17.コンスタンティンの正体
幸いなことにコンスタンティンの具合はすぐによくなった。
出張の2日後、コンスタンティンが1階の台所で朝食をとっているところにローズマリーもやってきた。
この商会を運営しているフルス家では、朝食はチーズやハムのスライスやパンを各自が好きなだけ取って食べることになっていた。でも婚約者一家が行方不明になってからは、この食卓で朝食をとるのはローズマリーだけになってしまっていた。だからコンスタンティンが来たことで、また他の誰かと一緒に食事できて密かに彼女の心は安らいだ。
ローズマリーは皿とコーヒーを持ってくるとコンスタンティンの向かい側に座り、彼に話しかけた。
「コンスタンティン、具合はどう?」
「もう大丈夫です。その際はご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いいのよ、誰だって具合が悪くなることはあるんだから、気にしないで。まだ本調子でなかったのに遠出したからよね。大事をとって今日は休んだらどう?」
「そんなわけにはいきません。もう回復しましたから手伝わせて下さい」
そんなやり取りを何度か繰り返してローズマリーはとうとう白旗をあげた。
「そう? それなら……」
ローズマリーは、ゲハルトに配達へ行かせ、コンスタンティンには出張で仕入れた品物の整理を手伝ってもらうことにした。逆でもよかったのだが、コンスタンティンが前日倒れた上に、まだ怪我の後遺症があるので、彼に内勤してもらうことにしたのだ。でも、ローズマリーの傍にいたかったゲハルトの反感を買ってしまう可能性に彼女は思いもついていなかった。
ローズマリーは、2杯目のコーヒーを自分とコンスタンティンのマグカップに注いで彼の向かい側に再び座った。その時、出張の時に買ってきた新しいマグカップのことを思い出した。マイケやゲハルトも専用のマグカップを使っているので、市場で目の付いたマグカップをコンスタンティンにあげるつもりで買ったのだ。婚約者一家のマグカップも彼らがいつか帰ってきた時のために食器棚の中に保管しているが、時間が経つにつれて目にすると悲しくなってしまい、奥のほうにしまい込んでしまった。
珍しいスパイスや食料品、台所用品など、出張の時に買ってきた物はまだ整理ができておらず、台所の隅に置いてある箱の中に入れてある。市場でコンスタンティン用に買ったマグカップも新聞紙にくるまれただまま、入っている。ローズマリーは、マグカップを箱の中から取り出してコンスタンティンの目の前に置いた。
「市場であなた用にマグカップを買ったの、覚えている?」
「そう言えば、そうでしたね」
「ゲハルトもマイケもマイカップを使っているから、あなたにもと思って買ったのよ」
「ありがとうございます」
「どんな柄だったか、覚えてる?」
ローズマリーはいたずらっぽく微笑んだが、すぐに表情を曇らせた。
「ごめんなさい。あの時すぐに具合が悪くなっちゃったんだから、覚えているわけないわよね」
「いえ、何かかわいい猫の柄だったですよね」
コンスタンティンは新聞紙を開くと、中身よりも新聞記事の結婚式の写真に目が釘付けになった。豪華な衣装を着た新郎新婦は明らかに高位貴族のように見えた。その姿を見た途端にコンスタンティンの頭はガンガンと痛み始めた。
「うううっ!」
「コンスタンティン、どうしたの?!」
「す、すみません、今日はやっぱり休ませていただいてもよろしいですか?」
「もちろん」
コンスタンティンはフラフラしながらも新聞紙ごとマグカップを持って台所から出ようとした。
「マグカップは台所に置いておいてもいいわよ」
コンスタンティンはローズマリーの言葉に従ったが、新聞紙はしっかりと手に掴んだままだった。
「新聞紙はいらないでしょう? 捨てておくわよ」
ローズマリーが新聞紙に手を伸ばすと、コンスタンティンはさっきまでフラフラしていたとは思えないほど素早く新聞紙を身体の後ろに隠した。
「いえ、結構です。読みたい記事がありましたので」
「そう? それじゃ今日の新聞も読む? 後で部屋へ持っていくわね」
ローズマリーの口ぶりは不思議そうだった。それもそうだ。その新聞紙は数ヶ月前のものだったからだ。ローズマリーも大々的に報じられた国一番の公爵家の後継ぎの結婚式のことは覚えていた。
それ以来、コンスタンティンはちゃんと仕事をしているものの、前にもまして無口になった。ローズマリーもマイケも心配したが、ゲハルトだけは『ほっとけ』と冷たかった。
それからしばらくしてコンスタンティンはローズマリーと2人で話したいと言ってきた。ゲハルトが知れば、2人きりで話すなんてと文句を言ってくるであろうことは目に見えている。ゲハルトが配達に言っている隙にマイケに店番をしてもらい、コンスタンティンが自室として使っている休憩室で扉を半分開けて話すことになった。
「コンスタンティン、改まってどうしたの?」
「実は記憶が戻りました。私の本名はカール・ハインツと言います」
「まぁ! ご家族に連絡しなきゃいけないわね! 心配されているのでは?」
「いえ、事情があって家を出てきてここ1、2年ほど音信不通にしていました」
国境警備隊の隊員達は剣豪カール・ハインツの名前を知っていたが、ローズマリーは貴族令嬢のようにわざわざ王都で開催される剣術大会に行って強豪達に黄色い声援を送ったり、号外を読んだりしないので、彼の名前を知らなかった。
カールは、公爵家の騎士を辞めて国境警備隊に転職したことや、怪我で退役したことも話したが、かつての主マリオンへの切ない恋を諦めたことだけは話せなかった。
「国境警備隊なんて厳しい環境よね? 公爵家で騎士をしていたほうがよかったのに、またなぜそんな?」
「いえ、それには事情がありまして……」
「立ち入ったことを聞いてごめんなさい」
カールの口ごもった様子を見てローズマリーは個人的な事情に踏み込み過ぎたと申し訳なくなった。
カールはすぐに出て行くと言ったが、ローズマリーは必死に引き留めた。確かにも今の商会の状況ではもう1人雇うのは厳しかったが、理屈なしで引き留めたかった。
「私はあまりお役に立てていないですよね。このままここにいても邪魔になるだけです」
「そ、そんなことないわよ! そうよ、護衛よ! 最近、隣町に通じる道に盗賊が出るのを知っているでしょう?」
「でも出張されるのは1ヶ月に1度ですよね。臨時で護衛を雇われるほうが安いのではないですか?」
「こんな小さな街に臨時で雇われてくれるような人はいないわよ。それこそ隣町から呼んでこなくちゃいけないから高くつくわ」
「そうですか。そういうことなら、当分治安が良くなるまで護衛を引き受けてもいいですが、私はご覧の通り、脚と肩が不自由で以前ほど強くないんです」
「この辺の盗賊だってそんなに強くないから大丈夫よ」
結局何だかんだ言いくるめられ、カールはフルス商会に留まることになった。
記憶が戻ったことはゲハルトとマイケに秘密にするようにローズマリーに言い含められた。ゲハルトに知られれば、すぐに出て行けと喧嘩になるに違いないからだ。




