狂王の夏
子供の頃、裏山が遊び場だった。
実家はとても田舎で、近くに年の近い子供は数えるほどしかいなかった。
一年生から六年生まで全部集めて一クラスの小学校を下校すると、近所の子供は妹の佳奈子と幼馴染の静香しかいなかった。
だから、この三人で裏山で遊ぶことがその頃の日常だった。
裏山と言っても小高い丘程度の小さなもので、そこを三人で歩き回ったり、崖下の横穴を古代遺跡に見立てて探検したりしていた。
俺が隊長となって家から持ち出した懐中電灯を片手に穴の奥に入って行き、その後を佳奈子が恐る恐る、静香が興味深そうに付いてくる。
そこで何か見つかれば、学者にでもなったつもりの静香が女の子らしからぬ口調で頓珍漢な説明をするのだ。
そんな遊びも、学年が上がるにつれて縁遠くなって行った。
ギリギリ自宅から通える範囲にあった高校が別の高校と合併して校舎が遠くなってしまったため、親戚の家に住まわせてもらって高校に通うことになった。
大学は最初から下宿前提だ。
次第に実家で過ごす時間は減って行った。
夏休みになって、久しぶりに実家に帰ってきた。
久しぶりの実家は、やっぱり何もない田舎だった。
家で暇していると野良仕事を手伝わされるので外に出る。
行く当てもない俺は、自然と裏山に向かった。
「やあ、来たね。」
「……お兄ちゃん、遅い。」
約束したわけでもないのに、そこには当然のように佳奈子と静香の姿があった。
まるで小学生の頃に戻ったように、俺たちは三人で探検を開始した。
数年ぶりに歩く裏山は、随分と小さく感じた。
未開のジャングルのごとく広大に見えてていた雑木林は、木もまばらで反対側まで透けて見えそうな小さな林だった。
神秘の洞窟に見えた洞穴は、明らかに人の手で雑に掘られたただの小さな横穴だった。
昔の防空壕か何かだったのだろう横穴に三人で入って行くと、LEDライト照らされて浮かび上がるのは、ただのゴミだ。
こんな田舎の小さな裏山にまでわざわざやって来る人もたまにはいて、勝手に入り込んだ人の忘れ物か不法投棄された物だろう。
こんなガラクタでも子供にとっては宝物に見えたのだ。
枝分かれも何もない、真直ぐに掘られた短い横穴の、その最奥にすぐに行き着いた。
「……はい?」
行き止まりが無かった。
「先日地震があっただろう。その時に壁が崩れたみたいでね、その先に埋もれていた古代遺跡に繋がったらしいのさ。」
事前にこの状況を確認していたらしい静香が、してやったりという顔でにやりと笑った。
「ここからが本当の冒険だな。」
横穴を抜けた先にあったのは、古代遺跡と言われて納得してしまうような光景だった。
横穴部分は床も壁も天井も地肌が露出したむき出しの土だったが、この場所は床も壁も天井も真っ平らに磨かれた石らしき材質で作られた人工物だ。
奇麗に四角く作られた通路だった。
そして、壁には絵のような文字のような図形のようなものが壁画のように描かれている。
「ここには、この遺跡を作った国の歴史が書かれている。」
壁を見ながら静香がそう言う。既にそこまで調べてあったらしい。
この壁画っぽいものを静香が自分で解読したのだろうか?
あり得る。
静香は学校の成績はいまいちだが、頭は良い。特に自分の興味のあることについては凄い集中力と理解力と行動力を見せる。
静香は背負っていたナップザックから一冊のノートを取り出し、通路を歩きながら読み始めた。
古の国の物語を。
◇◇◇
昔々、遥か昔。
人々はまだ国を作らず、狩猟や採取で日々を暮らす原始的な生活をしていました。
そんな中、一人の男が現れました。
とても優秀な男でした。
男は誰よりも力が強く、力比べで負けたことがありませんでした。
男は誰よりも足が速く、走れば誰も追いつけませんでした。
男は誰よりも目が良く、狩りに出れば遠くの獲物を真っ先に見つけました。
男は誰よりも知識が深く、他の者の知らないことを何でも知っていました。
男は誰よりも器用で、便利な道具を簡単に作り、さらに改良して見せました。
男は誰よりも知恵があり、多くの人の悩み事はこの男に相談すればだいたい解決しました。
人々は優秀な男を頼りました。
男もそれに応えて人々を助けました。
やがて男は自分を慕う人々を率いて国を作りました。
男は国王になりました。
男は国王となっても優秀でした。
王の作った法律は誰が見ても納得するもので、国の治安は安定しました。
王の策定した政策は的確で、国は豊かになりました。
王の示した英知は素晴らしく、国は文化や技術も発展しました。
戦が起これば王は先陣に立ち、全て勝利に導きました。
そして王は老いることも、死ぬこともありませんでした。
不老不死の優秀な王に導かれ、国は未来永劫栄え続ける、誰もがそう思いました。
しかし、人々は気付きませんでした。王が独り苦しんでいたことを。
王は誰よりも孤独でした。
慈しんだ家族も、共に国を作った仲間も、信頼できる部下も、幾度も戦った敵でさえも、王を残して先に逝ってしまいます。
誰よりも偉大な王の心を理解できる者は誰もいませんでした。
王はやがて、人々の前に姿を現さなくなりました。
人前に出なくなっても王は王であり、国は栄え続けました。
けれども、人々は少しずつ王のことを恐れるようになって行きました。
最初は王の身の回りの世話をする者達や、王の意図を人々に伝える役目の者達、王に直接関わる者達から。
日に日に気難しくなる王の機嫌を損ねた者は理不尽に処罰され、時に処刑されました。
次に政府の官僚や役人たち。
不正が疑われた者が無実の者まで巻き込んで処罰され、ついでに無能とみなされた者が大勢解雇されました。
王の周囲で起きる悲劇を傍観していた一般大衆も、やがて無関係ではいられなくなります。
政府の機能が低下して行政サービスが滞ったことに加え、王が国民を苦しめるような政策を出し始めたからです。
そして、国民を苦しめる政策は次第に苛烈なものになって行きました。逆らうものは容赦なく捕らえられ、処罰されました。
人々は気付かざるを得ませんでした、王はもはや民を慈しむ心を忘れた暴君となってしまったことを。
これ以降、王は畏怖の念を籠めて狂王と呼ばれるようになりました。
多くの人々が危機感を持つようになりました。
このままでは、狂王によって国が滅ぼされるのではないか?
事態を憂慮し、どうにかしようと行動を起こした人もいました。
ある者は、民の窮状を訴え、人の心を取り戻してもらおうと狂王に直訴しました。
けれども、狂王は聞く耳を持たず、その者を処刑してしまいました。
ある者は、狂王を権力の座から外そうと権謀術数を巡らせました。
けれども、狂王はあらゆる策謀を見抜き、逆にその者達を罠にかけて排除してしまいました。
ある者は、狂王を暗殺しようと暗殺者を手配しました。
けれども、狂王は何をやっても殺すことができず、暗殺者の組織ごと潰されてしまいました。
ある者は、狂王に反旗を翻し、国を奪おうと挙兵しました。
けれども、狂王は自ら迎え撃ち、一人で反乱軍を殲滅して見せました。
ある者は、狂王を倒す武器を開発しようとしました。
けれども、狂王はどれほど強力な兵器を向けても、それを奪い取って返り討ちにしてしまいます。
どうやっても狂王には敵いません。
多くの人は絶望し、諦めました。
絶望のあまり、国を捨てて逃げ出した者もいれば、自ら命を絶ってしまった者も出ました。
そんな中、諦めなかった者もいました。
そしてついに、狂王を倒すための武器が完成しました。
それは、小さくて柔らかく見える手槌のような姿をしていました。
とても武器には見えませんが、これこそが狂王を倒すためだけに作られた武器なのです。
武器の開発者は考えました。
どれほど強力な武器を作っても、狂王を殺すことはできません。
いずれ武器は奪われ、狂王に使用されることになります。狂王は誰よりも上手にその武器を使うことでしょう。
狂王は何をやらせても誰よりも優れているのです。
我々が勝っているのは人数だけ、そう考えました。
そうして開発されたのが、最弱の武器。威力ではなく、数で押し切るための武器でした。
不死身の狂王を無力化するため、肉体ではなく精神を攻撃するこの武器は「魂砕き」と名付けられました。
魂砕きは量産され、狂王に虐げられた百万人の国民に秘かに配られました。
そして、ついに作戦は決行されました。
狂王が丸腰のタイミングを狙い、百万人の国民が手に手に魂砕きを持って殺到します。
素手の狂王が一人二人と打ち倒して行っても、その間に次々に押し寄せる人が魂砕きを打ち付けます。
どうにか包囲を抜けようと思っても、百万人の人の厚みを突破することは容易ではありません。どちらに向かっても人また人です。
そうして狂王は幾度も幾度も魂砕きを叩きつけられ続けました。
魂砕きは最弱の武器です。
一回や二回どころか十回や二十回叩いたところで何の影響も現れません。
素手で殴った方がダメージがあるでしょう。
けれども、ほんの僅かずつ相手の精神に影響を及ぼします。
数百回も叩かれれば、あまり重要でない何かを度忘れします。
数千回も叩かれれば、何か大切なことでも忘れてしまいます。
数万回叩かれた狂王は、戦い方を忘れてしまいました。
数十万回叩かれた狂王は、自分が何者なのかも忘れてしまいました。
百万回叩かれた狂王は、全てを忘れて何もできなくなっていました。
こうして、ついに狂王は討ち取られたのでした。
狂王は無力化されましたが、人々はそれでは安心できません。
狂王は誰よりも学習能力が高かったのです。いずれ失った知識を取り戻し、王座に返り咲くかもしれません。
人々は不死身の狂王を念入りに殺しました。
その身体をバラバラに砕き、念入りに火で燃やし、残った灰を地下深くに埋めました。
そこまでしても人々は安心できません。
これまで何をしても死ななかった不死身の狂王です。いつか甦って来るのではないかという不安はぬぐえませんでした。
狂王の圧政から解放されたはずの人々は、それでも狂王の恐怖から逃れることはできませんでした。
そして時は流れ、国はゆっくりと滅んで行きました。
狂王の英知によって支えられていた国は、狂王無くして成り立たなかったのです。
◇◇◇
長い通路の先には扉があった。
扉は簡単に開き、その先にあったのは大きな部屋だった。
「これは……何だ?」
そこにあったのは、ビニール製の玩具のハンマー。
そうとしか見えないものが、広い部屋を所狭しと山積みになっていた。
俺たちは玩具メーカーの倉庫にでも迷い込んでしまったのだろうか?
「これが古の王国で狂王を討つために作られた精神破壊兵器、魂砕き。」
静香が進み出て、その一本を手に取った。
「人々は狂王を討った後もその復活を恐れ、魂砕きを残したのさ。一度破壊され、不安定になった精神は簡単に壊せるからね。」
そう言って、静香はこちらを振り返った。
「全ては狂王、お前を何度でも封じるためだ!」
その光景を、なんと言えばよいか。
突然鬼のような表情になった静香が襲いかかって来る。だが、その手にした武器は玩具にしか見えないふにゃふにゃのハンマーだ。
あまりにも突然、あまりにもちぐはぐで、俺は何も考えられなかった。
動けずにいる俺の代わりに動いたのは――
「ダメー!」
佳奈子だった。
俺と静香の間に割って入り、その一撃を額で受けた。
「キャアアァァァァァァー!」
佳奈子の魂消る悲鳴を聞いて、ようやく我に返った。
我に返ったが、状況は相変わらず分からない。
静香の振るったハンマーは見た目通り柔らかいようで、佳奈子の額に出血も痣もたんこぶもできていない。
しかし、静香は佳奈子の行為にたじろいだ。
「何故邪魔をする佳奈子! 我等の使命は狂王を再封印すること。それに、なぜ自分の身で受けた? 古代の知識を受け継ぐ我々転生体の精神は不安定で、魂砕きで致命的なダメージを受ける。気でも狂ったか!?」
「いいえ、狂ってしまったのはあなたの方です、静香。私達の使命は王を孤独にしないこと。王が狂王にならないように、幾たび生まれ変わっても王と共にあること。再封印は狂王になってしまった場合の最後の手段です。」
そう言って振り上げた佳奈子の手には、いつの間にか玩具のハンマー――魂砕きが握られていた。
「ギャアアァァァァァァー!」
再び、今度は静香の悲鳴がこだました。
◇◇◇
「で、結局兄ちゃんがその狂王ってやつだったわけか?」
「……さあな、不死身かどうか調べるために死んでみるわけにもいかないからな。」
「ハッハッハ、そりゃぁそうだ。」
陽気に笑う飲兵衛に別れを告げて、俺は歩き出す。
全く、こんな与太話を聞いてくれるのは酔っ払いくらいだ。
正直な話、俺が狂王かどうかなんてどうでもいい。
そもそも、あの奇妙な昔話自体、静香の妄想に過ぎないのかもしれない。
あの場所は本当に玩具メーカーの倉庫だったのかもしれない。
あれから裏山には一度も行っていない。
そんな暇もない。
今の俺は王でも狂王でもない一般人だ。
真面目に働かねば食っていけない。
今の俺には養わなければならない人間がいる。
精神が壊れてしまった妹と幼馴染。
二人が帰りを待っている。
この物語では、真実は不明のままになっています。
裏山にあったのは古代文明の遺跡なのか、それとも玩具会社の倉庫だったのか。
静香の語った物語は知られざる古代の歴史か、それともただの妄想か。
主人公は狂王の生まれ変わりなのか、それともただの人なのか。
怪しげな要素を色々といれましたが、どれも事実であるとは断定できない状態にとどめました。
このため、ジャンルは「ローファンタジー」ではなく、「ヒューマンドラマ」にしました。
ひと夏の不思議体験はファンタジーですが、それが終われば現実に帰ってくるしかありません。
「働かねば食っていけない。」という現実に。
現実は厳しいのです。