、細かい種類や順番までは流石に分からんぞ。入国後に本職に訊いてくれ。

 ってか、大麦と小麦も穂を見なきゃ区別できねえ。食えば判るが。


「……とにかく、こっちじゃ今から多く麦を蒔くはずだ。赤の山々の頂から見た範囲、あれが秋にゃ全部、金色になるんだ多分」


 そうであってくれ。

 麻畑の方が広かった、とかはナシであってくれ。


 曖昧な返ししかできない己に、情けなくなる。

 町村間運搬で、穀類は主要取り扱い品だが、自分が目利きできるのは乾燥した実の状態のみだ。農作物そのものの知識が乏しいと、思い知らされた。

 種類や生育の遅れを事前に見極められるようになれば、商会の利になっただろうに。


 帰ったら、降格を願い出なきゃいかんな。もっと学ばなきゃ、いかん。腕っぷしと経験だけで、若い連中を率いるのも危険だ。


「ならいい」


 ワーフェルドが、表情を改めた気配がした。


「……お前さん、本当にパンが好きなんだな」


 返事はなかった。



 □ □ □ 



 設営団のもこもこ青年たちが、朝の炊き出しを行った。ランタンはそれぞれしまわれ、陽光に照らされた宿営地はありきたりの色になっている。

 昨夜の幻想的な光景が、嘘のようだ。

 水の流れに磨かれた石や岩。珍しい色合いのものも多いが、目を疑うほどではない。


 温かく豊かに調理された汁物の提供を終え、鍋や器を洗浄し。

 石柱香炉の中を焚き改めてから、タープや浄水筒を解体し積んだ一行が、荷車を牽き、宿営地を離れていく。昨夜、ワーフェルドが預けたものと共に。

 彼らに同行はしない。

 こちらは「次の荷車」が来てから、最後の坂道を進むのが流儀だ。


 心癒される渓流のせせらぎを耳にしつつ、焚き火の残りに当たったり、荷をラバに積み直したりしながら、待つ。

 専門家の男は、愛妻が待つ自宅に早く帰りたい、と隊員たちに話していた。


 北にある白の山脈から流れ下るこの水は、他の湧水と(つど)い、国を潤す大河になっている。

 ここから東に幾つもある源は、それぞれ確認されているが、この渓流だけは始点が未だ不明、とも聞く。

 大岩の隙間や下を辿る水を(さかのぼ)り、手付かずの山岳地帯に分け入ることは難しい。この国の強者(つわもの)たちでも成し得ていないことから、どれほどの難度か想像はつく。


 ──それでも。

 ふと、商会を引退した後、探しに行きたいな、と思った。

 自分を何度も安堵させた、この渓流の出発点は、どんな姿をしているのだろう。

 老いる前に一度、見たい。

 小さな泉か、昨日の谷合のように断層から湧き滲む様か、木々に覆われた湿地か、(ある)いは。


 警戒を怠らぬまま夢想していると、二重桶を載せた荷車を牽く、栗染めの外装を着けた人たちがやって来た。出立の合図でもある、(こえ)車だ。


「お疲れ様です」


「皆さん、用は足されましたかー」


 笑顔で手を振ってくるのは、()み取り業務の者だ。同盟国家群では主に下賤(げせん)の仕事とされるが──この国では、魔法師による、(さげす)まれない業務なのだ。

 なんなら主幹業務の一でもある。外国だよ、しみじみと。


「ああ、大丈夫だ。ラバは香ノ木林に繋いでいたし、軽く集めておいた。後は頼んだ」


「おやまあ、隊長さんに出世なさったの?」


 顔馴染みだった。うーん、気まずい。




「今回だけだ、次からはまた相応のヒラに戻る」


 出立時点で重く感じた左腕の腕章の存在を思い出し、隠すように押さえるが、彼らの祝福は止まなかった。


「なぁに言ってんだ、もういい歳だろ」


「そうですよお、娘さん生まれたんでしょ?」


 耳が早いな。誰から聞いたんだ。一つ前の隊の奴らか。


「……向いちゃ、ねえんだよ。おれぁ」


 つい、若い頃の口調で返しかけて、隊員たちの目が気になった。

 人の道を外れかけていた過去は、妻と上司たち以外に知られたくない。




 □ ■ □ ■ □ ■ 




 緩やかな下り坂を、東へ進む。

 左手の森越しに聳える、白の山脈に圧倒されるのも。

 幾つかの木橋を渡るのも、道の右にぽつぽつとかごが提げられた木柵(もくさく)が現れるのも。

 あの青年たちが帰りながら焚き改めたであろう、石柱香炉たちの煙が常に視野に入るのも、いつものことだ。

 ラバの呼吸と足音の向こう、何度も微かな水流の音を拾う。清らかなそれは、渇きと死の憂いを払拭してくれる、気がする。


 赤の山道より幅はあるが、荷車が行き違えるほどではない。

 石柱香炉の頭、くり()かれた穴からは、人命を守る細い煙が風にたなびいて消えていく。

 先に見える羽虫の小群を嫌がるように、ラバが首を振った。護身香の虫除け効果で集られることはなくとも、反射的なものだろう。

 (たてがみ)を撫でて、(いたわ)ってやる。


 ただの虫に意識を向けられるのは、安全圏の証でもある。

 今までとは違い、(かざ)す枝から落ちてくる山蛭(やまびる)やダニに気を配らなければならない、ただありふれた里山の麓なのだ、ここは。


 いやまあ、そいつらの本格的な出現にはまだ時季は早いし、護身香を着けている限りは大丈夫なんだが。

 帰途の第一関所で返却した後は、また気を張らないと、だな。




 右手に続く木立の切れ間から、煙が見える。

 石柱香炉からの薄ら青い白煙でなく、細い炊煙でもなく、鍛冶屋町の作業場からのそれは、強く濃い。

 赤褐色の建物や(すす)けた煙突と香ノ木の樹影が見え、またすぐに木々に──葉のないもの、あるもの、冬に枯れた(つた)(つる)が残るものといった、無造作な(たきぎ)山に、隠されていく。


 道を下り進めば、右手の崖は林の斜面になる。

 等間隔に植えられた白樺。

 間を空けて石碑、灌木、多くの香ノ木、また灌木、と並ぶ。

 小川に区切られ、少し離れて──確かこれは(かえで)、だったよな。

 そして次は枝打ちから間がないのか、黒褐色のものが幹に塗られた、(ねじ)れず育つ……なんだっけこれ。葉がねえと判別できねえ木だ。

 あ、次も分からねえ。杉だったっけ。

 判別できない木々を眺めて進んでいると、知ったものを見付けた時に嬉しくなる。

 てっぺんに実が少しだけ残っているあれは、虫下しの木だ。樹皮が苦いんだよなあ。

 細い群立(アブラチャン)の薄黄色の花、黒斑(クロモジ)の枝に群れる新芽を伴う黄緑の花。

 (こよみ)より肌感覚より確かに、春が近付いていると感じる。


 今まで目にしてきた森の野放途(のほうず)さとは違う、木々の整い方と間隔。林床に下草や落ち葉が少ない様に、人々の生活の気配を知る。

 林へ切れ込む小径(こみち)の先からは、肥臭さが漂う。

 柵戸の先には、あの魔法師たちの研究棟があるのだろう。




 木々の間隙から見下ろせる、街。

 白い壁。

 黒っぽい屋根。

 建物に寄り添う、ほっそりとした香ノ木の樹影。

 東を護る石壁。

 街の西を縁取る、やたらと真っ直ぐな大河の流れ──あの渓流たちが、集った姿。

 街の南北でそれぞれ、東西を貫くかたちの二本線の大路(おおじ)

 街から村々へと続く幅広の未舗装の道には、冬も繁る香ノ木がその中央に一定間隔で並んでいる。

 同盟国家群ではまず見ない、不思議な景色だ。


 南路の向こう側。古い柵を過ぎてから伸びていく香ノ木道の両側には、遠くまでなだらかな、広い畑が続いている。

 点在する集落は、ここからではうっすらと影しか分からない。


 大河の西側、赤の山々に沿う森の手前までもまた、香ノ木道があり、浅い緑が広がる。

 斜面をわざわざ切り込んだ、段々の畑を持つ農村。

 さっき垣間見えた鍛冶屋町は、その北にある一区画。


 ここからは、それ以上は確かめられない。

 だが、かつて赤白それぞれの山頂から自分が見たものを、滞在中に訪れた場所の仔細を、今の視野に足して思い描くことができる。


 南には低い山と丘陵、そこを流れる別の川、そして浅い森。

 山塩が採れる噴泉(ふんせん)と、それが注ぐ妙な小川が。

 その向こうには、国境を縁取る丸太の柵壁が。

 更に遥か彼方には、海らしき水面が。


 西の畑の先、赤の山々の麓には、それぞれ採掘坑道や石切場が。


 東の石壁、街の向こう側にはまた無尽の森が。


 あるはずだ。いや、あるのだ。




 遠方で微かに鐘が鳴る。昼を告げるには忙しなく。

 ああ、また敵襲か、と考える。

 しばらく無言で歩みを進めていくうちに、警鐘は鳴り止んだ。

 撃退したようだった。



 □ □ □ 



 無限に思える緑の国。

 原生のまま、あるいは人の手で整えられた木々と、大河に恵まれた新たな地。

 平穏に見えるが、命を奪われやすい新興国、≪豊国(リーシュ)≫。


 だからきっと、ワーフェルドという強い「緑」の男には、似合うと思った。

 いつかまた会えた際は、彼を違う名で呼べるといい、と願った。




 今もまた、ラバの背に伏して、盾を背負ったまま揺れて(うめ)いている「黄色」の男はどうなろうと、知らん。











       (白の山道)

        ↑ 森森森

(赤の山道)←宿営地─────┐

       川  林林林  棟

      川        |


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